Press Release

理化学研究所
平成15年9月16日

ショウジョウバエを用いてヒト神経変性疾患発症メカニズムを解明
― 不良品タンパク質の細胞内蓄積が神経変性疾患をひきおこす ―

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、ショウジョウバエを用いてヒト神経変性疾患の発症メカニズムを遺伝学的に解明し、新たな治療法を開発する標的分子を明らかにすることに世界で初めて成功しました。脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)細胞修復機構研究チームの三浦正幸・チームリーダー(現:東京大学薬学部)、嘉糠洋陸・基礎科学特別研究員(現:スタンフォード大学)らによる研究成果です。
 ハンチントン舞踏病に代表されるポリグルタミン病(
※1)の多くは、ポリグルタミン鎖(グルタミン酸が連続して連なったタンパク質を作る遺伝子の塩基配列の繰り返し)が異常に伸長することによって引き起こされ、高齢になってから発症する晩発性の神経変性疾患です。
 研究グループでは、ショウジョウバエを用い、神経変性の主要要因である神経細胞死に関与する遺伝子群を網羅的に同定し、その中から、細胞の小胞体に存在して不良品のタンパク質を輸送する経路(チャネル)に関係する遺伝子Sec61αを突き止めました。そして、この経路の働きを活性化させると細胞内に不良品のタンパク質がたまり、神経細胞死を引き起こしていくことも解明しました。さらに、この不良タンパク質の輸送経路の働きを弱めると、ショウジョウバエのハンチントン舞踏病モデルで観察される晩発性の神経変性を回復させることができました。
 この成果は、従来の神経細胞死発症のメカニズムとは異なった新しいメカニズムを解明したものです。ポリグルタミン病の発症機構の研究に新たな道を切り拓くだけでなく、プリオン病を含む他の神経変性疾患の発症機構解明や治療法の開発に将来大きく貢献するものと期待されます。
 本研究成果は、米国の学術専門誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America: PNAS』(米国科学アカデミー紀要)のウェブサイト(9月15日付、日本時間9月16日)でオンライン発表されます。


 

1.背景

 細胞死は多細胞動物が受精卵から発生し成体になるまでの様々なステージで観察される普遍的な生命現象の一つで、特に発生過程の神経系で広範に観察されます。神経細胞死の異常は脳の構築や神経回路網形成に影響をもたらし、成体においては神経変性疾患を引き起こすと考えられています。高齢になってから発症する神経変性疾患であるアルツハイマー病、パーキンソン病、プリオン病やポリグルタミン病の発症機構が精力的に研究されていますが、発症まで数十年もかかる疾患の遺伝学的な研究は現実的に不可能であり、また人間そのものを対象とした研究アプローチは難しいこともあって、現在まで個体レベルでの神経細胞死発症メカニズムの研究は遅れていました。
 ショウジョウバエは、遺伝学的な研究が可能で且つ哺乳類での神経細胞死の特徴を備えたモデル動物として知られています。さらに、ショウジョウバエは、次の子孫を作る世代時間が短く(約10日)動物の形作りに関与する遺伝子の働きや、日周性や記憶学習といった高次神経機能を制御する遺伝子の役割を個体レベルで研究する目的で広く使われているモデル動物で、哺乳類との遺伝子レベルの共通点が多いことからヒトへの応用に向けた研究に非常に有用です。また成虫の寿命が約70日と短く、研究室レベルで人間の平均寿命(約70年)を模倣するのに適しています。
 そこで、未知の神経細胞死の分子メカニズムを生理的な条件で明らかにする目的で、研究チームではショウジョウバエを用いて研究を開始しました(図1)。


 

2.研究手法

 研究チームでは、相垣敏郎助教授(東京都立大学理学研究科)らによって考案された新しい遺伝子同定システムを用いました。この方法は、ショウジョウバエのさまざまな組織に内在する任意の遺伝子を過剰に発現させ、その表現型をもとに目的の遺伝子を同定するものです。この方法を用いて、ショウジョウバエの複眼に任意の遺伝子を過剰に発現させ、複眼に神経細胞死を誘導する遺伝子群を選別しました。その結果、研究チームは推定約7500個の遺伝子を検定し、最終的に34個の神経細胞死誘導遺伝子を同定することに成功しました。


 

