Press Release 理化学研究所
平成15年8月28日
遺伝情報の複製過程における異常修復機構を解明
― 高密度DNAチップを用い、複製停止複合体の中心タンパクを同定 ―

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、高精度のDNAチップ※1を利用し、複製中の染色体上のタンパクの挙動と複製領域を統合的に解析することに成功しました。理研ゲノム科学総合研究センター(和田昭允センター所長)ゲノム構造情報研究グループの白髭克彦研究員、加藤由起ジュニアリサーチアソシエイト(横浜市立大学大学院)らの研究グループによる研究成果です。
 ゲノム上の遺伝情報が完全に維持されていくことは、次世代への継承にとって重要で、その破たんによって個体は発がん、老化といったプロセスへと導かれます。この遺伝情報を完全に維持する仕組みとして複製チェックポイント制御機構※2が知られていますが、染色体DNAの複製過程でどのように複製チェックポイント因子が組み込まれ、機能しているかは長い間不明でした。
 研究グループは従来のものより100倍精度の高いDNAチップにより、染色体上のタンパクの挙動について解析できる技術(ChIP-chip法※3)を開発しました。この技術を用いて、複製異常が薬剤によって誘導された染色体ダイナミクスを解析したところ、複製異常が生じたときに働き始めるとされていた複製チェックポイント因子が染色体を複製するための装置(複製複合体)を構成する成分であることがわかりました。
 今後は、この研究成果と技術を基に、がん、老化を含む多くの遺伝的疾患の原因となる染色体異常を誘導する分子メカニズムを明らかにすることが期待されます。
 本研究成果の詳細は、英国の科学雑誌『nature』(オンライン版・8月28日付)に発表されます。



1.背景
 ゲノム上の遺伝情報が完全に維持されていくことは、遺伝情報の次世代への継承にとって重要であるばかりでなく、その破たんは発がん、老化といったプロセスへと個体を導くことが知られています。このような遺伝情報の完全性を保障する機構として細胞周期チェックポイント制御機構(図1)が存在します。チェックポイント制御機構はゲノムが受ける様々な外的なストレス(変異薬剤、紫外線等の)から、ゲノム情報を守るという役割を担っていますが、その役割はゲノムが正確に自らのコピーを作成しなくてはならない細胞周期S期(DNA合成期)において(同時にこの時期はゲノムが最も外的なストレスに対して無防備になる時期でもある)特に重要です。外的なストレスによりDNA複製異常が誘導されると、細胞は一時的に複製を停止し、その間に受けた傷害を修復し、修復後複製を再開します。この一連の反応は複製チェックポイント制御機構の活性化により制御されていると考えられていましたが、複製チェックポイント制御機構がどのように染色体の複製過程に組み込まれているかは長い間不明でした。



2.研究成果と手法
 本研究においては出芽酵母の6番染色体全体を300塩基対の範囲で解析可能なDNAチップを用いています。このチップ上には6番染色体の塩基配列をくまなく25塩基対ずつの長さに区切って貼り付けてあります。これは高精度で染色体の各領域を特異的に検出できるようデザインされていることを意味しており、従来のDNAチップと比べて100倍精度の違いがあります。このDNAチップを使い、染色体上のタンパクの挙動と複製領域を詳細にモニターする新しい技術を開発(ChIP-chip法)しました(図2)。 このChIP-chip法を用いて、複製異常が薬剤によって誘導された染色体ダイナミクスを解析したところ、ある種の複製チェックポイント因子は複製異常が生じないと結合が見られなかったのに対し、二つの複製チェックポイント因子、MRC1とTOF1※4のみは異常の有無に関係なく、複製因子として染色体複製過程そのものに組み込まれていることが明らかになりました。さらに、
1)MRC1とTOF1は複製異常が生じた際に複製フォーク※5を停止させる役割を持っている。
2)複製フォークの停止そのものが複製チェックポイントの活性化にとって必要である。
3)この二つのタンパクは複製異常が起こった際に複製フォークの統合性を維持する機能を持つ。
ことを見いだしました。
 この発見は従来考えられていたように複製の停止がチェックポイントの活性化もしくは新たなチェックポイント因子の複製フォークへの結合を必要とせず、あらかじめフォークに存在するチェックポイント因子により誘導されること、さらに、形成される複製停止複合体は複製フォークの完全性を維持し、引き続いて起こるチェックポイント応答反応の足場となることを示しています。このことは、長い間不明だった複製異常によって誘導されるチェックポイント制御機構活性化の初期段階の分子的なメカニズムの一端が解明できたといえます(図3)。



