Press Release

理化学研究所
平成13年12月17日

偏極陽子ビームの加速・衝突に世界で初めて成功
− 世界初の偏極衝突型加速器の誕生 − 

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、米国・ブルックヘブン国立研究所(BNL)と共同で建設を進めてきた偏極陽子ビームの衝突実験装置によって、スピンの向きをそろえた(偏極した)陽子を高エネルギーで正面衝突させることに世界で初めて成功しました。本研究成果は、理研放射線研究室(延與秀人主任研究員)が中心となって計画を立案し、BNL Collider Accelerater Department(衝突型加速器研究部門)および理研BNL研究センター(T.D Leeセンター長)を核とする国際共同研究チームによって達成されたものです。
 万物を構成する素粒子は、すべてスピンという地球の自転に似た性質を持っており、これが素粒子間の反応や素粒子の崩壊を支配しています。陽子など核子中にはクォークがあり、それを結びつける“のり”の役割を果たすのがグルーオンです。核子のスピンを、その内部にあるクォーク、グルーオンのスピンから理解するために、偏極した陽子同士を正面衝突させる必要があります。理研放射線研究室では、BNLと共同で「サイベリアン・スネーク」と呼ばれるスピン偏極制御装置を開発し、BNLで稼働中の「RHIC(相対論的重イオン衝突型加速器)
※1」に組み込みました。本装置によって初めて、スピンの向きを制御して衝突させることが可能となりました。
 本実験を推進することで陽子スピンの担い手が明らかになるばかりでなく、偏極したクォークやグルーオンを用いた対称性の研究
※2が大きく進展し、画期的な研究成果を生み出す可能性を秘めています。
 本研究を推進するため、日米科学技術協力協定のもと理研とBNLは1995年から共同研究を始めました。1997年には、現地組織として理研BNL研究センターを設立し、理論、実験の両面から研究を進めています。

 

1.背景


 クォークなど素粒子を特徴づける要素として、スピンと呼ばれる地球の自転に相当する角運動量があります。スピンは、地球の公転に相当する軌道角運動量※3とともに反応の前後で変化しない保存量であり、素粒子間の反応のあり方や崩壊などを支配しています。従来、自然界の法則では右と左は対称だと信じられてきました。つまり鏡の中の世界を説明する物理法則と、われわれの世界を説明する物理法則とは同じであると考えられていたのです。ところが鏡の中の世界は、われわれの世界と異なっていると予言したのが、ノーベル物理学賞受賞学者で、理研BNL研究センターの所長を務めるT.D. Leeでした(パリティの破れ:1956年ノーベル物理学賞受賞)。その検証には「右回転」と「左回転」という逆の方向に“スピンしている”原子核が用いられました。このようにスピンは、空間のなかで“左”“右”を決定する重要な役割があります。
 一方、陽子など核子は、3つのクォークと、それを“のり”のように“強い力”でつなぐグルーオンから構成されています。今まで核子のスピンは、3つのクォークのスピンの足し合わせで説明できると考えられていました。しかし、最近の分析結果では、クォークのスピンを足しても核子全体のスピンには足りないことが分かりました。これを物理学者は、“陽子スピンの謎”と呼びます。そのため“足りない残りのスピンを何が担っているか”という謎を解明するため、グルーオンのスピンも正確につかむ必要が出てきました。
 クォークとグルーオンは核子の中に閉じ込められていて単独では取り出せません。理研が進める「スピン物理」研究は、陽子ビームをさまざまなスピンの向きで衝突させて反応を調べ、核子の中の世界を探ることを目的としています。そのためには、陽子ビームのスピンの方向を一致させたまま加速し、衝突させることが必要となります。

 

2.偏極ビームの発生


 偏極ビームの加速が難しいのは減偏極という現象のためです。陽子のスピンは、加速器中の磁場と相互作用し、歳差運動※4します。ビーム中のすべての粒子がシンクロナイズドスイミングのように、ぴったりと意気を合わせて歳差運動していれば偏極は失われません。しかし、“磁場やビーム軌道の理想値からのずれ”、“ビームの位置・運動量の位相空間における広がり”などが原因でビーム中の粒子それぞれの回転がバラバラになってしまいます。これが減偏極です。
 減偏極は、周期的にスピンを180度回転させることによって回避できます。RHICでは、ビームがリングを一周するごとに2回反転させます。こうすることによって前周期でおこった歳差運動は、次周期にキャンセルされ、もとの位置に戻ります。この反転のために導入されたのが「サイベリアン・スネーク(シベリアの蛇)」と呼ばれる特殊な双極電磁石群です。この奇妙な名前の由来は、“電磁石中を通過するビーム軌道が蛇のようにうねっていること”、そして“このアイディアがロシア・ノボシビルスク州の原子核研究所で生まれたこと”に由来します。螺旋(らせん)型に磁場を発生すべく、ひねって作られたこの超伝導電磁石は、その入り口と出口でビームの進行方向を変えずにスピンを反転することができます(図1)。また、同様な磁石を組み合わせることにより、スピンを任意の方向に向けることもできます。このような組み合わせの磁石を「スピン・ローテーター」と呼び、これを実験装置の前後に設置することで、さまざまなスピン方向での衝突が可能となります。
 陽子ビームのスピンがそろっている、すなわち偏極が保たれているかどうかを知るためには、偏極度計が必要です。これには炭素標的との弾性散乱を用いました。進行方向に垂直で鉛直上方に偏極した陽子はわずかながら左側に散乱されやすい傾向をもっています。逆に陽子が左に散乱されれば、鉛直上方に、右に散乱されれば鉛直下方に偏極していたとわかります。左右同等なら、偏極は失われたことを意味します。今回使われた測定器は、陽子によってはじき出された炭素原子核を測定するもので、この実験のために新しく開発されました(図2)。

