プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人 東京工業大学
抗がん剤標的分子の正確な遺伝子発現制御を解明
- 新たな薬剤評価・開発の促進に期待 -
平成18年12月6日
◇ポイント◇
  • 細胞制御をする「ErbB受容体」が遺伝子の発現量を精密に制御
  • 遺伝子発現の制御異常、がん化の一大要因となる可能性大に
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人東京工業大学(相澤益男学長)は、肺がん薬剤や乳がん薬剤などの標的分子で、細胞制御に重要な働きを行っている「ErbB受容体※1」が、細胞内の遺伝子発現量を精密に制御していることを明らかにしました。ErbB受容体の細胞制御の重要性は以前から指摘されていましたが、本研究により、ErbB受容体が考えられていた以上に精密に細胞内遺伝子発現量を制御していることを突き止め、さらに、ErbB受容体の異常が、がんを引き起こす大きな要因となることを示唆しました。これらは、理研横浜研究所ゲノム科学総合研究センター(榊佳之センター長)情報伝達システムバイオロジー研究チームの畠山眞里子チームリーダーおよび東京工業大学情報理工学研究科の下平英寿助教授らの研究グループによる研究成果です。
 ErbB受容体は、動物の細胞膜上に存在する成長ホルモン受容体で、細胞の増殖や分化などを制御することが知られています。ErbB受容体の正常な機能は、細胞が生きるうえで必須ですが、逆に、この受容体に異常が生じると、人のさまざまな種類のがんを引き起こします。この受容体の異常としては、当該遺伝子の過剰発現や分子内のアミノ酸置換変異などがあります。このような経緯から、国内外の製薬企業が、ErbB受容体を標的とした抗がん剤を開発してきました。現在注目されている肺がん剤はErbB1受容体に分子内変異がある肺がん患者に有効であること、乳がん剤はErbB2受容体を過剰発現している乳がん患者に有効であることが、多くの研究によって支持されています。このように、ErbB受容体の異常とがんの発症、またそれに有効な薬剤については、幅広く研究されていましたが、ErbB受容体の遺伝子発現制御の機構については深く知られていませんでした。遺伝子発現データの統計解析を通じた本研究では、細胞膜表面に存在するErbB受容体が細胞核内で起こる遺伝子発現を定量的に精密に制御していること、また、ErbB受容体の活性化強度が遺伝子発現強度に深く反映されることが明らかとなりました。このように定量的な遺伝子発現解析を導入すると、細胞制御機構の解明や、ErbB受容体を標的とした新たな薬剤の評価や開発の促進が期待されます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『ジャーナルオブバイオロジカルケミストリー』の3月号に掲載されるに先立ち、インプレス版(12月1日付け)に掲載されました。


1. 背 景
 ErbB受容体は、動物の細胞膜上に存在する成長ホルモン受容体で、細胞の増殖や分化などを制御することが知られています。ErbB受容体の正常な機能は、細胞が生きるうえで必須ですが、逆に、この受容体に異常が生じると、人にさまざまな種類のがんを引き起こすことが知られています。この受容体の異常としては、当該遺伝子の過剰発現や分子内のアミノ酸置換変異などがあります(図1)。このような経緯から、国内外の製薬企業が、ErbB受容体を標的とした抗がん剤を開発しようとしており、すでに肺がんを対象とした抗がん剤としてイレッサ※2、乳がんを対象としたハーセプチン※3が、実用化されています。


2. 研究手法
 本研究では、異なるErbB受容体を活性化する2種類の成長ホルモンである上皮成長因子(EGF, ErbB1受容体への結合因子)とヘレギュリン(HRG, ErbB3/4受容体への結合因子)について濃度を変化させ、別々に投与した乳がん細胞を用いて、細胞内のキナーゼ(リン酸化酵素)分子のリン酸化解析およびヒト遺伝子約2万種類の発現を定量的に解析しました(図2)。キナーゼのリン酸化解析には、タンパク質中のリン酸化チロシンを特異的に認識する抗体染色法を用い、遺伝子発現解析には、一枚に約2万の遺伝子を搭載した市販の遺伝子チップ※4を用いました。このように、2種類の成長ホルモン投与によって引き起こされる濃度依存的なキナーゼリン酸化量および遺伝子発現量変化の時系列データを収集し、成長ホルモン濃度と時間に対する遺伝子発現量の変化を統計学的手法で解析しました。


3. 研究成果
 解析の結果、成長ホルモンの種類によって、細胞内キナーゼリン酸化および遺伝子発現量の感受性が大きく異なることがわかりました(図3、図4)。特に、数理解析の結果、ErbB2受容体を活性化する成長ホルモンは、実験に用いた乳がん細胞で、低濃度で協調性を持って、ErbB2受容体をリン酸化し、このリン酸化量増大の傾向は、核内の遺伝子発現量にそのまま反映されることが明らかになりました。すなわち、本研究によって、膜表面に存在するErbB受容体が、細胞質内に存在する分子の活性化を経て起こる細胞核内の遺伝子発現を定量的に精密に制御していること、また、ErbB受容体の活性化強度が遺伝子発現強度に深く反映されることが示されました。ErbB受容体の緻密な制御は、細胞の正常な働きに必須であると考えられ、それゆえに、ErbB受容体分子の細胞内の過剰発現や活性量の持続的な増加(変異)ががんのような異常な細胞増殖を引き起こすことが示唆されました。


