Press Release

理化学研究所
平成15年9月1日

躁うつ病のテーラーメイド治療につながる分子メカニズムを解明
― 双子における遺伝子の働きの違いから ―

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、躁うつ病の発症に、「XBP1ループ」という分子メカニズムが重要な働きをもっていることを、世界で初めて解明しました。脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長) 精神疾患動態研究チームの垣内千尋研究員、加藤忠史チームリーダーらと、国内6機関※1の共同研究による成果です。
 躁うつ病(双極性障害)
※2は、躁状態、うつ状態を繰り返し、人口のおよそ1%が発症する身近な病気です。膨大な分子遺伝学的研究にもかかわらず、これまでその病態ははっきりしていませんでした。その理由の1つは、病気と関係のない個人間の遺伝子の違いが、病気に関わる違いをみつけにくくさせていたためと考えられます。
 本研究では、1人だけが躁うつ病を発症した一卵性双生児のリンパ球における遺伝子の働きの違いを調べ、その結果XBP1という遺伝子の働きに違いを見出しました。この遺伝子は、自らの作り出した蛋白質が自分自身の働きを強めるフィードバック機構(XBP1ループ)を形成していますが、この機能が低下するDNAの配列を持っている人は、持たない人に比べ、約4.6倍躁うつ病にかかりやすいことがわかりました。また、細胞におけるXBP1ループの機能低下は、3種類ある気分安定薬
※3の中でもバルプロ酸のみにより改善されることがわかりました。この個人差は治療反応の予測に用いることができる可能性が示唆されます。
 本研究は、躁うつ病におけるテーラーメイド治療や新薬の開発において大きく寄与するとともに、感情の分子メカニズムの解明に繋がるものと期待されます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Nature Genetics』ウェブサイト上のアドバンスト・オンライン・パブリケーション(8月31日付:日本時間9月1日)に発表されます。


 

1.背景

 双極性障害(躁うつ病)※2は、躁状態とうつ状態という、2種類の「病相」を繰り返す病気です。これらの病相が治った後は、精神的な症状は全くなくなりますが、再発することが少なくないため、多くの場合、長期の予防療法が必要になります。これまで、多くの遺伝子研究が行われてきましたが、躁うつ病の発症に大きく関与する遺伝子は見出されていませんでした。これは、躁うつ病が遺伝病ではなく、多くの因子により発症する疾患であるため、遺伝病を研究する方法では、その原因を解明することが困難であったためと考えられます。
 そこで私たちは、躁うつ病の発症の分子メカニズムを解明するために、一卵性双生児間の遺伝子の働きの違いを調べるという、新しい方法を考案して用いました。1人だけが躁うつ病に罹っている一卵性双生児(不一致双生児)の方々、2ペアに協力を依頼し、血液からリンパ球を培養しました。このリンパ球で、約12000個の遺伝子がどれだけ機能しているかを、「DNAマイクロアレイ※4」という方法で調べ、双生児間の違いを調べました。その結果、二人とも健康な双生児(0.8%)に比べて、不一致双生児では4%以上の遺伝子の働きに違い※5があり(図1)、2ペアで共通に変化している遺伝子XBP1が、躁うつ病に関係があると考えました。


 

2.今回の成果

 その後の実験により、この遺伝子(XBP1)の産物である蛋白質には、自分自身の機能を強めるという、正のフィードバック機構が存在し、このフィードバック機構の要になるDNA配列には個人差があり、この機能が低下する型を持っている人は、持たない人に比べ、約4.6倍(表1)躁うつ病にかかりやすいことがわかりました。この日本人における結果は、白人でも確認されました。私たちはさらに、躁うつ病の治療薬の一つであるバルプロ酸が、XBP1を制御するATF6という遺伝子の働きを強めることで、XBP1ループの機能を正常化することを見出しました。(図2)
 この正のフィードバック機構(『XBP1ループ』)は、傷ついた蛋白質がたまった時、これを修復する分子(ERシャペロン※6)を増やす働きに関与していると考えられます。XBP1ループが躁うつ病に関係するメカニズムは不明ですが、XBP1遺伝子は脳でも働いていることから、何らかの形で躁うつ病の症状にかかわっていると推測されます。


