Press Release

理化学研究所
平成14年8月2日

局所刺激による細胞内シグナルの伝播メカニズムを解明

プレス発表情報一覧




 

 理化学研究所(小林俊一理事長)は、細胞の局所刺激で生じたシグナルが、“刺激部位に留まるのか”、“細胞全体に伝播するのか”という生物学における基本問題に対して、明確な解答を与えました。ミシガン大学(高山秀一講師)および大阪大学(松田道行教授)の協力のもと、理研脳科学総合研究センター(伊藤正男所長)細胞機能探索技術開発チームの宮脇敦史チームリーダ、沢野朝子テクニカルスタッフによって得られた研究成果です。
 細胞膜上にある受容体によって受け止められる外界からの刺激は、種々のタンパク質の相互作用を経て、特定のシグナルを発生し、時間的・空間的に特徴的なパターンを伴って細胞内に伝わり、細胞の増殖や分化の発現に関与します。しかしながら、局所刺激を受けた細胞内でシグナルがどのように伝播していくかは、明確な解答が得られていませんでした。研究グループでは、増殖にかかわる細胞内シグナル伝達を感知する2種類の蛍光指示薬を用い、さらに細胞に局所的に刺激を与える装置を駆使することによって、刺激を受け止めた受容体からのシグナルが、時空間的に細胞内でどのように広がるのかを解析しました。その結果、細胞膜上の受容体の密度、および活性化された受容体を取り込んで刺激をクリアする能力が、“シグナルが刺激部位に留まるか、細胞全体に広がるか”を決める重要な要素となっていることが分かりました。
 増殖にかかわるシグナル伝播のメカニズムは、発生段階の形態形成や、細胞のがん化などの生物現象を議論する際に不可欠な知見であり、さまざまな疾病の抑制に向けた新たな手がかりを与えるものと期待されます。
 本研究成果は、米国の学術雑誌『Developmental Cell』の8月号に掲載されます。

 

1.背景


 外界からの刺激が細胞内に伝播する機構は、生物学者にとって長年議論されてきた謎です。細胞内のシグナル伝達の時空間的広がりをシミュレーションするためには、この機構の解明が、パラメータ設定上重要と考えられてきました。
 増殖にかかわる細胞内シグナル伝達として、チロシンリン酸化のシグナルが詳しく調べられており、このシグナル伝達は、上皮増殖因子(EGF)※1の投与によって引き起こすことができます。多くの研究者は、このチロシンリン酸化シグナルを可視化するために、蛍光タンパク質(Green Fluorescent Protein:GFP)を融合させたEGF受容体を細胞に大量に導入する方法を採用してきました。しかしながら、GFPで蛍光ラベルされたEGF受容体の大量導入は、細胞をガン化に近い状態にさせてしまうという問題点があります。また、局所的にEGFを投与する手法として、EGFをまぶしたビーズを降りかける方法が採用されてきました。しかし、この方法ではEGFがビーズに固定されているため、EGFとEGF受容体との複合体が、細胞内に取り込まれて代謝されていく本来の負の調整機構が抑制されてしまいます。
 これまで、これらの手法を用いて、局所的EGF投与によるチロシンリン酸化シグナルの時空間的広がりパターンに関する論文が発表されましたが(『Science』2000年11月24日号)、“EGF受容体の大量導入”、“ビーズを介したEGF投与”などによって引き起こされる影響については十分な考慮が無く、その見解については賛否が分かれていました。

 

2.問題解明のための戦略 −新技術の導入−


 研究グループは、細胞の局所刺激が引き起こすシグナルの伝播メカニズムの問題に取り組むため、2つの戦略をたてました。ひとつは、GFPでラベルされたEGF受容体の代わりに、この受容体がチロシンリン酸化された後に起こる事象※2を可視化するための2種類の蛍光指示薬を細胞内に導入しました。具体的には、EGFを結合した際に、細胞膜直下で起こるチロシンリン酸化シグナルを可視化する蛍光プローブ(Picchu-X※3)と、Rasタンパク質の活性化を可視化する蛍光プローブ(Raichu-Ras※4)です。Rasタンパク質は、低分子量Gタンパク質の代表であり、細胞の分化や増殖を担っています。活性化されたEGF受容体からの増殖シグナルは、チロシンリン酸化によって情報変換され、さまざまな因子がリレーすることによって情報が伝達されますが、Rasタンパク質は、そのなかでも中心的な役割を果たしています。これらのプローブは、ある程度大量に細胞内に導入しても細胞本来のシグナル伝達システムに影響を与えないことが証明されています。
さらに、細胞にEGFを局所的に投与するため、流体力学的技術を適用しました。流路を狭く、また流れのスピードを遅くすることによって層流を実現させ、一個の細胞がEGFを含む流れと、含まない流れにさらされるような状況を作り出しました。EGFは、水に溶けた状態で細胞に与えられるので、ビーズを用いた場合と異なり、受容体との複合体形成後に細胞内へ取り込まれることが可能です。

 

