プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
大脳の形成を司る神経回路網の働きを同定
- 発達段階の抑制で決まる脳構造の個人差 -
平成16年3月12日
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、大脳の発達時期と典型的なコラム構造を司る特有の抑制性結合を初めて見出しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)神経回路発達研究チーム(ヘンシュ貴雄チームリーダー)による研究成果です。
 大脳皮質の視覚領(両目からの情報を最初に受取る領域)では、生後のある時期に限って視覚刺激により神経回路の再構成が起こります。この時期を「臨界期」といい、研究チームでは近年、生まれて間もない、臨界期が出現する前の時期に、正常なマウスの脳の抑制性の情報伝達を人工的に刺激する薬剤を投与することで通常よりも早く臨界期を出現させることに成功し、この変化には神経回路における抑制性の情報伝達が不可欠であることを明らかにしました(図1)。
 今回の研究では、神経回路網に数多く(約20程度)存在する抑制性結合の中で、一種(GABAA受容体のα1サブユニット)のみが臨界期の引き金となっていることを突き止めました。また、大脳皮質の基本構造となる個々のコラム(※1)間隔(幅)を、抑制性伝達を制御することにより、人工的に変化させることにも成功しました。この発見は脳の構成原理の解明に新たな知見を与えるとともに、脳の個人差や正常な脳の発達の理解、再生・移植した脳組織を正常に機能させる手法の確立に貢献することが期待されます。
 本研究の成果は、米国の科学雑誌『Science』(サイエンス)の3月12日号に、同時に2件発表されます。


1. 背 景
 一般的に大人が外国語を習得するのは難しいが、小さな子供たちはそれほど苦もなく習得することが出来ます。若い脳では経験に応じて神経回路の組み換えや再構成を行う能力(「可塑性」という)が高く、知識の向上や空間学習など学習により大人になっても可塑性を維持できる機能もありますが、大人になるにつれて衰えていく機能もあります。」
 大脳皮質の視覚領(後頭葉にあって両目からの情報を最初に受けとるところ)では、生後のある時期に限って片方の入力を遮断することで、もう一方の眼からの入力が優位になり、視覚が完成されます。このように、神経回路が経験により集中的に作られる時期を「臨界期」といい、その前や後では視覚刺激を受けても神経回路の再構成は起こらないと考えられています。この臨界期が起こるメカニズムや意義についてはこれまで全く分かっていませんでした。
 神経細胞の情報の伝え方が二種類あります。一つは、相手の神経細胞を興奮させる興奮性神経伝達、もう一つは、相手の神経細胞を抑える抑制性神経伝達です。大脳皮質には、二種類の神経細胞のうち興奮性細胞が圧倒的に多く、大脳皮質の神経細胞の八割を占めています。これらが互いに強く結合して刺激しあうことで神経回路網が形成されていくと従来考えられてきました(※2)。興奮性の細胞は形態的には錐体細胞と呼ばれるどれも同じピラミッドのような形で、大きな差が認められません。一方、数の少ない抑制性の神経細胞の形態や結合はさまざまです(図2)。このことは、道路標識に例えれば、青信号(興奮性細胞)が一個しかないところと、待てとか停止を命じるサイン(抑制性細胞)がいくつかもあるような状態であるといえます。研究チームでは、興奮性細胞だけではなく抑制性細胞の働きにも注目し、興奮と抑制のバランスが正常に発達したところで初めて臨界期における神経回路の可塑的な変化が可能になることをこれまでに明らかにしました(図1、2000年3月記者発表)。
 今回、研究チームでは、少数で多種に亘る抑制性細胞群の発達と臨界期における可塑性の発現との関係に着目しました。先ず、抑制伝達の制御を抑える遺伝子を導入したノックインマウスを用いて、20種類以上もしられる抑制性の信号を受け取る受容体の中で、どの神経細胞の結合が臨界期における単眼遮蔽(※3)の感受性(視覚刺激を受け取ることによって生じる神経細胞の組み換え)を支配しているかを詳細に検証しました(図3)。
 また、最終的には形態的に神経回路網(つまり脳)が作られて臨界期が終了されると考えられるため、抑制性伝達が脳の構造形成に及ぼす影響を詳しく調べました。具体的には、正常な視覚環境で育ったネコのコラム構造(※1)を、発達中に抑制性伝達を薬理学的に操作し、人工的に形つけることを試みました。


