プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
生体分子の大きな構造変化を詳細に解析・予測する理論(ペプカ)を開発
- 生体分子機能を原子の相互作用から詳細に理解 -
平成20年10月10日
◇ポイント◇
  • 原子の位置ではなく相互作用のエネルギーを用いて主成分分析
  • 分子の構造変化に重要な相互作用の体系的な同定が可能に
  • 将来的には、予測に基づく分子機能の制御による薬剤開発へ貢献
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、生体分子の相互作用のエネルギー(ポテンシャルエネルギー)の解析を行うことで、従来困難だった生体分子の大きな構造変化を同定し、予測する理論の開発に成功しました。この理論が大規模生体分子動力学シミュレーションに展開されると、構造変化の予測に基づいた分子機能の制御による薬剤開発が可能になると考えられます。理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)システムバイオロジー研究チームの上田泰己チームリーダー、小山洋平研修生と国立大学法人東京大学(小宮山宏総長)生産技術研究所の小林徹也講師、東京大学総合文化研究科の友田修司教授との共同研究の成果です。
 タンパク質やDNAなどの生命を構成している生体分子は、その構造を変化させることで機能を発揮しています。このような構造変化を取り扱うために、生体分子の個々の原子同士の相互作用を計算し生体分子全体の働きを解明する「分子動力学シミュレーション」が幅広く用いられています。しかし、従来の分子を構成する原子の位置(原子座標)を用いたシミュレーション結果の解析手法「主成分分析(PCA)※1」では、複数の構造の間で構造を変化させて機能を発揮するような生体分子の構造変化を同定し、予測することが困難でした。そこで、研究グループは、従来の原子座標を用いた主成分分析を拡張し、任意の物理量(原子座標の関数)に対する主成分分析が、分子の最も大きな構造変化を引き起こす摂動(刺激)を探す手法として解釈できることを明らかにしました。この一般的な枠組みに基づいて、従来の原子座標を用いた主成分分析の問題点を解決するために、物理量として相互作用のエネルギー(ポテンシャルエネルギー)を用いた主成分分析を開発し、「ペプカ:ポテンシャルエネルギー主成分分析(PEPCA:Potential Energy PCA)」と名付けました。PEPCAを2つの安定状態を持つモデル分子に対して適用したところ、2つの安定状態とその間の遷移状態、およびそれらの構造に重要な静電相互作用を体系的に同定することに成功し、有効性を実証することができました。
 今後、タンパク質などのより大きな生体分子の長時間分子動力学シミュレーションの結果に、PEPCAを適用すると、分子機能の原子レベルからの詳細な理解へとつながると考えられます。
 本研究成果は、『Physical Review E』のオンライン版(10月7日付け)に掲載されました。


1. 背景
 タンパク質やDNAなどの生命を構成している生体分子は、その構造を変化させることで機能を発揮しています。このような構造変化を取り扱うために、分子動力学シミュレーションが幅広く用いられています。シミュレーションの結果から分子の大きな構造変化を取り出す手法として、分子を構成する原子の位置(原子座標)を用いた主成分分析(PCA)が一般的に用いられています。原子座標を用いたPCAでは、分子の構造変化だけを取り出すために、あらかじめ分子全体の運動(並進運動と回転運動)を除く必要があります(図1(a))。並進運動は分子の重心を重ね合わせることで一意に除くことができますが、回転運動は分子が複数の構造の間を遷移するような大きな構造変化を伴う場合、一意に除くことができないことが知られています。このように、分子の大きな構造変化を解析しようとすると、原子座標を用いたPCAでは問題が出てきてしまいます。また、摂動(薬などのほかの分子の結合や温度変化などの刺激が加わること)により分子がどのような構造変化を起こすかを、シミュレーションの結果から予測する理論が知られていますが、この理論においても分子全体の運動をあらかじめ除いておく必要があるため、分子の大きな構造変化を予測するときには、同様の問題が生じます。このように、従来の原子座標を用いた解析手法では、複数の構造の間で構造を変化させて機能を発揮するような生体分子の大きな構造変化を同定し、予測することが困難でした(図1)


