プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
大脳皮質における層構造形成に重要な役割を果たす酵素を発見
- 神経細胞の形態形成のメカニズム解明につながる新たな知見 -
平成19年5月8日
◇ポイント◇
  • リン酸化酵素Cdk5が大脳皮質における神経細胞の移動に伴う形態変化に関与
  • Cdk5の欠損は、脳の表面に向けて伸びる樹状突起の形成も阻害する
  • 記憶・学習を助け、アルツハイマー病などの治療につながる応用研究に期待
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、大脳の表面に広がり、記憶や思考など脳の高次機能をつかさどる大脳皮質の形成過程において、タンパク質のリン酸化に関与する酵素が重要な役割を果たしていることを発見しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)発生神経生物研究チームの大島登志男研究員(現 早稲田大学先進理工・生命医科学科教授)、御子柴克彦チームリーダー及び同センター細胞技術開発チーム、同センター行動遺伝学技術開発チーム、慶應義塾大学医学部解剖学教室などによる共同研究の成果です。
 大脳皮質は、規則正しい6層の構造をしています。この6層の構造は、神経細胞が増殖する場所から、最終的に配置される場所へ自ら移動し、配置されるという巧妙なメカニズムにより形成されます。移動する際、神経細胞は、多数の突起を有する多極性という形態から、2本の突起を有する双極性に変化することが最近の研究からわかってきました。また、大脳皮質を形成する「錐体型神経細胞」は、先端突起と呼ばれる1本の長い樹状突起を脳の表面に向けて伸ばすことが知られています。しかしながら、こうした形態が、どのようにして獲得されるかは不明でした。
 研究グループは、大脳皮質の形成時に、神経細胞が形態を変化させる様子を、正常なマウスと、リン酸化酵素「Cdk5」を大脳皮質で働かなくしたマウスとで詳細に観察し、比較しました。その結果、Cdk5を働かなくしたマウスでは、多極性から双極性への形態変化を起こさないとともに、神経細胞が生まれた場所からあまり移動しないことがわかりました。さらに錐体型神経細胞は、先端突起を脳の表面に伸ばしませんでした。これらのことから、Cdk5が大脳皮質の形成に重要な役割を果たしていると考えられます。
 今回の発見は、神経細胞の移動に伴う形態変化の制御機構や、神経細胞の形態獲得のメカニズムの一端を明らかにしたものです。さらに、神経細胞の移動に関与するタンパク質は、脳の記憶・学習やアルツハイマー病などに関連していると考えられており、これらのタンパク質に関与するCdk5を制御することにより、記憶・学習を助け、アルツハイマー病などの治療につながる可能性を秘めています。
 本研究成果は、英国の科学雑誌『Development』(6月15日号)に掲載されます。


1. 背 景
 私たちの脳は、極めて精緻で、整然とした構造を持ち、驚くべき能力を発揮します。その脳を構成する神経細胞同志は、互いに結びつき、巨大なネットワークを形成します。大脳の表面に広がり、記憶や思考など脳の高次機能をつかさどる大脳皮質は、同じような大きさ、形、他の脳部位との結合パターンをもった神経細胞が、整列した6層の構造からなっています(図1)。この6層の構造は、神経細胞が移動し、配置される巧妙なメカニズムにより形成されます。大脳皮質の一番内側に位置する脳室に面した層(脳室帯)で、神経細胞は増殖し、脳の表層の所定の位置に移動していきます。大脳では、早くできた神経細胞がより深層に、後からできた神経細胞が浅い層に分布する「インサイド・アウトパターン」を取りながら、皮質を形成する過程を経ます(図2)。また、最近の研究から神経細胞は、移動に伴い、多数の突起を有する多極性と呼ばれる形から、2本の突起のみ有する双極性と呼ばれる形に変化することが知られています(図3)。しかし、移動を終えた神経細胞が先端突起を脳表層に伸ばす形態を持つ「錐体型神経細胞」(図4)にどのように形を変化させるのかは、依然、なぞのままです。
 分裂を終えた脳の神経細胞は、自分の最終的な位置がわかっているように振る舞いますが、これには細胞の動きを制御する仕組みが働いています。この仕組みにかかわる遺伝子に異常があれば、ヒトではてんかん発作を伴う滑脳症(かつのうしょう)※1という病気になります。また、マウスでも突然変異マウスや遺伝子改変マウスの研究から、神経細胞の移動を制御するタンパク質や酵素が見つかっています。しかしながら、神経細胞の移動に関連した詳しい制御機構については、まだ良くわかっていません。