2. 研究手法と成果
1) 機能的解析
 ベンゾジアゼピン薬(※4)は、神経細胞内のある限られたGABAA受容体(※5)の特定なアミノ酸に結合し抑制性伝達を制御します。遺伝子操作によりこの薬理学的感受性を一つ一つ取り除いたマウス(ノックインマウス)を用いて、視覚刺激による可塑性の出現を調べました。臨界期前の若いマウスに薬物を投与すると同時に、片目を覆って数日間飼育し、片目を覆う前と後の時点で、左右の目ごとに光刺激(コンピュータ画面上に画像を表示する)を与え、視覚領の各神経細胞がどちらの目からの光刺激に良く応答するかを電気生理学的に測定しました。
 正常なマウスでは、視覚領の神経細胞は左の目からの光刺激に良く応答するものと右の目からの光刺激に良く応答するものとが一定の割合で存在しています。また、臨界期にないマウスでは、片目を覆って飼育する前と後でもこの割合は変化しません。しかし、臨界期中のマウスの片目を覆って飼育すると、覆わなかった目からの視覚刺激により神経回路が発達して、光刺激に良く応答する神経細胞の割合が増加します。従って、臨界期前のノックインマウスに片目を覆って飼育した結果、覆わなかった目からの光刺激に良く応答する神経細胞の割合が増加すれば、早まって臨界期が出現したと考えられます。
 実験の結果、神経伝達の受けてであるGABAA受容体(20種類)のうち、α1サブユニットの機能を取り除いたノックインマウス以外では、開眼直後で臨界期における可塑性が出現し、通常のマウスに比べて10日早まって出現しました。すなわち、抑制性の情報伝達によって神経の可塑性を司る特定の受容体(α1)をはじめて詳細に特定することに成功しました(図4)。
2) 形態的解析
 臨界期にあらゆる脳機能の神経回路網が集中的に形成される仕組みとして、一時的に高まる機能的(functional)可塑性と形態的(structural)可塑性に大別されます。上述のように、個々の細胞の電気的活動を記録すると機能的変化(視覚情報に細胞がどのように反応しているか)を知ることができます。
 一方、片方の眼球に色素(白色)を導入すると、形態的に入力が変化すること(視覚情報によって脳の形がどのように変わるか)を可視化することができます。例えば、ネコやヒトのように前向きの眼から第一次視覚野への入力はほぼ一対一の割合で白、黒、白、黒と、片方の眼からの入力に強く反応する細胞の集まり(これを眼優位性コラム(※1)と呼びます)が観察されます。正常な光環境で育った発達中の子ネコに、異なった作用を持つベンゾジアゼピン(※4)を大脳皮質に直接投与し、それぞれの薬を投与したネコで出現する眼優位性コラムの間隔の違いを正常なネコと統計的に比較しました(図5)。
 その結果、DMCMを投与したネコでは、正常ネコと比較して眼優位性コラムの構造が縮小するのに対し、ジアゼパムという薬を投与したマウスでは正常のマウスと比較して3割、眼優位性コラムの間隔の違いが見出されました。すなわち、大脳神経細胞の構成を人工的に制御することに世界で初めて成功しました。


3. 研究の意義
1) 大脳における可塑性(学習)の構成原理が大きく解明され、現実的で詳細な局所神経回路網の数理モデルの形成と解析を可能としました(図6)。また、脳の他領域の臨界期を探るための候補となる細胞標的が具体化しました。
2) 脳内神経回路の抑制性が充分に発達していない、生まれて間もない時期に、一定のレベルの抑制性の刺激を薬剤(ジアゼパム)で与えると可塑性が一種の特有な結合を介して早まって発現しました。これら精神安定剤を幼児に採用する際に、抗発作効果と臨界期の出現への副作用を識別する、新しい薬剤開発の手掛りとなります。
3) 生涯のうち1回しか出現しない臨界期中に脳内抑制を操作することにより、大脳の基本構造となるコラム間隔を人工的に調節できました。個人差を示すこの脳の形態が、遺伝子によってあらかじめ決められているものではなく神経活動(経験)依存的に形成されることが強く支持されました。
4) ネコやマウスのように異なった行動、視力や発達を示す動物種において、発達初期における脳内抑制の一般的な役割が確認されました。今回の動物実験の成果はヒトの育成や治療への応用を示唆するものです。
 これらの結果より、抑制性伝達を操作することにより臨界期の出現時期や大脳の構造まで変化させることが出来る、ということが初めて示されました。興奮性の刺激ばかりでは、けっしてよい脳の発達は起こらないことを実験によって実証したものです。実際、未熟な脳では、抑制性細胞群の機能が低下しているため、過激な刺激をうけた興奮性細胞どうしが過剰に働いて発作ぎみとなる恐れがあります。一方、てんかん発作を抑える目的で使用される幼児期におけるベンゾジアゼピン薬の副作用として、臨界期が早まって出現する(早熟の可塑性の向上の)可能性に注意すべきであると考えられます。


