プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
「スギ花粉症の予防・治療用ワクチン」橋渡し研究がスタート
- アナフィラキシーショックの危険を防ぎ、根本予防治療を実現 -
平成20年7月29日
◇ポイント◇
  • 2種類のスギ花粉主要抗原を遺伝子工学的手法で合成し開発
  • 動物実験で効果と安全性を確認
  • ヒトへの投与基準を満たすGMPレベルのワクチンの製造・毒性試験を開始
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、2種類のスギ花粉主要抗原を遺伝子工学的手法で合成などして開発したスギ花粉症ワクチンについて、橋渡し研究(トランスレーショナルリサーチ, TR)※1第1号として臨床応用へ向け、TRを開始することを6月12日に決定しました。このスギ花粉症ワクチンは、免疫・アレルギー科学総合研究センター(谷口克センター長)ワクチンデザイン研究チームの石井保之チームリーダーらが、独自に開発した根本予防治療薬で、動物実験で顕著な効果を認め、しかもアナフィラキシーショック※2の危険性が少ないため、新しい治療薬として国民から大きな期待が寄せられています。
 スギ花粉症は日本で最も多い花粉症で、国民の13〜16%が罹患し(2005年度版鼻アレルギー診療ガイドライン)、有病率は都市部ほど多いとされています。患者数は今なお増加傾向にあり、社会問題となっています。鼻水、くしゃみ、眼のかゆみなどの花粉症の症状を抑えるためには、抗ヒスタミン剤の投与など、症状を緩和する対症療法しかありませんでした。
 同センターは、作用メカニズムが明確で、予防治療効果が高く、アナフィラキシーショックの危険性が少ないワクチン開発を、設立当初の2001年7月から進め、マウスなどの動物実験できわめて有効な成果を出すワクチンの開発に成功しました。このワクチンは、2種類のスギ花粉主要抗原を遺伝子工学的手法で合成し、さらに、アナフィラキシーショックの誘発を防ぐためにPEG(ポリエチレングリコール)修飾※3をしています。
 理研は、この開発したワクチンをもとに臨床応用研究を展開するため、ヒトへの投与基準を満たしたGMP※4レベルでのワクチンの製造・毒性試験の開始を決定し、社会問題であるスギ花粉症の患者を救うため、臨床応用を見据えた橋渡し研究に着手することにしました。ヒトを対象とした臨床試験開始までにまだ準備期間が必要ですが、免疫システムを刺激して発症するスギ花粉症を、ワクチンで根本的に予防する治療法としては初めての試みとなります。


1. 花粉症発症のメカニズム
 生体の異物であるスギ花粉(抗原、アレルゲン)が、鼻や口などを経由して体内に侵入すると、T細胞が活性化し、B細胞との相互作用によってスギ花粉に対するIgE抗体(スギ花粉特異的IgE抗体)を産生します。IgE抗体は、私たちの鼻や眼、さらにのどや気管の粘膜に広く分布しているマスト細胞の表面に付着します。IgE抗体にスギ花粉が結合すると、マスト細胞がヒスタミン、ロイコトリエンという化学伝達物質を放出します。このヒスタミン、ロイコトリエンが鼻やのどの粘膜細胞や血管を刺激し、鼻水やくしゃみ、鼻づまりなどの花粉症の症状を引き起こします(図1)。


