プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
アルツハイマー病の原因となる「アミロイドベータ」の産生調節機構を解明
- 新しいアルツハイマー病治療薬の開発に有望戦略 -
平成20年10月20日
◇ポイント◇
  • 神経細胞の「膜マイクロドメイン」を生体内の状態で単離
  • アミロイドベータ産生調節の新メカニズム「マイクロドメインスイッチング」を発見
  • アミロイド産生を促進する酵素「Cdk5」がマイクロドメインスイッチングを制御
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、神経細胞の細胞膜内の特殊領域「膜マイクロドメイン※1」で起こる「マイクロドメインスイッチング」が、アルツハイマー病発症の原因となる「アミロイドベータ(Aβ)」の産生を調節する重要なメカニズムであることを発見しました。理研脳科学総合研究センター(田中啓治センター長代行)構造神経病理研究チームの貫名信行チームリーダー、櫻井 隆 元研究員(現:順天堂大学医学部薬理学講座教授)らによる成果です。
 アルツハイマー病は、認知症の主要原因で、人口の高齢化に伴い急増が予測されています。アミロイドベータ(Aβ)と呼ばれるペプチドを過剰産生・蓄積することが、その原因であるとする説が有力です。Aβはアミロイド前駆体タンパク質(APP)から2段階の切断で生成されます。その第1段階は、タンパク質分解酵素のベータ(β)セクレターゼ(BACE1)※2によるβ切断※3で、アルツハイマー病の発症機序に深くかかわるとともに、その抑制が実現すると有望な治療戦略となりうると考えられています。
 APPとBACE1は、共に細胞膜を貫通するタンパク質で、APPのβ切断調節には「ラフト※1」と呼ばれるコレステロールなどを主要成分とする膜マイクロドメインが重要であることが示唆されていました。研究グループは、膜マイクロドメインを単離できる手法を新たに開発し、APP、BACE1が存在する膜マイクロドメインの解析を行いました。その結果、神経細胞ではAPPとBACE1が異なる膜マイクロドメインに存在し、APPと膜マイクロドメインの複合体がBACE1によるβ切断を抑制していることを見いだしました。また、これまでアミロイド産生を促進するとされていた酵素Cdk5※4が、神経活動に伴ってAPP-膜マイクロドメイン複合体から、APPをBACE1-マイクロドメインへ移行させるマイクロドメインスイッチングを起こすことで、β切断を促進するというAβ産生調節機構を明らかにしました。
 今後、本研究で明らかにした膜マイクロドメインの解析によって、新たな薬物標的の発見など、アルツハイマー病治療薬の開発へつながると期待できます。本研究成果は、米国の学術雑誌『Journal of Cell Biology』(10月20日号)に掲載されます。


1. 背景
 高齢化社会を迎え、認知症への対策は社会的に緊急な課題となっています。現在、国内に約100万人以上もの認知症老人がいるとされ、その約半分がアルツハイマー病患者であるといわれています。今後、その数はさらに増加すると予測され、早期の治療薬の開発が急務となっています。アルツハイマー病は、脳内の神経細胞で、ベータ(β)セクレターゼ(BACE1)とガンマ(γ)セクレターゼと呼ばれる2つの酵素によって、アミロイド前駆体タンパク質(APP)が切断されて生じるアミロイドベータペプチド(Aβ)が、過剰に産生され蓄積することが原因で発症すると考えられています(図1)。
 APPとBACE1は、共に細胞膜を貫通するタンパク質で、BACE1によるAPPのβ切断には、「ラフト」と呼ばれるコレステロールを主要成分とする細胞膜の特殊領域「膜マイクロドメイン」が重要であることが示唆されていました。APPの一部や、パルミトイル化※5を受けたBACE1が膜マイクロドメインのラフトに存在し、細胞内コレステロールレベルの上昇によりAβ産生が増加することから、Aβ産生とラフトとの関連が示唆されていましたが、その詳細は明らかではありませんでした。
 生体膜を構成する脂質と膜タンパク質は、膜上に均一に分布するのではなく、膜の微小領域に特定の分子同士が集合した膜マイクロドメインを形成しています。コレステロールやスフィンゴ脂質などの脂質や、その脂質と親和性を持つ膜タンパク質から構成されているラフトはその代表です。ラフトは、BACE1などの特定の機能を持つ膜タンパク質分子が集合し、機能が特殊化した膜領域で、細胞の情報伝達、タンパク質の輸送・代謝など多彩な細胞現象に関与すると考えられています。そのようなラフトが関与する機能の多様性から、多種類のラフトの存在が推測されていました。しかし、ラフトに相当するとされる、界面活性剤不溶性の膜領域(DRM)※1は、調製の際に膜同士の融合が起こるため、個々のラフトの生化学的な解析は進んでいませんでした。そのため、ラフトの生体内での状態を維持したまま膜マイクロドメインを単離し、解析する方法の確立が必要とされていました。


