プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人東京大学
「よたよた反陽子」の雲を自在に操作
- 高効率で大量の反水素生成へ重要な一歩 -
平成20年5月2日
◇ポイント◇
  • 2.5テスラの高磁場で反陽子を捕捉・冷却して蓄積、圧縮したよたよた反陽子雲に
  • 反陽子雲の圧縮で、超低速でエネルギーのそろった反陽子ビームが現実に
  • 反水素原子の生成に加え、反陽子原子の生成が可能に
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人東京大学(小宮山宏総長)の研究グループは、2.5テスラという強い磁場の中で大量の反陽子の塊を捕捉し、その形状や密度を制御する方法を見いだしました。これにより、反物質研究の鍵となる「反水素原子※1(水素原子の反物質)」の“原材料”を制御することができるようになりました。この成果は、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻黒田直史助教(元理化学研究所協力研究員)、理研基幹研究所山崎原子物理研究室の山崎泰規主任研究員(東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻教授)らの研究成果です。
 ビックバンから始まったと考えられている私たちの宇宙には、物質と反物質が等量に存在するはずです。しかし、広く宇宙を見渡すと、“物質”ばかりからなっているように見えます。この不思議な現状を理解するため、研究グループは、反水素原子を実験室で作り出し、これを捕捉して、その性質を詳細に観測し、水素原子との違い(CPT対称性※2)を明らかにしようという研究を進めてきました。本研究では、反水素原子の主要“原料”である反陽子を真空中に大量にため込むとともに、ため込んだ反陽子の雲を自在に操作することができる手法を確立しました。これまでは、反陽子をため込むことはできても、その空間分布をコントロールすることは至難の技でした。従って、今回の成果は、ほぼすべての低エネルギー反陽子研究にとって待ち望まれた技術といえます。
 磁場中に閉じ込められた、よたよた反陽子の“雲”は、反陽子間に働くクーロン反発力と、運動に伴って働くローレンツ力と遠心力のため、磁力線を軸に独楽のように回転しています。研究グループは、この反陽子雲の回転の方向を加速するように電場を加えると、反陽子雲を圧縮できることを見いだしました。この成功は、反水素原子の大量合成を実現するための大変重要な一歩となります。さらに、反陽子雲の圧縮により、エネルギーのそろった超低エネルギー反陽子ビームとして取り出すことが可能になります。このビームを使うと、反陽子と通常の原子が衝突したとき何が起こるかをつぶさに観測することが初めて実現します※3。このように、反陽子雲を操作できるようになると、反水素原子生成ばかりでなく、反陽子と原子の束縛状態である「反陽子原子」を生成することや、原子分子のイオン化過程を系統的に研究することが初めて可能となります。
 本研究の成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(5月2日付け:日本時間5月3日)に掲載されます。


1. 背景
 反陽子は、陽子(水素原子核)の反粒子です。反陽子は、陽電子と結合して反水素原子を形成します。反水素の各種の性質を高い精度で観測し、水素原子と比較すると、私たちの住む世界と反物質からなる世界がどのように違うのかという「対称性」を探ることができます。また、反陽子は通常の原子にも束縛されます。これを反陽子原子とよび、その生成過程は超低速の反陽子ビームを得てはじめて研究可能となります。反陽子と原子との衝突では、反陽子は“重い電子”と考えることができ、そのような特異な衝突過程は、他の方法では実現が不可能で、多くの研究者の注目を集めています。
 反水素原子の分光を高精度で行うには、まず大量の冷えた反水素を手に入れる必要があります。研究グループでは、これまでにスイスのジュネーブにある欧州原子核研究所(CERN)において、高周波四重極減速器(RFQD)と多重電極トラップを組み合わせた新しい手法によって、従来の50倍から数100倍に達する高い効率で反陽子を減速・捕捉し、よたよたの反陽子とすることに成功しています(2005年1月14日プレス発表)。従って、反水素原子も反陽子数に比例して大量に合成できます。このとき、反陽子雲の形状と密度を自在に操作できると反水素の合成ばかりでなくその蓄積効率を大幅に向上します(2006年11月24日プレスリリース)。
 また、低エネルギー領域での反陽子−原子衝突過程の研究には、蓄積、冷却した反陽子を非常に低いエネルギーのビームとして効率よく引き出して、原子標的と衝突させる必要があります。ところが、反陽子は、強磁場中(2.5テスラ)に蓄積しているため、磁場のないところへ引き出すと磁力線に沿って発散してしまい、ビームとして十分な強度が得られませんでした。これを防ぐためにはなるべく反陽子雲の径を小さくしておくことが必須となります。
 トラップに捕捉した荷電粒子の雲(非中性プラズマ)の密度分布制御は、電子や陽電子、あるいはイオンなどで多くの研究が進んでいました。電子や陽電子の場合は、シンクロトロン放射により(重いイオンの場合は残留ガスとの衝突による)、粒子を冷却することが必須ですが、反陽子の場合はそのいずれの冷却効果も使うことができず、これまで有効な制御法は知られていませんでした。本研究はそのような閉塞状況に風穴を空けるものとして多くの研究者に注目されています。


