Press Release 理化学研究所
平成15年4月29日
霊長類ES細胞からの末梢神経系ニューロンへの
分化誘導法を世界に先駆けて開発

- 末梢神経系の幹細胞治療の可能性への期待 -

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、マウスおよびサルES細胞を用いて、末梢神経系ニューロンへの分化誘導法を世界に先駆けて開発しました。発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクターらの研究グループによる研究成果です。
 以前に、笹井芳樹グループディレクターは、PA6細胞という特殊な細胞が産生する因子を用いて、マウスおよびサルES細胞からドーパミン神経などの中枢神経系ニューロンを試験管内で高効率に分化させる方法(SDIA法)を開発していました。今回の研究ではまず、SDIA法と増殖因子などを組み合わせることで、サルなどのES細胞から脳幹や脊髄の運動ニューロンや底板をはじめとする広範囲の中枢神経系細胞が分化誘導されることを明らかにしました。さらに、BMP4を作用させることにより、末梢神経系の前駆細胞(神経堤細胞)を分化させることに成功しました。こうしてできた神経堤細胞からは知覚ニューロンなどが分化することが示されました。これらの研究成果は、ES細胞を用いた神経系の幹細胞治療に関して、従来言われてきたパーキンソン病※1などの中枢神経系疾患のみならず、ヒルシュスプルング病※2などの末梢神経系疾患にも応用出来ることを示すもので、再生医学の可能性を大きく広げるものと期待されます。なお、この研究は理化学研究所 発生・再生科学総合研究センターと京都大学、大阪大学の研究者による共同研究で進められました。
 本研究成果は、米国の科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America: PNAS』※3のウェブサイト(http://www.pnas.org、4月29日号)で発表されます。



1.背景
 ヒトを含めた動物の神経系は大きく中枢神経系(脳、脊髄)と末梢神経系(知覚神経、自律神経、腸管神経など)に分類されます。哺乳類においては、どちらの神経系のニューロンも非常に再生能が低く、一旦障害されると自然には回復しにくいことが知られています。そのため障害されたニューロンと同じ細胞を移植するため、それらを幹細胞などから作る、いわば「神経細胞パーツ」化の技術が近年注目されています。その典型は中脳のドーパミン神経の変性・脱落でおこるパーキンソン病の治療開発で、試験管内でドーパミンニューロンを産生し、それを大脳基底核に細胞移植することが検討されています。
 以前に、発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹グループ・ディレクター(京大教授を兼任)は、PA6細胞という特殊な細胞が産生する因子を用いて、マウスおよびサルES細胞からドーパミン神経などの中枢神経系ニューロンを試験管内で高効率に分化させる方法(SDIA法)を開発しました。理化学研究所の同グループディレクターと水関健司研究員が中心で進めた今回の研究では、胎児の中で神経系組織が発生する細胞外環境(増殖因子など)を試験管内で再現することで、ES細胞から非常に幅広い種類の神経系のニューロンの「パーツ」を試験管内で産生できることを証明しました。



2.研究手法と成果
 この研究結果には大きく分けて、学術的に2つの重要な点があります。
(ア)非常に広範囲な中枢神経系組織に分化する前駆細胞をES細胞から分化させることに世界で初めて成功
(イ)末梢神経系の前駆細胞およびニューロン分化に世界で初めて成功

