プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
植物の“硫黄代謝”を調節する転写因子を発見
- 転写因子「SLIM1」が、がん予防効果のある天然硫黄成分量を調節 -
平成18年11月22日
◇ポイント◇
  • 硫黄代謝に異常があるシロイヌナズナの突然変異株を見出す
  • 転写因子「SLIM1」は植物の硫黄代謝全体を制御するマスター遺伝子
  • アブラナ科植物の生産性や有用性を高める利用に期待
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、硫黄代謝に異常があるシロイヌナズナの突然変異株を解析し、がん予防効果がある天然硫黄成分「グルコラファニン※1」の含有量を調節する転写因子※2「SLIM1(スリムワン)」を発見しました。理研植物科学研究センター(篠崎一雄センター長)基礎代謝研究チームの高橋秀樹チームリーダー、丸山明子研究員らによる研究成果です。この研究は同センターのメタボローム基盤研究グループとの共同研究で進められました。
 植物が生産する硫黄化合物は、酸化還元調節物質、ビタミン、補酵素、香り成分、駆虫成分、抗菌物質など多種多様です。特にキャベツや大根などのアブラナ科植物は人の健康促進に欠かせない硫黄成分を多く含んでいます。同じくアブラナ科植物であるブロッコリースプラウト※3に含まれるグルコラファニンは、メチオニンから合成される硫黄化合物であり、がん予防効果があると報告されているスルフォラファン※4の前駆体として最近注目を集めています。
 今回の研究では、硫黄を正常に代謝することができなくなったシロイヌナズナの突然変異株を分離しました。さらにこの変異株では、遺伝子発現を調節する転写因子「SLIM1」の機能が失われていることを発見しました。SLIM1は、植物体が硫酸イオンを吸収するときに働く硫酸イオントランスポーター※5の遺伝子発現や、天然硫黄成分グルコラファニンの分解に関与すると推定される加水分解酵素の遺伝子発現を調節する転写因子です。また、この変異株は、硫黄が少ない栽培条件でもがん予防成分であるグルコラファニンを生産、蓄積できるという特長を持っていました。今回の発見は、植物の硫黄代謝全体を調節する鍵となる制御タンパク質の一連の機能の解明につながるという画期的な成果を導き出しました。
 近年我が国では、健康促進が国民の関心事となっており、植物由来の天然成分の開発や利用は植物科学の研究に期待されている重要なアウトプットの一つです。今回の研究成果は、アブラナ科植物の生産性や有用性を高める応用研究に役立つと考えられます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『The Plant Cell』(11月号)に掲載されます。


1. 背 景
 植物は土壌中の硫酸イオンを吸収して硫黄を含むアミノ酸であるシステインやメチオニンを合成し、それらを材料にして生命維持に必須な成分であるタンパク質をつくります。一方、動物は硫酸イオンからシステインやメチオニンを合成する代謝系を持たないため、植物を食べることで成長に必要となる硫黄源を得ています。このように自然界の硫黄サイクルでは、植物は生産者、動物は消費者として位置づけられます。
 さらに植物は、硫酸イオンを硫黄源として酸化還元調節物質、ビタミン、補酵素、香り成分、駆虫成分、抗菌物質など特殊な機能を持った硫黄二次代謝産物を生産することもできます。これらの多種多様な化合物は植物が環境に適応するうえで獲得した特長であり、その一部には私達の生活に役立つものが多く含まれています。
 アブラナ科植物はグルコシノレートという硫黄二次代謝産物を合成します。グルコシノレートは、メチオニン、トリプトファンなどのアミノ酸から合成される硫黄化合物であり数十種類の化合物群からなります。例えば、ワサビの辛み成分はメチオニンから合成されるメチルチオアルキルグルコシノレートに由来します。また、がん予防効果が最近注目されているブロッコリースプラウトの有効成分は、メチルスルフィニルアルキルグルコシノレートの一種であるグルコラファニンに由来します。
 本研究チームをはじめとする複数のグループによるこれまでの研究で、土壌中の硫酸イオンの吸収に働く硫酸イオントランスポーターや、硫黄化合物の合成に働く代謝酵素の機能の全容がほぼ明らかになってきました。硫酸イオンの輸送系や代謝系で働くこれらのタンパク質の多くは、硫黄条件の変化によって遺伝子発現が制御されます。硫黄が少ない栽培条件の例では、硫酸イオンの吸収を促進するように硫酸イオントランスポーターのmRNA(メッセンジャーRNA)の量が増加し、植物の生長のために直ちに必要とはならない代謝が抑制されるよう、二次代謝産物の合成に働く代謝酵素のmRNAの量が減少します。このように植物は、環境条件の変化に適応して自らの生長や代謝のバランスを操る巧みな機構を持っていると言えます。しかしながら、このような硫黄代謝の制御メカニズムの根幹となる遺伝子発現を調節する制御タンパク質はこれまでほとんど明らかにされていませんでした。