 

3.今後の期待

 本研究は、以下の4つの点で大きな意義があります。

1)テーラーメイド治療の手がかり

 今回の研究成果で、3種の気分安定薬のうち、バルプロ酸だけがXBP1ループの機能が低下した細胞の働きを改善させることがわかりました。XBP1遺伝子の個人差は、躁うつ病に対する気分安定薬の治療効果を予測するための検査として応用可能なのではないかと期待されます。


2)治療法開発の手がかり

 躁うつ病の治療薬として現在使用されている3種類の気分安定薬は、それぞれ様々な薬理作用を持っていることが知られています。しかし、これまで躁うつ病の病態がわからなかったため、それらの薬がどのようなメカニズムで躁うつ病に対して治療効果を発揮しているのかは謎でした。今回、躁うつ病の病態及び薬の効き方を解明したことは、これらを標的にしたより効果の高い新しい躁うつ病治療薬の開発研究を行うための、重要な手がかりになると思われます。


3)感情の分子メカニズムの解明

 感情や気分の制御にかかわる分子メカニズムについては、まだまだ不明な点が残っています。今回の成果は、脳内における感情や気分の分子基盤の解明につながるものと期待されます。


4)疾患関連遺伝子の新しい研究方法

 今回用いた、疾患に関して不一致な一卵性双生児における研究から疾患関連遺伝子を同定する方法は、この研究が初めての成功例です。この方法は、他の精神神経疾患を含め、種々の疾患に幅広く応用可能と考えられます。



(問い合わせ先)

理化学研究所

脳科学総合研究センター 精神疾患動態研究チーム

チームリーダー

加藤 忠史

TEL: 048-467-6949 FAX: 048-467-6947


脳科学研究推進部

佐藤 彩子

TEL: 048-467-9596  FAX: 048-462-4914


(報道担当)

理化学研究所

広報室


田中 朗彦

TEL: 048-467-9271 FAX: 048-462-4715




<補足説明>

※1

国内6機関

北海道大学、長崎大学、三重大学、帝京大学、国立精神神経センター、東京大学

※2

躁うつ病(双極性障害)

 躁うつ病(双極性障害)は、躁状態とうつ状態という、二つの精神状態(病相と呼びます)を特徴とする病気で、頻度は100人に1人程度ですが、長期の治療を必要とする病気です。一方、「うつ病」は、うつ状態のみを特徴とする病気で、これは10〜20%の人が一生に一度はかかるもっと身近なものです。2つの病気のうつ状態の症状には大きな違いはありませんが、異なる疾患単位と考えられています。なお、2つを合わせて「気分障害」と呼びます。

※3

気分安定薬

 躁うつ病(双極性障害)の治療薬で、躁状態、うつ状態を予防するとともに、躁状態、うつ状態を改善させる作用があります。リチウム、バルプロ酸、カルバマゼピンの3種類が知られています。人によってどの薬が効くかには個人差がありますが、どの薬が効くかを判断する検査はなく、これまでは医師の経験に基づいて処方されてきました。

※4

DNAマイクロアレイ

 小さなガラス板状に、人工的に合成した多数のDNA断片を貼り付けたものです。細胞から複雑な処理を経て調製し、蛍光色素をつけたRNA(リボ核酸:DNAから転写されて、蛋白質を作る元になるもの)をこのガラス板上に加え、結合したRNAの蛍光を測ることで、一度に多数の遺伝子の発現量を調べることができます。

※5

双生児間の遺伝子の違い

 DNAマイクロアレイで見出されたのは、遺伝子の発現量の違いであり、DNAの塩基配列の違いではありません。遺伝子の発現とは、DNAが、蛋白質を作るためにRNAに転写されることを言います。今回調べた双生児の方々の間で、なぜ遺伝子の発現量に違いがあるのかは不明ですが、一卵性双生児でも、DNAの塩基配列に違いがある場合や、染色体に違いがある場合が知られています。