【非常に広範囲な中枢神経系組織に分化する前駆細胞をES細胞から分化させることに世界で初めて成功】
以前より、ES細胞から分化させた神経前駆細胞は培養条件によって異なる中枢神経系細胞に分化することは知られていました。例えば、昨年米国のコロンビア大学のグループは、胎児発生で運動神経などの腹側の神経組織を分化させるShhという増殖因子を作用させると、レチノイン酸処理したマウスのES細胞から運動神経細胞が高効率で分化することを報告しています。しかし、この方法で分化させた細胞は、中枢神経系のほんの一部の組織にしか分化しないこともわかっていました。例えば、中枢神経系の一番腹側には「底板」と呼ばれる組織があり、中枢神経系の回路をつなぐ上での道路案内(ニューロンの軸索の伸展誘導などを指示する)の様な役割としています。しかし、この腹側組織は従来のES細胞からの神経分化誘導法では分化させることが出来ませんでした。
 今回、理研研究グループは短い日数のみPA6細胞と共培養したマウスES細胞は、非常に未分化な中枢神経系前駆細胞の性格を有している事実をもとに、これらの細胞にShhを作用させることで、3割の細胞を底板細胞に分化させることに成功しました。また、大阪大学の村上富士夫教授との共同研究でこの底板細胞が実際に中枢神経ニューロンの軸索の伸展誘導を指令できることを証明しました。
 さらに胎児脳発生で背側の中枢神経組織の形成に必要な誘導因子BMP4を低濃度で作用させることで、ES細胞から蓋板などの背側の中枢神経組織を産生することにも成功しました。さらに、ShhやBMP4の濃度を変えることで、「最も腹側から最も背側までのすべての中枢神経組織」をマウスやサル(京大再生研中辻研究室と共同研究)のES細胞から分化させることができることを証明しました。

【末梢神経系の前駆細胞およびニューロン分化に世界で初めて成功】
 笹井グループでは以前に、SDIA法(PA6細胞とES細胞の共培養法)でES細胞が中枢神経系前駆細胞に分化してゆく途中で、高濃度のBMP4を作用させると皮膚細胞に分化することを報告していました。今回、分化開始4日後の細胞に中程度の濃度のBMP4を作用させることで、末梢神経系前駆細胞(神経堤細胞)が分化することに成功しました。さらにBMP4の濃度を微調整することで、末梢神経ニューロンである知覚神経ニューロンと自律神経ニューロン(交感神経など)を分化させることも可能になりました。ES細胞からのこれらの末梢神経系ニューロンの選択的な分化誘導は世界に先駆けるものです。また本報告ではマウスのみならずサルのES細胞からも末梢神経ニューロンを分化させることにも成功しています。



3.今後の展望
【非常に広範囲な中枢神経系組織に分化する前駆細胞をES細胞から分化させることに世界で初めて成功】
 非常に広範囲な中枢神経系組織に分化する前駆細胞をES細胞から産生できることは、脳神経系の再生医学の対象を大きく広げることを意味します。昨今の神経発生学の急速な発展により、胎児脳で様々な中枢神経系ニューロンを発生させる局所の「細胞外環境」が明らかになってきています。試験管内でその「細胞外環境」を再現することができれば、こうしたES細胞由来の前駆細胞から原則的に「どのような中枢神経系組織」をも作ることができることを意味するからです。
 例えば、ドーパミン神経細胞や今回サルのES細胞からも分化誘導に成功した運動神経ニューロンなどはパーキンソン病や運動ニューロン疾患※4の治療に期待がかかっています。それに加えて、現時点では高効率な産生が成功していない中枢神経系組織、例えば大脳皮質、大脳基底核、神経網膜、小脳などのパーツ産生が可能となれば、変性疾患、脳卒中や外傷などによる各部位の治療法の開発に貢献することが期待されます。

【末梢神経系の前駆細胞およびニューロン分化に世界で初めて成功】
 従来、末梢神経系については軸索(神経線維)の損傷に対する軸索再生の研究が進んでいました。一方、末梢神経系の神経細胞そのものが障害を受けたり、欠損している場合は、再生医学の対象とは考えられていませんでした。今回の研究により、ES細胞から末梢神経系の基(神経堤細胞)と神経細胞そのものを分化させることが可能となり、こうした末梢神経系疾患にも幹細胞治療の可能性が出てきました。末梢神経系の発生のメカニズムは未だ不明の点も多く、これからの研究データーの蓄積が必要ですが、そうした研究もこのES細胞からの分化系の樹立によって促進されることが期待されます。
 とくに期待される対象疾患は先天性の消化管疾患で、腸管神経の欠損によって引き起こされるものです。その代表例がヒルシュスプルング病(先天性巨大結腸症)で、神経堤細胞由来の腸管神経の一部の先天性欠損により、新生児の極度の排便障害を引き起こすものです。その他にも、感覚神経系や腸管神経系の分化調整の研究がもっと進めば、遠い将来には組織工学との融合により高機能な人工肛門(便意がわかるなど)などへの応用も夢のひとつとして期待されます。
 このように今回の研究は末梢神経系の再生医学の基盤研究成果として、重要な意味を持つと考えられます。



