プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人京都大学
ES細胞からの神経網膜前駆細胞と視細胞の分化誘導に世界で初めて成功
- 網膜疾患治療法開発への応用に大きな期待 -
平成17年8月2日
◇ポイント◇
  • ES細胞の細胞塊を浮遊培養し、16%の高効率で神経網膜前駆細胞に分化させる系を樹立
  • 産生が困難であった神経網膜をES細胞から分化誘導することに世界で初めて成功
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人京都大学(尾池和夫総長)は、マウスES細胞を用いて、試験管内での神経網膜前駆細胞の分化誘導法を世界に先駆けて開発しました。理研 発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループ・ディレクターらの研究グループと京都大学医学部附属病院探索医療センター(内山卓センター長)開発部の高橋政代助教授との共同研究の成果です。
 網膜は光情報受容の主体である神経網膜と網膜色素上皮の2層からなります。以前に、笹井芳樹グループ・ディレクターらは、PA6細胞という特殊なフィーダー細胞が産生する因子を用いたSDIA法を使って、ES細胞から網膜色素上皮を試験管内で分化誘導することに成功していました。しかし、SDIA法を含めた既存の方法では網膜色素上皮は分化誘導できても、視細胞などの神経網膜の主要な構成細胞をES細胞から試験管内で効率よく産生することはできませんでした。網膜疾患での失明の主要な原因は視細胞変性が多くを占めることから、視細胞に分化できる神経網膜前駆細胞の産生が待ち望まれていました。
 今回の研究では、同グループの池田華子共同研究員(現、京都大学病院探索医療センター医員)が中心となって、ES細胞の細胞塊を特殊な条件下に浮遊培養ですることで16%の高い効率で神経網膜前駆細胞(Rx陽性細胞)に分化させる系をまず樹立しました(SFEB/DLFA法)。具体的には、以前に開発していた大脳前駆細胞の分化条件にアクチビンや血清処理を加えることで可能となりました。
 こうして得られたES細胞由来の神経網膜前駆細胞は、胎児の網膜発生の微小環境を試験管のなかで再現する培養を行うと、高効率で視細胞に分化することが明らかになりました。この研究により、従来不可能であった神経網膜細胞、特に視細胞を産生することが世界ではじめて可能となりました。今後ヒトES細胞に応用することにより、網膜変性疾患の発症機序の解明、および新薬や治療法開発に大きく貢献することが期待されます。
 なお、この研究は文部科学省のリーディングプロジェクト「再生医療の実現化プロジェクト」の一環として進められました。
 本研究成果は、平成17年8月2日午前6時解禁(日本時間)の米国科学誌「米国科学アカデミー紀要」オンライン版に掲載予定です。


1. 背 景
 眼の光感覚組織である神経網膜は、視覚受容における最も重要な部分です。特に直接光を受容し、それを電気信号に変換する視細胞は、デジタルカメラでいうとCCDにあたる主要な細胞です。神経網膜組織は、発生学的には脳と同じく中枢神経系由来の組織であり、哺乳類では再生力が非常に弱いため、一旦障害を受けると修復困難であるという特徴があります。光科学的なストレスにさらされているため、視細胞は特別に障害を受けやすい細胞であり、遺伝的原因や虚血等による視細胞障害で失明に至る疾患が数多く知られています。
 神経細胞や感覚細胞などの医学的に有用な細胞を幹細胞などから作る、いわば「生体パーツ化」の技術開発は、再生医学の重要な課題の1つです。本グループではこれまでの研究で、マウスや霊長類のES細胞からドーパミン神経細胞、末梢神経細胞や大脳前駆細胞を試験管内で産生する技術を樹立し、報告してきました。特に最近開発された新しい神経分化誘導法(SFEB法:Serum-free Floating culture of Embryoid Body-like aggregates)は、フィーダー細胞(PA6細胞などのES細胞の増殖・分化を助ける細胞)の非存在下に、特別な無血清培養液と浮遊凝集塊培養(細胞の小さい塊を培養液に浮遊させて培養)を組み合わせることで、マウスES細胞から90%以上という高い効率で中枢神経系細胞を分化誘導できます。この方法により、それまで困難であったES細胞からの大脳前駆細胞の分化、および大脳皮質、大脳基底核などの神経細胞の分化誘導を可能となりました。
 今回、本グループでは神経網膜組織が胚発生で大脳組織の近傍の間脳から発生することに注目し、SFEB法の培養条件を修飾することで神経網膜前駆細胞への分化誘導を試み、その条件の樹立に成功しました。