2. 研究手法と成果
 今回の研究では、硫黄を正常に代謝することができなくなったシロイヌナズナの突然変異株を分離し、代謝機能を調べました。その結果、硫酸イオンの吸収に働く硫酸イオントランスポーターの遺伝子発現や天然硫黄成分グルコラファニンの分解に関与すると推定される加水分解酵素の遺伝子発現を調節する転写因子「SLIM1」の機能がこの突然変異株で失われていることを発見しました。
 植物は硫黄が少ない栽培条件におかれると硫酸イオントランスポーターのmRNAの発現を誘導して根の硫酸イオン吸収活性を増加させます。シロイヌナズナでは主に硫酸イオントランスポーター「SULTR1;2」がこの役割を担っています。研究チームでは、このSULTR1;2の硫黄欠乏応答の様子をクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)が発する蛍光によりモニターする系を開発し(図1)、突然変異誘発物質のエチルメタンスルホン酸で処理した植物の中から硫黄欠乏応答が失われた変異株を探索しました。その結果、硫黄が少ない条件でもGFP蛍光を発しない変異株を分離することに成功し、その突然変異の原因遺伝子「SLIM1」が、EIL転写因子※6の一種であるEIL3にあたることをポジショナルクローニング※7により突き止めました。シロイヌナズナのゲノム上には6種のEIL転写因子が存在すると推定されています。これらのうち、エチレン非感受性変異株から発見されたEIN3、それと類似したエチレン応答機能を持つEIL1、EIL2については、すでに機能解析の報告があります。しかしながら、それ以外のEIL3、EIL4、EIL5については、エチレン応答には関わらないと推定されており、これまでの研究では機能が全く明らかにされていませんでした。
 SLIM1が正常に働かないslim1変異株では硫黄が少ない条件でも硫酸イオントランスポーターSULTR1;2の発現が誘導されませんでした。この表現型は、SLIM1を過剰発現させることで回復しますが、他のEIL転写因子の過剰発現では回復が見られませんでした。また、SLIM1はイネを含む複数の植物種に共通に存在し、硫黄代謝制御における役割はSLIM1に特徴的な性質であることが分かりました。
 現代の植物ゲノム機能科学の研究では、シロイヌナズナのゲノム上の約7割の遺伝子のmRNAの発現をマイクロアレイ※8を使って定量的に解析することが可能となっています。このマイクロアレイを使って、slim1変異株と野生型株を解析した結果、硫酸イオンの吸収と輸送を担う硫酸イオントランスポーターや、硫黄二次代謝物グルコシノレートの加水分解に関与すると推定される酵素「チオグルコシダーゼ」の遺伝子発現が、硫黄欠乏に応答してSLIM1により誘導されることが明らかとなりました(図2)。シロイヌナズナでは、グルコシノレートの生合成に関わる代謝酵素のmRNA発現量が硫黄欠乏に応答して減少します。今回の研究では、これらの代謝酵素の遺伝子発現もSLIM1の制御下にあることが分かりました(図2)。
 これらの結果から、SLIM1がグルコシノレート生合成の抑制とグルコシノレートの分解の促進の双方に寄与することが示唆されました。実際、slim1変異株と野生型株のグルコシノレート含量の分析を行った結果、slim1変異株ではスルフォラファンの前駆体であるグルコラファニンが硫黄欠乏条件でも有意に蓄積することが認められました(図3)。また、グルコラファニンと類似した生理活性がある他のメチルスルフィニルアルキルグルコシノレートも同様にslim1変異株で蓄積することが分かりました。
 一方、野生型の植物は硫黄が少ない栽培条件ではグルコシノレートを蓄積することができません。これは、SLIM1の働きによって遺伝子発現レベルでグルコシノレートの合成が抑制され、同時にグルコシノレートの分解が促進されている結果だと考えられます。今回の成果は、硫黄代謝全体の制御に関わる転写因子として初めての発見で、グルコシノレート生合成の調節など今後の応用展開が注目されます。
 今回の研究でSLIM1は植物の硫黄代謝系のほぼ全ての重要なステップに関与していることが明らかとなり、硫黄欠乏に応答して硫黄代謝を制御するマスター遺伝子であると考えています。


