プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
目が慣れ“もの”が見分けられる仕組みの解明に大きく前進
- 大脳視覚野が環境変化に順応して機能することをfMRIを用いて実証 -
平成17年8月18日
◇ポイント◇
  • 機能的磁気共鳴イメージング法(fMRI)を用いて大脳視覚野の神経細胞の活動を捉える
  • 視覚野の神経細胞は周囲の状況に順応することで広い範囲のコントラストの違いを識別
  • 第4次視覚野(V4野)には身の回りに起こる変化を“監視する”機能がある
 独立行政法人理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、人の脳において、そのときどきの視覚環境に目が慣れ、“もの”を見分ける感度が最大に保たれる仕組みを、機能的磁気共鳴イメージング法(fMRI)※1を用いて世界で初めて実証することに成功しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)認知機能表現研究チームの田中啓治チームリーダー、程康(チェン・カン)副チームリーダー、ガードナー・ジャスティン研究員(現・ニューヨーク大学)らによる研究成果です。
 人が“もの”を見分けるためには、大脳視覚野※2での神経細胞の活動が重要です。いろいろな強さの明暗対比(コントラスト)を持った刺激に対する視覚野神経細胞の応答を調べると、コントラストの増加に応じて応答が増加するコントラストの範囲は、かなり限られていることがこれまでの研究成果から知られていました。しかしながら、実際には私たちはもっとずっと広い範囲でコントラストの違いを見分けます。
 研究チームでは、視覚野神経細胞がコントラスト変化に対応して応答するコントラストの範囲が、環境の変化に応じて移動するために、広い範囲のコントラストの違いを見分けることができるという仮説を立てました。そしてfMRIを用いて人の視覚野(V1野〜V4野)の神経細胞の活動を測定しました。V1野〜V3野では、仮説通り、提示される刺激の平均コントラストに応じて、高感度で応答するコントラストの範囲が移動することを捉えることができました。さらにV4野では、コントラストの増加と減少の両方に対して神経細胞の応答が増加することが分かりました。これは、身の回りに起こる変化を、視覚情報をもとに脳が“監視する”機能と考えられます。
 今回、脳の大脳視覚野が環境に順応して効率的に機能することが明らかになりました。例えば、V4野における“監視する”機能と加齢との因果関係を調べることにより、加齢により弱くなった注意能力を回復させることができる可能性もあります。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron』(ニューロン)8月18日号に掲載されます。


1. 背 景
 ヒトやサルなどの霊長類の大脳新皮質には、視覚的に捉えた物体像の処理に関わる経路があることが知られています。網膜から届いた電気信号は、大脳新皮質の一番後ろにある後頭葉の第1次視覚野(V1野)に送られ、さらに高次の視覚野(第2次視覚野(V2野)〜第4次視覚野(V4野))を経由して視覚連合野で“もの”を認識すると考えられています。
 サルにおける実験では、V1野の神経細胞に明暗対比(コントラスト)刺激を与えると、弱いコントラストでは反応が弱く、強いコントラストになると反応が強くなります。しかし、コントラストの増加に応じて神経細胞の応答が増加するコントラストの範囲はかなり限られており、この範囲より弱い、あるいは強いコントラストでは、コントラストが変化しても応答の大きさはほとんど変化しません。このように、コントラストと神経細胞の応答の関係(コントラスト応答関数)は、シグモイド関数(S字型曲線)形状を示すことがこれまでの研究により知られていました(図1)。
 しかしながら、私たちの視覚が、単純にこのコントラスト応答関数に従って“もの”を認識しているとは考えられません。例えば私たちは、薄霧の中で山の形を見分ける、つまり非常に微妙なコントラストの差異を見分けることができますし、逆に強い太陽光の下で群がるシマウマたちの白黒の縞模様を容易に見分けることができます。このように、それぞれの状況下において、適切にコントラストの微妙な違いを区別するためには、先に示した神経細胞のコントラスト応答関数における一番感度の高い部分(コントラスト増加に対応して応答の増加する部分)を、周囲の平均コントラストに応じて移動させる、つまり順応させることが最も合理的であると考えられます。
 似たような現象として、明るいところから急に暗いところに行くと、目が慣れるまでに何も見えなくなります。しかしながら目が慣れると、周りのものを区別することができるようになります(暗順応)。逆に暗いところから急に明るいところに出ると、周りのものが明るすぎて区別できませんが、次第に目が慣れ、ものが識別できるようになります(明順応)。暗順応・明順応が明るさのレベルに対する順応であるのに対し、コントラスト順応はコントラストのレベルに対する順応です。
 研究チームでは、この仮説を実証するため、機能的磁気共鳴イメージング法(fMRI)を用いて、人の視覚野の神経細胞のコントラスト応答関数の変化を測定することとしました。