4. 今後の期待
 本研究の成果は、今後の臨界期のメカニズムひいては脳の構成原理の解明の研究に新たな知見を与えるとともに、脳の正常な発達手法や再生・移植した脳組織を正常に機能させることへの可能性も期待されます。また、神経回路の発達に、抑制性という、一見反対方向に思える要因が必須であるというのも興味ある点であるといえます。さらには、生涯のうち1回しか出現しない臨界期に、個人差を表す脳の基本構造が脳内抑制レベルを反映することも臨界期の意義というものを考える上で興味深いものです。研究チームでは、これらに関して引き続き研究を進めております。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター 神経回路発達研究チーム
  チームリーダー ヘンシュ 貴雄
(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9271
Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 コラム構造・眼優位性コラム
大脳皮質において、似た性質を持った神経細胞が集まって、大脳皮質の表面に垂直な方向に伸びた領域(コラム)に固まって存在する。この構造をコラム構造と呼ぶ。また、脳の第一次視覚野において、主に左目から入力を受ける細胞が集まって左目コラムをなし、主に右目から入力を受ける細胞が集まって右目コラムをなす構造を眼優位性コラムと呼ぶ。
※2 神経伝達の興奮性と抑制性
神経細胞には、情報伝達を強める方向に働くもの(興奮性)と弱める方向に働くもの(抑制性)の2種類があり、抑制性の神経細胞は神経回路中の情報伝達に何らかの調節を加えているものと考えられている。大脳の中では興奮性の神経細胞が80%、抑制性の神経細胞が20%の割合で存在している(図2)。
※3 単眼遮蔽
片目を塞いで、脳の中の神経細胞に伝わる情報をコントロールすること。
※4 ベンゾジアゼピン薬・ジアゼパム
この薬種には抑制性伝達を制御する作用があり、ジアゼパムのようにGABA伝達を推進するもの(アゴニスト)は抗てんかん剤、催眠鎮静剤、抗不安剤、自律神経剤、精神神経用剤としても用いられる。逆に、DMCMのようにGABA伝達を抑えるものもある(インバースアゴニスト)。
ジアゼパム:C16H13ClNO(分子量284.75)も、このベンゾジアゼピン薬の一種。主に抗不安薬として用いられ、不安・緊張を抑制する作用がある。
※5 GABAA受容体
神経伝達物質のひとつであるGABA(γ−アミノ酪酸)を受け取る受容体。GABAはAからCまでの三つのサブタイプに分類される。GABAA受容体は、ベンゾジアゼピンとのかかわりが大きい。特に、GABAA受容体では、およそ20程度のサブユニットなどにより構成されていることが知られている(図3)。


図1 GABA伝達によるマウス視覚経路における臨界期の人為的操作


図2 大脳皮質における神経細胞の概念図


図3 多種の抑制性結合のベンゾジアゼピン感受性を決めるGABAAサブユニットの分子機構と標的細胞上の局在。


図4 GABAA受容体のa1サブユニットのベンゾジアゼピン結合を取り除いたマウスのみではジアゼパム投与による臨界期の促進が見られなかった。


図5 ジアゼパムを投与したネコでは正常のネコと比較して30%コラム構造の横幅が広くなっている。DMCMでは逆方向の結果(コラム構造の縮小)が得られた。


図6 今回の研究成果による臨界期における大脳視覚皮質の構成原理

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