2. 研究手法と成果
 反陽子は、欧州原子核研究所(CERN)の反陽子減速器(AD)から供給した500万電子ボルトの“低速”反陽子ビームを、高周波四重極減速器(RFQD)によって50万電子ボルト程度までさらに減速し、これを超伝導ソレノイドと多重電極トラップとを組み合わせた捕捉装置で捕捉しました(図1)。この技術を駆使することで、これまでに比べて数10倍から数100倍の効率で反陽子を捕まえることができるようになります。2007年度には1,000万個の反陽子蓄積にも成功し、研究グループの持つ記録を更新しました。
 この多重電極トラップを構成する円筒状電極の1つを方位角方向に4分割し、これに位相を90度ずつずらした高周波を印加すると、電場の向きが回転します。約100万個の反陽子の雲にこの回転電場を加え、その後に、磁場軸方向に引き出し、反陽子の雲の拡がり具合から圧縮効果を観測しました(図2)。拡がり具合と反陽子の軌道シミュレーションを比較し、多重電極トラップ内の反陽子雲の径方向分布が、およそ10分の1のサイズに圧縮していることを見いだしました。
 実験では、反陽子を多重電極トラップ中で冷却するのに用いる電子プラズマの密度制御も行い、その径を変えています。トラップへ入射する反陽子ビームは、電子プラズマと重なった成分のみが冷却されていることから、さまざまな径を持った電子プラズマに対して冷却できた反陽子の数を観測し、入射反陽子ビームの形状を推測することにも成功しました。


3. 今後の展開
 今回、多重電極トラップ中の数100万個の反陽子雲を径方向に圧縮することができるようになりました。これにより、反水素原子を高い効率で生成するとともに、高い効率で捕捉する道が開けたことになります。さらに、エネルギーがそろった超低速の反陽子ビームを生成することができたことから、今後、大きな一里塚となる反水素原子の捕捉と反陽子原子の生成に向けて、研究が大きく前進するものと考えています。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
基幹研究所 山崎原子物理研究室
主任研究員
山崎 泰規(やまざき やすのり)

Tel: 048-467-9482 / Fax: 048-467-8497
(国立大学法人東京大学大学院
総合文化研究科広域科学専攻 教授

Tel: 03-5454-6521 / Fax: 03-5454-6433)
国立大学法人東京大学大学院
総合文化研究科広域科学専攻
助教
黒田 直史(くろだ なおふみ)

Tel: 03-5454-6515 / Fax: 03-5454-6433
(独立行政法人理化学研究所
基幹研究所 山崎原子物理研究室 客員研究員)

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 反水素原子
反陽子(陽子の反粒子)と陽電子が水素様に結合した原子で、物理学の基本的対称性を高精度で検証するために適した系として注目されている。反陽子は、陽子の反粒子で、質量、スピンは陽子と同じだが、電荷および磁気モーメントは逆符号になっている。1955年、Bevatron(ベバトロン)という加速器から供給した56億電子ボルトの陽子を用いて、Owen Chamberlain(オーウェン・チェンバレン)らが発見した。陽電子は、電子の反粒子で、1929年にPaul Adrien Maurice Dirac(ポール・エイドリアン・モーリス・ディラック)により理論的に予言され、この3年後、Carl David Anderson(カール・デイヴィッド・アンダーソン)が、宇宙線の中に発見した。電子と出会うと、光となって消滅(対消滅)する。
※2 CPT対称性
物理学において最も基本的だと考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転(P)、時間反転(T)の3つの変換を同時に行うことを意味する。水素と反水素の振る舞いに違いが見つかると、CPT対称性が破れていることになる。
※3 衝突の観測
この装置を用い、3〜20keVのエネルギーのそろった反陽子ビームを生成してガス標的と衝突させることにより、イオン化断面積が測定された。本成果についても、近日中に『Physical Review Letters』に掲載予定。


図1 実験装置の概念図
左側にある多重電極トラップに反陽子雲をため込み、その中央にある分割電極で回転電場を発生させ、圧縮した。


図2 引き出された反陽子分布の断面
(a)圧縮前、(b)圧縮後。引き出し数が大幅に向上していることがわかる。シミュレーション計算との比較により、反陽子雲の分布径は10分の1に圧縮されたことが明らかとなった。

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