 

3.実験概要


 衝突時のエネルギーが高くなればなるほど、陽子のより微細な構造を捕らえることができます。すなわち陽子と陽子が散乱するというよりも、内部の構成要素であるグルーオンやクォークが散乱したと考えられます。本実験ではまず、偏極イオン源でスピンの向きがそろった陽子を作りだします。さらに“線形加速器”、“ブースター加速器”、“AGS加速器”を経て24ギガ電子ボルト(GeV)まで加速され、その後、RHICの加速リングに注入されます。RHICの加速リングは2つあり、偏極した陽子はそれぞれのリングの中を逆向きに周回しながら最大250 GeVまで加速されます。この時の陽子の速度は光速の99.999%に達します。加速が終わった陽子はそのまま一定速度で加速リングの中を周回し、6カ所にある衝突点で正面衝突をして反応を起こします(図3)。
  偏極した陽子の衝突を観測するのは、主に3つの実験装置、「PHENIX(図4)」、「STAR」、「PP2PP」です。理研を中心とした共同研究チームは、PHENIXを用いて衝突の観測を行っています。PHENIXは、ミューオンや電子、陽電子および光子の測定を得意としています。これらの粒子を測定することにより、起こった散乱がクォークやグルーオンのどの組み合わせで起こったのかを識別することができます。例えばグルーオンとグルーオンが散乱したことは、それらが融合して消滅し、重いクォーク対(チャームクォークやボトムクォークなど)を発生したことを確認すれば分かります。融合を起こす確率は、最初のグルーオンのスピンの向きに依存します。そのことから、衝突を起こす陽子のスピンを平行にした場合と反平行にした場合の重いクォークの発生頻度を比べ、もし違いが生じればグルーオンは陽子のスピンの向きに偏極していることが確認されるわけです。
 PHENIXで得られるデータは、理研・和光本所内に建設されたデータ解析システム(CCJ)で解析されます(図5)。このシステムはPHENIXが生み出す膨大なデータに対応するため220 台のCPU(Pentium。) を使用したLinux CPUファームと、250テラバイトの容量をもつ高機能テープライブラリー装置からなります。このシステムは2000年(平成12年)6月より運用が開始されました。すでにシミュレーションなどを行ないながら、実際のデータの到来を待ちうけています。

 

 

4.期待される研究成果


 陽子スピンの謎を解く最大の可能性は、グルーオンがスピンを担っていることです。グルーオンが陽子スピンを担うことを“グルーオンは偏極している”といいます。PHENIXを用いるとグルーオン同士の散乱や、グルーオンとクォークの散乱を選び出すことができるので、グルーオンの偏極度を直接測定することができます。もしグルーオンとクォークの偏極で陽子のスピンが説明できれば、その時点で陽子スピンの謎は解決されることになります。さらに陽子のスピンが説明できない場合は、クォークやグルーオンの軌道角運動量(すなわち公転運動)も陽子のスピンを担っていると考えられます。
RHICの偏極陽子衝突のもうひとつのハイライトは、弱い相互作用を媒介する粒子「Wボソン」の生成です。Wボソンが生成された時には、アップ・クォークと反ダウン・クォーク、もしくダウンクォークと反アップ・クォークの組み合わせが散乱を起こしたことが分かります。すなわち、クォークの種類(反クォークを含め の4種類)を同定し、その偏極度を測ることができます。この測定は、RHICで陽子を250GeV同士で衝突させることにより可能となります。クォーク・反クォークの種類を識別した偏極度の計測は世界で初めてのものとなります。クォークやグルーオンの偏極度がわかると、相互作用の対称性を調べることができます。パリティを破るような未知の相互作用に対しては、米国で稼働している陽子・反陽子衝突型加速器「テバトロン」※5や欧州で建設が進む大型陽子・陽子衝突型加速器「LHC」※5のような偏極していない加速器よりも感度のよい探索ができる可能性も指摘されています。

 このような研究が最終的に目指すものは、われわれの世界をつくっている陽子、中性子、さらにはそれが集まってできる原子核に働いている力である「強い相互作用」を理解することです。われわれ研究者は、「強い相互作用」は量子色力学(QCD)※5で説明できると信じていますが、量子色力学を用いて陽子の重さを説明することも、陽子のスピンを説明することもいまだにできていません。今回の実験で陽子のスピン構造が明らかになると、「強い相互作用」の統一的理解に向けて大きなステップが踏まれることになります。このことは、物質がどのように形成されているかを解く、大きな手がかりをつかむことになるのです。

