プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
脳の左右差の形成機構を分子レベルで解明
- 右脳と左脳の情報を個別に処理する神経回路を同定 -
平成17年1月20日
本研究成果のポイント
  • 右脳と左脳の神経情報が非対称な神経回路を介して伝搬することを発見
  • 左右非対称を示す神経回路の形成機構を分子レベルで解明
  • 左脳と右脳の機能差解明の手がかりに
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、モデル動物ゼブラフィッシュ(※1)を用いて、左右の神経情報を伝搬する神経回路とその形成機構を分子レベルで解明しました。脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)神経分化修復機構グループ、発生遺伝子制御研究チームの岡本仁グループディレクター、相澤秀紀研究員らとロンドン大学との共同研究による研究成果です。
 これまで脳の左右差はヒトの言語機能が主に左大脳皮質に局在することからヒトに特有の現象と考えられてきました。神経情報が脳の左右に分かれて入力され処理される脳の左右非対称性は高次脳機能の神経機構に重要な役割を果たすと考えらますが、動物実験の難しさから分子レベルでの解明が全く明らかにされておりませんでした。今回の研究では、発生生物学や遺伝学の分野でモデル動物として注目される小型淡水魚ゼブラフィッシュを用いることにより、これまで謎とされてきた左右の神経情報の伝搬様式を明らかにしました。研究チームは、情動と深く関わるとされる手綱と呼ばれる脳の部位で、神経回路に左右非対称性があることを発見し、その形成機構を明らかにしました。
 これらの成果は、左脳と右脳の神経情報が異なった神経回路を経て処理される過程を世界で初めて解明する研究成果で、今後このようなモデル動物を用いた研究によって、脳の左右がどうして異なった機能を持っているのかを知る有力な糸口を切り開きました。
 本研究成果は米国の科学雑誌『Current Biology(オンライン版)』(1月20日付け)に掲載されます。


1. 背 景
 左脳と右脳に異なった機能が局在することは脳の左右差や脳の非対称性として広く知られ、その意義や神経機構を研究することは高次脳機能を理解する上で不可欠と考えられます。脳の左右差はヒトに利き手があることや言語野が左大脳半球に局在することから長い間ヒトに特有の現象と考えられてきたため、モデル動物を用いた分子レベルでの詳細な検討はなされていませんでした(図1)。しかし、近年の脳科学研究によりこの現象は魚類からヒトまで広くみられるものであることが明らかとなっており、大脳辺縁系のような大脳新皮質以外の部位においても機能的左右差が示されています。このように脳の非対称性はヒト脳に固有の特徴ではなく、現在では動物の神経系に広く見られるものと考えられています。例えば魚類、両生類、鳥類などでは特定の行動に対して片側の脳を優先的に使うことが示されています(図2)。このように、近年の研究結果は左右の脳で行われる情報処理様式は進化的に保存されていることを示唆しています。
 それにも関わらず、現時点でこのような脳の機能的非対称性を説明する神経結合パターンについては驚くほど分かっていません。例えば、感覚情報を司る脳の部位から左右の情報がどのようにして運動系の脳部位へと伝えられてくのかについては全く知られていません。運動が体の左右で対称に分布する運動神経細胞によって制御されるには、大脳で左右非対称に処理された神経情報が、下位の左右対称な神経構造へと伝搬される必要があります。しかし、脳のどこで、どのようにしてそのような変換が行われているのかは全く分かっていません。我々はこの問題について、胚の透明性や確立された遺伝学的手法を持つゼブラフィッシュを用いて左右差を示す手綱核(たづなかく)という脳の部位について解析しました。
 手綱核は魚類からヒトまで共通して存在する大脳辺縁系の一部です。手綱核は、意欲や気分などの調節に重要なセロトニンやドーパミン神経系の活動を調節する中枢として知られ、その障害は睡眠覚醒リズムの異常や薬物依存・統合失調症の発症などに関与するといわれています。


