Press Release 理化学研究所
平成14年12月23日
細胞膜内の情報伝達に関わる領域を光で操作することに成功
− 特殊な脂質環境が神経細胞の成長に必須であることを証明 −

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、情報伝達に重要な働きをする細胞膜内の特殊領域(脂質ミクロドメイン)をレーザー光で操作することに成功し、神経細胞の成長に脂質ミクロドメインが重要であることを証明しました。理研脳科学総合研究センター(伊藤正男所長)発生・分化研究グループの上口裕之上級研究員および中井陽子研究員による研究成果です。
 脂質ミクロドメインは、細胞内情報伝達のプラットホームと考えられており、個体発生や免疫システム、がんの増殖など多彩な生物学的現象に関与しています。研究グループでは、レーザー光照射によりフリーラディカル※1を発生する蛍光分子を脂質ミクロドメインに付着させ、レーザー光を短時間照射することで、照射部分の脂質ミクロドメインを不活性化することに成功しました。さらに本技術を用いることによって、神経軸索突起※2の先端部(成長円錐※3)に存在する脂質ミクロドメインが、軸索突起の伸長に必須であることを証明するとともに、成長円錐内での脂質ミクロドメインの機能局在も明らかとなりました。
 今回開発した技術は、細胞膜内の微小環境により制御される情報伝達に関わる場所を、選択的に解析することを可能にするものであり、脳科学研究だけでなく、幅広い分野での細胞機能の理解に貢献するものと考えられます。さらに、脂質ミクロドメインが関与するアルツハイマー病、後天性免疫不全症候群、プリオン病などのさまざまな疾患の病態解明や治療法開発への貢献も期待されます。
 本研究成果は、米国の学術専門誌『The Journal of Cell Biology』(12月23日号)で発表されます。



1.背景
 生体の細胞膜を構成する脂質とタンパク質は、細胞膜上に均一に分布するのではなく、特定の分子同士が集合あるいは離散した不均一な局在を示します。ある特定の機能を有する分子同士が集合することにより、細胞膜の局所的な機能分化が起こり、細胞内の小器官の役割分担、あるいは情報処理伝達が可能となります。このような細胞膜微小領域は、主としてコレステロールとスフィンゴ糖脂質※4から構成される数十から数百ナノメートルの大きさで、脂質ミクロドメインと呼ばれています。この領域は、秒〜分単位で離散・再構築を繰り返し、そこには多くの重要な情報伝達分子が会合しています。よって脂質ミクロドメインは、細胞内情報伝達のプラットホームと考えられており、個体発生や免疫システム、がんの増殖やアルツハイマー病に至るまで多彩な生物学的現象へ関与しています。
 発生・再生過程の神経軸索突起の先端部(成長円錐)の細胞膜上には、その周囲環境との接着を媒介し軸索突起の伸長を促進する接着分子※5が発現しています。これら接着分子は、外界からの刺激に応じて神経細胞内へ情報を伝達することにより、軸索突起の伸長を制御します。前述のように、接着分子が発現する成長円錐細胞膜には脂質ミクロドメインが存在しますが、このドメインが軸索伸長に関与するか否かを検証するのは困難でした。なぜなら、軸索突起のような細胞の一部の領域でのみ脂質ミクロドメインの機能を急速(秒〜分単位)に不活性化する手法が無かったからです。そのため、脂質ミクロドメインの機能を急速かつ部位選択的に操作する技術の確立が待ち望まれていました。