2. 研究手法と成果
(1) SFEB/DLFA法による高効率な神経網膜前駆細胞の試験管内分化誘導
 マウスES細胞の凝集体を、SFEB法を用いて浮遊培養し、未熟な神経前駆細胞に3日間分化誘導させたものを、血清および増殖因子アクチビン(分泌型タンパク)で短期間処理し、さらに合計8日間培養することで、神経網膜前駆細胞が産生されることが判りました(SFEB/DLFA法)。これらの神経網膜前駆細胞はそのマーカータンパク質Rx(2割弱の効率で陽性)およびPax6などを発現している特徴から確認できました。こうした神経網膜前駆細胞の高効率な分化誘導の成功は世界初の報告です。
(2) ES細胞由来の神経網膜前駆細胞はさらに視細胞に分化誘導可能である
 ES細胞由来の神経網膜前駆細胞はマウス胎児の網膜細胞と一緒に培養するとさらに分化が進んで、視細胞を産生することが判りました。SFEB/DLFA法で処理したES細胞をマウス胎児の網膜を分散させたものと混合し、再凝集後、12日間さらに培養すると、14%の細胞が視細胞特異的なタンパク質であるロドプシンやリカバリンなどを発現しました。特に、マウス胎児由来の視細胞の近傍ではES細胞由来の細胞の約4割が視細胞に分化していました。このことは、ES細胞由来の神経網膜前駆細胞は視細胞を生み出す能力を持っていること、そしてその分化は胎児網膜の作り出す微小環境で促進されることを示しています。
(3) ES細胞由来の視細胞は網膜組織に導入可能である
 次にES細胞由来の神経網膜前駆細胞を分散させていない胎児網膜組織そのものと一緒に培養し、網膜組織に導入できるかを検討しました。12日間の培養後、網膜組織内にES細胞由来細胞が多数認められ、それらのうち約1割が網膜の視細胞層に存在していました。そのうち約4割の細胞が、視細胞特異的なタンパク質であるロドプシンやリカバリンなどを発現していました。また、視細胞に特徴的な細胞形体(外節構造など)も認められました。このことは、ES細胞由来の視細胞は網膜に導入可能であり、また導入された視細胞は正常な形(形体、部位、遺伝子発現など)で生着することを示しています。


