プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
トレハロースを用いた新しい神経変性疾患発症予防法の可能性
- 分子安定化による神経変性予防 -
平成16年1月19日
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、トレハロース(※1)を用いた神経変性疾患の新しい発症抑制法の開発に世界で初めて成功しました。脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)構造神経病理研究チームの貫名信行チームリーダー、田中元雅研究員(現:カリフォルニア大学サンフランシスコ校博士研究員)らによる研究成果です。
 ハンチントン病に代表されるポリグルタミン病は、遺伝性の病気で不随意運動や痴呆を引き起こしたり(ハンチントン病)、歩行障害などの小脳症状(遺伝性脊髄小脳変性症)が生じます。病気の原因遺伝子のCAG塩基配列の繰り返しが異常に伸長することにより、異常にのびたグルタミン鎖を含む原因遺伝子産物が、神経細胞に異常蓄積し、神経細胞死や機能異常を引き起こす疾患です。
 研究グループは、異常伸長をおこしたポリグルタミンを挿入したモデル分子を作製し、この分子が凝集する機構を研究してきました。その結果ポリグルタミンが伸長することにより、それを持つ分子が不安定化し、凝集体を作りやすいことを見いだし、この凝集を防止する可能性のある化合物を探しました。その過程で二糖(※6)に凝集抑制効果があるものがあり、その中でもトレハロースという糖がモデル分子を最も安定化することにより、凝集を抑制することを見いだし、その効果を伸長したポリグルタミンを発現する細胞モデルでも確認しました。さらにポリグルタミン病のモデルマウスにトレハロースを含む飲料水を投与することによっても病気の発症を遅らせることができることを見いだしました。今後その安全性と効果をヒトの病気できちんと確認することが必要です。またこの構造を元に強力な薬剤を作ることが期待されます。
 この成果は、ポリグルタミンの伸長によって引き起こされる分子の不安定化を抑制することにより病気の発症を遅らせる新しい発症予防の方向を示し、同様に異常タンパクの蓄積が発症に強く関わるアルツハイマー病、パーキンソン病、プリオン病などの他の神経疾患の発症予防法の開発にも新たな方向性を示すものと期待されます。
 本研究の成果は米国の科学雑誌『Nature Medicine』ウェブサイト上のアドバンスト・オンライン・パブリケーション(1月18日付:日本時間1月19日)に発表されます。


1. 背 景
 ハンチントン病や遺伝性の脊髄小脳変性症の多くは、その病気の原因遺伝子のCAG塩基配列の繰り返しが異常に伸長することにより、異常にのびたグルタミン鎖を含む原因遺伝子産物が神経細胞に異常蓄積し、神経細胞死や機能異常を引き起こす疾患です。異常に伸びたグルタミン鎖がその病気の発症に強く関わっていることからポリグルタミン病とまとめて呼ばれています。ポリグルタミン病は遺伝性神経変性疾患では最も多いものです。
 一般に中高年に発症しますが、ポリグルタミン鎖の長さが長いと若年で発症することからポリグルタミンの長さに依存した神経細胞への毒性がどのようにして生じているかが、その病態を考える上で重要です。近年そのような病態を再現するモデルマウスの解析からポリグルタミン病の神経細胞の核にポリグルタミンを含む蛋白凝集体:核内封入体が形成されることがわかり、これらの病気において凝集体形成が重要な役割を果たしていることが示唆されました。このようにポリグルタミン病はその病態が少しずつわかっては来ましたが、治療法が確立しておらず、遺伝子診断が直接患者さんの治療に結びつかないといった矛盾があり、治療法、発症予防法の確立が急がれています。


2. 研究手法
 研究チームはポリグルタミンを発現する細胞モデルを用いて、伸長するポリグルタミンを発現すると異常な凝集体を形成し、シャペロン(※2)系がその凝集を抑制しようとするにもかかわらず、凝集抑制がうまくいかないと、細胞のプロテアソーム(※3)という分解系を阻害して細胞死を引き起こすという機序を明らかにしてきました。そこで最も上流のポリグルタミンを含む蛋白の構造異常を明らかにするために、ポリグルタミン鎖を安定性の極めて高い蛋白質で構造も明らかにされている蛋白質の一つであるミオグロビン(※4)へ挿入し、ポリグルタミン鎖の構造およびポリグルタミン挿入に伴う(ホスト)蛋白質の構造変化を検討しました。その結果変異型ミオグロビンに挿入された伸長したポリグルタミン鎖は分子内ベータシート(※5)構造をとっていることが判明しました。また、35、50のリピート数をもつミオグロビンは凝集体を形成し始めると分子間ベータシート構造を含んでいることが明らかになり、またポリグルタミンの伸長に伴いミオグロビンが不安定化することが示されました。そこでこの不安定化を抑え、凝集を抑える化合物を検索しました。(図1)