2. 研究手法と成果
 研究グループは、神経細胞の移動や細胞の形態変化のメカニズムを探るために、細胞内のタンパク質をリン酸化する酵素(サイクリン依存性キナ−ゼ※2:Cyclin-dependent kinase)の一つである「Cdk5」というタンパク質に着目しました(図5)。この酵素は、1996年、当時米国の国立衛生研究所(NIH)で研究していた大島副チームリーダーが、遺伝子改変技術を用いて世界で初めてCdk5の欠損したマウスを作成し、Cdk5が神経細胞の移動に必須であり、欠損マウスでは大脳の構造が異常になることを発見しています(米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS 』(1996/10, Vol.93 1173-1178))。
 大脳皮質において移動中の神経細胞の形態変化を観察するため、マウスの胎児に電気穿孔法※3という方法で、大脳に緑色蛍光タンパク質(GFP)を導入し、生きたままの脳での細胞の動きを観察しました。その結果、Cdk5の機能を低下させると、これまでの報告通り神経細胞の移動が遅くなるばかりか、多極性から双極性に形が変わらなくなりました。さらにCdk5を欠損させたマウスでは、双極性の神経細胞は、まったく観察されませんでした。これらのことから、Cdk5が、この大脳皮質における神経細胞の形態変換に重要であり、形態変化が起こらないと、神経細胞の移動が効率良く起きないことがわかりました。
 次に研究グループは、こうした解析と同時に、時間及び空間特異的に遺伝子を破壊することができる「コンディショナルノックアウトマウス」を開発し、大脳皮質ができ始める前に、大脳皮質部分だけのCdk5を欠損させました。これまでのCdk5欠損マウスは、産まれてすぐに死んでしまいますが、大脳皮質で特異的にCdk5に関わる遺伝子を破壊することにより、生後2週位まで観察することができるようになりました。このCdk5を欠損させたコンディショナルノックアウトマウスを用い、多極性のままの神経細胞がどうなるのかを詳細に調べました。その結果、正常なマウスの錐体型神経細胞は、先端突起という1本の長い突起を脳表層に向けて伸ばしていますが、Cdk5を欠損したマウスでは、錐体型神経細胞は、多数の突起を多方向に伸ばしていて、あたかも多極性の性質を残したままの様子となりました(図6)。
 また、正常なマウスでの神経細胞の発達の様子を詳しく観察すると、移動直後の双極性の形が、錐体型神経細胞の形に受け継がれていました。このことは、これまで培養した神経細胞での観察などから推定されていましたが、今回の発見はこれを裏付け、双極性への変換が起こらないと、正常な神経細胞の形にならないことを生体内で突き止めました。
 こうした一連の観察から、研究グループは、移動中の神経細胞が多極性から双極性へ形態を変換するためにはCdk5が必要であり、この双極性の形こそが、錐体型神経細胞が取るべき形のもとになっていると考えられます。


3. 今後の期待
 今回の研究成果により、Cdk5というリン酸化酵素が、神経細胞の移動中の形態変化に必要であることがわかりました。Cdk5が、何らかのタンパク質をリン酸化しないことが、形態異常の原因と考えられます。現在、研究グループでは、このリン酸化の起こらないタンパク質が何であるかを明らかにすべく研究を進めています。今後、Cdk5がリン酸化するタンパク質を同定することができれば、神経細胞の移動のメカニズムがより明確になると考えられます。
 また、神経細胞の移動にかかわるタンパク質の多くが、脳の記憶・学習や、神経細胞が死んでいくことによって発症するアルツハイマー病などと関連していることがわかっており、Cdk5もその原因の一つとして知られています。研究グループでは、Cdk5の記憶・学習やアルツハイマー病における役割についても研究を続けています。将来は、Cdk5の機能を制御することで、記憶・学習を助け、アルツハイマー病の治療へつながる応用研究に発展するものと期待されます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター 発生神経生物研究チーム
  研究員  大島 登志男(おおしま としお)
  (現  早稲田大学先進理工・生命医科学科教授)