2. 研究手法と成果
 この問題を解決するために、まず、従来の原子座標を用いたPCAを拡張し、任意の物理量(原子座標の関数)に対する主成分分析が分子の最も大きな構造変化を引き起こす摂動を探す手法として解釈できることを明らかにしました。この一般的な枠組みの中で、従来の原子座標を用いたPCAの問題点を解決するために、物理量として相互作用のエネルギー(ポテンシャルエネルギー)を用いたPCAを開発し、「ペプカ:ポテンシャルエネルギー主成分分析(PEPCA:Potential Energy PCA)」と名付けました。ポテンシャルエネルギーは、物理的意味が明確な静電相互作用などからなり、原子間の相対的な位置だけに依存します。従って、その値は分子全体の運動に影響されず、あらかじめ分子全体の運動を除く必要がなくなり、従来の問題が生じません。さらに、分子動力学シミュレーションを行うときには必ずポテンシャルエネルギーが定義されるので、さまざまな分子に一般的に適用することができます。このPEPCAにより、どの相互作用の組み合わせが構造変化に重要であるかを同定することや、相互作用を変化させたときの構造変化を予測することが可能となります。
 PEPCAの有効性を実証するために、2つの安定状態の間を構造変化するモデル分子(アラニンジペプチド)に対して適用しました。その結果、最も大きい構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせ(図2(b):第1固有ベクトル)が、ほかの組み合わせに比べて顕著に大きい構造変化を引き起こすことがわかりました。このことは、この相互作用の組み合わせが構造変化に最も重要であることを示しています。
 図2(a)のラマチャンドランプロット※2上で赤と青で示される構造Aと構造Bは、PEPCAでは、相互作用の組み合わせの中で、値が正の相互作用を強め、負の相互作用を弱めると、構造Bの存在確率が増加し、構造Aの存在確率が減少することを予測することができます(図2(c)右)。反対に、値が正の相互作用を弱め、負の相互作用を強めると、構造Aの存在確率が増加し、構造Bの存在確率が減少することを予測することができます(図2(c)左)。つまり、構造AとBが、それぞれ2つの安定状態に対応していることから、最も大きな構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせが、2つの安定状態の比率を変化させることに対応していることがわかります(図2(c))。実際、この相互作用の組み合わせ(図2(b))の中で大きな正の値を持つ6番目(酸素)と18番目(水素)の静電相互作用は、酸素のマイナス電荷と水素のプラス電荷による引力によって構造Bを安定化していることがわかります。また、負の大きな値を持つ8番目(水素)と16番目(酸素)の静電相互作用は構造Aを引力により安定化し、5番目(炭素)と18番目(水素)および6番目(酸素)と17番目(窒素)の静電相互作用は斥力により安定化していることがわかります。
 同様に2番目に大きい構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせ(図3(b):第2固有ベクトル)は、2つの安定状態(青)とその間の遷移状態(赤)の比率を変化させることに対応していることがわかりました(図3(a)(c))。実際に相互作用の組み合わせ(図3(b))の中で正の大きな値を持つ6番目(酸素)と16番目(酸素)の間の静電相互作用は、斥力により遷移状態を不安定化させることで相対的に2つの安定状態を安定化し、負の大きな値を持つ5番目(炭素)と16番目(酸素)、6番目(酸素)と15番目(炭素)の静電相互作用は、引力により遷移状態を安定化していることがわかります。このようにモデル分子に対しては、PEPCAにより2つの安定状態とその間の遷移状態、およびその構造に重要な原子間相互作用が体系的に同定できることがわかりました。


3. 今後の期待
 近年、大規模並列計算機の並列化効率の向上による高速化や専用計算機の開発などにより、分子動力学シミュレーションで、実際に分子が機能する際の大きな構造変化を見ることが可能になりつつあります。今後、PEPCAをこのような従来の解析手法では同定および予測が困難であった大きな構造変化に対して適用することができると、分子機能の原子レベルからの詳細な理解へとつながると考えられます。また、PEPCAで明らかにされた重要な相互作用に対して変化を与えるような薬を探すことにより、従来の薬剤スクリーニングでは困難であった、構造変化の予測に基づいた分子機能の制御による薬剤開発が可能になると期待されます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター
システムバイオロジー研究チーム
チームリーダー 上田 泰己(うえだ ひろき)

