プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
10 TFlops 級の格子QCD数値計算用並列計算機の完成
- 量子色力学(QCD)の新領域の開拓に向けて -
平成17年5月26日
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は米国・コロンビア大学及び、米国・ブルックヘブン国立研究所(BNL)との共同で開発を進めてきた10 TFlops級の格子QCD数値計算用並列計算機QCDOCを完成させ本格稼動を開始しました。この新しい計算機は用途を物理学理論計算に特化することで高性能であるとともに高いコストパフォーマンスを実現しています。システム全体のピーク性能では、理論上毎秒約10兆回の割合で浮動小数点計算が可能(10TFlops:テラフロップス)であり、通常運用においてもピーク性能の約半分を維持するという高効率を記録しています。
 この計算機QCDOCによって陽子や中性子(核子)を構成するクォークとグルーオンの力学、「量子色力学(QCD)」※1の理論計算を、例えば核子質量において、実験値との誤差がこれまでの5−10%程度からより高い精度(数%レベルの誤差)で行うことが可能になります。今後、この新しい計算機を利用しての第一原理計算による精密な素粒子標準理論の検証を通して、標準模型を超える新しい物理の発見の可能性が期待されています。更に、現在BNLで稼働中の衝突型加速器RHICの生み出す実験データに対する理論的解釈が進み、核子や中間子の構造やクォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)※2状態に対する理解が飛躍的に高まる事となるでしょう。
 なお完成記念披露式典は理研が運営する理研BNL研究センター(N. P. Samiosセンター長)はBNLの協賛のもと、BNLの主催にて2005年5月26日午前10時(米国東部時間)より米国ニューヨーク州ロングアイランド、アプトンに所在するBNL内において開催予定です。


1. 背 景
 理研BNL研究センター(RBRC)は1997年にノーベル物理学受賞者であるT. D. Lee(李政道)コロンビア大学教授をセンター長(現センター長は前BNL所長のN. P. Samios)に迎え、当時は特殊法人であった理化学研究所と米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)の共同研究協定を基にして設立されました。
主たる研究場所をBNLと定め、当時建設が進んでいたRHIC(相対論的重イオン衝突型加速器)における実験を主眼とした実験研究グループと量子色力学(QCD)研究を中心とした理論研究グループが設けられ、理論/実験の両軸から物質の成り立ちそのものである素粒子・原子核に関する研究を続けています。
 RBRCの設立と同時に、米国・コロンビア大学及び、米国・ブルックヘブン国立研究所(BNL)との共同で格子QCD ※3に特化した1TFlops級の専用並列計算機(QCDSP [QCD with DSP=Digital Signal Processor])を構築してきました。このコンピュータを利用して、RBRCの格子QCDプロジェクトチームはドメインウォールフェルミオン法(DWF)※4による格子QCDの数値計算を開拓し、それまで困難であった非常に質量が軽いフェルミ粒子が持つべき「カイラル対称性」※5を格子場上で厳密に再現することに成功してきました。
 アップとダウンの2つのクォークが持つべきカイラル対称性は、クォークとグルーオンとの間に働く「強い力(量子色力学)」によって自発的に破れます。このカイラル対称性の自発的な破れの現象により、我々の体を構成する陽子や中性子(核子)がその質量の99.9%を獲得することとなります。RBRCの格子QCDプロジェクトチームはQCDSPとDWF法を用いて、同様にカイラル対称性が大きな役割を担うであろう、中性K中間子におけるCP非保存過程や核子のスピン構造といった素粒子・ハドロンの分野において重要な研究課題に位置づけられる問題に着実に成果を上げてきました。
 この成功をうけて、さらなる次世代の高速コンピュータの設計と構築を目指したプロジェクトが米国エネルギー省の援助を得たコロンビア大学とIBM研究所との共同で1999年に始動しました。まず、最先端のシステムオンチップ技術に基づき、QCDOC(QCD On a Chip)の設計・開発がなされ、2000年より理化学研究所とコロンビア大学間で共同建設のための協定が結ばれました。その後、英国6大学格子QCD研究共同体(UKQCD)、BNL情報技術部門も加え、国際的共同研究としてQCDSPの後継機、QCDOCシステムの完成をみる日を迎えました。