 

(問い合わせ先)

理化学研究所

放射線研究室 主任研究員  延與 秀人

TEL:048-467-9345

FAX:048-462-4641

(報道担当)

広報室           嶋田 庸嗣

TEL:048-467-9272  

FAX:048-462-4715


補足説明

※1 RHIC(相対論的重イオン衝突型加速器)

 RHIC(Relativistic Heavy Ion Collider)は、世界初の重イオン衝突型加速器として、1995年より建設をはじめ、1999年10月に完成した。2000年には、金の原子核を核子あたり65ギガ電子ボルト(GeV)まで加速し、衝突させることに成功。翌年には、金の原子核を核子あたり100GeVまで加速し、総エネルギーにして約40テラ電子ボルト(TeV)での衝突実験が行われた。これに引き続き、今回、偏極陽子の衝突実験が実現した。スピン軸をそろえた(偏極した)陽子同士の散乱としては世界最高エネルギーであり、これまで研究されていたエネルギー領域と比べ10倍の高エネルギーである。
 クォークやグルーオンはお互いの距離が離れるほど引力が強くなる性質を持っていて、決して単体で観測されることはない。これを「閉じ込め」と呼ぶ。RHICの原子核衝突で得られる高温度状態では「閉じ込め」が解け、クォークやグルーオンがプラズマ状態となるであろう。この状態は、ビッグバン直後の宇宙の状態であったと考えられる。
 重イオン衝突はクォークとグルーオンをバラバラにしようという挑戦であるが、3つのクォークが陽子として“閉じ込め”られる機構も理解されているわけではない。特にナイーブに予想されていた「クォークのスピンが陽子のスピンを担っている」という描像はまったく成り立たないことが実験的に分かっている。この問題を解き、見失われたスピンの担い手を探すのが偏極陽子衝突実験である。


※2 対称性の研究

 物理学の理論は当初、自然法則の対称性を仮定して構築されるが、ほとんどの場合その対称性が破れていることが分かる。鏡の中と外の世界が異なっているという「パリティの破れ」、宇宙初期に物質と反物質の違いを生み出した「CP対称性の破れ」などがその好例である。そこで理論は、対称性の破れを説明することで、より高度な段階へと進む。「パリティの破れ」はT.D. LeeとC.N.Yanによって、「CP対称性の破れ」は小林誠と益川敏英によって定式化された。このように対称性の破れの研究は物理学の進展に大きく寄与してきた。


※3 軌道角運動量

 フィギア・スケーターは、大きく円を描きながら周り、その回転半径をだんだん小さくしていって最後には一点でスピンする。最初の大きな円(公転している)で軌道角運動量を得て、その半径を小さくする過程で角運動量保存を利用して高速のスピン回転(自転している)に持ち込む。すなわち、スピン角運動量と軌道角運動量の和が保存する原理を利用している。大きな円弧を描いているときはゆっくりとした回転だが、スピンするときは高速になる。


※4 歳差運動

 方位磁石(コンパス)は、北の方向を中心として振動する。これはコンパスの針が円運動するような構造になっているためであり、完全に自由にしておけば北の方向のまわりに回転することになる。この回転運動を歳差運動と呼ぶ。回転周期は、外の磁場の強さとコンパスの磁力の強さで決まる。加速器の中では、歳差運動の周期は電磁石の強さと陽子のもつ磁気能率で決まる。電磁石の不均一性が周期の違いを生み、偏極を失う原因となる。


※5 テバトロン・LHC

テバトロンとは米国・シカゴの郊外にあるフェルミ加速器研究所で稼動中の陽子・反陽子衝突型加速器で、最高衝突エネルギーは約2TeVである。1994年にはトップ・クォークの発見を報じた。LHCとは欧州原子核研究所(CERN)で建設中の大型陽子・陽子衝突型加速器。最高衝突エネルギーは14 TeVに達し、原子核・原子核衝突も行われる。2006年に運転が開始される予定。


※6 量子色力学(QCD)

量子色力学(QCD: Quantum Chromodynamics)は、クォークに働く強い力を「色」によって表現する理論。陽子や中性子では、3つのクォークがそれぞれ別の「色」(赤、緑、青)を持っており、グルーオンの媒介で「色」を交換することにより結合している。

 


 

 

 

図1 製作途中のサイベリアン・スネーク(上)とサイベリアン・スネーク中の粒子の軌道(下)


 

 

図2 偏極度測定の原理図(上)とRHICの加速器リングに設置された偏極度測定装(下)


 

 

図3 RHICの概念図(上)と航空写真(下)


 

図4

偏極陽子衝突実験のため新たに建設されたミューオン測定装置(上)と
PHENIX実験装置と国際共同実験チーム(下)

(世界12カ国・50研究機関から400人の研究者が参加)


 

 

図5

データ解析に使用される250TBのテープライブラリー装置(上)とLinux CPUファーム装置(下)