2. 研究手法
1)細胞の可視化方法
 まず左右の神経回路を個別に標識するため2つの異なった蛍光色素(DiIとDiA)を用いました。さらに神経結合の様子を生きた動物で可視化できるように特定の神経細胞特異的に蛍光蛋白の遺伝子を発する遺伝子導入魚を作成し、ラベルされた細胞が脳のどの領域と連絡しているのかを調べました。ゼブラフィッシュは発生時期を通じて脳組織の透明性を保持し、ほぼ原型のまま複雑な神経回路網の発達を観察することができます。また、発生早期に手綱核原基に左右非対称に発現するLefty1という遺伝子の発現パターンを蛍光蛋白により生きた胚で観察できる遺伝子導入魚を作成しました。これにより遺伝子操作された胚の脳が「右利き」なのか「左利き」なのかを生きた状態で判別し、その影響をさらに発達した稚魚で調べることを可能にしました。

2)内臓逆位を示す突然変異体の単離
 これまで左右軸の形成機構は心臓や肝臓といった内臓の非対称性の研究からNodalという遺伝子を中心とした一連の遺伝子が重要な役割を果たすことが知られてきました。しかし、これらのメカニズムと脳の左右差との関係についてはほとんど分かっていませんでした。我々は内臓逆位を示す突然変異体about-face(“回れ右”の意味)を単離し、上記の遺伝子導入魚と組み合わせることにより左右軸形成にみられる異常が脳の左右差形成にどのように影響するかを調べました。


3. 研究成果
1)左右の手綱核の神経結合は左右非対称に構成されている
 脳のほとんどの部位は手綱核と同様に左右一対ありますが、手綱核が結合する標的は脚間核とよばれる部位で、正中に一つだけ存在します。蛍光色素を用いた標識実験により左右の手綱核の神経結合パターンを調べてみると、左右で異なったパターンを示すことが明らかとなりました。すなわち左手綱核は主に脚間核の背側と結合し、右手綱核は主に脚間核の腹側と結合して背腹軸に沿って左右の情報が変換されていることが示唆されました(図3)。さらに遺伝子導入魚を用いた実験から手綱核は内側亜核(図3赤の部分)と外側亜核(図3緑の部分)というさらに細かい領域に分けられ、領域間の比率に左右差が生じることで左右非対称な神経結合が構成されていました。これまで神経系では脳の様々な部位の間に対応関係があり、網膜から脳への対応関係であるレチノトピー(retinotopy)や触覚などの体性感覚から脳への対応関係ソマトトピー(somatotopy)などが知られています。今回発見された神経結合の対応関係は左右の情報を伝搬することから側方向を示すlatero-と場所を示す-topyを組み合わせてラテロトピー(laterotopy)と名付けました。

2)非対称な神経結合の形成機構
 内臓の位置は胚発生の初期に将来筋肉などになる左側の中胚葉のみで一過性に分泌性のシグナル伝達分子Nodalが発現することが重要な役割を果たすといわれています。ゼブラフィッシュではこれらの遺伝子が発生の一時期に一過性に左手綱核原基にも発現します。これらと手綱核の神経結合形成の関係を調べるため、Nodalシグナルの発現に異常を示す(右側に発現したり全く発現しなかったりする)変異体での手綱核神経結合を詳細に検討しました(図 2)。その結果、Nodalシグナルの発現パターンと手綱核神経結合パターンには規則性があり、左右どちらか片側に発現した個体では神経結合は発現した側に偏ったパターンを示しますが、全く発現しなかったり両側に左右対称に発現した場合には、神経結合が左右どちらに偏るかは個体により様々でランダムになっていました(図3)。これらの結果より手綱核神経結合が同一種内で一貫した左右差を形成するためには発生早期のNodalシグナルが重要であることが明らかとなりました。


4. 今後の期待
 我々の結果は右脳と左脳にコードされた神経情報を背腹軸に沿って両側性に変換する回路を明らかにし、左右非対称な脳部位が対称な脳部位と連絡するシンプルなメカニズムを示したものです。これまで脳の左右非対称性の研究では、ヒト大脳皮質領域に関するものが大半を占めており、モデル動物を用いた分子レベルでの研究はまだ始まったばかりです。手綱核は魚類からヒトまで共通して存在しており、意欲や気分などの情動機能の調節に重要なセロトニンやドーパミン神経系の活動を調節する上位中枢として注目されています。今後、ゼブラフィッシュのようなモデル動物を用いて分子生物学的な解析を行うことで脳神経回路の左右差と脳の機能的左右差の関係が解明されると期待されます。