3.今後の期待
 ChIP-chip技術の開発により、今まで、古典的な遺伝学等の手法に頼ることが多かった染色体代謝研究を、はじめて一本の染色体DNA上で生じる複数のタンパク-DNA相互作用のダイナミックな変化およびその連携を解析することが可能になりました。つまり今までは想像するしかなかった現象を実際に観察−解析できるようになったのです。また、MRC1とTOF1は出芽酵母からヒトまで保存されているタンパクであり、今回の発見でヒトでも同様にゲノムの完全性を維持するためのがん抑制遺伝子としての機能を持つことが示唆されました。これらのことは、がん、老化を含む多くの遺伝的疾患のメカニズム解明研究への貢献ばかりでなく、これらの因子をターゲットとした創薬、遺伝子診断等への応用が考えられます。一方、今後、網羅的に多数のタンパク−DNA相互作用のデータを集積し、それらの相関を明らかにしていくことで、今までは考えられなかった次元での新しい遺伝子情報制御ネットワークの発見、新しいゲノム像の構築につながることが期待されます。この技術を高等真核生物にまで発展させることができれば、クローン動物作成時の染色体工学や医療面での疾病予測に利用することも可能になるでしょう。



(問い合わせ先)
 理化学研究所 横浜研究所 ゲノム科学総合研究センター
 ゲノム構造情報研究グループ
 ゲノム情報比較解析研究チーム
 研究員 白髭 克彦
TEL: 045-503-9183 FAX: 045-503-9170

研究推進部 星野 美和子
TEL: 045-503-9117 FAX: 045-503-9113

(報道担当)
 理化学研究所 広報室
駒井 秀宏
TEL: 048-467-9272 FAX: 048-467-4715




<補足説明>

※1 DNAチップ
ガラスや半導体などの基板の上に多種類のDNA断片や合成オリゴヌクレオチドを貼り付けた物で、大量の遺伝子の発現測定に使われるのが最も一般的である。ゲノム上の配列の変化や量の測定にも用いられる。
※2 複製チェックポイント制御機構
細胞は増殖する際に、正確に染色体上の遺伝情報を複製し、染色体を一組ずつ娘細胞に受け渡す。この過程を細胞周期と呼ぶが、複製や分配過程に異常が生じた際に細胞周期をその段階でとめて、異常が修復され、その段階が完了するまで次の段階に進めないようにする監視機構をチェックポイント制御機構と呼ぶ(図1)。通常、チェックポイント制御機構は異常がないときは顕在化せず、異常が発生してはじめて活性化される。複製チェックポイント制御機構とは複製異常が生じた際に、複製を停止させ、異常を修復し、複製が正常に完了するまで染色体分配を行わせないようにする機構のことである。この機構が欠損すると、損傷を修復しないまま、あるいは未複製の染色体を持ったまま、細胞は分裂してしまうため、細胞は死滅あるいは異常染色体を持つことになる。
※3 ChIP-chip法
ChIP(Chromatin Immuno-Precipitation;染色体免疫沈降法)とDNAチップ(chip)による検出を組み合わせて用いる方法。細胞内でDNAとタンパクを固定後、結合位置を明らかにしたいタンパクに対する特異的抗体を用いて、染色体DNA―目的タンパク複合体のみを精製分離(染色体免疫沈降法とよぶ)し、共精製されてくるDNA断片をDNAチップ上で検出する方法。この方法により、網羅的に目的タンパクのゲノム上の結合部位を検出することができる(図2)。
※4 MRC1とTOF1
MRC1はMediator of Replication Checkpointの略。遺伝学的解析により複製チェックポイント制御機構に関わる因子として同定された。TOF1はTopoisomerase 1 Interacting Factorの略。トポイソメレースというDNAの構造変換に関わるタンパクとして最初に同定された。
※5 複製フォーク
複製中のDNAに沿って動く局所的な複製領域。この領域はY字構造をしており、複製因子複合体により新しい娘鎖の合成が起こっている。






図1
図1 細胞周期とチェックポイント制御機構






図2
図2 ChIP-chip法の概略






図3
図3 MRC1, TOF1 タンパクの複製における役割