3.研究成果


 研究グループが考案したシステムを用いて、通常のCOS細胞※5で実験を行ったところ、局所的EGF刺激に対して、細胞膜直下で起こるチロシンリン酸化シグナルも、Rasタンパク質の活性化も刺激部位に留まる様子が観察されました。一方、COS細胞にEGF受容体を強制的に過剰発現させて、細胞膜上のEGF受容体密度を上げると、どちらの現象とも刺激後、速やかに細胞全体にわたって伝播することが分かりました。これらの結果から、EGF刺激によって起こる細胞内チロシンリン酸化シグナルの伝播は、細胞膜上のEGF受容体の密度に依存することが示唆されます。また、細胞内では、EGFとEGF受容体との複合体を細胞内に取り込むという、負の調節機構が働いています。この細胞内への取り込み活性を薬理学的に阻害しておくと、受容体を過剰に発現しないCOS細胞でも、シグナルが細胞内全体に伝播する様子が認められました。
 以上の結果から、細胞におけるEGF受容体の数(密度)、および活性化した受容体を取り込んで刺激をクリアする能力が、シグナル伝播のパターンを決めていることが明らかになりました。この2点に関する情報が得られれば、その細胞が局所的EGF刺激を受けた時、チロシンリン酸化シグナルが時空間的にいかに広がるかを予測できることになります。従来の研究は、このようなパラメータに関して研究者がほとんど考慮、またコントロールしなかったため、実験データから包括的な理解が得られませんでした。本研究結果は、その問題に対する明確な解答であり、従来の研究データを見直すきっかけとなるものです。例えば、他の多くの研究者が行っているように、GFPを融合したEGF受容体を細胞に導入した時点で、チロシンリン酸化シグナルの局在化は観察されないことを意味しています。

 

4.今後への期待


 今回の実験系は、実際の生体での状況を十分考慮しており、発生過程における生理的な器官形成動態を解析する上で重要な知見を提供するものと期待されます。殊に個々の細胞が非常に多様な形態を示す脳神経系の研究においては、局所刺激によるシグナル伝播を解析することが重要であり、今後の脳科学研究の発展に大きく貢献するものと考えられます。
 また、本研究で得られた成果は、がん細胞の浸潤のような病理的な細胞増殖現象の理解だけでなく、がん細胞の浸潤を抑制することにも役立ちます。つまり、活性化された受容体の取り込み能力を亢進(こうしん)することなどによって、細胞膜上の受容体数を調節し、がん細胞の増殖を抑えるという新たなアプローチが可能となり、臨床医学的にも大きなインパクトを与えるものと期待されます。

 

 

 

(問い合わせ先)

理化学研究所

脳科学総合研究センター 細胞機能探索技術開発チーム

チームリーダー

宮脇 敦史

FAX:048-467-5924

脳科学総合研究センター
 脳科学研究推進部

宮本  寛

TEL:048-467-9596

FAX:048-462-4914

(報道担当)

理化学研究所 広報室        

嶋田 庸嗣、仁尾 明日香

TEL:048-467-9271

FAX:048-462-4715


 

補足説明

 

※1 原子核の存在限界

原子核が存在する場合は弱い相互作用で崩壊する。いわゆるβ崩壊である。弱い相互作用の結合定数は小さいので寿命は10−3秒以上ある。逆に存在することができない場合は、強い相互作用、つまり原子核内で陽子と中性子を固く結びつけている力が安定ではないので、すぐに崩壊してしまう。この際の崩壊に要する時間は、中性子が原子核の周りを1周する程度の時間スケールできまり、10―22秒程度となる。


※2 EGFによるシグナル伝達機構

EGFは、細胞膜に局在するEGFR(受容体)に特異的に結合する。EGFが結合した受容体は、結合していない場合に比べ、スイッチが“オン”になった状況になり、まず自分自身のチロシンを活性化(自己リン酸化)する。この状態は、細胞にとっては、いわゆる“興奮”状態であり、細胞の増殖へとつながる信号が核へと一気にリレーされていく。通常、受容体から増殖までのリレーは、1段階ということはありえず、複数の段階を経る。代表的なリレーは、「EGF _ EGFR _ Grb2 _ SOS _ Ras _ raf _ MEK _ MAPK _ 細胞増殖」という段階を経る。


※3 蛍光指示薬「Picchu−X」

"a Phosphorylation Indicator of CrkII Chimeric Unit" の頭文字をつないで命名された細胞内チロシンリン酸化のセンサー。2001年、大阪大学の松田道行教授グループにより開発、発表された。


※4 蛍光指示薬「Raichu−Ras」

“Ras and Interacting protein Chimeric Unit” の頭文字を繋いで命名されたRasたんぱく質の細胞内における活性化をモニターできるセンサー。2001年、大阪大学の松田道行教授グループにより開発、発表された。


※5 COS細胞

サルの腎臓からライン化された上皮系細胞。細胞あたり4万個のEGF受容体が存在し、外来からの一定以上のEGF刺激に反応し、増殖、分化、細胞運動、などの表現型を示す。

 


 

 

図1.

局所刺激の為の層流を作るチャンネルの概略図

例えば細胞の左側のみに赤色の蛍光でラベルしたEGFを投与することができる。



 

図2.

COS細胞において観られたRasタンパク質活性化の局在化

 

左の図で、細胞右側の紫色でシェーディングした部分にEGFを投与したところ、
その部分に限局してRasの活性化が起こった(右図で赤色の部分)。

 

 

 


 

 

図3.

EGF受容体を過剰に発現させたCOS細胞においてみられたRasタンパク質活性化の伝播  

 

細胞の右側のEGF刺激(左図、紫色シェーディング)によって、速やかにRasの活性化が細胞全体に拡がった(右図)。