プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
極低温陽電子の高効率蓄積に新方式
- 超高真空中への直接蓄積で反水素の大量合成や多価イオン冷却に新たな一歩 -
平成16年11月2日
◇ポイント◇
  • 陽電子を超高真空中に高効率で蓄積する手法を実現
  • 陽電子蓄積効率を一気に30倍以上向上
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、液体ヘリウム温度(10K)付近まで冷却した陽電子を、これまでより30倍以上も高い効率で、しかも極高真空中に蓄積することに、世界で初めて成功しました。中央研究所山崎原子物理研究室(山崎泰規主任研究員)大島永康協力研究員らの研究成果です。
 陽電子蓄積方法はこれまでも色々な方式が考案されてきましたが、今回の研究では、高密度電子プラズマを陽電子のエネルギー吸収剤として用いるというこれまでにない方法を考案・開発し、超高真空中でこれまでの最高記録を30倍以上上回る陽電子蓄積効率を実現しました。蓄積機構もほぼその全貌を解明し、更にいくつかの改良を施すことにより、効率をさらに10倍〜100倍向上できることも明らかにしました。
 陽電子は、陽電子放射断層撮影(PET:Positron Emission Tomography)などの医療診断や格子欠陥の高感度観測等の応用研究に広く利用されている比較的身近な反粒子です。本研究では、反水素の大量合成と基本的な対称性(CPT対称性)の探索や、極低温多価イオンビームの生成とナノ表面改質研究など、新しい陽電子利用法を視野に、極低温陽電子大量蓄積法の開発を進めてきました。
 本研究の成果は、米国の科学雑誌『physical review letters』(11月5日号)に掲載されます。


1. 背 景
 陽電子※1の超高真空中への大量蓄積は,反水素※2の大量合成や、極低温多価イオン※3の高速・高効率生成、ポジトロニューム(陽電子と電子の結合状態)の大量生成、表面ナノ構造の観測、反物質プラズマ生成とプラズマ診断などの先端基礎科学研究に道を拓く重要な研究で,様々な試みがこの20年ほどの間になされてきました。原子物理研究室では、反水素による自然の最も基本的な対称性(CPT対称性)の探索、低温多価イオンによるナノ表面改質、冷ポジトロニューム(陽電子と電子の結合状態)の大量生成と、レプトンのみからなる“原子”のボーズアインシュタイン凝縮(BEC)状態の実現※4、などを主テーマとして、極低温陽電子大量蓄積法の開発を進めてきました。
 これまでに実用化された陽電子蓄積法には,窒素ガス冷却法とポジトロニュームイオン化法があります。通常、陽電子は放射性同位元素22Naのベータプラス崩壊※5により放出されるものを利用します。この22Na線源強度3.7×107 Bq(=1mCi)※6あたりの陽電子の蓄積速度は、前者では毎秒10000個、後者では毎秒10個となっています。前者は窒素ガスを用いるため、陽電子蓄積装置内の真空度が悪く、蓄積の継続時間が100秒程度に限られるばかりでなく、超高真空を必要とする多くの研究との整合性に難がありました。一方、後者では、超高真空は維持できるものの、蓄積効率が低く、大量の陽電子を必要とする多くの研究には適用が困難でした。
 原子物理研究室では陽電子蓄積方式の開発研究をすすめ、上記2つの手法が抱えている欠点をいずれも克服できる新しい手法(電子プラズマ減速法)を考案しました。これまでのところ、22Na線源強度3.7×107 Bq(=1mCi)に対して毎秒360個の陽電子を超高真空中に蓄積することに成功しています。


2. 研究手法と成果
 本研究で開発した高密度電子プラズマ※7による陽電子蓄積法は、超高真空中に閉じ込めた高密度電子プラズマを陽電子のエネルギー吸収材として用いるため,超高真空との相性がよく、同時に陽電子を効率良く蓄積できます。実験装置の心臓部は、図1に示したように、多数の円筒電極を10μmの精度で同軸上に配置した多重リングトラップと均一な高磁場を与える超伝導ソレノイドコイルからなっています。陽電子や電子のような荷電粒子は、強い磁場のもとでは、磁力線に巻き付いて運動するため、実質的には磁場軸の方向にしか動けません。従って多重リングトラップを磁場と平行に置き、その中心付近で電位を低くなるようにしておきますと、荷電粒子は磁場軸の方向へも動くことができず、結局は真空中に壁もないのに閉じ込められることになります。特に、多重リングトラップ周辺を-260℃(10K)程度に冷却しますと、荷電粒子の閉じ込め領域を極高真空(大気密度の1/1016以下)に保つことができます。実験に用いた多重リングトラップの写真を図2に、超伝導電磁石の写真を図3に示します。
 陽電子の蓄積は,以下のような手順で行います。まず、図4(a)のように,電子ビームを磁場に沿って数秒間入射し,1010個程度の電子を多重リングトラップに捕獲します。電子は軽いため、5テスラの強磁場中では光を放射して(spring8などのシンクロトロン光放射と同じ原理です)0.1秒程度の時間で環境温度付近(摂氏-260度)にまで冷え、陽電子のエネルギー吸収材として働く高密度電子プラズマ(電子密度1011cm-3)になります。次に、図4(b)のように、低速陽電子源から引き出された陽電子ビームをソレノイド内に設置された減速板(タングステン単結晶の板)に入射すると、運動方向の揃った低エネルギー陽電子ビームが得られます。電子プラズマに入射された陽電子は、あたかも液体中を移動するボールのように、大きな摩擦を受け、たちまち止まってしまうというわけです。
 これまでのところ、陽電子ビームの発生に7.4×108Bq(=20mCi)の22Na線源を用いて毎秒1万個の陽電子が蓄積されています。従って、3.7×107 Bq(=1mCi)にたいして毎秒360個になりますが、これは、Psイオン化法が達成していたこれまでの超高真空中への陽電子蓄積効率を一気に30倍以上向上させるものです(図5を参照してください)。


