プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
国立大学法人東京大学
よたよた反陽子の大量蓄積
- 反物質科学への新たな一歩 -
平成17年1月14日
◇ポイント◇
  • RFQ減速器と大容量多重電極トラップを組み合わせ、反陽子の蓄積効率を大幅に改善。
  • 物理学における、基本的な対称性の高感度テスト実現に向けた重要なステップ。
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と東京大学(佐々木毅総長)のグループは、500万個に及ぶ冷たい反陽子を蓄積することに成功しました。山崎原子物理研究室の山崎泰規主任研究員(東京大学教授)、黒田直史協力研究員、東京大学小牧研一郎教授、鳥居寛之助手らの研究成果です。
 極低温の反陽子は、反水素(反陽子と陽電子の結合状態)や反陽子原子など、反物質の世界を研究するために無くてはならない“素材”ですが、物質との反応性が高く、大量に蓄積することはこれまでほとんど不可能でした。今回、高周波四重極減速器(RFQD: Radio Frequency Quadrupole Decelerator)と大容量多重電極トラップを組み合わせ、反陽子蓄積効率を一気に50倍改善しました。これは反水素原子の大量合成への第一歩であり、反水素原子の性質を水素原子と高精度で比較することにより、自然の最も基本的な対称性(CPT対称性)について重要な知見を得ることや、反物質の重力に対する反応を調べるなど、これまで大変困難であった基礎物理実験を可能にする重要な成果です。
 極低温を作る反陽子の冷却剤としては、極低温の電子プラズマが用いられました。この電子プラズマの振る舞いから、反陽子の冷却されていく様子もリアルタイムで観測することが出来ました。さらに、これまでより3桁もエネルギーの低い超低速の反陽子ビームを生成することにも成功しました。
 本研究の成果は、米国の科学雑誌『physical review letters』のオンライン版(1月17日)に発表され、1月21日号に掲載されます。


1. 背 景
 最も簡単な反物質は、反陽子*1と陽電子*2が結合した反水素*3です。この反水素原子の性質を詳しく観測し、水素原子と比べることにより、我々の住む物質の世界と、反物質で構成される世界が同じか違うか、さらに違うとすればどのように違うのか(対称性と呼ばれます)を探ることが出来るようになります。このような対称性はそれ自身で大変興味深い基礎物理学の研究対象ですが、同時に、我々の住んでいるこの宇宙がなぜ物質だけで出来ているのかについても基本的な情報を提供すると期待されます。
 このような自然の基本構造に関する研究は、大規模な加速器を用い、高いエネルギーの粒子同士をぶつけあう“乱暴”な手段によることが多いのですが、今回の研究では名実共に大変冷たい“よたよた”状態の反水素原子を用い、高い精度で水素原子とじっくり比較する事をねらっています。水素原子につきましては既に、基底状態(1S状態)からはじめの励起状態(2S状態)への遷移エネルギーは100兆分の1という大変高い精度で決定されています(図1参照)。陽子の持っている磁石としての性質(磁気モーメント)に関しましては、やはり図1に示しましたように、10億分の1の精度で決定されています。同様の実験が反水素についてもできるようになりますと、物質と反物質世界の対称性が格段に高い精度でテストできるというわけです。ですが、反水素はついこの間生成に成功したばかりで、分光は全くできていませんし、反陽子の磁気モーメントも1000分の1位の精度で分かっているだけです。水素原子と比較できるような実験を進めるには、先ず、その原材料である反陽子を大量に生成する必要があります。
 さらに、よたよたの反陽子が手に入りますと、いろいろな原子と混ぜ合わせてやることで、反陽子と原子が一緒になった反陽子原子という特異な原子を作ることもできます。反陽子はX線を出しながら、次第に原子核に近づき、ついには原子核の表面付近にいる陽子、あるいは、中性子に触れて消滅しますが、この消滅の様子をつぶさに観測しますと、原子核の表面付近には陽子が多いのか中性子が多いのか、あるいはどんな状態になっているのか、といった原子核の構造についての貴重な情報を得ることが出来ます。これにもふらふらの反陽子が大量に必要です。
 今回、RFQDと多重電極トラップを組み合わせた新しい手法を考案・開発し、これまでの50倍から数百倍に達する高い効率で反陽子を減速・捕捉することに成功しました。この成果をもとに、反水素の大量合成を進めると共に、水素原子との比較を通じて、CPT対称性*4のテスト、重力に対する反物質の応答研究、反陽子原子を用いた不安定原子核の核構造研究、などを系統的に進める計画です。