4. 今後の期待
 このような定量的な遺伝子発現解析を導入することによって、ErbB受容体による細胞内の分子活性化の制御をより詳細に調べることができます。特に、遺伝子発現の定量的解析手法を用いることによって、細胞制御機構の解明や、ErbB受容体を標的とした抗がん剤をはじめとする新たな薬剤の評価や開発の促進が期待されます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 ゲノム科学総合研究センター
  情報伝達システムバイオロジー研究チーム
   チームリーダー  畠山 眞里子

Tel: 045-503-9302 / Fax: 045-503-9613
 横浜研究推進部   溝部 鈴

Tel: 045-503-9117 / Fax: 045-503-9113

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 ErbB受容体
細胞膜に貫通して存在する約180KDa(キロダルトン)の膜型チロシンキナーゼ受容体。ErbB1からErbB4までの種類がある。ErbB1受容体は上皮成長因子(EGF)受容体として知られる。また、ErbB2受容体は、HER-2/neuとして知られる。
※2 イレッサ
イレッサ(販売名)またはゲフィチニブ(一般名)。アストラゼネカ社(本社英国)が開発したはじめての上皮成長因子(EGF)受容体のチロシンキナーゼ阻害剤。2002年1月25日に日本国内での承認を申請し、同年7月5日に医薬品として承認を受ける。アジア人に多い、EGF受容体のある特定の遺伝子変異を持つ患者に有効だとされる。しかし、副作用も重篤で、現在その副作用や細胞へ効果に関する研究も引き続き多くなされている。
※3 ハーセプチン
ハーセプチン(販売名)またはトラスツズマブ(一般名)。ジェネンテック社(本社米国)が開発したはじめての抗体薬剤で、HER-2/neuを過剰発現している乳がん患者に有効だとされる。
※4 遺伝子チップ
数万種類の遺伝子を一枚の小型チップ上に載せたもの。少量の生体サンプルから一度に数多くの遺伝子発現を調べられることから、近年基礎研究や応用研究の分野で幅広く使われている。疾病のマーカー遺伝子の探索、薬剤投与後の評価など臨床研究にも利用されつつある。


図1 ErbB受容体による細胞内の情報伝達
細胞表面に存在するErbB受容体は、EGFやHRGなどの細胞外部に存在する成長ホルモンと結合し、細胞内のシグナル伝達を活性化させる。
細胞内シグナル伝達では、複数のキナーゼ酵素がリン酸化活性化され、それが核内に存在する転写因子を活性化、遺伝子発現を誘導する。
ErbB受容体が成長ホルモン依存的に、定量的にキナーゼの活性化を制御することはわかっていたが、その下流の遺伝子発現の制御は明らかにされていなかった。今回の研究ではじめてErbB受容体が遺伝子発現をも定量的に制御することがわかった。


図2 細胞のEGFおよびHRG処理による初期の遺伝子発現誘導
有意に発現が変化した遺伝子は、EGF処理で63、HRG処理で251であった。しかし、EGFで発現が変化した遺伝子はHRGによる遺伝子群に含まれていた。また、HRGで特異的な発現を示した遺伝子群もEGFで有意でないながらも遺伝子発現変化を示した。すなわち、EGFおよびHRG処理で誘導される遺伝子発現は質的には変化がなく量的な変化であることがわかった。


図3 ErbB受容体とキナーゼ活性化のホルモン感受性
2種の成長ホルモンEGFとHRGの濃度が増大するにしたがって、ErbB受容体やキナーゼがリン酸化され、活性化している。リン酸化の度合いはホルモンの種類で大きく異なり、HRGのほうが低濃度で受容体やキナーゼをリン酸化する。


図4 遺伝子発現のホルモン感受性
図Aは、統計学的手法である主成分解析(PCA)を用いて、成長ホルモンの量と遺伝子発現量の相関性を表したもの。赤点:EGF、青点:HRGによる遺伝子発現量。緑の線でつながれた点は同じ遺伝子を示す。図中で示された「+」(ベースライン)は遺伝子発現量0を表し、ベースラインから各点までの距離が遺伝子発現量を表す。また、与えたホルモン濃度は、ベースラインから各点までをつないだ角度で表し、時計の進行方向にあるものの方が与えられたホルモン量の濃度がより濃いことを示す。例えば、図Bのピンクの矢印は時計回りに、与えたホルモン濃度(d1=0.1、d2=0.5、d3=1、d4=10 nM)を表現する。
具体的には、図Aの(a)EGR4(hrg)と(b)EGR4(egf)を比較するため見やすく書き直したものが図Cの(a)及び(b)である。図C(a)では、HRG濃度がd=2のとき、EGR4遺伝子の発現量はすでに飽和している。一方図C(b)では、EGF濃度がd=4までEGR4遺伝子の発現量は増加している。つまり、図Aを見るとベースラインから(a)、(b)までの距離は等しく、図Cで見ても「EGF4遺伝子の発現量はほぼ等しい」が、「HRGはEGFより低濃度で同じ効果がある」ことがわかる。
図3の結果と合わせると、成長ホルモンに対して反応する遺伝子発現量は、ErbB受容体で決定されることがわかる。

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