2. 研究手法
 研究チームではfMRIを用い、コントラスト刺激を変化させることによって、人の視覚野で神経細胞の活動がどのように変化するか調べました。実験は5人の被験者の協力を得て、行っています。
 はじめに、コントラスト比が25.0%(もしくは12.5%、6.25%)の白黒チェッカーボードパターンを被験者に60秒間見せ、そのコントラストに目を順応させます(順応コントラスト刺激)。次にコントラスト比を順応コントラスト刺激の2倍、4倍に上げたもの、もしくはコントラスト比を2分の1、4分の1に落としたものを3秒間、一時的に見せます。その後8〜12秒間、元のコントラスト比のチェッカーボードパターンを見せ、再度、順応させます。1回の測定時間は15分間で、コントラスト比を上げたもの、下げたものが出るタイミングは被験者ごとにランダムです(図2)。
 今回の実験では、比較的短い間隔で視覚刺激(コントラスト刺激)を提示しているため、それぞれの刺激に対する影響は完全に孤立しているわけではなく、それより前に提示された刺激の影響も受けます。つまり、fMRIによって計測された信号は、複数の刺激の影響が混在した状態にあり、ある刺激に対するV1野、V2野、V3野、V4野における活動部位を見いだすためには、刺激による信号だけを分離する必要があります。
 今回、新しい手法として個々のボクセル※3において計測されたfMRI信号応答のパターンを用いて、ボクセル一つ一つについて信号を分離し、コントラスト刺激により有意な神経細胞変化を示すボクセルを選択しました。この選択されたボクセル群について、領野(V1野〜V4野)ごとに、順応期間後の平均信号と、順応刺激提示前のベースライン平均信号の間の違いを計算します。さらに、順応コントラストから上げた(下げた)テストコントラストのそれぞれに対する応答を計算し、順応しているコントラスト応答からの一時的な増加、あるいは減少としてグラフ上に示します。
 実際に影響のあるボクセル群のみを選択し、fMRI信号応答を計算することにより、従来、用いられていた加算平均法※4により個々の信号成分を抽出する計算方法や、fMRIの一般的なモデルに基づいた数学的手法により信号を分離する計算方法に比べ、正確な結果を導き出すことができます。また、一般化されたモデルを用いたのでは導き出すことのできない負の反応についても捉えることが可能となりました。


3. 研究成果
 順応コントラスト刺激開始直後は、視覚野における神経細胞の活動は急激に上昇し、その後、緩やかに元に戻っていきます。この状態が順応です。この初期順応期間に引き続き、コントラストを高くすると、神経細胞の活動は一時的に高まり、逆にコントラストを低くすると、神経細胞の活動は低下します(図3)。
 測定データを解析した結果、V1野、V2野、V3野では、60秒間の順応コントラスト刺激への順応後、コントラスト増減に応じて視神経細胞の活動を示す信号が増加および減少することが分かりました(図4)。これらの視覚野におけるコントラスト応答関数は、ほぼ順応しているコントラスト値を中心として水平に変化しました。つまり、仮説通り、順応コントラストが低い(6.25%)場合には左方向に平行移動し、順応コントラストが高い場合(25.0%)には右方向に平行移動していたのです(図5)。
 一方、順応コントラストのコントラスト比が変化しても、コントラスト応答関数の有感領域の幅に違いは見られませんでした。このことは、私たちが薄霧の中で山を見分けたり、太陽の下でシマウマの縞を見分けたりできることをうまく説明できる結果です。
 さらに驚くべきことは、初期視覚野のより高次の部分であるV4野における神経細胞活動の信号変化はV1野〜V3野の信号変化と異なり、コントラスト変化が増加であっても、減少であっても、常に神経細胞活動の信号は増加しました(図6・左下)。この応答変化をグラフに表すと、シグモイド関数形状ではなくU字型を示しています(図6・右下)。すなわちV4野は、コントラスト変化の内容が増減どちらに起こったかということとは無関係に、変化が起こったこと自体に応答すると考えられます。
 この結果は、サルの脳で神経細胞ひとつずつの活動を記録する単一神経活動記録法による研究の結果からは予測されていなかった結果です。V4野は、多くの重要な感覚および認知機能に関わっていることが知られていますが、現時点で、この応答特性がどのようなメカニズムで発生するかは分かっていません。


4. 今後の期待
 今回、コントラスト応答関数が順応コントラスト値に応じて横方向に緩やかに遷移することが実証されました。さらにV4野においては、コントラスト変化時に、コントラスト増減に関わらず常に正の応答を示すことを発見しました。これらを現実の世界で考えると、日が暮れて周りの明るさ対比が変わるようなありふれた環境変化の中でも、突如として現れる捕食者や食物を高感度で察知するような優れた能力にも対応します。
 特にV4野から得られた結果は、興味深いものです。今後の研究で、同じようなメカニズムが他の高次脳領域においても機能しているかどうかを明らかにする必要があります。私たちの脳は、身の回りにおこる視覚的事象を広く“監視する”あるいは“検出する”機能を持っていると考えられます。このような能力のおかげで、私たちは予想できない出来事に対して適切に行動を調整することができます。逆に、この“監視する”能力の欠如や衰えは生命活動に支障をもたらします。
 例えば、高年齢者の交通事故率は高く、その多くは、突然歩行者が現れたり、信号が変わったりするなどの状況変化を“検出する”ことができなかったことに起因しています。もし、この能力の低下とV4野を含む脳領域において“監視する”システムの機能を下がることの間に因果関係を見いだすことができれば、空間的に向けられる注意能力を維持させるために、何らかの予防策を講じることができるかもしれません。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター 認知機能表現研究チーム
  チームリーダー  田中 啓治
  副チームリーダー  程  康

