Press Release

  理化学研究所
平成13年 9月13日

発生過程における脳形成の一端を解明
― 大脳スライス培養で神経幹細胞分裂の瞬間をとらえた −

プレス発表情報一覧




 

 理化学研究所(小林俊一理事長)は、発生過程の脳における神経幹細胞と“脳の組立(形成)”との関係を明らかにしました。理研脳科学総合研究センター(伊藤正男所長)細胞培養技術開発チームの小川正晴チームリーダー、宮田卓樹研究員らの研究グループによる研究成果です。
 神経幹細胞は、分裂をしてニューロンをはじめとする脳細胞のもととなる細胞です。しかし、これまでの研究では神経幹細胞を取り出さないと実際に脳が形成される過程での変化の様子を観察することはできませんでした。本研究では、独自の培養法を用い、生体内の脳組織の立体構造を破壊することなく、神経幹細胞の変化を観察することに世界ではじめて成功しました。その結果、以下の事柄が明らかになりました。

1.

神経幹細胞は、長い突起を持っており、その突起は神経幹細胞の分裂の瞬間にも残ったままである。

2.

神経幹細胞の突起は、分裂によって生み出されたニューロンに直接、受け継がれ、ニューロンの移動のために活用されている。

 本成果は、従来の発生学の教科書を30年ぶりに書き換える新たな発見であり、神経幹細胞が細胞を生み出すだけでなく、層状に形作られる脳の形成に深く関わっていることを示すものです。さらに、本研究を進めることによって、外傷などで失った脳組織の再生医療の基盤となることが期待されています。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron』(9月13日発行)で発表されます。

 

1.背 景

   

 神経幹細胞は、分裂してニューロンを生み出すことのできる細胞です。私たちの脳が形成される途中の胎生期には、この神経幹細胞から多くのニューロンが生み出されると考えられています。生み出されたニューロンは、その時期や場所により、特定の位置にまで移動し、最終的に大脳ではいくつかの層を形成し、大脳皮質を形づくることが知られています。
 脳の再生医学が注目されるなか、培養皿の中で神経幹細胞を増やし、欲しい種類のニューロンを作り出す方法についての研究が精力的に行われています。今後はこのような幹細胞からどのようにして立体的で機能的な脳を“組み立てる”か、という視点も必要になってきます。しかし、実際に脳が形作られる発生の過程で、神経幹細胞がどのように変化してニューロンを生み出しているのかについてはほとんど情報がありませんでした。
 これまで発生期の脳の“組み立て”に関しては、“ニューロンの移動”という視点から研究が行われてきました。細胞培養技術開発チームは、かねてからニューロンの移動と配置の問題に注目し、それに深く関与する“リーリン”※1という分子の働きを通して、脳がどのように形作られるかを種々の細胞培養法を駆使し研究してきました。今回、研究チームでは、生きた脳組織の中での神経幹細胞の挙動を直接観察するという新しい培養法を用いて、神経幹細胞と、ニューロンの移動、すなわち「脳」の組み立てとを初めて結びつける成果を得ました。

2.研究手法

  

 本研究で用いた手法は、発生途中におけるマウス大脳中の神経幹細胞の細胞膜を赤い蛍光色素(DiI※2)で標識し、この大脳から作ったスライスをそのまま培養して観察するという独自に開発した手法です。この方法により大脳の中の様子をそのまま断面視することが可能となり、神経幹細胞がどのように分裂するのかを詳細に観察、記録することができました。さらに、分裂によって生じた細胞がどういった種類の細胞であるかを特異的タンパク質の発現に基づいて調べました。

3.研究成果

  

 本研究により得られた最も成果は以下の2点です。いずれも従来の発生学の教科書を書き換える、新たな発見です。

1.

神経細胞は長い突起を持ったまま分裂する

 神経幹細胞は長い突起で脳の表面につながっていますが,その突起を持ったまま分裂します(図または写真)。過去30年間、分裂の瞬間の細胞は丸く,どんな突起ももっていないと信じられてきました(それまでもっていた突起を、分裂の直前に失ってしまうと考えられてきました)。今回の研究では,培養の連続記録によって 神経幹細胞の分裂をつぶさに観察した結果、長い突起がそのまま残って分裂することが明らかになりました。残った突起は必ず、細胞分裂によって生み出された2つの細胞のうちのどちらか片方に直接受け継がれます。

2.