2. 新システムの概要
 QCDOCシステムはおよそ1万2000個の専用に設計されたASIC(特定用途向け集積回路、Application Specific Integrated Circuit)から構成され、これらの集積回路が各々独立した計算ノードとして、1)1秒間あたり約10億回(約1ギガフロップス)の64-bit浮動小数点計算を実行可能、2)近接する12の計算ノードと毎秒420メガバイトの6次元双方向高速シリアル通信が可能、3)Ethernetを通じてホストコンピュータと全ての計算ノードと通信が可能、そして4)チップ毎に4メガバイトのメモリー、DIMMモジュールに最大2ギガバイトの記憶容量を有しています。
 このような計算ノードを64個搭載したマザーボードを単位とし、システム全体で192のマザーボードからなる、最大理論ピーク性能で毎秒約10兆回の浮動小数点計算が可能(10 TFlops:テラフロップス)な並列計算機です。


3. 今後の展開
 このような高速専用計算機を得ることで、従来の高速計算機では、その性能によって制限されてきた量子色力学による第一原理計算の、より精密で、より高度な展開が可能となります。具体的には、前機種であるQCDSPを用いて行われてきた、質量が軽いアップとダウンの二種類のクォークの自由度のみ考慮されていた格子QCD数値計算から、アップやダウンよりやや重いクォーク、ストレンジの自由度まで含む格子QCD数値計算へとさらに現実の自然界に近い理論計算が可能になり、カイラル対称性に支配されるハドロン物理学諸過程(スピン物理学を含む)の理論的解明を目指すことになります。
 ここで得られる理論計算上の進歩は、核子や中間子などのハドロンの構造を精密に計算することに繋がり、また、カラー閉じ込めを開放した系であるクォーク・グルーオン・プラズマの性質を理解する為にも重要です。現在BNLで稼働中の衝突型加速器RHICはこれらの物理に対する新しい実験データを続々と生み出しつつあります。今回の新しい10Tflops級の計算機QCDOCを駆使した理論研究が、実験結果の精密な解釈を可能とします。
 また、比較的質量の軽いハドロンの質量や崩壊定数、あるいは弱い相互作用に伴うハドロン遷移振幅などを精密に計算し、実験値と比較することによって、素粒子標準理論を検証していくことになります。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 理研BNL研究センター 副センター長
 中央研究所 延與放射線研究室
  主任研究員 延與 秀人

Tel: 048-467-9345 / Fax: 048-467-4641

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 量子色力学(QCD)
自然界を司る4つの力の一つ「強い力」の第一原理は、陽子や中間子の構成要素であるクォークとグルーオンを自由度として記述される量子色力学(Quantum Chromo Dynamics)として知られています。この「強い力」は、クォーク同士の距離が長い程強くなり、短い程弱くなるという、重力や電磁気力とは全く正反対の性質を持っています。この性質は「漸近的自由性」と呼ばれ、1973年にD.J. Gross, H.D Politzer, F. Wilczekにより発見され、その後の実験により検証されました。3氏はこの業績により、2004年にノーベル物理学賞を受賞しました。
※2 クォーク・グルーオン・プラズマ
核子や中間子などのハドロンを構成しているクォークやグルーオンは非常に強く結び合っていて決して外に取り出すことができません。これは「カラーの閉じ込め」と言われる現象です。しかし、核子同士が重なりあうくらいに物質の密度を非常に高くしたり、温度を高くするとこの結びつきが弱くなり、ハドロンの内部に閉じ込められていたクォークやグルーオンが解放されることが量子色力学からの理論的予言です。このような新しい物質状態は、普通の原子から電子が離れるときにできるプラズマ状態に似ていると想像されるため、「クォーク・グルーオン・プラズマ」と呼ばれています。
※3 格子QCD
連続4次元時空を有限な格子間隔に正則化する、格子正則化法に基づいた計算技術を量子色力学に応用したもの。
※4 ドメインウォールフェルミオン法
フェルミ粒子に対する新しい格子正則化法で、我々の4次元時空を5次元空間の断面(ドメインウォール)として捉えて定式化する方法。この新しいドメインウォール正則化法によって、従来の方法では難しかった、質量のないフェルミ粒子がもつべきカイラル対称性を有限な格子間隔(格子場上)においても厳密に保つことができる。
※5 カイラル対称性
質量のないフェルミ粒子が持つ基本的対称性の一つ。QCDにおいては、核子やπ中間子を構成するアップとダウンの二つの軽いクォークの質量が数MeV程度とハドロン物理の典型的なスケール(数百MeV)に比べて非常に小さいことに起因して、近似的にこの対称性を有する。ハドロン物理における多くの物理現象はこのカイラル対称性に支配されている。





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