プレスリリース 独立行政法人 理化学研究所
一次元磁性体において新しい振動状態を観測
平成15年10月16日
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、広い周波数と磁場範囲で測定のできる電子スピン共鳴装置を用い、磁性原子が鎖状に繋がった磁性体(一次元磁性体)において新たな振動モードを観測しました。理研中央研究所磁性研究室萩原政幸副主任研究員(兼モレキュラーアンサンブル研究のアンサンブル解析研究チームリーダー)の研究グループによる研究成果です。
 今まで磁性学の分野では、量子効果※1が顕著に観測される一次元磁性体において、磁場で誘起された相の励起状態についてあまり解明できていませんでした。今回の研究では、本研究チームが開発してきた電子スピン共鳴装置を用いることにより、磁場で誘起された相の励起状態に対応する新たな振動状態、すなわち磁気モーメントが消失した状態の中に磁場によって粒子状に現れた磁気モーメントの向きを変えるエネルギーに対応する振動状態の観測に成功しました。
 磁性体の磁気的な振動状態は、小さな磁石(磁気モーメント)の回転が物質中を波のように伝わるというイメージでとらえられます。今回の成果は、磁気モーメントが量子力学的な擬似粒子として振舞うというモデルを実験で明らかにしたものです。これは量子磁性材料の新しい量子特性を示し、ナノテクノロジーの研究開発等に新しい視野を与えるものと期待されます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』(10月20日号)に掲載されます。


1. 背 景
 近年、ナノテクノロジーの進展に伴い、磁性材料などにおける量子力学的効果※1(量子効果)に関心が寄せられています。一方、基礎研究(物性物理、磁性学)の分野でも磁性体の量子効果に興味が持たれています。磁性体の量子効果は磁気モーメント(小さな磁石)の素朴な配列で状態が決まるとする描像では説明のつかない量子力学的な起源に基づく効果を意味し、磁性体のサイズが小さくなったり、ある特殊な方向にのみ相互作用(磁気モーメント間に力を及ぼすこと)が大きくなったりした場合に顕著に現れる場合があります。
 本研究では、ある一方向にのみ相互作用が大きな鎖状のニッケルを含む分子磁性体※2(一次元磁性体ともいいます)を用いました。この分野の研究は1983年のアメリカの理論物理学者F.D.M. Haldaneの予想に端を発して近年大きく花開いたもので、現在も活発な研究が行われています。これまでにもこの分野の実験研究において磁性研究室で重要な観測を行い、多大な貢献をしてきました。また、平成13年度から科学研究費補助金特定領域(B)の「磁場が誘起する磁性体の新量子現象」が採択されて研究が進められていて、数多くの量子効果に基づく新奇な現象の発見と解明が精力的に進められています。鎖状に磁気モーメントが規則正しく並んだ状態(基底状態)の励起状態は、それまで全体に隣り合う磁気モーメントを少しずつずらして波を打たせた状態と考えられていました。ところが、ある種の一次元磁性体ではこの状態が存在せず、ある領域でエネルギーギャップが存在し、その起源は量子効果(量子効果ではとびとびのエネルギー状態を取れる)であることがわかりました。
 本研究は上に述べた一次元磁性体(ハルデン磁性体)において、磁場のない状態ではエネルギーギャップ※3が開いている状態に磁場を加え、そのエネルギーギャップをつぶした際に起こる物理現象に関するものです。従来はエネルギーギャップをつぶして低温にすると磁気モーメントがそろった状態(秩序状態)になり、そのエネルギーの最も低い状態(基底状態)を励起した状態は磁気モーメントが全体で波打った状態(スピン波)で記述できると考えられていました。そして、その状態を記述する理論もできていました。本研究ではこれまでの理論では記述できない励起状態を観測しました。個々の磁気モーメント(小さな磁石)が励起されるとする最も素朴なイメージは、磁場のかかる方向に対してこまのように磁気モーメントが回転をしている状態から励起すると、その回転軸が大きく磁場の方向からずれていくイメージに対応します。しかし、古典的な磁石と今回扱うようなミクロな世界を支配する量子力学的な磁石では異なることがあります。それは傾ける角度が古典的な磁石では連続的なのに対して量子的な磁石は不連続な状態を取ることです。これらの磁気モーメントが多数相互作用する磁性体では全体で磁気モーメントが波打った状態の振動状態がこれまで観測されてきましたが、今回このような多数相互作用する磁性体においても、あたかも個々の磁気モーメントの向きを変えるのに対応する様な振動状態の観測をしました。