3. 今後の期待
 アブラナ科植物には私たちが食用としている栽培品種が数多くあります。また、油脂原料としての需要も大きく、最近では菜種油を石油代替燃料として活用する試みが注目されています。アブラナ科植物に含まれるグルコシノレートは駆虫成分あるいは動物による食害を防ぐ物質として知られており、生産性を確保するうえで重要な働きを担っています。一方、健康促進という側面では、メチオニンから合成されるグルコシノレートのがん予防効果が有名です。このように植物の硫黄代謝は、バイオマス生産量の確保や健康促進に役立つ成分の生産という両面で農業的に非常に重要であると言えます。
 特に近年健康促進が国民の関心事となってきており、植物由来の天然成分の有用性について科学的(化学的)根拠を提示して将来的な応用展開の可能性を知ることがより重要となってきています。
 シロイヌナズナのslim1変異株で蓄積が認められたグルコシノレートは、ブロッコリースプラウトに含まれるものと同じ化合物です。私たちが通常食用にしているアブラナ科植物にも今回シロイヌナズナで発見されたSLIM1と同じ機能を持つ転写因子が存在すると推定されます。今回の研究成果は、アブラナ科作物全般への応用展開が可能であり、代謝能力を活用して付加価値を付けた有用作物の開発が今後期待できます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 植物科学研究センター 基礎代謝研究チーム
  チームリーダー  高橋 秀樹

Tel: 045-503-9577 / Fax: 045-503-9650
 横浜研究推進部企画課   溝部 鈴

Tel: 045-503-9117 / Fax: 045-503-9113

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 グルコラファニン
4−メチルスルフィニルブチルグルコシノレート(図3の構造式でアルキル鎖がn=4の化合物)。メチオニンから合成されるグルコシノレートであり、ブロッコリースプラウト※3に多く含まれる。人が植物を食べると、咀嚼により植物細胞が壊れ、チオグルコシダーゼ(慣用名:ミロシナーゼ)が遊離する。グルコシノレートはチオグルコシダーゼにより加水分解されるが、加水分解を受けたグルコシノレートは不安定な化合物なので、さらに構造変化が生じて最終的にイソチオシアネートが生成する。加水分解の過程は腸内細菌によるとも言われている。グルコラファニンの分解により生成するイソチオシアネートがスルフォラファン※4であり、体内において発がん物質の解毒を促進するphase II酵素を誘導する。
※2 転写因子
遺伝子のプロモーター領域に結合してmRNAの転写を制御するDNA結合タンパク質。mRNA発現量の増減を調節するうえで重要な働きをする。
※3 ブロッコリースプラウト
ブロッコリーの芽生え。日本の市場でも生食用として販売されている。ブロッコリースプラウトに含まれるグルコラファニン※1が含まれ、その分解産物であるスルフォラファン※4が発がん物質の解毒を促進する。ブロッコリースプラウトのがん予防効果はテレビの情報番組等で紹介されており有名である。
※4 スルフォラファン
ブロッコリースプラウト※3に含まれるがん予防成分。スルフォラファンは、アブラナ科植物においてメチオニンから合成される4−メチルスルフィニルブチルグルコシノレート(慣用名:グルコラファニン※1)から生成するイソチオシアネートである。スルフォラファンには発がん物質を解毒するphase II酵素を誘導する働きがある。スルフォラファンがピロリ菌の増殖を抑制することも報告されている。
※5 硫酸イオントランスポーター
細胞は生きるために必要となる栄養素を細胞の外から取り込まなければならない。細胞膜には栄養素やイオンを選択的に通す輸送体タンパク質(トランスポーター)が埋め込まれている。硫酸イオントランスポーターもその一つであり、硫酸イオンを選択的に通過させる。硫酸イオントランスポーターは、土壌に含まれる硫酸イオンの吸収や植物体内での硫酸イオンの輸送を行うために必要である。
※6 EIL転写因子
植物に特有の転写因子。EIN3、EIL1、EIL2は植物のエチレン応答を制御する転写因子である。シロイヌナズナのゲノム上に存在するその他のEIL転写因子、EIL3、EIL4、EIL5については、これまでの研究では機能が不明であった。
※7 ポジショナルクローニング
染色体上の変異の位置を見つけ出すための実験手法。変異株とそれとは異なるエコタイプ(生態型)の野生型株を交配しF1雑種を作製する。F1の自家受粉によって得られたF2世代の中から変異型表現型が観察される系統を選抜する。F2植物の染色体は、変異株のエコタイプと、交配した野生型のエコタイプの遺伝子配列が組換えにより混ざりキメラになっているが、変異型表現型を示すF2個体では、変異型表現型の原因となっている変異遺伝子を含む領域は変異株のエコタイプに由来する。変異型表現型を示すF2個体の遺伝子型を分析し、組換え率が低い遺伝子領域を狭めていくことで変異遺伝子を見つけ出すことができる。
※8 マイクロアレイ
今回の研究で使用したマイクロアレイは、米国アフィメトリクス社製のDNAチップで、ゲノムに存在する数万個の遺伝子(シロイヌナズナの場合、約3万個)の配列情報をもとに設計したオリゴヌクレオチドがシリコン基板上に高密度に配列されている。数千〜数万の遺伝子のmRNA発現量を同時に解析することができる。