2. 研究手法と成果
(1) DRM調製法の検討とAPPが集合したDRMの単離・解析
 ラフトは、その秩序だった脂質環境により、低温下では界面活性剤の可溶化に耐性を示すとされています。この性質を利用して、生化学的解析では、細胞・組織を4℃の低温条件で界面活性剤を加えて破砕し、溶け残ったタンパク質-脂質の複合体をショ糖密度勾配超遠心にかけ、低密度分画に浮遊するDRMをラフトに相当するものとして用いています。しかし、標準的に用いられる界面活性剤Triton X-100※6で調製すると、溶け残った膜同士が融合するために多種類のラフトが混合されてしまい、それ以上の解析が不可能となります(図2b)。この膜同士の融合を防ぎ、生体内のラフトの状態を維持したDRMの調製条件を見いだすため、ラフトの1つであるThy-1タンパク質をマーカーとして、ラフト抽出に適した界面活性剤を検討し、Lubrol WX※6が有効であることを見いだしました(図2a)。
 さらに、多様な脂質-タンパク質構成を持つDRMから、APPまたはBACE1に特異的な抗体を用いて、APPまたはBACE1が結合したDRMを単離することに成功しました。
 これまでAPPの一部とBACE1は、同じDRMに存在すると考えられていましたが、驚いたことに脳組織に由来するAPPが集合したDRMとBACE1が集合したDRMには、ほとんど重なりが見られませんでした。これは、APPとBACE1が異なる膜マイクロドメインに存在することを示しています。
(2) マイクロドメインスイッチングによるAβ産生調節機構
 APPの約25%と、BACE1の大部分がDRMに存在するにもかかわらず、DRM中でAPPとBACE1の共存が見られなかったことから、DRM中ではAPPがBACE1との結合を妨げられているのではないかと予想しました。APPが集合したDRMの構造を解析したところ、神経伝達物質放出に関与するsyntaxin 1※7の集合により形成される膜マイクロドメインに、細胞内足場タンパク質を介してAPPが結合していることがわかりました。さらに、細胞表面では、syntaxin 1マイクロドメインとBACE1結合マイクロドメインは分離して存在していました。これにより、syntaxin 1-APP複合体が、APPとBACE1の結合を妨げ、β切断を抑制する可能性が示されました。興味深いことに、加齢に伴い増大する酸化ストレスにより活性が亢進するキナーゼCdk5は、syntaxin 1-APP複合体を解離させ、APPをsyntaxin 1マイクロドメインからBACE1マイクロドメインへ移行させていました(図3)。この現象をマイクロドメインスイッチングと名付けました。
 このCdk5活性の上昇により、マウスの脳でβ切断やAβ産生が増加することは、すでに報告されています。今回、Cdk5活性の上昇がマイクロドメインスイッチングを引き起こし、Aβの産生を亢進していることが明らかとなりました。Aβ自体もCdk5活性を上昇させることから、マイクロドメインスイッチングが加齢やアルツハイマー病によるAβ産生亢進の重要なメカニズムであることが示唆されました。
(3) 神経活動の亢進とマイクロドメインスイッチング
 神経活動が亢進すると、β切断、Aβ産生が増加することが知られています。研究チームは、この現象と新たに同定したマイクロドメインスイッチングとの関連を調べるために、培養神経細胞にピクロトキシン処理※8をして神経活動を亢進させ、β切断へのCdk5の関与を検討しました。その結果、神経活動の亢進に伴ってCdk5活性上昇が起こり、それに伴ってβ切断が増加することが明らかとなりました(図4)。また、この時、APPのBACE1マイクロドメインへの移行が起こっていました(図5)。Cdk5阻害剤で処理すると、これらの現象は見られなくなることから、神経活動の亢進に伴ってβ切断、Aβ産生が増加する過程にも、APPのマイクロドメインスイッチングが関与する可能性が示されました(図6)。