2. ワクチン開発
 アレルギー反応の働きを抑制するために、減感作療法※5があります。現在、減感作療法は、天然スギ花粉から抽出した標準エキスを1年余りに渡り、頻回に注射する治療法です。このエキスは、天然スギ花粉成分であるため、IgE抗体が、天然スギ花粉主要抗原に反応し、アナフィラキシーショックを誘発する恐れがありました。研究チームが開発したスギ花粉症ワクチンの構造は、2種類のスギ花粉主要抗原を連結した組換え融合タンパク質(図2B)にPEG(ポリエチレングリコール)修飾した構造になっています(図2C)。スギ花粉抗原の天然型立体構造を破壊しているため、IgE抗体に認識されず、アナフィラキシーショックを誘発しづらくしています。実際、100名のスギ花粉症患者血清中のIgE抗体とはまったく反応しない成果を得ました(図2グラフ)。このため、高濃度で投与しても、アナフィラキシーショックを誘発する危険性が低く、安全なワクチンであると言えます。
 実際、このスギ花粉症ワクチンの予防・治療効果をマウスで確認したところ、予防的にワクチンを前投与しておくと、その後、天然スギ花粉抗原を注射してもIgE抗体の上昇がほとんど起こりませんでした(図3左)。つまり、今回の結果は極めて高い予防効果が期待できることを示唆しています。一方、発症後のワクチンの治療効果を検証するため、あらかじめマウスを天然スギ花粉抗原で感作してIgE抗体を上昇させた後、ワクチンを投与したところ、再度、天然スギ花粉抗原を注射してもIgE抗体が上昇しないことが確認できました(図3右)。
 さらに研究チームは、NKT細胞(ナチュラルキラーT細胞)※6を活性化するα-GalCerという物質を含むリポソーム※7(脂質)膜の中にワクチンを包んだ、リポソームワクチンを試作しました(図4)。α-GalCerによりNKT細胞を活性化すると、抑制T細胞という細胞が活性化され、IgE産生細胞の働きが抑制されるという機序により症状が緩和され、高い治療効果が期待できます。実際、天然スギ花粉抗原投与によって、IgE抗体が十分に上昇しているマウスにリポソームワクチンを投与すると、IgE抗体が劇的に低下するという強力な治療効果を確認できました(図5)。同様の効果は、スギ花粉感作アレルギー犬を用いたモデル実験でも確認できました。


3. 臨床応用の展開
 動物実験で効果を確認したスギ花粉症ワクチンを実際の患者に投与するためには、TR臨床研究を行う必要があります(図6)。研究チームは、このワクチンの実用化のために、厚生労働省が定める患者への投与基準を満たしたワクチンの製造・毒性試験を開始し、さらには臨床試験まで見据えた橋渡し研究に着手しました。
 具体的には、今後、医薬品や医薬部外品の製造管理と品質管理の基準を満たすワクチンの製造(GMPタンパク質の製造)を行い、毒性試験などのTR非臨床研究を終了させます。そして理研と7大学、相模原病院などで構成するアレルギー臨床ネットワー※8を介して、患者を対象としたTR臨床研究を進める計画です。これによりスギ花粉ワクチンの研究成果の社会還元を進め、スギ花粉症の撲滅を目指します。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
免疫・アレルギー科学総合研究センター
ワクチンデザイン研究チーム
チームリーダー 石井 保之 (いしい やすゆき)

Tel: 045-503-7016 / Fax: 045-503-7015
横浜研究推進部  企画課

Tel: 045-503-9117 / Fax: 045-503-9113

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 橋渡し研究(トランスレーショナルリサーチ, TR)
トランスレーショナルリサーチ(TR)とは、基礎研究と臨床試験の間をつなぐ研究のことで、TR非臨床研究とTR臨床研究に分けられる。新医薬品の開発の承認審査には、TRで新医薬品の品質、有効性および安全性を示す必要がある。TR非臨床研究では、新医薬品の理化学的試験、薬理・薬物動態・毒性に関する試験を行い、TR臨床研究で実際の患者に対する治験が行われ、新医薬品の実効性などが試験される。
理研では、TR非臨床研究許可申請に対して、研究計画の有効性、妥当性、可能性、リスク対応などについて調査検討するため、野依良治理事長の諮問委員会として外部委員を含む横浜研究所トランスレーショナルリサーチ調査・評価委員会を設立した。委員会で検討を重ねた結果、野依理事長へ花粉症ワクチンのTRの妥当性を答申し、2008年6月12日TR非臨床研究実施が決定した。
※2 アナフィラキシーショック
同一アレルゲンが2回目に体内に侵入した時には,1回目よりも急速で強いアレルギー反応(アナフィラキシー)が起こり、ときに呼吸困難、めまい、意識障害などの症状を伴い、さらに血圧低下などによりショック症状を引き起こし、生命が危険な状態となることがある。これをアナフィラキシーショックと呼ぶ。
※3 ポリエチレングリコール(PEG)修飾
血中半減期を長くしたり、抗原性を低下させる目的で、化合物やタンパク質のアミノ基やチオール基にPEGを結合させること。PEG修飾されたインターフェロンは医薬品として承認されている。
※4 GMP(Good Manufacturing Practice)
医薬品製造業で必要な、製造管理及び品質管理基準。
※5 減感作療法
古くからある治療法で、体内に特定のアレルギー物質(抗原)を低濃度から高濃度へ少しずつ段階を追って投与することにより、特異的な免疫反応の感受性を低下させる。具体的なメカニズムは解明されていないが、ワクチンデザイン研究チームの最新の研究から、制御性免疫細胞が分化・増殖されるために、投与抗原特異的な抑制反応が起きていることがわかった。理研では、メカニズムが解明されていない研究をTR臨床研究に進めないという指針を立てており、作用機序の早期解明を目指している。
※6 NKT細胞(ナチュラルキラーT細胞)
自然免疫と獲得免疫のどちらの制御も行う司令塔の役割をする細胞。場合により、活性化または抑制シグナルどちらも分泌することができる。
※7 リポソーム
細胞膜の構成成分であるリン脂質を水中に分散させて種々の処理を加えて形成されるナノサイズの微小カプセルをリポソームと呼ぶ。生体膜に類似したカプセルなので薬物輸送システムとしてさまざまな医療分野で実用化されている。
※8 アレルギー臨床ネットワーク
理研免疫・アレルギー科学総合研究センターの行っている社会還元プロジェクトの1つ。秋田大学、山梨大学、福井大学、三重大学、岡山大学、千葉大学のネットワーク参加大学と厚生労働省アレルギー予防・治療研究班が、アレルギー患者の試料採集やデータ収集を行い、免疫・アレルギー科学総合研究センターがデータベース化や研究開発を行う。その成果をフィードバックすることにより臨床応用の早期実現化を目指している。


