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2023年9月22日

励起した分子1個の光電流を計測

「このデータを目にしたとき、自分がつくり出した計測法によって変わっていく科学研究のシーンが次々に頭に浮かんだ」という今井 みやび 基礎科学特別研究員。誰も捉えたことがない、高いエネルギー状態(励起状態)の分子1個が生み出す電流を、原子よりも細かい分解能で計測し可視化する方法を開発しました。この計測法は太陽光発電、人工光合成、光触媒などの研究の知見を次々に書き換える可能性を秘めています。

今井 みやびの写真

今井 みやび(イマイ・ミヤビ)基礎科学特別研究員

開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室

フタロシアニン1分子の光電流2次元マップとフタロシアニンの構造の図 図 フタロシアニン1分子の光電流2次元マップとフタロシアニンの構造(右) 右図のグレーが炭素、青が窒素、白が水素を表す。白金やマグネシウムなどの金属が中心に入っているフタロシアニン分子も観測している。

だったらホームランを狙おう

博士課程時代に、研修生として理研で研究していたとき、体調を崩し1日2時間ほどしか研究できない時期が続いた。「ある日突然、研究ができなくなるかもしれない。だったら、限られた時間で一発ホームランを狙おう」と思い立った。

分子は光を受けると、その光からエネルギーを吸収して励起状態になる。励起状態は不安定なため、発光や発電(光電流)、発熱、化学反応などによりエネルギーの低い安定な状態になろうとする。励起状態からの変化は、安定状態より格段に計測しにくい。

金 有洙 主任研究員が率いるKim表面界面科学研究室は、2016年に励起状態の分子1個が放つ「光」の測定に成功していた。しかし、励起状態の分子1個に流れる「電流」の測定法は誰も確立しておらず、その実現を太陽光発電や人工光合成、光触媒などの研究開発者らが待ち望んでいた。今井 基礎科学特別研究員が目指したのは、その励起状態の分子1個に流れるミクロな電流測定だった。

極微の電流を測るための工夫

計測に使用したのは走査トンネル顕微鏡(STM)。トンネル電流は、探針と試料の距離が約1ナノメートル(nm、10億分の1m)まで近づいたときに、両者の間に流れる電流だ。探針で試料をスキャンしながらトンネル電流の強さを測定すると、分子の形を把握できる。このSTMに、分子を励起するための光を照射する仕掛けをつけた「光STM」を開発した。

今井 基礎科学特別研究員は、分子1個に流れる極微の電流を捉えるために、効率よく分子を励起させるための二つの工夫をした。一つ目は、光の強度が数桁強くなる近接場光で分子を励起すること。近接場光とはナノサイズの原子に光を当てた際にそこから近接した狭い領域ににじみ出る強い光だ。探針の先に光を当てるとそこから近接場光がにじみ出る。二つ目は、光の波長を微調整できる波長可変レーザーを使うこと。試料となる分子の構造によって励起に必要な光の波長は異なる。波長可変レーザーなら最適な波長の光のみを照射できる。

分子1個に流れる光電流を可視化

研究対象に選んだのは、フタロシアニン分子(図右)だ。この分子は、光を吸収して励起状態になると電流を流す性質を持つ。フタロシアニン分子が励起できるエネルギー(1.8eV)のレーザー光を照射すると、約-0.7ピコアンペア(pA、1pAは1兆分の1A)の光電流が流れた。探針で1分子を細かくスキャンしながら電流を計測したところ、レーザーを当てない状態では電流は流れなかった(図左)が、当てたときは光電流が流れた。励起状態のフタロシアニンに流れる光電流値を世界で初めて実測で捉えた瞬間だった。電流値を2次元のマップに描き起こしてみると、その形は花のようで、フタロシアニンの特徴がよく現れていた(図中央)。「レーザー光のエネルギーがほんのわずかでもずれたら、電流は流れません。波長(エネルギー)を変えられるようにするという工夫が功を奏しました。はじめは不安定で計測が難しかったのですが、探針の針先をナノメートルレベルで同心円状に対称にとがらせればよいことが分かりました。私たちは、この探針製作法も含めて光電流計測法の特許を取得しています」

0と±0は大違い

この結果を得て「光電流はどのような過程を経て流れているのかを調べよう」とさらなる挑戦を始めた。フタロシアニンには、電流が流れる際に経由すると考えられるエネルギー状態が2種類(HOMOとLUMO)ある。しかし、どのような過程で電流が流れているかを確かめた人は誰もいなかった。

基板と探針の電位差を変えながら計測すると、基板に対する探針の電位差が0VのときはHOMO経由で正の電流が流れること、-2.0VのときはLUMO経由で負の電流が流れることが明らかになった。

さらに、電位差-0.25Vのときは、LUMO経由の負の電流とHOMO経由の正の電流が同じ量だけ流れており、分子1個トータルでは、±0アンペアと分かった。従来のマクロな測定法では「電流は流れていない」という結果しか得られなかったが、1分子を原子レベルの分解能で測定してみると「電流は流れている」のだ。「初めてこのデータを見たときは、目を疑いました」と振り返る。太陽光発電など光電変換材料の開発に「ミクロな実験的検証」という重要なピースが加わった。

光合成を手本にクリーンなエネルギーをつくりたい

太陽光発電の効率を左右する光電変換材料。光から電気への変換効率は、有機薄膜の場合、高いものでも20%程度だ。「光合成の第1段階、光から電気への変換効率はなんと100%です。その謎を私が開発した計測法で解き明かしたいのです」と抱負を語る。

単一分子の光電流計測装置のアイデアを考えついた当初、夫でこの成果を記した論文の第二著者でもある今田 裕 上級研究員は「ホームランを狙うより、今できることを着実にやろう」と、勇み足になりがちな妻を心配したという。けれど、初めてデータが取れたときには、その価値を誰より理解し喜んでもくれた。

家庭では、二人で協力しながら1歳の子を育てる。「時間をやりくりして、いかに研究成果を上げるかを意識するようになり、研究者としても成長できた」と二人でよく話しているそうだ。

(取材・構成:大石 かおり/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

2023年7月31日公開「クローズアップ科学道」より転載

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