3. 今後の期待
 最近のヒト脳のイメージングやマウス脳におけるAβ測定により、神経活動が亢進するとAβが産生・蓄積することが明らかとなっています。研究チームが新たに見いだした、マイクロドメインスイッチングによるAβ産生調節機構は、このメカニズムの1つであると考えられます。APPが集合している膜マイクロドメインのさらなる解析により、Aβの産生が神経細胞の機能とどうかかわっているのかが明らかになると思われます。また、マイクロドメインスイッチングの解析により、アルツハイマー病治療のための新たな標的を発見する可能性が高まりました。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
脳科学総合研究センター 構造神経病理研究チーム
チームリーダー 貫名 信行(ぬきな のぶゆき)

Tel: 048-467-9702 / Fax: 048-462-4796
脳科学研究推進部 鈴木 一郎(すずき いちろう)

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 膜マイクロドメイン、ラフト、DRM
細胞膜や細胞内小器官の膜上で、特定の脂質とタンパク質が集合することで形成される数十から数百nm程度の膜微小領域を、膜マイクロドメインと呼ぶ。コレステロールとスフィンゴ脂質により形成されるラフトが代表例。ラフトには飽和脂肪酸で修飾を受けたシグナル伝達分子などが会合し、多様な細胞機能の場として働くと考えられている。DRM(detergent resistant membrane)は界面活性剤の可溶化に抵抗性を示す膜画分でラフトを含む。
※2 ベータ(β)セクレターゼ(BACE1)
501個のアミノ酸で構成される膜貫通型のアスパラギン酸プロテアーゼ。活性中心に2つのアスパラギン酸があり、酸性環境下で活性を持つ。アルツハイマー病の発症に関与するとされ、BACE1欠損マウスにおいて明らかな異常を示さなかったことから、アルツハイマー病の治療標的として有力視されている。
※3 β切断
APPはβセクレターゼ(BACE1)によって切断(β切断)され、その後膜内でγセクレターゼによって切断(γ切断)されてAβを産生する。膜表面ではαセクレターゼによってAβの内部で切断されるα切断もあり、α切断とβ切断によってAβ産生量が制御される。
※4 Cdk5
サイクリン依存性キナーゼ(Cdk)と呼ばれる、細胞分裂に関与するリン酸化酵素の1つ。サイクリン依存性キナーゼ5(Cdk5)は細胞分裂をしない神経細胞で活性がみられるCdkであり、アルツハイマー病では細胞内に蓄積するタウタンパク質をリン酸化することでも知られている。
※5 パルミトイル化
飽和脂肪酸であるパルミチン酸をシステイン残基とのチオエステル結合によりタンパク質に付加する翻訳後脂質修飾。近接した複数のパルミトイル化がラフト局在に重要であると考えられている。
※6 Triton X-100、Lubrol WX
界面活性剤であり、分子内に親水基と疎水基を持ち、膜タンパク質の可溶化などに用いられる。さまざまな界面活性剤が存在するが、Triton X-100は膜からのラフト調製に通常用いられている。本研究で示したように界面活性剤によって調製中に膜の融合を起こすものが多く、異なるラフト調製にはLubrol WXは最適であった。
※7 syntaxin 1
神経興奮時には、神経伝達物質を含むシナプス小胞が神経終末の細胞膜と融合し、その内容物が放出される(エキソサイトーシス)。その際、小胞膜のタンパク質と融合標的の細胞膜タンパク質は、あらかじめ複合体を形成しており、カルシウムイオン濃度の増加に伴う構造変化により、融合が起こると考えられている。小胞が融合する細胞膜側に存在するタンパク質の1つがsyntaxin 1で、そのC末端には、膜に固定されたヘリックス構造があり、syntaxin 1 分子同士が集合することでラフトとは異なるコレステロール依存性の膜マイクロドメインを形成することが知られている。
※8 ピクロトキシン処理
ピクロトキシンは、抑制性伝達物質のGABAの受容体を抑制することにより、興奮性神経細胞を抑制から解き放し、異常興奮を引き起こす。