3.本研究の成果

1)神経細胞死誘導遺伝子Sec61αを同定

 研究チームは、この34個の神経細胞死誘導遺伝子のうち、2つの遺伝子がタンパク質の輸送に関与するチャネルを構成するサブユニットの一つであるSec61αをコードするものであることを明らかにしました。神経細胞は神経伝達を行うための神経伝達物質やそれを受け取るための受容体タンパク質、あるいはイオンチャネルを多く合成しています。これら分泌性タンパク質や膜タンパク質は、生合成過程で小胞体を通過して様々な修飾を受け、正しい立体構造をとったもののみが分泌経路に進んでいきます。小胞体で正しい立体構造を取れなかったタンパク質(不良品タンパク質)は正常であれば細胞質に逆輸送され、そこでユビキチン化(※2)という修飾を受けた後、プロテアソーム(※3)というタンパク質分解酵素によって分解されます(この過程を小胞体関連タンパク質分解:ERAD(略称Endoplasmic Reticulum-Associated Degradation)と呼びます)が、ポリグルタミン病患者が保有する伸長型ポリグルタミンを細胞で発現させると、細胞内のプロテアソームの酵素活性が低下することが知られていました。このような状況下では、ERADが機能せず不良品タンパク質が細胞内に蓄積すると考えられています。
 Sec61αは、このERADにおいて小胞体から細胞質への不良品タンパク質の輸送を担う重要なチャネルです。研究チームは、Sec61αを過剰に発現することにより不良品タンパク質が細胞質に逆輸送されて蓄積し細胞死が誘導されること、逆にSec61aの活性を弱めることによりポリグルタミン病モデルにおいて細胞質に蓄積していた不良品タンパク質が減少することを明らかにしました。さらに、Sec61α機能の活性を人為的に抑制することにより伸長型ポリグルタミンによる晩発性の神経変性が回復することを見出しました(図2)。
 このようにSec61αは、不良品のタンパク質が細胞質に輸送される経路で作用します。ポリグルタミン病の細胞で不良品タンパク質の分解能が低下するとSec61αによって逆輸送された不良品タンパク質は細胞質に蓄積し細胞毒性を発揮します。一方、Sec61αの働きが低下した細胞では小胞体内に不良品タンパク質を残して、細胞毒性から細胞を守ります。小胞体内に不良品タンパク質が蓄積するとタンパク質合成が全体的に低下したり、不良品タンパク質の矯正にかかわる特別なタンパク質(小胞体シャペロン)の発現が誘導される一連の反応がおきることで不良品タンパク質そのものの量が減じると考えられます(図3)。


2)神経細胞死の新しいメカニズム

 これまでに遺伝子の発現を制御する転写因子と伸長型ポリグルタミンが結合することで転写因子の機能が阻害されることが実験的に示されています。そのため、ポリグルタミン病の発症においては、伸長型ポリグルタミンが遺伝子の発現を乱すことによって神経変性が引き起こされているのではないかと考えられてきました。今回の研究は、これとは異なった新しい神経細胞死の発症メカニズムを提示するものです。即ち、ERADの破綻によって導かれた不良品タンパク質の細胞内蓄積が、伸長型ポリグルタミンによる神経変性に関与するという仕組みです(図3)。


4.今後の展開

 今回の研究では、Sec61αの機能を低下させることによって、不良品タンパク質の蓄積と細胞死を人為的に防ぐ手法の開発の可能性が示されました。ERADはパーキンソン病やプリオン病でもその関与が指摘され始めています。即ちSec61αは多くの神経変性疾患の新しい治療ターゲットの有力な候補として期待されています(図4)。

(問い合わせ先)

理化学研究所

脳科学総合研究センター 細胞修復機構研究チーム

チームリーダー

(現:東京大学 薬学部 遺伝学教室 教授)

三浦 正幸

TEL:03-5841-4860   FAX:03-5841-4867


脳科学研究推進部

佐藤 彩子

TEL:048-467-9596    FAX:048-462-4914


(報道担当)

理化学研究所

広報室

田中 朗彦

TEL:048-467-9271  FAX:048-462-4715



 

<語句説明>

ポリグルタミン病(※1)

 ハンチントン舞踏病に代表される遺伝性神経変性疾患。原因遺伝子内のグルタミンをコードするCAG配列が異常に伸長することによって引き起こされる。

ユビキチン化(※2)

 ユビキチンは76個からなる小さなタンパク質で、タンパク質に付加されるとそれが目印となりプロテアソームによって分解される。

プロテアソ−ム(※3)

 ユビキチン化されたタンパク質を分解する多くのタンパク質が集合してできたタンパク質分解酵素。プロテアソームによるタンパク質分解はATP依存性である。