- 反水素原子の原材料となる反陽子と陽電子を閉じ込める八重極磁気瓶を開発
- 磁気瓶内で冷たい反水素原子が生まれ、その消滅現象から反水素原子の捕捉を確認
- 反水素原子の性質を精密に見極めるレーザー分光実現に大きな一歩
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、8カ国からなる国際共同研究
ビッグバンから始まったと考えられている私たちの宇宙には、物質と反物質が等量存在するはずです。しかし、広い宇宙のどこを見ても、あるのは“物質”ばかりです。研究グループは、反物質の代表格である反水素原子の性質を精密に観測し、対応する水素原子と比較することで(CPT
本研究の成果は、「日本学術振興会 科学研究費補助金 特別推進研究 反水素原子と反水素イオンによる反物質科学の展開」の一環として行われたもので、英国の科学雑誌『Nature』オンライン版(11月17日付け:日本時間11月18日)に掲載されます。
- 背景
反水素原子は、陽子の反粒子である反陽子と電子の反粒子である陽電子が結合したもので、反物質世界の代表格です。この反水素原子と水素原子の性質を詳しく調べることにより(CPT対称性テスト)、反物質の世界が私たちの住んでいる宇宙とどのように違うか、あるいは同じかを、これまでにない精度で明らかにすることができます。CPT対称性は、それ自身で非常に興味深い基礎物理学の重要な研究対象ですが、同時に、私たちの住むこの宇宙がなぜ物質だけでできているのかについての情報も提供すると期待されます。
反水素原子の性質を詳細に知るためには、その様子をじっくりと時間をかけて調べる必要があります。そのためには、反水素原子を作って磁気瓶に閉じこめる、または、冷たい反水素ビームを作る、などを実現する必要があります。しかし、反水素原子の重要な構成要素である反陽子は、数百億電子ボルトに加速した陽子と陽子の衝突で生成するため、数十億電子ボルトのエネルギーを持っています。実際の実験では、この大変に熱い反陽子をさまざまな方法でなだめすかし、冷やしに冷やして、絶対温度0K付近の極低温にした後、やはり極低温の陽電子と混ぜ合わせることにより反水素原子を生成しています。これは「言うは易く行うは難し」の典型例のようなもので、実際にはさまざまな技術的課題を克服する必要があり、2002年にやっとその生成が実現したばかりでした。しかし、この実験では磁場が一様であったため、生成した反水素原子を蓄積することができず、その消滅信号を検出するしか反水素原子の存在を確認することができませんでした。つまり、生きた反水素原子を捕捉し、その性質を調べるために利用することは実現していませんでした。
- 研究手法と成果
研究グループは、反水素原子の生成・捕捉のために、5年の歳月をかけて新たな磁気瓶を開発しました
(図1) 。これは、八重極磁場コイルとミラーコイルを組み合わせたもので、さらにその内部に多重の円筒電極を置いて、必要な電場と磁場をかけることができるようになっています。この電場と磁場を調整することで、反陽子と陽電子を捕捉し、そっと混ぜ合わせることができるようになります。混ぜ合わせた反陽子と陽電子は互いのクーロン力により引き合い、やがて、さまざまな衝突過程を経て反水素原子が生成します。反水素原子は電気的に中性の小さな磁石なので、電場にはほとんど反応しませんが、八重極磁場コイルとミラーコイルにより形成されている磁気瓶には閉じこめることができます。反陽子と陽電子を混ぜ合わせ、反水素原子ができたころ(1秒後)を見計らって円筒電極にかける電圧を操作し、電荷を持った反陽子と陽電子を磁気瓶の外へ捨てます。その後、磁気瓶の磁場をゼロにすると、反水素原子は束縛を逃れ、いずれ円筒電極にぶつかって消滅し、パイ中間子などさまざまな粒子を放出します。この放出粒子を観測することで、反水素原子の閉じこめの有無を確認できます。実際に、磁気瓶の磁場をゼロにしてからの時刻と磁場軸方向の消滅位置を、磁気瓶の周りに組み込んだ3枚の検出器で測定した結果、反水素原子を38個も捕捉していたことを確認しました。さらに、この実験結果が、反水素原子が磁気トラップに捕まっていると仮定してシミュレーションした消滅位置分布と大変良く一致していることも分かりました
(図2) 。 - 今後の期待
反水素原子の磁気瓶閉じ込めに成功したことにより、反水素原子による反物質研究は新たな段階に入り、いよいよ、反水素原子の高精度レーザー分光に向けた実験を開始できます。すでに水素原子については、基底状態(1S状態)から初めの励起状態(2S状態)への遷移エネルギーが100兆分の1という大変高い精度で決定されています。陽子と電子は小さな磁石ですが、その磁石が相互の方向を変えたときのエネルギー差(超微細分裂エネルギー)も、やはり10兆分の1の精度で決定されています。反水素原子の精密分光が可能になると、物質(水素原子)と反物質(反水素原子)の対称性を格段に高い精度でテストできるようになります。その道は容易ではありませんが、これからいよいよ基礎物理学の根幹にかかわる実験を開始します。
- (報道担当)
- 独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
- Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
- Mail: koho@riken.jp
< 補足説明 >
| ※1 | 国際共同研究グループ |
| デンマーク、カナダ、米国、英国、ブラジル、スウェーデン、イスラエル、日本からなる国際共同研究グループ。 | |
| ※2 | 反水素原子 |
| 反陽子(陽子の反粒子)と陽電子が水素様に結合した原子で、物理学の基本的対称性を高精度で検証するために適した系として注目されている。 | |
| ※3 | CPT対称性 |
| 物理学において最も基本的だと考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転(P)、時間反転(T)の3つの変換を同時に行うことを意味する。水素と反水素の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになる。 | |
| ※4 | 反陽子 |
| 陽子の反粒子。質量、スピンは陽子と同じ値を持つが、電荷及び磁気モーメントは逆符号になっている。1955年、アメリカ・カリフォルニア大学のベバトロン(Bevatron)という加速器からの56億電子ボルトの陽子を用いて、オーウェン・チェンバレン(Owem.Chamberlain)らが発見した。 | |
| ※5 | 陽電子 |
| 電子の反粒子。質量、スピンは電子と同じ値を持つが、電荷及び磁気モーメントは逆符号になっている。また、電子と同様、物質を構成する素粒子の1つである。1929年にイギリスの物理学者のポール・ディラックが理論的に予言し、その3年後、アメリカのカール・ディヴェィド・アンダーソンが、宇宙線の中に発見した。電子に出会うと光となって消滅(対消滅)してしまう。そのため、物質中では、10-10秒という非常に短い時間しか存在できない。 |

図1 八重極磁気瓶の構造(円筒電極内径4.45cm、長さ約50cm)
八重極磁場コイルとミラーコイル、そしてソレノイドコイル(図には示していない)のすべてが超伝導磁石でできており、強い磁場を発生することができる。しかし、それでも0.6K程度の極低温の反水素原子しか捕まえることができない。従って、低温の反水素原子を生成する技術を開発することが実験成功の鍵となる。

図2 磁気瓶の磁場をゼロにしてからの時刻とその消滅位置
●、▲、▼は電場が異なる条件での実験データ。細かなグレーのドットは、反水素原子が磁気トラップに捕まっていると仮定したシミュレーションデータ。両者の消滅位置はよく一致している。