Tel: 048-467-9342 / Fax: 048-462-4651
脳科学研究推進部嶋田 庸嗣

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 fMRI(機能的磁気共鳴イメージング法)
神経細胞の活動が局所的に高まると、反射によって局所的に血流量が増え、毛細血管中の還元ヘモグロビンの量が減少する。還元状態のヘモグロビンは、磁化してまわりの水分子の水素原子核(プロトン)の磁気共鳴の減衰を早める作用を持つので、還元ヘモグロビン量の減少は、プロトンの磁気共鳴信号の減衰を遅らせ、磁気共鳴信号を増加させる。このように神経細胞活動の高まりを局所血流量の増加を通じて、最終的にはプロトンの磁気共鳴信号の増加で測定するのが機能的磁気共鳴イメージング法である。
理研脳科学総合研究センターでは、通常の核磁気共鳴装置の2.5倍の4T(テスラ)の超電導磁石を用いることで、より高感度の測定を可能としている。
※2 大脳視覚野
視覚情報処理に関わる大脳新皮質の領域を視覚野と呼ぶ。この視覚野はさらに、第1次視覚野(V1野)・第2次視覚野(V2野)・・・といくつもの領域に分けることができる。大脳新皮質の一番後ろにあるのが初期視覚野であり、より高次になるほど脳の前方に位置している。
V1野では明暗あるいは色のコントラストで構成される輪郭の小片の位置と傾きなどを検出することが知られている。V2野、V3野、V4野と高次の領野へ進むにつれてより複雑な刺激に反応する神経細胞が現れる。V2野では特定の角度の角に反応する神経細胞、主観的輪郭を生じる刺激配置(カニッツアの三角形など)に反応する神経細胞などが、V4野には特定の曲率の曲線に反応する細胞を初め、さまざまな中程度に複雑な図形特徴に反応する細胞が見つかっている。
※3 ボクセル
ボクセルは、MRIの計測単位でMRI画像の画素に相当する。体積単位であることからピクセル(pixel)ではなくボクセル(voxel)と呼ばれる。ボクセルは、小さいほど細かな描出が可能となるが、 小さくなるほど信号が小さくなり、小さくなりすぎると信号に比べノイズが勝ってしまい、得られたデータが役に立たなくなる。 一般に、解像度を上げるためボクセルを小さくすると計測時間を長くする必要がある。
今回のfMRIの計測ボクセルは、3.125x3.125x4 mm3または3.75x3.75x4 mm3である。
※4 加算平均法
刺激の提示時刻をあわせて、いくつものfMRI応答を重ね合わせてその平均を取ること。


<図1> サルの1次視覚野におけるコントラスト応答関数
コントラスト応答関数は、シグモイド関数(S時曲線)形状を示す。コントラストへの応答が変化するコントラスト領域は限られており、それよりも大きくても、小さくても変化はしない。


<図2> コントラスト刺激の提示方法
被験者を60秒間一定の順応コントラストに順応させた後、3秒間のテストコントラストと8〜12秒間の順応コントラストの組み合わせを繰り返す。8〜12秒間の順応コントラストによって被験者は、繰り返し順応状態に置かれる。


<図3> 視覚野における典型的なfMRI信号変化の例
順応コントラスト刺激直後に大きな信号変化が見られ、その後、緩やかに減衰して順応状態となる。この状態でコントラストを高くするとfMRI信号は一時的に高まり、コントラストを低くするとfMRI信号は一時的に低下する。


<図4> 順応状態でのコントラスト増減に対するV1野−V3野の応答
右脳後頭葉内側面に広がるV1野〜V4野の位置(左図)。V1野〜V3野ではコントラストの増減が、そのままfMRI信号の一時的な増減として現れる(右図)。


<図5> 異なる順応コントラストによるコントラスト応答関数の変化
順応コントラストの変化に応じて、シグモイド関数形状のコントラスト応答関数は、横方向に遷移した。黒い円で囲まれた点に示されるように、同じコントラストに対する応答でも、事前に順応しているコントラスト値によって大きさが異なる。


<図6> V4野で見られたコントラスト応答関数
順応状態において、コントラスト増加関数に関わらず、コントラスト変化に対してfMRI信号は増加した(左下図)。コントラスト応答関数はV1野〜V3野と異なりU字型を示す(右下図)

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