3. 今後の展開
 この電子プラズマ法による陽電子の蓄積効率は、電子プラズマの性質と陽電子と電子プラズマの相互作用を取り入れた解析を行うことにより、ほぼ定量的に理解できることが明らかになりました。解析結果は、陽電子の蓄積効率がさらに一桁以上向上できることを示しています。
 このように超高真空中に高効率で陽電子を蓄積する手法が実現されたことにより、反水素の大量合成とそれを用いたCPT対称性の高精度実験、多価イオンの高効率減速と超低速多価イオンビームの生成、冷たいポジトロニュームの大量生成とそのボーズアインシュタイン凝縮研究などに新たな一歩を踏み出せることになりました。既に一部のテーマについては準備研究が進んでおり、成果も得られ始めています。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 中央研究所 山崎原子物理研究室
  主任研究員   山崎 泰規

Tel: 048-467-9482 / Fax: 048-467-8497
  協力研究員   大島 永康

Tel: 048-467-9483 / Fax: 048-462-4644

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 陽電子
陽電子は、電子の反粒子で、質量、スピンは電子と同じ値を持ちますが、電荷及び磁気モーメントは、電子と逆符号です。また、電子と同様、物質を構成する素粒子の一つであり、レプトン数=1を持ちます。1929年にディラックの相対論的電子論から導かれました。この様な反粒子の存在はディラック自身も困惑したようですが、この3年後、アンダーソンにより、宇宙線の中に発見されました。陽電子は電子に触れると、光となって消滅(対消滅)します。そのため、物質中では、10-10秒という非常に短い間しか存在することができません。
※2 反水素
反陽子(陽子の反粒子)と陽電子が水素様に結合した水素の反原子。反水素原子(反陽子と陽電子の結合状態)を大量合成し、水素原子とその性質を比較することにより、自然の最も基本的な対称性(CPT対称性)について重要な知見が得られると期待しています。
※3 低温多価イオン
多数の電子をはぎ取られた多価イオンは、量子電磁力学的性質や原子核構造など大変興味深い研究対象ですが、同時に、物質との反応性が極めて高く、物質の性質を全く新しい側面から明らかにできるエキゾチックなプローブでもあります。最近の研究から、多価イオン1個が物質の表面に安定したナノ構造を形成することも明らかになってきました。
※4 ボーズアインシュタイン凝縮
多数の原子を非常に低温にするとその波動性が顕著になり、互いに波が重なるようになります。これがボーズ統計に従う場合、すべての原子が同じ状態に落ち込むようになります。この様な状態をボーズアインシュタイン凝縮といい、いくつかの原子では既に実現されています。ポジトロニュームの場合、凝縮を起こす温度は原子より遙かに高いのですが、ポジトロニューム自身の寿命が短いため、冷却や高密度化に困難があり、未だ実現されていません。ポジトロニュームのボーズアインシュタイン凝縮を用いてコヒーレントなγ線を発生させる提案もなされています。
※5 ベータプラス崩壊
原子核中の陽子が中性子に変化し、その際、陽電子とニュートリノを放出するような原子核崩壊過程をいいます。22Na(ナトリウム)は、2.6年の寿命で、よりエネルギー的に安定な22Ne(ネオン)に変化しますが、その際、90%の確率でベータプラス崩壊をおこし陽電子が放出されます。
※6 Bq(ベクレル)とCi(キュリー)
1Bq (=2.7x10-11Ci)とは、放射能の強度を表す単位で、単位時間(1秒間)内に原子核が崩壊する数を表します。1mBq (=2.7x10-14Ci)の22Na放射性同位元素からは、毎秒1個ほどの陽電子が放出されます。歴史的には「キュリー」(Ci)が使用されてきましたが、放射線のSI単位系として、1989年より「ベクレル」(Bq)が適用されています。
※7 高密度電子プラズマ
電子だけからなる非中性のプラズマで、我々は今回の研究を進めるため密度1011cm-3の電子プラズマを生成しました。これはトラップされたプラズマとしては世界最高密度であるといわれています。高密度の非中性プラズマはそれ自体で大変興味深い研究対象となっています。


図1.陽電子蓄積装置(概念図)


図2.多重リングトラップ(写真)


図3.超伝導ソレノイド(写真)


図4:(a)高密度電子プラズマを形成する際の、軸上静電ポテンシャル分布
    (b)陽電子を蓄積する際の静電ポテンシャル分布図


図5:超高真空中への陽電子蓄積方法の比較図

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