プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
記憶形成における神経回路の形態変化の観察に成功
- クラゲの蛍光蛋白で神経細胞のつなぎ目を色づけ -
平成16年9月6日
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)、マサチューセッツ工科大学(Charles M. Vest総長)は記憶形成における神経回路の形態変化とそれを引き起こしている細胞骨格※1の可視化に成功しました。脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)、理研-MIT脳科学研究センターならびにピカワー記憶・学習研究センター(いずれも利根川進センター長)興奮性シナプス可塑性研究チームの林康紀ユニットリーダー、岡本賢一研究員と脳科学総合研究センター細胞機能探索技術開発チームの宮脇敦史チームリーダー、永井健治研究員との共同研究による成果です。
 かねてから記憶・学習に伴い神経回路が再構成される事が想定されていましたが、そのくわしい分子機構は不明でした。研究グループはアクチンと呼ばれる分子に着目しました。アクチンは筋肉に多量に含まれているだけでなく、すべての細胞に存在し、細胞を形作ったり、蛋白の場所を決めたりすることに関与しています。神経細胞ではアクチンは細胞同士が結合している部位であるシナプスに多量に存在しますが、それがどのように調節を受けるか、そしてそれが記憶形成に寄与するかははっきりしていませんでした。
 そこで、本研究ではアクチンの重合状態をクラゲから得られた蛍光蛋白質を利用して観察しました。その結果、学習時にはアクチンが重合し、同時にシナプスが大きくなる事、逆に忘却時にはアクチンが脱重合しシナプスが小さくなり、時にはシナプスそのものが失われる事が観察されました。この観察結果は、シナプスが大きくなったり小さくなったりする事で、回路での伝達効率が変わることを示唆しています。
 今回の研究は記憶形成における神経回路網の形成機構の解明に新たな知見を加えるとともに、将来的にはアルツハイマー病などによる記憶障害の治療にも役立つものと期待されます。
 本研究成果は、『Nature Neuroscience』(ネイチャー・ニューロサイエンス)オンライン版(9月5日付け:日本時間9月6日)に掲載されます。


1. 背 景
 哺乳動物には海馬と呼ばれる脳の部位があり、その障害で新たな記憶形成ができなくなる事から記憶形成を担っている場所として考えられています。海馬に短期間の強い刺激(例えば100ヘルツの電気刺激を1秒間)を与えると、その後数時間から数日の単位で神経細胞同士の信号の伝達効率(シナプス応答)が良くなる事が知られています。これを長期増強現象といいます。逆に低頻度刺激を長期間(例えば1ヘルツの電気刺激を15分間)行なうと伝達効率が減弱します。これは長期抑圧現象と呼ばれています。これらの現象は記憶の細胞レベルの現象としてこれまで研究されてきましたが、実際に神経細胞のネットワークのつなぎ目であるシナプス結合の構造が、長期増強や長期抑圧に伴いどのような変化するか、またその分子機構が何かは判っていませんでした。
 一方、アクチンという細胞の骨格として働く分子がシナプス後部に多量に存在する事が知られていました。しかし、アクチンの局在や重合状態がどのように神経活動に伴い調節されているかが判っていなかったので、記憶学習に能動的な役割を果たしているのかははっきりしていませんでした。しかし、アクチンは構造蛋白であるのと同時に様々な他のシナプス蛋白の結合部位ともなるので、それがどのように調節されているかを知る事はシナプスの構造と分子構築を考えるのにあたり必要不可欠です。


2. 研究手法
 そこで本研究ではシナプス可塑性に伴うアクチンの動態を二光子レーザー走査顕微鏡※2ならびに蛍光エネルギー共鳴移動法※3という技術を用い解析する事を試みました。二光子レーザー走査顕微鏡は非常に短いパルス幅のレーザーを使う事により、従来の共焦点顕微鏡では観察することができない脳の深部にある細かい構造を検出する事ができます。さらに、分子生物学的な手法を用いて目的の蛋白質をクラゲ由来の蛍光蛋白質(図1)と融合して神経細胞で発現させ、蛍光エネルギー共鳴移動法という技術を用いると、生きた細胞で蛋白質の相互作用の変化を観察する事ができます。本研究では、アクチンを蛍光蛋白質で標識し、アクチンの重合状態を観察できるようにしました。これらの技術により、生きている神経細胞の一つ一つのシナプスでアクチンが重合して繊維状になったり、逆に脱重合したりするところを観察できるようになりました。


