プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
ES細胞から大脳前駆細胞の分化誘導
- 大脳関連疾患の新薬開発・再生医学への貢献に期待 -
平成17年2月7日
◇ポイント◇
  • ES細胞から分化誘導効率90%以上で神経細胞に分化誘導する系を樹立。
  • 生産が困難であった大脳前駆細胞の分化誘導に成功。
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、マウスES細胞を試験管内で、大脳前駆細胞に選択的に分化誘導する手法を世界で初めて開発しました。発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクター、渡辺毅一研究員らの研究グループによる研究成果です。
 すでに、笹井グループディレクターらは、PA6細胞という特殊な細胞が産生する因子を用いて、マウスおよびサルES細胞からドーパミン神経などの中枢神経系ニューロンを試験管内で高効率に分化させる方法(SDIA法)を開発しています。しかし、SDIA法を含めた既存の方法では脳幹の神経細胞は分化誘導することができましたが、脳の最も頭側に存在する大脳組織をES細胞から試験管内で効率よく産生することはできませんでした。
 今回の研究では、PA6細胞の産生因子を使わずに、ES細胞の細胞塊を無血清培地で浮遊培養させることで、効率よく神経細胞に分化させる系をまず樹立しました(SFEB法)。さらにWnt とNodalという神経細胞への分化を抑制する2つの因子の活性を一時的に阻害することで、ほぼ選択的に神経細胞に分化誘導できる(9割以上)ことが示されました。
 解析の結果、SFEB法でES細胞から産生された神経細胞はこれまで産生が困難であった大脳の前駆細胞であることが明らかになりました。さらにいくつかの増殖因子を作用させることにより、この大脳前駆細胞から大脳皮質や大脳基底核などの細胞を試験管内で分化誘導することに成功しています。
 この研究により、従来不可能であった試験管内での大脳神経細胞の大量産生が可能になりました。今後ヒトES細胞に応用することにより、大脳の変性疾患(ハンチントン病やアルツハイマー病など)の発症機序の解明や大脳疾患の治療法開発に大きく貢献することが期待されます。
 なお、この研究は京都大学、大阪市立大学、東京大学の研究者との共同研究で進められ、理化学研究所でのミレニアムプロジェクト研究を基盤に、主に文部科学省リーディングプロジェクト「再生医療実現化プロジェクト」の支援 を受けて展開したものです。一部に文部科学省「知的クラスター創成事業」の成果も含んでいます。
 この成果は米国の科学雑誌『Nature Neuroscience』のウェブサイト上のアドバンス・オンライン・パブリケーション(AOP・2月6日付、日本時間2月7日)に発表されます。


1. 背 景
 ヒトを含めた哺乳類動物の中枢神経系は頭部から尾部に向かって、大きく大脳、間脳、中脳、小脳、延髄および脊髄などの部位に分類されますが、どの部位でも中枢神経系のニューロンは非常に再生能が低く、一旦障害されると自然には回復しにくいことが知られています。そのため障害されたニューロンと同じ細胞を移植し補充する、神経細胞移植がパーキンソン病の治療などで注目されています。それに使う神経細胞を幹細胞などから作る、いわば「神経細胞パーツ化」の技術開発も重要な課題の1つです。本グループではこれまでの研究で、マウスや霊長類のES細胞から中脳のドーパミン神経細胞を試験管内で産生する技術(SDIA法:Stromal cell-Derived Inducing Activity)を樹立してきました。その成果の一つとして、最近では京都大学との共同研究によるカニクイサルのパーキンソン病モデルでの細胞移植治療の成功が報告されました。
 SDIA 法ではES細胞をPA6細胞というマウスの骨髄由来の細胞と一緒に培養することで、神経細胞への分化をほぼ選択的に誘導することができます。既にドーパミン神経細胞以外にも運動神経、知覚神経、網膜色素上皮細胞などの分化への応用も成功しています。しかし、本グループの予備的な実験から、大脳などの中枢神経系の最も頭側に発生する神経組織(発生学的には終脳Telencephalonという)の分化誘導は、SDIA 法を初めとする既存の方法では稀にしか起こらないことが明らかになってきました。
 そこで、今回、細胞分化・器官発生研究グループの渡辺研究員らはSDIA法とは異なる新しい神経分化誘導法(SFEB法:Serum-free Floating culture of Embryoid Bodies-like aggregates)を樹立し、これを用いてES細胞からの大脳前駆細胞の分化、および大脳皮質、大脳基底核などの神経細胞の分化誘導を可能としました。