2.研究成果と手法
 研究グループでは、顕微鏡下でレーザーを照射し、照射野内の特定分子の機能を無くす(顕微鏡下レーザー分子機能不活性化:Micro-scale chromophore-assisted laser inactivation: micro-CALI)技術を応用して、脂質ミクロドメインの部位選択的機能阻害を試みました。脂質ミクロドメインにのみ存在するスフィンゴ糖脂質GM1を特異的に認識するコレラ毒素Bサブユニット(CTxB)にFluorescein isothiocyanate (FITC)という蛍光色素を付加した化合物を作成し、この化合物(FITC付加CTxB)を神経細胞培養系に添加することにより、神経細胞の脂質ミクロドメインをFITCで標識しました。FITCは、480nm近傍の波長の光が照射されると、フリーラディカルを発生するという性質があります。よって顕微鏡下で同波長のレーザー光を神経細胞の一部の領域に照射し、FITCからのフリーラディカル発生を誘起することにより、FITC近傍の分子を破壊することができます。FITCから発生したフリーラディカルの到達距離は4ナノメートル未満と微小な範囲に限られますので、その影響はほぼ脂質ミクロドメイン内のみにとどまります。
 脂質ミクロドメインは界面活性剤に不溶であるという重要な特性をもっています。実験の結果、レーザー照射野に限局してこのドメインの界面活性剤不溶性が損なわれ、脂質ミクロドメインが不活性化したことが分かりました。また、本実験系では、30秒間のレーザー照射が脂質ミクロドメインの特性を変化させるのに充分でした。
 次に、新たに開発した方法を用いて、神経軸索突起の成長過程における脂質ミクロドメインの関与を解析しました。まず、軸索伸長を促進する代表的な接着分子(L1、N-カドヘリン、beta1インテグリン)の細胞膜上での局在を解析しました。すると、L1とN-カドヘリンは、脂質ミクロドメイン内外両方に存在しますが、beta1インテグリンは、脂質ミクロドメイン外にのみ存在することが明らかになりました。さらに新手法を用いて軸索突起の先端部(成長円錐)の脂質ミクロドメインを不活性化すると、L1とN-カドヘリンを介した軸索伸長は停止しましたが、beta1インテグリンを介した軸索伸長は影響を受けませんでした。また成長円錐を細分化して解析したところ、成長円錐の先端縁近傍に存在する脂質ミクロドメインが、L1とN-カドヘリンを介した軸索伸長に必須であり、成長円錐中心部の脂質ミクロドメインは軸索伸長には関与しないことが明らかになりました。



3.今後への期待
 脂質ミクロドメインの機能を急速かつ部位選択的に操作できる画期的な方法を確立し、神経成長過程における脂質ミクロドメインの重要性とその機能局在を解明したことは、情報伝達のメカニズム解明に重要な知見を与えるものです。脂質ミクロドメインは、さまざまな生物学的現象への関与が注目されています。本研究で得られた技術が普及することによって、脂質ミクロドメインの細胞、組織内での部位特異的な機能解析が飛躍的に進歩し、細胞膜の局所機能分化あるいは細胞内情報伝達のメカニズム解明に向けて、大きく前進していくものと考えられます。さらに、脂質ミクロドメインが関与するアルツハイマー病や後天性免疫不全症候群、プリオン病などのさまざまな疾患の病態解明や治療法開発への貢献も期待されます。



(問い合わせ先)
理化学研究所
脳科学総合研究センター 発生・分化研究グループ
上級研究員 上口 裕之
TEL: 048-467-6137 FAX: 048-467-9744
脳科学研究推進部 宮本 寛
TEL: 048-467-9596 FAX: 048-462-4914
(報道担当)
理化学研究所 広報室 嶋田 庸嗣
TEL: 048-467-9271 FAX: 048-462-4715




補足説明

※1 フリーラディカル
不対電子をもつ不安定な化学種で、反応した他の分子の構造に影響をおよぼす。
※2 神経軸索突起
神経細胞から伸びる細長い突起で、電気的情報を遠隔部位に存在する他の神経細胞や筋肉細胞などに伝える。複雑かつ精巧に張り巡らされた神経軸索突起のネットワークが、脳神経系の働きの中心的役割を担っている。
※3 成長円錐
神経発生・再生過程において、伸長している軸索突起の先端部に形成される手の平の形をした領域。
※4 スフィンゴ糖脂質
スフィンゴ糖脂質は、主に動物細胞膜の構成成分の一群であり、細胞間相互認識、細胞間相互作用を介した増殖・分化の制御などに関与していることが明らかになってきた。スフィンゴ脂質は、スフィンゴシンと呼ばれる長鎖アミノアルコールを基本骨格に持っているのが特徴。
※5 接着分子
細胞膜上に発現する蛋白質で、その細胞の周囲環境と結合することにより細胞の接着を媒介する。多くの場合、細胞の運動も制御している。






図1

脂質ミクロドメインとは、特殊な脂質分子と蛋白質(GPIタンパクなど)が濃縮した細胞膜上の微小領域であり、Srcなどの情報伝達分子を豊富に含むため、細胞内情報伝達のプラットホームと考えられている。脂質ミクロドメインにのみ存在する脂質GM1をFITC-CTxBで標識し、細胞の一部の領域にレーザー光(480 nm)を照射する。レーザー照射されたFITCから放出されるフリーラディカルがその近傍の分子を破壊するため、この方法により細胞の一部の領域(レーザー照射野)に存在する脂質ミクロドメインを機能阻害することができる。






図2






図3






図4






図5