プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人群馬大学
脳内マリファナ類似物質は発達期の脳の興奮性神経伝達を抑制
- 乳幼児脳の過剰興奮を抑える仕組みを解明 -
平成20年2月19日
◇ポイント◇
  • 「内因性カンナビノイド」が発達期のシナプス長期増強を抑制
  • 発達とともに抑制作用が変化、活動的シナプスの周りへの抑制に関与
  • 脳の発達障害の原因、治療法の開発に貢献する可能性を示す
 独立行政法人理化学研究所(野依良治 理事長)と国立大学法人群馬大学(鈴木守 学長)は、脳内マリファナ類似物質「内因性カンナビノイド」が発達期の脳で興奮性神経伝達を抑制する作用のあることを発見しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)津本研究ユニットの津本忠治ユニットリーダーと群大医学系研究科教育研究センター(高田邦昭センター長)の安田浩樹講師の共同研究による成果です。
 神経細胞間の情報伝達は、シナプスを介して行われますが、成熟した動物の脳では興奮性のシナプス伝達を抑えるため、ガンマアミノ酪酸(略称ギャバ、GABA)による抑制が働いています。ところが、出生直後の未熟脳ではGABAも神経細胞を興奮させることが知られており、シナプス伝達がどのように抑制されているのかはわかっていませんでした。また、ヒトでは、乳児期に高熱によって「熱性けいれん」が起こりやすいことがよく知られており、その背景として抑制性シナプスが未熟であると想定されています。
 研究グループは、マリファナの主成分であるカンナビノイドの受容体がもともと脳内にあることに注目し、脳内のカンナビノイドである内因性カンナビノイドが出生直後では興奮性伝達を抑制することを見いだしました。これまでカンナビノイドを胎児期に投与した動物は、学習機能が低下している事が明らかになっていますが、今回の発見により、その原因が、発達期の脳の興奮性シナプスに内因性カンナビノイドが働いて、必要な神経伝達を抑えたためであることが明らかになりました。発達脳における抑制の仕組みの解明は、神経回路の正常な発達の理解とともに、脳を健やかに発達させるために非常に重要な知見をもたらします。
 本研究成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS』オンライン版(2月18日付:日本時間2月19日)に掲載されます。


1. 背景
 脳内の神経回路は、神経細胞から伸びた軸索と呼ばれる突起が、手がかりとなる誘導因子や反撥因子の影響を受けながら相手を見つけてシナプス※1結合を形成することによって発達します。さらに、その後に起こる神経活動によって、必要な結合は強化され、逆に不要な結合は刈り込まれて、回路が成熟していくと考えられています。
 このようなプロセスを経て完成した神経回路網には、神経細胞を興奮させる興奮性シナプスと、逆に興奮を抑える抑制性シナプスがあります。興奮性シナプスは、主にグルタミン酸を伝達物質として神経伝達を行い、抑制性シナプスは、主にガンマアミノ酪酸(GABA)を伝達物質として興奮の抑制を行っています。ところが、出生直後の動物脳ではGABAが神経細胞の興奮を起こすことが知られており、これまで発達期の脳では興奮をどのように抑制しているかはよくわかっていませんでした。
 そこで研究グループは、このような発達期の脳で、何が興奮を抑えているのかに興味を持ち、脳内にもともと存在するマリファナ類似物質「内因性カンナビノイド」に注目しました。カンナビノイドは、太古の昔から存在する依存性薬物「マリファナ」の主成分で、多幸感や幻覚などの精神症状を誘発します。中枢神経系における役割では、2001年に東京大学の狩野方伸教授や他のグループより、内因性カンナビノイドがGABAの放出を抑えることが報告されて以来、その脳内における作用が盛んに研究されてきています。