3. 今後の展望
 神経網膜の変性・機能異常は、網膜色素変性症、加齢黄班変性症、網膜剥離症、糖尿病性網膜症、網膜循環不全、緑内障などで認められ、それらで失明する直接的原因になっています。神経網膜のなかでも、視細胞は光受容の一次細胞であり、その変性脱落は不可逆的な視力障害を引き起こします。
 今回の研究結果で、ES細胞から神経網膜の前駆細胞(Rx陽性細胞)が試験管内で産生可能となったことは、網膜疾患の原因・治療研究に対して大きな意義を持ちます。主な医学的な応用としては、次のようなものが例として挙げられます。
(1) 試験管内研究への応用:神経網膜のパーツを試験管内で産生することにより、それらを用いた病気の発症機序の解明や治療薬の開発に利用できます。特に、網膜色素変性症には特定の遺伝子異常によるものが多く知られており、ES細胞を用いた遺伝子操作と組み合わせることで、詳細な発症機序の解明と、それに基づいた発症を遅らせる予防薬の開発などが期待されます。また、新薬の毒性試験にも活用されるでしょう。
(2) 細胞治療への応用:ES細胞由来の神経網膜のパーツ、特に視細胞を網膜疾患に対して移植することで機能回復や発症遅延を引き出す再生医療研究への応用が期待されます。この分野の研究は、これまで材料の入手の困難さから、世界的に見てもまだ歴史が浅く、始まったばかりの研究領域です。今後の研究展開によって、ヒトES細胞からの視細胞やその前駆細胞の供給が容易になれば、研究の推進に大きく貢献することが期待されます。
今後の研究課題としては
(A)神経網膜前駆細胞の分化効率の向上と分離法の開発
(B)神経網膜前駆細胞から視細胞への選択的な試験管内分化誘導法の開発
(C)ES細胞由来の視細胞の生体網膜への移植法の確立
(D)視細胞の移植による動物レベルでの網膜機能の回復の証明
(E)ヒトES細胞への応用とプレ臨床研究の開始
などが挙げられます。
 理化学研究所では、今後も文部科学省・リーディングプロジェクトの一環として、京都大学探索医療センターとの共同研究により、これらの課題に取り組んで参ります。既に個体レベルの移植実験で、ES細胞由来の視細胞が幼若なネズミの網膜に導入できることが最近、確認されています。ただし、導入効率は未だ低いため、さらに効率的な移植法や細胞調整法の開発が今後のクリアすべき大きな課題です。対処法が無かった網膜疾患に対して、大きな希望につなげるべく、多方面の協力による積極的な研究展開を予定しています。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所 神戸研究所
発生・再生科学総合研究センター 細胞分化・器官発生研究グループ
グループ・ディレクター 笹井 芳樹

Tel: 078-306-1841 / Fax: 078-306-1854
国立大学法人京都大学医学部付属病院
探索医療センター開発部 助教授 高橋 政代

Tel: 075-751-4721 / Fax: 075-751-4731

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 神戸研究所研究推進部 土手 陽子

Tel: 078-306-3005 / Fax: 078-306-3039

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp

京都大学医学部附属病院経理・調達課 研究推進掛 中川 秀樹

Tel: 075-751-4899 / Fax: 075-751-4905


図1網膜の模式図

角膜、水晶体を通過して網膜に到達した光は、視細胞で受容されて電気的信号に変換される。
情報は視細胞から双極細胞、神経節細胞の順に伝えられ、視神経を通って大脳に送られる。


図2SFEB/DLFA法による分化誘導の概略

マウスES細胞の凝集塊を、SFEB法を用いて浮遊培養し、血清およびアクチビンで処理することで、効率よく神経網膜前駆細胞が産生される。


図3SFEB/DLFA法によるRx陽性神経網膜前駆細胞の産生

(左)マウス胎児の発達中の眼で、神経網膜前駆細胞はマーカー蛋白質Rx(赤)を発現。
(中)SFEB/DLFA法で処理をしたES細胞の多くで神経網膜前駆細胞に特徴的なタンパク質Rx(赤)を発現。
(右)ES細胞由来のRx陽性細胞(赤)は別の網膜前駆マーカーPax6(緑)をも共発現(黄)。


図4胎児網膜細胞との共培養による視細胞の分化

SFEB/DLFA法で処理したES細胞をマウス胎児網膜と共培養。
マウスES由来の細胞(赤)が、視細胞に特異的なタンパク質であるロドプシン(緑)を発現。


図5網膜組織へのES細胞由来視細胞の取り込み

マウス胎児網膜へ取り込まれたES細胞由来の視細胞(右、中)。
ES細胞由来の細胞(赤)は視細胞のマーカー蛋白 ロドプシン(緑)を発現。
視細胞に特有の外節様の構造や、神経突起を有する。

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