2. 研究手法と成果
(1) 新規のES細胞分化誘導法SFEB法による試験管内での高効率の神経細胞産生
 フィーダー細胞※1(PA6細胞などのES細胞の増殖・分化を助ける細胞)の非存在下に、特別な無血清培養液と浮遊凝集塊培養(細胞の小さい塊を培養液に浮遊させて培養)を組み合わせることにより、マウスES細胞から80%程度の高い効率で神経細胞を5日間以内に分化誘導する系を最初に樹立しました。さらにES細胞の内在性のWntとNodalという分泌因子(神経分化を抑制する因子)の活性を阻害剤によって培養開始後5日間一時的に低下させることで、分化誘導効率を90%以上に上げることに成功しました。
(2) SFEB法による大脳前駆細胞の分化誘導の成功
 従来のES細胞の分化誘導法では1〜2%程度の効率でしか大脳前駆細胞を産生することはできませんでした。しかし、内在性のWntとNodalの阻害剤存在下にSFEB法でES細胞から分化させた神経細胞は、そのマーカー遺伝子やマーカー抗原(BF1など)の解析から、約4割という高い効率で大脳前駆細胞を含んでいることが明らかになりました。こうした選択的な大脳組織の分化誘導成功は世界初の報告です。
(3) SFEB法による大脳皮質、大脳基底部の神経細胞産生の成功
 さらにSFEB法で得られた大脳前駆細胞に可溶性シグナル因子を加えることで、大脳の中の異なった領域組織を分化誘導することに成功しました。胎児期の大脳は背側から腹側に向かって、大きく大脳皮質、大脳基底部(基底核および終脳茎部)の神経領域が発生しますが、これらの分化は各領域を区別するマーカー抗原(Pax6, Gsh2, Nkx2.2など)を用いて解析することができます。今回、胎児期の大脳の各領域の発生を制御することが示唆されている可溶性シグナル因子を加えることで、大脳の領域分化を試験管の中で再現することに成功しました。例えばSFEB法で得られた大脳前駆細胞にShhという可溶性シグナル因子を培養開始4日目から作用させると、大脳基底部の前駆細胞を高効率に産生することができました。一方、培養開始6日目からWnt3aという可溶性シグナル因子を作用させると培養開始10日目には約8割の細胞が大脳皮質の前駆細胞になりました。このような、皮質などの特定の大脳領域の細胞を効率よくES細胞から試験管産生する純粋な系の樹立の成功は、世界で初めての報告です。
(4) SFEB法による線条体神経細胞の試験管内産生
 大脳基底核の中の大きな部分を占める線条体は重要な運動制御中枢であり、ハンチントン病では直接的に、パーキンソン病では間接的に障害をうけることがそれらの主症状を惹起します。今回、SFEB法とShh処理を組み合わせた培養条件を用いて、培養開始20日目で線条体神経細胞の分化誘導を確認しました。遺伝子発現解析で線条体神経細胞のマーカーであるFoxp1やNolz1の強い発現を認めました。また大阪市立大学医学部(渡辺恭良教授)との共同研究で、この条件下に2割の神経細胞がGABAという線条体神経細胞と同じ神経伝達物質を産生していることも確認されました。ES細胞からの線条体神経細胞の試験管内産生は世界で初めての報告です。
 また、アルツハイマー病の症状とも関連の深いマイネルト腹側核の前駆細胞であるBF1陽性Islet1陽性の神経細胞(無名質細胞)も今回の研究で試験管内産生ができることが示されました。


3. 今後の展望
 今回の研究では、従来困難であった大脳神経細胞の産生をES細胞から効率よく行うことができることが示されました。基礎的な研究の面での次の段階の課題は、1)SFEB法を用いた哺乳類の大脳発生機序の解明、2)大脳の各部位に存在する、さらに成熟したニューロン(例えば大脳皮質の運動野の主要ニューロンなど)をSFEB法で産生した大脳前駆細胞から正確に分化誘導できるようにすること、3)大脳皮質の組織形成の試験管内での再現、などです。
 応用面の観点からは、(今回はマウスのES細胞を用いての研究でしたが)今後サルやヒトのES細胞へ適用することで、これらの細胞からの大脳神経細胞産生も同様に可能になると考えられます。これによりES細胞を無尽蔵な大脳細胞供給源として利用することが期待されます。特にヒトES細胞に適用した場合、2つの方向での医学研究への貢献が考えられされます。一つめは大脳関連疾患に対して発症機構の解明や新薬の開発です。例えば、アルツハイマー病や狂牛病などの発病メカニズムを試験管内で研究するために大脳細胞を用意することや、脳梗塞や変性疾患などでの神経死や機能障害を抑える薬の開発などに役立つと期待されます。もう一つは大脳関連疾患に対する再生医学研究です。例えば、ハンチントン病(本邦では100万人に4人程度の発症頻度だが、欧米ではその十倍以上)は線条体神経細胞の変性によって引き起こされる不随運動を主徴候とする遺伝病です。現在までのところ、ハンチントン病に対する神経細胞移植治療の試みはほとんど進んでいません。今回の研究の展開で線条体神経細胞が容易に試験管内で産生できるようになれば、今後の研究に進展を生む可能性があります。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所 神戸研究所
 発生・再生科学総合研究センター 細胞分化・器官発生研究グループ
  グループディレクター         笹井 芳樹

Tel: 078-306-1841 / Fax: 078-306-1854

  研究推進部               田代  聡

Tel: 078-306-3005 / Fax: 078-306-3039

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 フィーダー細胞
増殖や分化を起こす細胞の培養条件を整えるために、補助役を果たす他の細胞種のこと。通常フィーダー細胞は増殖しないようにあらかじめガンマ線照射や抗生物質によって処理される。ES細胞の場合は、マウス由来の線維芽細胞が使われるが、実験の目的や細胞によってさまざまな細胞種がフィーダー細胞として用いられている。


図1 SFEB法によるES細胞からの神経分化誘導


図2 SFEB法による大脳前駆細胞の産生


図3 SFEB法によって産生された大脳前駆細胞(左図)
 (大脳前駆細胞はBf1マーカー陽性で図では赤色の細胞;右図はマウス胚の脳の傍正中断面)


図4 SFEB法による大脳皮質の前駆細胞の試験管内産生(左図)
(大脳皮質の前駆細胞はBf1, Pax6マーカー両陽性で図の黄色の細胞;右図はマウス胚の横断面)


図5 SFEB法によって産生された大脳基底部(線条体)のGABA産生ニューロン

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