図1 BACE1とγ-セクレターゼによるAPPからのAβ産生機構(従来の考え方)
図1 BACE1とγ-セクレターゼによるAPPからのAβ産生機構(従来の考え方)
APPとBACE1は、共に1回膜貫通型の膜タンパク質である。APPは、まず細胞外ドメインにおいてBACE1によりβ切断を受け、sAPPと膜結合型のC末端側断片を生じる。さらに、膜貫通部位においてγ-セクレターゼにより切断を受け、Aβを生じる。BACE1はパルミトイル化によりラフトに局在するとされている。APPの一部もコレステロール依存的にラフトに結合することから、ラフトがβ切断の場であると考えられている。


図2 界面活性剤によるDRMの形態の違いとDRMにおけるAPP の分布
図2 界面活性剤によるDRMの形態の違いとDRMにおけるAPP の分布
マウス脳組織からLubrol WX(a)またはTriton X-100(b)を用いて膜マイクロドメインに相当するDRMを調製し、電子顕微鏡で観察を行った。スケールバーは200nmを示す。従来法のTriton X-100を用いた場合には、ラフトの構造から予想されるシート状の膜断片ではなく、巨大な融合膜を形成している。一方、Lubrol WXの場合には、予測されるラフト構造に近い数十〜数百nm程度のシート状または管状の膜構造物が見られた。Lubrol WXを用いて調製したDRM上で、抗APP抗体、金コロイド標識2次抗体の反応を行ってから固定し、観察した電子顕微鏡像を示す(c、d)。全体の数%の膜構造物上に、多くの場合クラスター状に金コロイドが見られた。APPが一部の膜マイクロドメイン上に集中して存在することを示している。スケールバーは100 nmを示す。


図3 細胞膜上でのAPPのマイクロドメインスイッチング
図3 細胞膜上でのAPPのマイクロドメインスイッチング
抗体により生きた培養細胞の細胞膜上で2つの異なる膜タンパク質を凝集させ、その重なりにより膜マイクロドメインにおける共局在を調べるco-patching法を用いて、APPとsyntaxin 1またはBACE1-マイクロドメインの結合を解析した。通常、細胞表面に存在するAPPの約30%はsyntaxin 1-マイクロドメインと結合し、BACE1-マイクロドメインと結合するものは10%以下であった。Cdk5活性化によりその割合が逆転し、APPとBACE1-マイクロドメインの結合が増加した。これは、Cdk5活性化により、APPのsyntaxin 1-マイクロドメインからBACE1-マイクロドメインへの移行(マイクロドメインスイッチング)が起こることを示唆している。


図4 神経活動依存性のβ切断増加とCdk5の関与
図4 神経活動依存性のβ切断増加とCdk5の関与
培養神経細胞をピクロトキシン処理し神経活動を亢進させた場合には、β切断が約2倍に増加した。このピクロトキシンによるβ切断の増加は、Cdk5の阻害薬の処理により部分的に抑制され、Cdk5が関与していることが示唆された。


図5 神経活動に依存するBACE1マイクロドメインへのAPP結合増加とCdk5の関与
図5 神経活動に依存するBACE1マイクロドメインへの
APP結合増加とCdk5の関与
培養神経細胞から調製したDRMから、抗体を用いてBACE1が集合したDRMを得てAPPの結合量を解析した。ピクロトキシン処理し神経活動を亢進させた場合には、BACE1マイクロドメインに存在するAPPが約2倍に増加した。このピクロトキシンによるAPPの増加は、Cdk5の阻害薬の処理により抑制され、Cdk5が関与していることが示唆された。


図6 Aβ産生メカニズムとしてのマイクロドメインスイッチング
図6 Aβ産生メカニズムとしてのマイクロドメインスイッチング
APPとBACE1は、異なる膜マイクロドメインに存在するため、APPがBACE1によって切断されAβ産生の最初のステップが始まるためには、syntaxin1-マイクロドメインからAPPが離脱する必要がある。この過程は神経活動に伴うCdk5によるMunc18のリン酸化などによって制御されている。この過程の制御によってAβ産生をコントロールする治療法の可能性が出てきた。

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