2. 研究成果と手法
 現在、理化学研究所では基礎科学研究課題「モレキュラーアンサンブル研究」の下、分子間相互作用をキーワードに分子磁性体、分子伝導体、生体超分子の研究を物理、化学、生物の異なる分野の研究者を集めて行っています。そして、その研究者らを三つのチーム(ラジカル分子アンサンブル研究チーム、生体分子アンサンブル研究チーム、アンサンブル解析研究チーム)に分け、有機的に結びつけることにより研究を進めています。
 三番目のアンサンブル解析研究チームでは様々な最先端の分光機器(X線光電子分光装置、軟X線発光分光装置、高時間分解レーザー分光装置、高感度核磁気共鳴(NMR)装置、高磁場多周波数電子スピン共鳴(ESR)装置)を開発し、研究に資することを目的としています。本研究推進者はこのチームの中で高磁場多周波数ESR装置の開発を行っており、本研究はこの装置を用いて行われたものです。
 高磁場多周波数ESR装置は、具体的には16テスラ(地磁気の約30万倍の強さ)まで発生できる超伝導磁石と、10ギガヘルツから700ギガヘルツまでほぼ連続的に周波数を変えることのできるマイクロ波(ミリ波、サブミリ波という言い方もします)を発振受信できる装置を用いた、広い周波数と磁場範囲をカバーできる世界最高レベルのユニークなESR装置です。この装置を用いて、背景に述べたニッケルの鎖状の分子磁性体において磁場を加えてエネルギーギャップをつぶした後の高磁場での励起状態を調べました。電子スピン共鳴では、励起(振動)状態と基底状態(最低エネルギー状態)の間のエネルギーと同じ大きさのエネルギーを持つマイクロ波を照射することにより、マイクロ波の吸収を観測します。従来はエネルギーギャップをつぶした後に低温で磁気モーメントが秩序状態にある場合、その励起状態は磁気モーメントが波打った状態になると考えられていたのですが、今回それとは異なる励起状態に対応するシグナルを観測しました。すなわち、あたかも個々の磁気モーメントの向きを変える励起状態(振動状態)に対応するようなシグナルを観測しました。
 この研究は量子効果により現れるエネルギーギャップを磁場によりつぶし、通常の磁性体のようにした際にも量子効果により、再度エネルギーギャップが現れるということを明らかにしており、物性物理の基礎学理に実験の立場から新しい知見を加えるものとなりました。


3. 今後の期待
 ニッケルイオンが鎖状になって相互作用する分子磁性体(一次元磁性体)において理研が開発し、所有する高磁場多周波数ESR装置を用いて磁場を加えてエネルギーギャップをつぶした状態での励起状態に対応する振動状態が従来の理論では説明できない新しいものであることを発見しました。この成果は磁性学の世界で、とくに磁性体の示す量子効果という観点で現在精力的に研究が進められている分野にインパクトを与え、また、同時にナノテクノロジーやナノサイエンスといった分野での量子力学的な効果に対して新たな知見を与えると期待されます。


(問い合わせ先)
 独立行政法人 理化学研究所

中央研究所 磁性研究室
 副主任研究員  萩原  政幸
TEL: 045-508-7210 FAX: 045-508-7360
(報道担当)
 独立行政法人 理化学研究所

広報室  駒井 秀宏
 TEL: 048-467-9272 FAX: 048-467-4715
E-MAIL: koho@riken.jp


<補足説明>
※1 量子力学的効果(量子効果)
ミクロの世界(波動性と粒子性を同時に有する)を記述する量子力学に基づく効果。一般にマクロな世界では対応原理に基づいて古典力学で記述できる場合が多い。量子力学的効果がマクロに現れる良く知られた例には例えば超伝導現象がある。
※2 分子磁性体(一次元磁性体)
炭素、窒素、水素を構成元素とする狭義には金属イオンを含まない磁性体をいう。ただし、金属イオンを構成元素として有してもそれらの周りが分子性のもので囲まれた場合広義には分子磁性体という。鎖状に繋がったニッケルの磁性体は化学式Ni(C5H14N2)2N3(PF6)略称NDMAPと名づけられたニッケルの錯体化合物である。ニッケルがアジド基(N3)によって架橋された構造を持つ。ニッケルの鎖の周りにはPF6-イオンが存在し、鎖間の間隔が大きくなり鎖方向のみの磁気的な相互作用が強くなり一般に一次元磁性体と言われている。
※3 エネルギーギャップ
多数の原子が集まり相互作用すると一般にエネルギーバンドと言われる連続帯を形成するが、様々な理由で連続帯の状態を取れない場合、エネルギーギャップがあるという。量子効果に基づいてエネルギーギャップが開く場合があり、本研究の一次元磁性体の場合はこれにあたる。



[Go top]