Tel: 048-467-9745 / Fax: 048-467-9744
 脳科学研究推進部  嶋田 庸嗣

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 滑脳症(かつのうしょう)
脳のしわがない状態 (英語では“smooth brain syndrome”)を指し、難治性てんかんと精神遅滞をともなう。ミラー・ディッカー症候群やX連鎖性滑脳症が知られており、前者はLis1、後者はdoublecortinと名づけられたタンパク質の欠損で起きる。
※2 サイクリン依存性キナーゼ(Cdk)
キナーゼ(Kinase)は、リン酸基を基質(タンパク質)あるいはターゲット分子に転移する(リン酸化する)酵素の総称であり、リン酸化酵素とも呼ばれる。そのキナーゼの一つである、サイクリン依存性キナーゼ(Cdk)は、サイクリンと呼ばれる細胞周期依存的に増減するタンパク質を活性化サブユニットとするリン酸化酵素(キナーゼ)の総称で、これまで10種類ほどが知られている。そのほとんどが、増殖する細胞に活性がある。Cdk5は、例外的に、増殖する細胞ではなく、分裂能を失った神経細胞に活性がある。これは、サイクリンに相当する活性化サブユニットが、神経細胞にのみ発現しているp35とp39とよばれるタンパク質にあるからである(図5参照)。
キナーゼの働きの例
※3 電気穿孔法
細胞へのプラスミドDNAの導入法の一つで、電気パルスをかけ、一時的に細胞に穴を開ける(穿孔)。英語ではエレクトロポレーション(electroporation)と呼ばれ、ES細胞への遺伝子導入時にも用いられる。胎児脳で行なう場合は、プラスミドDNAを脳室内に注入し、電気パルスをかけると、脳室に接した細胞にDNAが導入される。


図1 大脳皮質の6層構造
大脳の表面に広がる神経細胞の層で、脳の高次機能をつかさどる。神経細胞は、規則正しい6層構造をなして整然と並んでおり、おのおの層には、出入力の特異性がある。矢印の向きが出入力の向きで、例えば第IV層は視床からの入力を受け、第VI層は視床へ出力する。


図2 神経細胞の放射状の移動
大脳皮質を構成する錐体細胞は、胎生期に大脳の内側の脳室帯に多数存在する神経前駆細胞が分裂し、神経細胞となったもので、表層に向かって放射状に移動する。錐体細胞の放射状移動は、早く生まれた細胞が深層に、後で生まれた細胞が浅い層に位置する「インサイド・アウトパターン」を取りながら、皮質を形成する。


図3 多極性から双極性への変換
大脳皮質の放射状神経細胞の移動の観察から、移動開始の早期に、多数の突起を伸縮する「多極性」と呼ばれるステージがあり、その後に先導突起と将来の軸索に相当する2つの突起の極のみを有する「双極性」という形態に変化する。双極性の形態を獲得した後は、放射状グリアと呼ばれる構造に沿うように移動することが知られている。


図4 神経細胞の正常な形態
錐体神経細胞は、細胞体が錐体形をしていて、脳表層に向かって伸びる1本の先端突起と、細胞体から水平に出る基底突起を有し、1本の軸策が深部に向かって伸びる形態を取る。


>> 拡大図
図5 Cdk5の細胞内で果たす役割
Cdk(サイクリン依存性キナーゼ) は、増殖している細胞すべてに活性があるが、Cdk5は、活性化サブユニットのp35, p39が神経細胞特異的に発現しているため、主に神経細胞にその活性がある。Cdk5/p35または Cdk5/p39として、活性化型のキナーゼとなる。Cdk5がリン酸化するさまざまな脳内の基質が同定されており、研究グループが今回報告した神経細胞の移動における役割以外にも、種々の神経細胞の機能に関与していると考えられている。また、アルツハイマー病患者の脳で、p35はカルパインという酵素によって切断され、p25へと変化し、安定型のp25が蓄積することで、Cdk5の活性が上昇し、神経細胞死を引き起こすことが示唆されており、病態との関連も注目されている。


図6 正常体とCdk5欠損体での神経細胞の移動とその形態の比較
Cdk5欠損マウスでは、図2に示したインサイド・アウトパターンの皮質形成が起こらず、II-VI層の位置が逆転している。変異マウスの異常から、正常な大脳皮質形成では、神経細胞が多極性から双極性に形態を変化させる過程そのものが、脳でみられる特徴的な神経細胞の形づくりの基盤になっていることがわかった。

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