2. 研究の手法と成果
 研究グループは、発達期のラット海馬※2において、シナプスが強化される時に生じるシナプス長期増強※3の誘発に伴い、他のシナプスにどんな変化が生じるかを検討しました。長期増強は、活動の活発なシナプスが強化される現象で、抑制性シナプスの働きが弱い発達期の脳に長期増強が誘発された場合には、てんかん様の異常興奮を引き起こして脳に障害をきたす恐れもあります。
 実際の実験では、生後2日から56日目までのラット海馬の薄切切片標本を作成し、微小電極で個々の神経細胞から、2系統のシナプスの興奮性反応を記録して、それぞれのシナプスの伝わり方を観測しました。まず、一方のシナプスに長期増強を起こす高頻度刺激を与え、その後それぞれのシナプスの伝わり方の変化を調べました。その結果、生後1週以内のラットでは、高頻度刺激を受けていないシナプスが抑圧されるという「異シナプス性長期抑圧※4」が生じることを見いだしました。さらに、カンナビノイド受容体の働きを抑える薬剤などを使った実験から、この異シナプス性長期抑圧は内因性カンナビノイドの放出によって生じることがわかりました。この結果は、内因性カンナビノイドが、発達期の脳で神経興奮を抑制していることを示唆しています。
 生後1週以内のラットでは、内因性カンナビノイドは高頻度入力を受けたシナプスも抑え、生じるはずの長期増強が出現しないこともわかりました。一方、生後1週を過ぎたラットでは、高頻度刺激を受けたシナプスの前部で、プロテインキナーゼAと呼ばれるタンパク質リン酸化酵素がカンナビノイド受容体の働きを妨げ、長期増強が出現することを見いだしました。
 これらのことから、GABAも興奮を引き起こす出生直後には、内因性カンナビノイドが長期増強を抑制して、神経組織の異常興奮を抑えていますが(図1左)、発達が進むにつれて活動の弱い周りのシナプスだけを抑制するようになり、活動の多いシナプスを周りから浮き上がらせるように働くと思われます(図1右)。このように、内因性カンナビノイドの未熟脳における興奮性シナプス抑制作用は、発達につれて変化することがわかりました。


3. 今後の期待
 今回の研究で、新生児期の脳では内因性カンナビノイドが興奮性シナプス伝達を抑制することを明らかにしました。ヒトにおいても乳児期に起こりやすい「熱性けいれん」は、抑制性シナプスの働きが弱いことが背景にあると考えられており、熱性けいれんの起こりやすい乳児は、内因性カンナビノイドの働きが弱い可能性があります。また、マリファナの主成分であるカンナビノイドを母胎から投与した動物では、グルタミン酸の放出が減少し、生後の学習能力が減少することがすでに明らかになっています。胎児期に外因性カンナビノイドによって興奮性シナプス伝達を必要以上に抑圧し、結果的に脳機能が障害されていることが考えられます。このように、発達期の脳における内因性カンナビノイドの作用を明らかにしたことによって、ヒトの脳発達障害メカニズムの理解が促進されることになりました。また、ごく最近、カンナビノイドは、抑制性神経が突起を伸ばす時に反撥因子として働くことが報告されており、神経回路の形成にもカンナビノイドが重要であることがわかります。カンナビノイドの発達期脳における役割の解明は、神経回路の正常な発達の理解とともに、脳の発達障害の原因、さらにはその治療法の開発に不可欠となりました。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター 津本研究ユニット
  ユニットリーダー  津本 忠治(つもと ただはる)

Tel: 048-467-7516 / Fax: 048-467-7504
国立大学法人群馬大学
 医学系研究科教育研究センター
  講師  安田 浩樹 (やすだ ひろき)

Tel & Fax: 027-220-8298
独立行政法人理化学研究所
 脳科学研究推進部  嶋田 庸嗣(しまだ ようじ)

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 シナプス
神経細胞は軸索と呼ばれる突起で他の神経細胞に神経情報を送るが、この他の細胞との接点がシナプスと呼ばれる。神経情報を受け取る細胞に興奮を起こす興奮性シナプスとそれを抑える抑制性シナプスに大別される。
※2 海馬
大脳側頭葉の内下部にあり、両側を合わせた形がギリシャ神話の海神がまたがる海馬に似ていることからこの名称が付けられた。両側を破壊すると記憶障害が起きることから、記憶に関与すると考えられている。
※3 シナプス長期増強
高頻度の入力を受けたシナプスが、その後伝達効率を長期持続的に増大する現象。神経回路に情報を蓄積し、記憶や学習の基礎をなす仕組みと考えられている。
※4 異シナプス性長期抑圧
神経細胞に収束する複数のシナプスで、あるシナプスに強い入力が入った時、別のシナプスが抑圧される現象。


図1 発達期の海馬における内因性カンナビノイドの働き
出生直後(左図)は、内因性カンナビノイド(CB)がカンナビノイド受容体(CB-R)を活性化して、活動のないシナプス(上)を抑圧する。活動の多いシナプス(下)は増強されるはずだが、内因性カンナビノイドによる抑制があるため、結果的にはシナプスは増強されない。しかし、生後発達の一定時期を過ぎると(右図)、活動の多い神経終末はタンパク質キナーゼA(PKA)によって保護されるようになるため、内因性カンナビノイドの作用は阻止されシナプス増強が生じる。

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