(報道担当・問い合わせ先)
(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター 発生遺伝子制御研究チーム
チームリーダー  岡本 仁

Tel: 048-467-9712 / Fax: 048-467-9714
(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9271 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 ゼブラフィッシュ
ゼブラフィッシュ(Danio rerio)は小型熱帯魚で、飼育が容易、多産、世代交代期間が短いなどの特長を持ち、モデル実験動物として発生生物学の実験などに用いられている。


図1 ヒトにおける右脳と左脳の機能的差異
右の視野にあるものを見たときの神経情報の流れを示した図です。右視野の視覚情報は主に後頭葉と呼ばれる部位にある左視覚野に伝えられます。その後ものの名前などの言語処理の情報は主に左前頭葉にある言語野で行われ、ものの空間的な位置把握などの情報は、視覚情報が脳梁とよばれる左右の大脳半球を連絡する神経線維により右脳へと運ばれて処理されます。


図2 脊椎動物に広く見られる脳の左右差
視覚刺激に対する行動にみられる脳の左右差は魚類や両生類、鳥類など進化を通じてみられることが分かってきました。例えば、ゼブラフィッシュでは図のような水槽に放し、水槽内の小部屋にビーズを提示します。はじめてビーズを見るときは、どのように反応すべきか注意深く調べるために右眼を好んで使う傾向があります(MiklosiとAndrewにより1999年に発表された研究)。


図3 ゼブラフィッシュの手綱核神経結合の模式図
ゼブラフィッシュ成体脳を背側から見た模式図で、図上部が魚の前側に相当します。左右一対の手綱核は赤で示される外側亜核と緑で示される内側亜核に分けられそれぞれ異なった結合パターンを示すことがわかりました。この亜核の構成は比率が左右で異なり、左側では外側亜核が大きいのに対して右側では内側亜核の方が大きくなっています。一方結合標的の脚間核は正中に一つだけ存在し、そこに手綱核からの左右の神経情報が背腹軸に沿って結合することにより左右非対称な神経回路が形成されていました。


図4 Nodalシグナルと手綱核神経結合の関係
正常な内臓位置を示した個体(A, C, E)及び内臓逆位を示した個体(B, D, F)を背側から観察した図です。(A, B)蛍光蛋白を遺伝子導入した受精後28時間後のabout-face変異体を用いてNodalシグナルを生体内で可視化しました。(A)は内臓が正常位置の個体でNodalシグナルを示す蛍光蛋白が手綱核原基の左側のみに発現します。それに対して内臓逆位を示すabout-face変異体(B)ではNodalシグナルを示す蛍光蛋白が右側に発現しています。(C, D)受精後4日目に左側手綱核に強く発現するマーカー遺伝子leftoverの発現もNodalシグナルと同じ側に発現し、左右差の方向が逆転している様子が観察されました。(E, F)受精後4日目における手綱核からの神経結合パターンを示しています。左側の神経線維が緑、右側の神経線維が赤で標識されています。正常な内臓位置を示しす個体では左側からの神経線維が右側からの神経線維の背側に位置しています(E)。内臓逆位を示す個体ではその神経結合パターンが逆転しています。


図5 Nodalシグナルの発現パターン(上段)と手綱核神経結合パターン(下段)の関係
Nodalシグナルが左側に発現した胚(上段左)は必ず正常な神経結合パターン(下段左)を示すのに対して、Nodalシグナルが右側に発現した胚(上段右)は正常に対して逆転した神経結合パターン(下段右)を示しました。一方Nodalシグナルが両側に発現した胚(上段左から2番目)や全く発現しなかった胚(上段右から2番目)は神経結合パターンについて正常型と逆転型が約半数ずつ現れ、その決定がランダムになっていることが示されました。このことから同一種内で正常な神経結合形成を維持するには左側に偏ったNodalシグナルが必要となることが分かります。

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