3. 本研究の成果(図2-4)
 Mb-Q35(35ポリグルタミンを含むミオグロビン)を用いて200あまりの化合物を検討したところ、二糖(※6)に凝集抑制効果が認められ、その中でもトレハロースが最も強力でした。そこでトレハロースの効果をポリグルタミンが発現した細胞においてみたところ、凝集抑制効果が認められ、トレハロース合成酵素を発現したところ凝集抑制効果、細胞死抑制効果はシャペロン(※2)のHDJ1と同程度に認められました。さらにトレハロースのMb-Q35の不安定性に対する影響を評価したところ、トレハロース存在下でMb-Q35は正常域のQ12(12グルタミンを持つもの)と同程度になることが示され、これらの結果はトレハロースが分子を安定化し、凝集抑制効果があり、その結果細胞死抑制効果が認められたと考えられました。さらにハンチントン病モデルマウスR6/2マウスの飲料水に2%の濃度で投与したところ生存日数の増加、ロタロッドテスト(※7)などの機能低下の遅延、病理学的な凝集体形成減少を認めました。以上の結果トレハロースは伸長したポリグルタミンによるホスト蛋白の不安定化を抑え、凝集体形成を抑えることにより発症を遅延させたと考えられました。


4. 今後の期待
1) 今後ヒトにおいて同様の効果と安全性が認められるかどうか、正確な評価が必要です。
2) トレハロースの発症予防効果はまだ不十分であり、凝集抑制効果のあるトレハロースの構造に基づいたより強力な薬剤の開発が期待されます。
3) この治療はポリグルタミン病以外にも遺伝子変異や蛋白修飾によって引き起こされる分子不安定化による凝集体形成を介する疾患(アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、プリオン病)の分子安定化治療法への展望を開くものと考えられます。


(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター 構造神経病理研究チーム
チームリーダー  貫名 信行

Tel: 048-467-9702 / Fax: 048-462-4796
(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室

Tel: 048-467-9271 / Fax: 048-462-4715
Mail: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 トレハロース
C12H22O11。糖質の一種。酵母、カビ、昆虫等の動植物に広く見られる。近年では広く食品に利用されている。
※2 シャペロン
蛋白質は正常に働くためには正しく折り畳まれる(フォールディング)必要がある。これを助ける一群の蛋白がシャペロンと呼ばれ、熱ショックなどで誘導される。HDJ1はその一つで、ポリグルタミン凝集抑制効果が認められる。
※3 プロテアソーム
異常蛋白質に結合したユビキチンをマーカーにしてその異常タンパクを分解する酵素。プロテアソームによる蛋白質分解はATP依存性である。
※4 ミオグロビン
ミオグロビンは、筋肉中にあって酸素分子を代謝に必要な時まで貯蔵する色素タンパク質。1960 年にケンドリュー J.C.Kendrew らはマッコウクジラのミオグロビン結晶を使ってX線結晶解析でその全構造を明らかにしたことで有名。その構造はよく調べられている。
※5 ベータシート
蛋白質の二次構造。規則的構造で病的な状態でアミロイド繊維と呼ばれる特殊な繊維を形成する。
※6 二糖
単糖はブドウ糖(glucose)などで、単糖が二つつながった二糖は砂糖(ショ糖)、麦芽糖、乳糖など。トレハロースも二糖に含まれる。
※7 ロタロッドテスト
マウスの運動機能を見るテスト。回転棒に乗っていられる時間を測定する。いろいろな運動機能障害で時間が短くなる。


図1:ポリグルタミン病の病態に関与する凝集体
(A)ポリグルタミンは伸長するとベータシートを形成する。
(B)(C)このベータシートはベータシート間の結合を生じ、繊維を形成する。このような凝集体が神経毒性を持っている。分子不安定化を抑えることによって凝集体形成を抑えられないか。


図2:
(図上)Mb-Q12,Q35を変性剤で変性させる実験を行い、50%変性させるのに必要な濃度(Cm value)から分子の不安定さを測定した。トレハロース存在下ではQ35は非存在下のQ12と同程度になる。このことはトレハロースは分子を安定化していることを示している。
(図下左)Mb-Q35を様々な化合物の存在下で凝集体形成の度合いを調べた。トレハロース(3-5)を含む二糖に抑制効果が認められた。
(図下右)ポリグルタミンを発現した細胞における凝集体形成はトレハロース合成酵素(OtsA,B)を発現するとシャペロンのHDJ1を発現した時と同程度の効果が認められる。


図3:トレハロースの寿命と病理に対する効果
(図上)生存曲線:2%トレハロースを自発的の飲ませたマウスは約10%の寿命の延長を見た。
(図下左)核内封入体の減少(左:コントロール(比較対照群)、右:トレハロース服用)
(図下右)核内封入体の定量(黒:8週令、灰:12週令)


図4:
(図上)クラスピングという手足を広げられない現象がトレハロース飲用で減少。
(図下左)トレハロースの分解産物のグルコースと比べても凝集体抑制効果がある。
(図下右)ロタロッドテストで回転棒に乗っていられる時間も延びた。
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