Press Release 理化学研究所
平成15年5月28日
アップコンバージョン法を用いたフェムト秒時間分解蛍光顕微鏡の開発
- 顕微鏡による「空間」的情報と新しい観測軸「時間」の提供 -

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、ナノメートルオーダーの微小領域からの微弱な蛍光を、フェムト秒の時間分解能※1で観測できる顕微鏡を世界に先駆けて開発しました。理研中央研究所分子分光研究室の藤野竜也基礎科学特別研究員と田原太平主任研究員らによる研究成果です。
 一般に物質を形作る分子の動的挙動(化学反応、エネルギー移動等)をリアルタイムで観測するには、サブピコ秒(一兆分の1秒以下)から数百フェムト秒(十兆分の1秒)といった非常に高い時間分解能が必要です。しかしながら、これまでの蛍光顕微鏡における時間分解測定では、単一光子計測装置※2やストリークカメラ※3のように電気的に信号を時間分解計測する手法が用いられていたため、ナノ秒(十億分の1秒)から数十ピコ秒(一千億分の1秒)程度の時間分解能しか得られていませんでした。今回の研究では、非線形光学現象にもとづく光学的なゲート法(アップコンバージョン法)を利用した新しい時間分解蛍光顕微鏡を開発することにより、600 フェムト秒(100倍対物レンズ使用時、40倍対物レンズ使用時は約 480 フェムト秒)というきわめて高い時間分解能で蛍光顕微分光が可能となりました。これにより蛍光顕微鏡の時間分解能を一挙に百倍程度向上させることに成功しました。
今後は、物質の微小領域を、反応速度、エネルギー移動の効率、格子欠陥の分布といったこれまでにはないパラメーターで物質の情報を可視化することが期待できます。
 本研究成果は米国の科学雑誌『Journal of Physical Chemistry B』(6月5日号)のLetterとして発表されます。



1.背景
 物質が示す多種多様な機能や性質は、究極的にはそれを構成する個々の分子の性質に帰着します。分子レベルでのミクロな現象は、空間的のみならず時間的にもミクロな超高速過程ですが、その本質を明らかにすることはナノサイエンス、ナノテクノロジーの基礎研究としてきわめて重要です。分子レベルでのミクロな現象を研究するための手段としては、極めて高い時間分解能を持つ「超高速分光」と極めて高い空間分解能を持つ「顕微光学」を融合させた時空間分解分光法が重要であり、理学及び工学の両面から近年注目を集めています。
 一般に、物質を形作る分子の動的挙動(化学反応、エネルギー移動等)をリアルタイムで観測するには、サブピコ秒(一兆分の1秒以下)から数百フェムト秒(十兆分の1秒)といった非常に高い時間分解能が必要です。しかしながら、微小領域の研究に広く利用されている蛍光顕微鏡においては、単一光子計測装置やストリークカメラのような電気的に信号を時間分解計測する手法を用いていたために、ナノ秒(十億分の1秒)から数十ピコ秒(一千億分の1秒秒)程度の時間分解能しか得られていませんでした。理化学研究所分子分光研究室の藤野竜也基礎科学特別研究員と田原太平主任研究員は、光学的に蛍光信号を時間分解する手法を蛍光顕微鏡と融合させることにより、ナノメートルオーダーの空間分解能とフェムト秒の時間分解能をもった新しい時間分解蛍光顕微鏡(蛍光アップコンバージョン顕微鏡)を開発しました。