神経幹細胞からニューロンへ突起が“相続”される

 ニューロン1個と幹細胞1個を生みだすような分裂においては、突起はニューロンに受け継がれます。そのようなニューロンは生まれたときから長い突起で脳の外側の膜につながっていることになります。宮田研究員はこのようなニューロンをその形態に基づいて「放射状ニューロン」と名付けました。このニューロンは、(親であるところの)神経幹細胞からもらい受け、今や自分自身のものとなった長い突起を利用して(まるでロープをたぐり寄せるように)移動していきます。この発見は、ニューロンの移動法として全く新規なメカニズムを示してくれました。従来は、エレベーターの上昇に例えるなら、エレベーターの「箱」はすべて横の壁に支えられて(そこに歯車のかみ合わせがあって)上がっていくのだと考えられていたのが、それに加えて、「箱」は一階にいる時から天井にワイヤーでつながっていて,そのワイヤーをたぐるように上がっていくのだということが新たに分かったということに相当します。
 これらの発見から、限られた時間、空間、素材を利用して効果的に脳を作り出している生き物の知恵の一端を知ることができます。

 

 

4.今後への期待

  

 文部科学省科学技術政策研究所発表(平成13年7月18日)の「技術予測調査」によると、19年後には「幹細胞から任意の臓器を作成」でき、25年後には「組織工学を使い再生された臓器を使った治療が一般的に」なることが予測されるとあります。中枢神経系の再生をめざす歩みの中でも、培養皿の中で神経幹細胞を増やし、ニューロンを作らせることがかなり可能になってきました。そして、細胞には想像以上の可塑性(フレキシビリティ)があることが分かってきました。それがこのような「夢」の予想がなされた背景といえます。
 今後は、外傷、変性疾患などで欠損した脳や網膜を補うことを念頭においた「細胞工場」や移植法の洗練の延長線上として、細胞の持つフレキシビリティを生かしながら、生体本来の組織をまねた「人工的組織」を立体的・3次元的に作り出していく方法を模索する必要があります。そのためには、培養技術をさらに高めると同時に、本研究で得られたような、神経幹細胞や他の細胞における「かたちと機能のつながり」に関する基礎的な情報を、生体の中から徹底的に収集することがますます重要になります。今回の研究のように“眼を凝らす”仕事と、(培養方法の開発など,応用を意識した)“手を鍛える”仕事が同時進行してこそ,上記のような夢のような技術が可能となるのではないでしょうか。

 

 

 


(問い合わせ先)    

理化学研究所

脳科学総合研究センター 細胞培養技術開発チーム

研究員(医学博士)  宮田 卓樹
TEL:048-462-1111(ex7707) FAX:048-467-5496

脳科学総合研究センター

脳科学研究推進部   田中 朗彦
TEL:048-467-5496       FAX:048-462-4914

(報道担当)

広報室         嶋田 庸嗣
TEL:048-467-9272      FAX:048-462-4715

 


 

補足説明

※1 「リーリン」

 ニューロンは、脳の生理機能の基本素子です。大脳や小脳においては、ニューロンはもともと脳原基の深いところ(「脳室」という腔に面した箇所)で産生され、発生期間中にたて方向に(内から外に向けて)「移動」をして脳の外表面に近いところまでたどり着き、そこに配置され,「皮質」とよばれる構造を形成します。皮質では、誕生日や機能が異なる複数のニューロン群が整然と重なりあって、美しい層を作っています。この層の配列がうまくできないとニューロン同士の物質的・電気的やりとりに支障をきたし、脳の機能が損なわれます。ヒトの病気としても皮質形成異常は報告されており、その予防や治療を考える上で,正常な皮質形成のメカニズムを理解することが必要です。
 細胞培養技術開発チームの小川チームリーダーと宮田研究員は、御子柴克彦発生神経研究グループリーダー、仲嶋一範慈恵医大講師らとともに、「リーリン」というタンパク質が皮質ニューロンの配置をつかさどっているということを1995年にアメリカのグループと同時に発見しました。大脳皮質では、一番はじめに生まれる(長男あるいは長女の)ニューロンが後続のニューロンたち(弟/妹)の位置取りがうまくいくように「リーリン」という物質を使って「指令」をする「管制官」的な役割をすることがわかったのです。この時の発見にも、ニューロンの配置の仕方に関するテストを行うためにいろいろな培養法が用いられました。
 これまで「リーリン」を含めたいくつかの分子が脳の形成(組み立て)にどう関わっているかを考える際は、主に配置される場所までたどりついたニューロンや、そこに向けて移動を行っているニューロン(つまり,分化・成熟の途上にある細胞)が研究の対象とされてきましたが、今回の仕事ではニューロンが誕生する瞬間―従って、ニューロンを生み出す細胞(神経幹細胞)が分裂する瞬間−にまで発生過程の時間軸をさかのぼって「ニューロンの移動・配列」を捉え直すはじめての機会をもたらしたことになります。


※2 「DiI」

カルボシアニン蛍光色素1,1'-dioctadecyl-3,3,3',3'-tetramethylindocarbocyanine perchlorate(DiIC18(3),DiIと略)は、赤色の蛍光を発します。細胞膜に強い親和性をもち、さまざまな細胞の形態の描写の目的で1986年以来、神経生物学や発生生物学の研究で幅広く用いられてきました.

参考文献
仲村春和,寺島俊雄:実験医学(別冊)「神経生化学マニュアル」 (羊土社,1990):236-241