Tel: 048-306-3190 / Fax: 048-306-3194
神戸研究推進部企画課

Tel: 078-306-3008 / Fax: 078-306-3039

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 主成分分析(PCA : Principal Component Analysis)
多次元のデータからその平均値の周りでの座標軸の回転により分散の大きい方向を次々と探す多変量解析の手法。多次元のデータの共分散行列を対角化することで求めることができる。固有値が分散の大きさ、固有ベクトルが新しい座標軸、新しい座標軸でのデータの値を主成分という。一般に大きな固有値(分散)を持つ方向だけで元のデータが再現できるので、データの次元を削減する手法として使われる。
※2 ラマチャンドランプロット
タンパク質を構成するアミノ酸が持つ2つの回転角度(2面角φ、ψ)を用いてタンパク質の構造を表示する手法。タンパク質の主鎖(アミノ酸の種類によらない構造)は2面角の組み合わせでほぼ決定される。今回、モデル分子としてアミノ酸の1つであるアラニン(-NH-CHCH3-CO-)の両端にアセチル基(CH3-CO-)とN-メチル基(-NH-CH3)が結合し、2つのペプチド結合(-CO-NH-)を持つアラニンジペプチド(CH3-CO-NH-CHCH3-CO-NH-CH3)を用いた。1つのアミノ酸からなるので2つの2面角(φ、ψ)だけでその構造がほぼ決まる。


図1 分子の構造変化
図1 分子の構造変化
(a) 分子の運動。分子の構造変化(下段)が分子の機能に最も重要である。
(b) 分子構造の分布。分子は自発的に構造変化し、構造のエネルギーの大きさによりその構造がどれくらいの頻度(分布)で現れるかが決まる。1つの安定な構造を持つ分子(上段)は従来の原子座標を用いた主成分分析でその構造の分布(構造ゆらぎ)がよく解析できるが、複数の安定状態を持つ場合(下段)にはその解釈が困難になる。
(c) 摂動(刺激)による分子構造の分布変化。分子に摂動が加わると、その構造の分布が変化する。安定状態が1つの場合には原子座標を用いた予測法により摂動による安定状態の変化を予測することが可能であるが、複数の安定状態を持つときにはその解釈が困難になる。
PEPCAにより、(b) では複数の安定状態を原子の相互作用の組み合わせにより解析できることがわかり、また、(c) では複数の安定状態の比率の変化を予測することができるようになることがわかった。


図2 PEPCAによる分子動力学シミュレーション結果の解析
図2 PEPCAによる分子動力学シミュレーション結果の解析
最も大きな分子の構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせ(第1固有ベクトル)および引き起こされる確率の変化(第1主成分)
(a) ラマチャンドランプロット上でのPEPCA第1主成分の符号。青は負、赤は正を表す。各点はそれぞれアラニンジペプチドの構造に対応する。青と赤の構造が2つの安定状態に対応していることがわかる。
(b) PEPCA第1固有ベクトル。最も大きい構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせを表す。今回のモデルではアラニンジペプチドは共有結合に関する相互作用(1−102)、ファンデルワールス相互作用(103−276)、静電相互作用(277−450)からなる450個の相互作用を持つ。el-6-18は6番目と18番目の原子の間の静電相互作用を表す。
(c) 相互作用の組み合わせの強さを変化させたときの構造の分布の変化。PEPCAは(b)で正の相互作用を強め、負の相互作用を弱めると、青と赤で示された構造の存在確率がそれぞれ増加および減少(より正確には存在確率が変化しない境界(緑の線)は青で示された構造の中に存在する)することを予測する。反対に正の相互作用を弱め、負の相互作用を強めると、青と赤で示された構造の存在確率がそれぞれ減少および増加(より正確には存在確率が変化しない境界(緑の線)は赤で示された構造の中に存在する)することを予測する。これらは2つの安定状態の比率を変化させていることがわかる。


図3 PEPCAによる分子動力学シミュレーション結果の解析
図3 PEPCAによる分子動力学シミュレーション結果の解析
2番目に大きい分子の構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせ(第2固有ベクトル)および引き起こされる確率の変化(第2主成分)
(a) ラマチャンドランプロット上でのPEPCA第2主成分の符号。意味は図2(a)と同じ。青と赤の構造が2つの安定状態とその遷移状態に対応していることがわかる。
(b) PEPCA第2固有ベクトル。2番目に大きい構造変化を引き起こす相互作用の組み合わせを表す。
(c) 相互作用の組み合わせの強さを変化させたときの構造の分布の変化。意味は図2(c)と同じ。これらは2つの安定状態とその遷移状態の比率を変化させていることがわかる。

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