2.研究手法と成果
 エレクトロニクスを用いた時間分解計測は簡便で現在広く用いられていますが、エレクトロニクスに由来するタイミングの不確定さ(ジッター)のために、その時間精度には限界があります。このため、時間相関単一光子計測法やストリークカメラ法などの電気的な方法で時間分解計測を実現していた従来の蛍光顕微鏡では、ナノ秒(十億分の1秒)から数十ピコ秒(一千億分の1秒秒)程度の時間分解能しか得られません。これに対し、光の進む距離の違いを利用して、ち密なタイミングの制御を行う光学的時間分解測定にはこの制限がなく、きわめて高い時間分解能を実現することが原理的に可能です。藤野竜也基礎科学特別研究員と田原太平主任研究員はこの点に着目し、顕微鏡から得られる蛍光信号を、タイミングを決定するもう一つのフェムト秒パルスと混合させ、発生する非線形光学信号を観測する(蛍光アップコンバージョン法)ことにより、蛍光顕微測定においてはじめてフェムト秒の時間分解能を実現することに成功しました。この研究によって、共焦点顕微鏡のもつ高い空間分解能を保ったまま、約600 フェムト秒の時間分解能(100倍 対物レンズ使用時; 40倍 対物レンズ使用時は約 480 フェムト秒)という高い時間分解能が実現され、蛍光顕微鏡の時間分解能は一挙に百倍程度向上しました。また非線形光学効果を用いたこの顕微鏡では測定試料の深さ方向における空間分解能も通常の共焦点光学顕微鏡の約2倍程度まで改善されます。開発された新しい時間分解蛍光顕微鏡では、蛍光アップコンバージョン法のもつフェムト秒の時間分解能と、共焦点光学顕微鏡のもつナノメートルオーダーの空間分解能の両者が同時に実現され、ナノサイエンス、ナノテクノロジーの基礎研究において極めて有用な手段になりうると期待されます。
 この開発した顕微鏡の応用例として、有機分子結晶の一つであるペリレン※4の微結晶(マイクロクリスタル)からの発光をフェムト秒の時間分解能で時間分解観測しました。有機分子による微結晶は現在、光エレクトロニクス関連の基礎材料として注目を集めています。
 今回の研究では、結晶の励起後、非常に短い寿命でしか存在しない自由励起子(フリーエキシトン)※5からの発光を時間分解観測できたのみでなく、さらに10ミクロン程度の大きさを持つ微結晶の、さらにその一部分を空間的に選択し、その微小領域での自由励起子のダイナミクスを観測することに成功しました。その結果、自由励起子の寿命が微結晶の局所構造(格子欠損濃度)を反映して、微結晶中の位置により大きく変化することを見出しました。



3.今後の展望
 顕微分光に高い時間分解能を加えることは、顕微鏡による「空間」的な情報に加え、「時間」という新しい観測軸を提供することを意味しています。つまり顕微鏡による像や、静的な吸収や蛍光スペクトルといった定常状態の分光計測からだけでは見えない新しい情報に対する“目”を得ることができます。時間分解計測を可視化技術(イメージング、マッピング)と組み合わせることによって、将来は例えば、物質の微小領域を反応速度、エネルギー移動の効率、格子欠陥の分布といったこれまでにはないパラメーターで可視化することができると期待できます。今回開発された方法は、デバイス、細胞を含むナノメーターオーダーの構造をもつ物質の基礎研究のための方法論として重要なものであると考えられます。



(問い合わせ先)
理化学研究所 中央研究所 分子分光研究室
 主任研究員 田原 太平
TEL: 048-467-4592 FAX: 048-467-4539
 基礎科学特別研究員 藤野 竜也
TEL: 048-467-7928 FAX: 048-467-4539

(報道担当)
理化学研究所 広報室 駒井 秀宏
TEL: 048-467-9272 FAX: 048-462-4715




補足説明

※1 時間分解能
時間的に近接して起こる、2つの現象の時間間隔を測定できる能力のこと。測定手段の時間精度を表す。
※2 単一光子計測装置
レーザー発光時の電気信号をトリガーとして、検出器で受けた試料からの蛍光によって生じた電気パルスを時間波高変換器(TAC)に入力する。TACはトリガー信号と検出器からの信号の時間差に応じた電気パルスを出力するので、これの分布をマルチチャンネルアナライザー(MCA)に通して観測すると、顕微鏡下に存在する試料による蛍光の時間減衰に相当する波形が得られる。
※3 ストリークカメラ
ストリークカメラでは、入射した光はカメラ内の光電面にあたり、光から電子に変換される。発生した電子は加速されてストリーク管内を飛行するが、このとき進行方向と垂直方向に印加された電圧によってその軌道が変えられ、後段の検出器によって位置情報とともに検出される。レーザーからの電気信号をトリガーとして印加電圧を高速に変化させることにより、光信号の時間情報を空間情報として観測される。
※4 ペリレン
有機分子の一種で、5個のベンゼン環が結合した炭化水素。
※5 自由励起子(フリーエキシトン)
非金属固体における電子励起状態の一種。






図1

図1 開発したフェムト秒時間分解蛍光顕微鏡の模式図
試料の励起光と蛍光を同軸にすることにより、一枚のピンホールのみで共焦点光学配置を実現している。試料からの微弱な蛍光は、他のレーザー光とともに非線形結晶中に集光され、両者の和周波光を発生させる。装置内に配置した光学遅延回路を前後させることにより、蛍光の時間変化を測定する。






図2

図2レーザーにより位置を選択して光励起されているペリレン微結晶
(マイクロクリスタル)
結晶の中央と端を励起した場合の様子を顕微鏡内のCCDカメラにより撮影した。






図3

図3 図2の状態から得られたペリレン微結晶のフェムト秒時間分解蛍光
遅延時間0ps付近に観測される強い信号が自由励起子(フリーエキシトン)による発光。結晶の中央を励起した場合は自由励起子の寿命は2.2 ps だが、端を励起した場合は1.3 ps と減少する。これは結晶の中央と端における格子欠陥の濃度の違いを反映している。