2. 研究手法と成果
 ジュネーブにあるヨーロッパ原子核研究所(CERN)では、数10億電子ボルトの反陽子をかき集め、これを確率冷却法や電子冷却法を駆使して“冷やし”、500万電子ボルトの“低速”反陽子ビームとして供給しています。これまでは、この5百万電子ボルトの反陽子ビームを厚めの薄膜に入射し、僅かに出てくるちょうど都合の良い10keV程度以下の反陽子を静電的に捕捉・冷却することにより冷たい反陽子を生成していました。この場合の捕捉効率は低く、99.9%の反陽子は無駄に捨てられていました。今回我々は、500万電子ボルトの反陽子ビームを先ず高周波4重極減速器(RFQD: Radio Frequency Quadrupole Decelerator)を用いて30%程度の効率で減速し、これを直接多重電極トラップに捕まえ、“よたよた”にする手法を開発しました。これにより、これまでの“厚膜法”に比べて50倍から数百倍の効率で反陽子を捕まえることが可能になりました。
 図2に、RFQDからの反陽子をどのようにしてとらえるかを模式的に示しました。図中の番号に沿って、簡単に説明します。
  1. 2.5Tの超伝導ソレノイド中に設置した多重電極トラップに電子をためておきます。このように高い磁場中では、電子はシンクロトロン放射によりエネルギーを失い、瞬く間に周りの温度まで冷却されます。
  2. RFQDからのパルス状反陽子を多重電極トラップに入射します。多重電極トラップの最下流電極に高い電圧をかけておきますと、反陽子はそこで跳ね返されます。次に、反陽子が多重電極トラップの最上流に戻ってくる前に、この最上流電極にも高電圧をかけますと、反陽子が多重電極内に捕まるというわけです。
  3. 捕まった反陽子は、その前からためられている電子との衝突を繰り返し、エネルギーを失います。エネルギーを受け取った電子は先ほどのシンクロトロン放射でやはりエネルギーを失いますので、しばらくすると反陽子も電子も共に冷える、というわけです。今回の研究では、電子の動きをモニターすることで、反陽子の冷却過程を実時間観測する事に成功しました。図3に電子プラズマの固有の振動数が反陽子を打ち込んだ後どう変化したかを示します(縦軸の周波数が温度に対応しています)。これから反陽子の冷却に数10秒かかっていることが分かります。これはモデル計算の結果と良く一致します。
  4. 次に冷却剤として用いた電子を反陽子から分離します。これで、反陽子を引き出す準備ができましたので、次には反陽子を捕まえている電位をゆっくりあげると反陽子が非常にエネルギーの低いビームとして引き出せるというわけです。少量ながら10eVの単色の反陽子を引き出すこともできました。これは反陽子が生成直後持っていたエネルギー、10億電子ボルト、から見ると実に1億分の一のエネルギーにあたります。図4に実験装置の写真を示します。


3. 今後の展開
 以上ご説明しましたように、10億電子ボルト以上で生成された反陽子をCERNの反陽子減速器(AD)でまず1000分の1に、RFQDで更に100分の1に、最後に、多重電極トラップで更に10000分の1以下へと冷却し、これまでより50倍から数百倍高い効率でよたよた反陽子を捕捉することに成功しました。このように大量の反陽子が手にはいるようになりましたので、これを用い、代表的な反物質である反水素や、物質と反物質の結合体である反陽子原子の大量生成への道が開けたことになります。今後、この大強度反陽子を用い、スピン偏極した反水素を合成してCPT対称性の高精度実験を進めると共に、反陽子不安定原子核原子の生成法を開発し、不安定原子核の核構造決定を進めたいと考えています。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 中央研究所 山崎原子物理研究室
  主任研究員   山崎 泰規

Tel: 048-467-9482 / Fax: 048-467-8497
  協力研究員   黒田 直史

Tel: 048-467-9428 / Fax: 048-467-8497

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 反陽子
陽子の反粒子で、質量、スピンは陽子と同じですが、電荷、及び、磁気モーメントは逆符号になっています。1955年、Bevatronという加速器からの56億電子ボルトの陽子を用いて、Chamberlainらにより発見されました。
※2 陽電子
陽電子は、電子の反粒子で、質量、スピンは電子と同じ値を持ちますが、電荷及び磁気モーメントは、電子と逆符号です。また、電子と同様、物質を構成する素粒子の一つであり、レプトン数=1を持ちます。1929年にディラックにより理論的に予言され、この3年後、アンダーソンにより、宇宙線の中に発見されました。電子と出くわすと、光となって消滅(対消滅)してしまいます。そのため、物質中では、10-10秒という非常に短い間に消失してしまいます。
※3 反水素
反陽子(陽子の反粒子)と陽電子が水素様に結合した原子。物理学の標準理論を高精度で検証するための適した系として注目されています。
※4 CPT対称性
物理学において最も基本的だと考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転(P)、時間反転(T)の変換を同時に行うとすべての物理法則が不変になる。水素と反水素の振る舞いに違いが見つかればCPT対称性が破れていることになる。


図1.水素と反水素
下の表の上段は、水素原子の1S-2S遷移エネルギーを対応する周波数で表したもの。
反水素に対する実験はない。下段は磁気モーメント。


図2.よたよた反陽子を作る手続きの模式図


図3.反陽子を多重電極トラップに入射した後の電子プラズマの振動数変化
振動数が電子プラズマの温度に対応しており、ひいては反陽子がどのように冷却されたかについて、実時間情報を与える。


図4:実験装置の写真(@CERN)

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