3. 研究成果
この結果次の事が明らかになりました。
  1. 長期増強が起こる時にはアクチンが重合し、シナプスが大きくなることが判りました。この現象はかなり早く、刺激開始後数十秒で始まり終了後1時間近く維持されました。
  2. 長期抑圧が起こる時には脱重合が起こり、またシナプスが小さくなりました。また、長期増強と抑圧の中間の刺激頻度では一過性な変化が起きただけで10数分後には元に戻りました。
  3. アクチンの重合に伴い、シナプスに存在する他の分子もシナプスへ移行しました。これは重合したアクチンがその他の蛋白と結合する性質を持っているためと思われます。
 以上の結果から、アクチンの重合・脱重合がシナプス伝達の効率を双方向性に変えているという事が判りました。これは学習時にはアクチンが重合し、同時にシナプスが大きくなる事、逆に忘却時にはアクチンが脱重合しシナプスが小さくなり、時にはシナプスそのものが失われる可能性を示唆しているといえます。(図2)これまでの研究では既にあるシナプス分子がリン酸化酵素や脱リン酸化酵素によってどう修飾されるかに主眼がおかれていましたので、本研究で示されたシナプスの大きさ自体が双方向性に変化し、細胞骨格がそれを能動的に調節しているという概念は非常に新しいものです。


4. 今後の期待
 この研究から、アクチンからなる細胞骨格がシナプス可塑性に必要不可欠な働きをしている事が判りました。そのため、アクチンを調節する薬物は記憶障害などの薬として利用されることが期待されます。また、この研究でもちいられた蛍光エネルギー共鳴移動法を用いると、生きた細胞でアクチンの重合や脱重合を観察する事ができます。これを生きた動物で観察できるようになれば、学習時にどのシナプスで変化が起こっているかが判り、学習に必要なネットワークの解明に役立ちます。さらに、アクチンは神経細胞以外でも血管、消化管、気管などの収縮拡張を調節していますので、そういった器官に対する薬物(降圧薬や気管支拡張薬)のスクリーニングにも用いる事も期待されます。


(報道担当・問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9271 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 細胞骨格
細胞骨格とは、細胞に一定の形態を与えている構成要素のこと。例えば、アクチンと呼ばれる蛋白質が繋がった繊維である「アクチンフィラメント」も細胞骨格の一つ。蛋白質細胞内の構造上の骨組みは細胞骨格によって配置され、必要に応じてそうした配置は細胞骨格によってコントロールされ、細胞の有機的な活動を実現する。
※2 二光子レーザー走査顕微鏡
長波長(近赤外付近)のレーザー光をフェムト秒(1000兆分の1秒)レベルの極超短時間幅で間欠的に発光(点滅を繰り返)して二光子励起現象を生じさせ、それによって得られる蛍光信号で細胞内の動態を観察する。普通の顕微鏡よりも脳の深い部位にある構造がみられる他、本研究では、励起波長が自由に設定できる事を利用している。
※3 蛍光エネルギー共鳴移動法
蛍光エネルギー共鳴移動(FRET: Fluorescent Resonance Energy Transfer)とは、エネルギー供与体である蛍光蛋白質の励起エネルギーがエネルギー受容体である別の蛍光蛋白質へ移動する現象のこと。この現象をうまく利用することによって、生体分子間相互作用や生体分子構造変化を生きた細胞内でリアルタイムに観察することができる。


(図1)クラゲの蛍光蛋白で発光する神経細胞
右下の大きな構造が細胞体、そこから周囲に走っている繊維状の構造が樹上突起。
シナプスはそのさらに上にある突起状の構造で、そこで他の神経細胞からの入力を受ける。


(図2)シナプス伝達の変化
樹上突起の拡大。付着している小さな突起(丸く見える)がシナプス。
この細胞は、アクチンが重合すると赤く、脱重合すると緑から青に見える蛋白を発現している。
学習時にはシナプスが赤く大きくなった。また忘却時には緑になり小さくなった。このことから覚えたり忘れたりする時にアクチンが重合と脱重合する事によりシナプスの大きさを調節し、神経回路網の伝達効率を調節していると考えられる。

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