※6

ERシャペロン

 ERは、細胞内小器官である、小胞体(endoplasmic reticulum)を示します。シャペロンは「介添役」を示す言葉が語源で、傷ついて立体構造がおかしくなった蛋白質に寄り添って、その立体構造を回復させる働きがあります。傷ついた蛋白質が多量に蓄積すると、ATF6、IRE1という2つのセンサー分子およびXBP1を介してERシャペロンが増え、これらの蛋白質を補修します。





図1 双生児間の遺伝子発現の違い
 グラフは双子のペアにおける遺伝子の発現量を比べたものです。1つひとつの"+"印が遺伝子1個に対応しています。遺伝子の発現量がペアの間で異なれば緑色の線からはみ出していきます。健常双生児どうしの発現量を比べた場合は(左のグラフ)お互いの遺伝子の発現量はあまり変わらないため緑色の線からはみでた遺伝子はほとんどみられませんでした。右のグラフは、同じく双生児でも、一人だけが躁うつ病を発症された方々で発現量を比べたものですが、左のグラフに比べて発現量が異なる遺伝子の数が多いことがわかります。これらの発現量が異なる遺伝子が病気と関係しているのではないか、と考え解析を進めたところ、XBP1遺伝子が躁うつ病に関係しているのではないかと考えられました。






表1
 XBP1ループの機能が低い人の内訳を健常者及び躁うつ病患者に分けて比較したものです(日本人のみ示しています)。みてのとおり躁うつ病患者においては機能低下をおこしやすい人が多い(=機能の良い人が少ない)のですが、健常者においても、機能低下をおこしやすい人の方がむしろ多数派です。白人では逆に機能低下をおこしやすい人が少数派となっています。躁うつ病は一つの遺伝子が原因で病気になるわけではなく、いくつもの危険因子が重なって初めて発症すると考えています。今回発見したXBP1遺伝子の機能低下は、そのいくつもある危険因子の一つであると考えられます。





図2 XBP1ループ
左:
傷ついた蛋白質が小胞体に蓄積すると、その修復のためERシャペロンが消費されます。
ERシャペロンが消費されると、そのことを感知したATF6蛋白質が活性化されます。
活性化したATF6蛋白はXBP1遺伝子およびERシャペロン遺伝子の転写を促進します。
ERシャペロンの消費はと同時にIRE1蛋白質を活性化し、XBP1遺伝子から転写されたメッセンジャーRNAの一部を切り出します。
によって切り出されたメッセンジャーRNAから活性型のXBP1蛋白質が作られます。
この活性型蛋白質は、ERシャペロン遺伝子の転写を促進するとともに、XBP1遺伝子自身に結合して転写を促進します。転写されたXBP1自身がさらに自分を増やすことによって、効率的にERシャペロンを作り、傷ついた蛋白質の修復を行います。この自らが自らを増やして効率よく反応をすすめるシステムをXBP1ループと呼びます。


中:躁うつ病のかかりやすさに関係する遺伝子の個人差は、XBP1遺伝子上流の、活性型XBP1蛋白質の結合配列の中にあります(黄色い○で囲んだ部分)。この配列の一部がCからGに変わっていることによって活性型XBP1蛋白質が結合できなくなります。そうすると、XBP1自身が自らをふやす、という機能が低下してしまうわけです。おそらくこの機能の低下の結果生じた出来事が気分の障害を起こすのではないかと考えています。


右:気分安定薬の一つであるバルプロ酸は、このループを動かす分子であるATF6を増加させます。ATF6を増やしておくことによって、いざ傷ついた蛋白質がたまったとき、通常よりも多くの‘傷ついた蛋白質がたまった’という情報がXBP1遺伝子や、ERシャペロン遺伝子に伝わることになります。その結果、低下しているXBP1ループの機能が代償されると考えられます。