プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
鼻から脳へ神経を導く遺伝子を同定
- 神経回路形成の道案内は最初が肝心!! -
平成17年2月25日
◇本研究成果のポイント◇
  • 嗅覚神経ネットワークの形成に必須な遺伝子Robo2を同定
  • Robo2が神経線維を鼻から脳の嗅球という領域まで正しくガイド
  • 脳の神経ネットワーク形成の分子メカニズム解明への貢献が期待
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、モデル動物ゼブラフィッシュを用いて、嗅覚神経ネットワークの形成に必須な遺伝子を同定しました。脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長) シナプス分子機構研究チームの吉原良浩チームリーダー、宮坂信彦研究員らと同センター発生遺伝子制御研究チーム、米国・ユタ大学との共同研究による成果です。
 においの源から発せられた化学物質(におい分子)は鼻の奥にある嗅細胞(※1)によって受け取られ、その情報は軸索と呼ばれる神経線維を介して脳に伝えられます。多種多様な「におい」を識別するためには、鼻と脳を結ぶ精密な神経配線の形成が必要です。嗅覚はほぼすべての動物にとって、食行動、危険回避行動、生殖行動などの生命活動に重要な役割をはたしていますが、嗅覚神経ネットワーク形成の分子メカニズムはほとんど解明されていませんでした。
 今回の研究では、モデル動物である熱帯魚ゼブラフィッシュの嗅細胞を蛍光タンパク質で可視化し、軸索の伸長過程を生きたまま詳細に観察しました。その結果、発生初期にだけ嗅細胞に発現する遺伝子Robo2(※2)がその軸索を脳の嗅球という領域まで正しく道案内することを突き止めました。さらに、嗅細胞は生涯を通じて何度も生まれ変わることが知られていますが、Robo2の機能を欠損したゼブラフィッシュ変異体では、成魚でも鼻と脳を結ぶ神経配線に異常があることを発見しました。
 これらの結果は、Robo2遺伝子が鼻と脳を結ぶ最初の神経接続に必須であり、この発生初期段階での神経接続は、新たに生まれてくる嗅細胞が正しい神経配線を構築するための「足場」となることを示しています。今後この遺伝子の解析が進むことで、嗅覚のみならず脳の神経ネットワーク形成の分子メカニズムの解明に貢献するものと期待されます。
 本研究成果は英国の科学雑誌「Development (オンライン版)」(2月25日付け)に掲載されます。


1. 背 景
 嗅覚はほぼすべての動物において、外界の情報を関知するセンサーとして、食行動、危険回避行動、生殖行動などの生命活動に重要な役割を果たしています。「におい」の成分である様々な化学物質(におい分子)は、鼻の奥に存在する嗅細胞によって受け取られます。においの情報は嗅細胞の神経線維(軸索)を介して脳の嗅球という領域(におい情報の最初の処理中枢)に伝えられます。多種多様なにおいを識別するためには、鼻と脳の間に精密な神経配線を構築することが必要です。
 2004年のノーベル医学生理学賞は、嗅細胞に発現する「におい分子受容体遺伝子」(※3)を発見したLinda Buck博士とRichard Axel博士に送られました。両博士の発見が契機となって、においの受容機構と鼻から脳への神経配線様式の理解はこの15年で飛躍的に進みました。しかしながら、鼻と脳を結ぶ精密な神経配線がどのような分子メカニズムによって形成されるのかについてはほとんど解明されていませんでした。
 魚類は嗅覚系が発達しており、古くから脊椎動物のよいモデルとしてにおい受容機構の解明に大きく寄与してきました。また、発生生物学の分野でよく用いられてきた熱帯魚ゼブラフィッシュが、近年、神経生物学の分野でも注目されるようになりました。ゼブラフィッシュは多産で、卵は体外で受精、発育します。しかも稚魚の体は透明なので、体の内部の発達過程を生きたままで観察することができます。さらに、遺伝子工学的および遺伝学的な手法を用いることで、特定の神経細胞を蛍光タンパク質によって可視化したり、特定の遺伝子の機能を阻害することが可能です。私達は、この優れたモデル動物ゼブラフィッシュを用いて、鼻から脳への神経ネットワーク形成の分子メカニズムについて解析を行いました。


2. 研究手法
(1) 嗅細胞で蛍光タンパク質を発現する遺伝子導入ゼブラフィッシュの作製
 蛍光タンパク質を嗅細胞で発現する遺伝子導入ゼブラフィッシュを作製しました(図1)。この遺伝子導入ゼブラフィッシュの稚魚では、共焦点レーザー顕微鏡を用いて嗅細胞の軸索が鼻から脳へと伸びていく過程を生きたまま詳細に観察することができます。
(2) Robo2機能欠損変異体の解析
 これまでRobo2遺伝子がゼブラフィッシュの稚魚の鼻に発現することが報告されていましたが、この遺伝子が鼻と脳の間の神経回路形成に関与するかどうかは分かっていませんでした。私達はRobo2機能欠損変異体astray (“道に迷う”の意味)と嗅細胞を可視化した遺伝子導入ゼブラフィッシュを交配して、鼻から脳へ軸索が伸長する過程を詳細に解析しました。