図1 蛍光イメージングによるslim1変異株の単離
硫酸イオントランスポーターSULTR1;2のプロモーターとクラゲ緑色蛍光タンパク質(GFP)の融合遺伝子を形質転換した植物を変異処理の親株に用いた。親株では、植物を硫黄欠乏状態にするとSULTR1;2プロモーターによりGFPが発現するので根でGFPの蛍光(緑色)が観察される。slim1変異株は蛍光を発しない硫黄欠乏応答欠損変異株である。図は、硫黄源として硫酸イオンを1500 μMまたは30 μM含む培地で親株およびslim1変異株を11日間育てたものを蛍光イメージアナライザーでスキャンした画像である。それぞれの下段は明視野での画像である。


図2 SLIM1転写因子により制御される硫黄代謝系の遺伝子群
シロイヌナズナにおける硫黄代謝系(硫酸イオンの吸収、システイン及びメチオニン生合成、グルコシノレート生合成、グルコシノレートの分解まで)を図示した。SLIM1により制御される遺伝子で、硫黄欠乏によりmRNAが増加(赤)または減少(青)するものを色づけした。硫黄欠乏によるmRNAの増減の度合いを色の濃淡で示した。
遺伝子名(斜字体): AKN2, 5’adenylylsulfate kinase; APR, 5’adenylylsulfate reductase; APS4, ATP sulfurylase; BCAT, branched-chain amino acid aminotransferase; CS, cysteine synthase; CYP, cytochrome P450; MAM, methyl(thio)alkylmalate synthase; Serat, serine acetyltransferase; SIR, sulfite reductase; SOT, desulfoglucosinolate sulfotransferase; SULTR, sulfate transporter; UGT74B1, UDP-glucose:thiohydroximic acid S-glucosyltransferase.
代謝物名: APS, adenosine 5’-phosphosulfate; GSH, glutathione; OAS, O-acetylserine; PAPS, 3’-phosphoadenosine-5’-phosphosulfate.


図3 slim1 変異株におけるグルコシノレートの蓄積
がん予防効果が高いとされるメチルスルフィニルアルキルグルコシノレートの蓄積量を液体クロマトグラフィー質量分析により解析した。図は硫黄欠乏にさらしたslim1変異株と野生型植物の分析におけるマスクロマトグラムである。slim1変異株では、グルコラファニン(n=4)及びアルキル鎖が長いメチルスルフィニルアルキルグルコシノレート(n=5〜8)の蓄積が観察された。

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