(問い合わせ先)
理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
細胞分化・器官発生研究グループ
 グループディレクター 笹井 芳樹
TEL: 078-306-1841 FAX: 078-306-1854
 研究推進部 今泉  洋
TEL: 078-306-3005 FAX: 078-306-3039

(報道担当)
理化学研究所 広報室 駒井 秀宏
TEL: 048-467-9272 FAX: 048-462-4715




補足説明

※1 パーキンソン病
パーキンソン病は40歳以後、特に50〜60歳代に症状が出始め、典型的な症例ではふるえ、筋強剛、動作緩慢、姿勢反射障害(倒れやすい)などの症状がみられる。
※2 ヒルシュスプルング病
S状結腸、直腸の神経節欠如によって起こる先天性巨大結腸症のこと。約5,000人に1人の先天性の病気だと言われている。女子に比べて男子の発生率は5倍になっている。
※3 PNAS
全米科学アカデミー紀要(Proceedings of the Academy of Science of the United States of America: PNAS)は世界で最も引用される科学に関する定期刊行物の一つ。発行頻度は隔週刊、オンライン版は連日更新され、プロナスと呼ばれている。1914年の創刊以来、最先端の研究論文等を掲載している(Natureの創刊は1869年、Scienceの創刊は1880年)。インパクトファクターという1論文あたりの引用回数の平均値を計算したものはNature(27.955)やScience(23.329)程ではないが、10.896と10を越えており高い影響力を持つ学術雑誌といえる。ちなみにThomson ISI社の2001年版のリストにおいて、インパクトファクターが10を越えるものは、全5752誌中73誌である。
※4 運動ニューロン疾患
筋萎縮性側索硬化症(ALS、通称アミトロともいう)を初めとする、運動神経細胞(運動ニューロン)が選択的に、かつ、進行性に変性、死滅する原因不明の神経変性疾患で、中高年以降に筋萎縮、筋力低下、痙性麻痺などを呈する神経難病の代表的疾患である。一年に10万人に1人の割合でかかる病気と言われている。また、40歳以上で、かつ、女性よりも男性の方がやや多くかかるとも言われている。






図1

図1 様々な中枢神経系および末梢神経系の細胞をES細胞から分化させるシェーマ
ES細胞にPA6細胞由来因子が働くとまず非常に幅広い範囲の神経系組織に分化する能力を有している未分化神経前駆細胞が分化する。
Shhにより中枢神経系の腹側組織に分化し、底板や運動ニューロンなどを生じる。一方、低濃度のBMP4はこれを背側神経組織に分化させる。未分化神経前駆細胞が中枢神経系細胞に分化する前に中濃度のBMP4を作用させることで、末梢神経系前駆細胞に分化させることができる。






図2

図2 サルES細胞から分化させた知覚ニューロン
サルES細胞から分化させた末梢神経系ニューロンである知覚ニューロン。独特の双極性の神経突起の形態に加えて、 知覚ニューロンのマーカー蛋白であるBrn3a (赤)やペリフェリン(緑)を発現している。






図3

図3 サルES細胞から分化させた運動ニューロン
サルES細胞から分化させた運動神経の集合。Shhとレチノイン酸を作用させると脊髄型運動ニューロンが、Shhのみを作用させて分化した場合は脳幹型運動ニューロンが産生される。
(赤)運動神経マーカー蛋白のIslet1 (緑)成熟ニューロンのマーカーであるTuJ1