3. 研究成果
(1) Robo2遺伝子は発生初期の鼻と脳を結ぶ神経接続に必須である
 私達はまずRobo2遺伝子が嗅細胞で発現する時期を詳細に解析しました。その結果、Robo2 遺伝子は発生初期の軸索伸長期に一過的に発現することが明らかとなりました(図2)。また、Robo2変異体で嗅細胞の軸索伸長過程を解析した結果、軸索が目的地である脳の嗅球に到達できず、本来の道筋からそれて脳の他の部位に侵入してしまうことを発見しました(図3)。これまでにRobo2はSlitと呼ばれる分泌タンパク質の濃度勾配を感知して、軸索をSlitタンパク質から遠ざけるように働くことが知られていました。そこでSlit 遺伝子の発現領域を解析したところ、軸索が嗅球へと向かう通り道の周囲を取り囲むように発現していることが明らかになりました(図4)。
 嗅細胞の軸索を「船」に例えれば、Robo2は道先案内人です。複雑な入り江には幾つもの岩礁(Slit)があり、その岩礁の位置を見極めて船を目的地まで正しく導くのです。道先案内人であるRobo2が機能しない変異体“astray”では目的地までの正しい経路を見失い、その名の通り“道に迷って”しまうのです。
(2) 発生初期の神経接続が足場となり、その後の正しい神経配線が構築される
 嗅細胞は神経細胞の中でも例外的に、生涯を通じて何度も生まれ変わることが知られています。嗅細胞でのRobo2の発現は発生の初期に限られているので、Robo2変異体での神経接続の異常はその後に修復されることが予想されます。ところが、私達はRobo2変異体の成魚でも鼻と脳の神経配線に異常があることを発見しました(図5)。この神経配線の異常は発生初期の神経接続異常と相関することから、私達は「発生初期の神経接続は、新たに生まれてくる嗅細胞が正しい神経配線を構築するための足場となる」というモデルを提唱しました。


4. 今後の期待
 私達の研究結果は、Robo2 遺伝子が発生初期に鼻と脳を結ぶ神経接続に必須であることを示すと共に、「発生初期段階での神経接続が後の精密な神経配線を構築するための足場となる」というモデルを提唱しました。このモデルは嗅覚系に限らず他の脳神経系にも適用できる可能性があり、今後、嗅覚系におけるRobo2遺伝子の機能をさらに詳しく解析することで、神経回路形成の共通メカニズムを解明する大きな手がかりになることが期待されます。
 また、最近、Robo2と同様の構造を持ったRobo3 がヒトのHGPPS症候群(脊柱側彎をともなう水平注視麻痺症候群)※4の原因遺伝子であることが報告されました。Robo3はRobo1およびRobo2と機能的に相互作用することが知られており、私達の解析で明らかになった知見が疾患の発症メカニズムの解明に貢献することも期待されます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チーム
  チームリーダー  吉原 良浩

Tel: 048-467-1699 / Fax: 048-467-2306
  研究員  宮坂 信彦

Tel: 048-467-9674 / Fax: 048-467-2306
 脳科学研究推進部吉垣 聡子

Tel: 048-467-9596 / Fax: 048-462-4914

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9271 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 嗅細胞
鼻の奥に存在し、におい分子を受容する神経細胞。においを受容した嗅細胞は神経 線維(軸索)を介して、におい情報を脳の嗅球という領域に伝達する。
※2 Robo2
RoboはRoundabout(“回り道”の意味)の略。神経細胞の軸索の膜上に存在し、分泌タンパク質Slitを認識する受容体タンパク質。ショウジョウバエで最初に発見された。現在、Robo1〜3まで3種類発見されている。
※3 におい分子受容体遺伝子
鼻腔に入ってきた「におい分子」を認識する受容体。嗅細胞に発現している。多種多様な「におい分子」に対応できるように、マウスでは約1,000種類、ヒトでは約350種類、魚では約100 種類がゲノム上に存在している。
※4 HGPPS症候群(進行性脊柱側彎を伴う水平注視麻痺症候群):
HGPPS症候群では、眼球運動に関与する脳の神経配線に異常があり、眼球を左右に動かすことができない。また背骨の横方向への彎曲を伴うが、これについては脳神経の異常によるものかどうか明らかになっていない。


図1 遺伝子導入ゼブラフィッシュの蛍光顕微鏡写真
左図: 嗅細胞を蛍光タンパク質で可視化した遺伝子導入ゼブラフィッシュの稚魚を側方から観察。
右図: 成魚の頭部を背側から観察。嗅細胞が存在する“鼻”と嗅細胞の軸索が接続する脳の“嗅球”が緑色に光っている。


図2 ゼブラフィッシュの鼻でのRobo2遺伝子の発現
Robo2遺伝子(青)は受精後20~36時間の間に鼻で一過的に発現する(黒矢頭)。


図3 鼻から脳へ軸索が伸びる様子を生きたまま観察した共焦点レーザー顕微鏡写真
Robo2機能欠損変異体(右)では、発生初期の嗅細胞の軸索が本来の道筋からそれて、嗅球に到達できずに脳の他の領域に侵入している(黄矢印)。最下段の写真以外は顔の正面より観察。


図4 ゼブラフィッシュSlit遺伝子の発現パターンの概略図
Robo2が認識する分泌性タンパク質Slitはゼブラフィッシュでは4種類存在する。4種類のSlit遺伝子はそれぞれ異なるパターン(赤・黄・オレンジ・ピンク)で発現しているが、嗅細胞の軸索の通り道(緑)を取り囲むように発現している。


図5 Robo2機能欠損変異体の成魚での嗅覚神経配線異常
Robo2変異体の成魚でも鼻と脳を結ぶ神経接続様式に異常が認められる(矢印は異常な神経接続を示す)。正常個体では見られない嗅球内部を突き抜ける軸索の束も観察される(矢頭)。

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