図1 花粉症発症のメカニズム
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図1 花粉症発症のメカニズム
スギ花粉が鼻や口などを経由して体内に入ると、抗原提示細胞が花粉を捕獲し(1)、捕獲した花粉をTh2細胞に提示(2)。花粉を提示されたTh2細胞は活性化し、サイトカイン(情報伝達物質)を放出(3)。サイトカインを受容したB細胞はスギ花粉に対するIgE抗体(スギ花粉特異的IgE抗体)を産生(4)。スギ花粉特異的IgE抗体が、鼻やのどに広く分布しているマスト細胞の表面に付着(5)。IgE抗体にスギ花粉が結合すると、マスト細胞から症状のもととなるヒスタミンなどの化学伝達物質が放出する(6)


図2 スギ花粉症ワクチンの立体構造模式図とIgE抗体との結合度
図2 スギ花粉症ワクチンの立体構造模式図とIgE抗体との結合度
A) 天然スギ花粉抗原
B) 2種類のスギ花粉抗原を基に作られた組換え融合タンパク質抗原
C) B)の抗原にPEG修飾を加えることで、さらにIgE抗体との結合を難しくさせたもの

右のグラフは、スギ花粉症患者100名の血清から採取したIgE抗体との結合度合いを調べたもの。バー1本が1人の患者にあたる。


図3 マウスにおけるスギ花粉症ワクチンの予防効果と治療効果
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図3 マウスにおけるスギ花粉症ワクチンの予防効果と治療効果
左: 予防効果
0日目と14日目(黒色矢印)でスギ花粉症ワクチンを2回投与した個体(青折線)とワクチンを投与しなかった個体(赤折線)の比較。その後、天然スギ花粉抗原を投与しても(黄色矢印)、ワクチン接種個体(青折線)では、IgE抗体が上昇しない。
右: 治療効果
天然スギ花粉抗原を投与し(黄色矢印)、IgE抗体が上昇した後、ワクチンを投与する(黒矢印)。その後、再度、天然スギ花粉抗原を投与しても、ワクチンを投与した個体ではIgE抗体の上昇が認められなかった。


図4 リポソームワクチンの構造
図4 リポソームワクチンの構造
リポソームカプセルのリン脂質2重層にNKT細胞活性化物質「α-GalCer」(赤丸)を挿入し、スギ花粉症ワクチンを包んだ。


図5 リポソームワクチンの治療効果
図5 リポソームワクチンの治療効果
天然スギ花粉抗原で感作されたマウスにリポソームワクチンとリポソーム単独での投与を行い、治療効果の比較をした。リポソームワクチンはすでに上昇しているIgE抗体量を抑えることができた。図3のスギ花粉症ワクチンの治療効果と比較すると、リポソームワクチンの方がIgE抗体を大幅に低下させ、その持続効果もあることが示された。


図6 今後の研究開発予定
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図6 今後の研究開発予定

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