Press Release

  理化学研究所
平成13年 7月27日

“モノ”を見分ける脳のメカニズムの一端を解明
− 複雑な物体像は図形特徴の組み合わせとして脳内に表現される −

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 理化学研究所(小林俊一理事長)は、視野に入った複雑な物体像が大脳皮質において図形特徴の組み合わせとして表現されていることを明らかにしました。理研脳科学総合研究センター(伊藤正男所長)脳統合機能研究チームの角田和繁研究員らによる研究成果です。
 私たちがいろいろな物を見分けることができるのは、それぞれの物体の視覚像に対応した神経細胞の活動が脳内で起こるからです。本研究では、光を使った神経活動の計測技術を用いることで、さまざまな物体の視覚像に対応する神経活動パターン(物体像の脳内表現)を画像化することに成功しました。その結果、以下の2点の事柄が明らかになりました。

1.

複雑な物体像は、さまざまな図形特徴に分解されて表現されている

2.

神経細胞が「活動する」(図形特徴がある)ことばかりでなく、「活動しない」(図形特徴がない)ことも情報として物体像の表現に積極的に利用されている

本研究をさらに発展させることによって、近い将来、脳の活動のパターンを捉えるだけで、私たちが何を見ているかがわかるようになることが期待されます。人工知覚装置の開発も夢ではありません。
 本研究成果は、米国の科学雑誌「Nature Neuroscience」8月号に発表されます。

1.背景

 物体像が視覚的に提示されると、私たちの脳にはそれぞれの物体像に対応した神経活動が起こります。これを物体像の脳内表現と呼び、物を見分けるメカニズムを解明するためには、それを明らかにすることが必要だと考えられています。物体像の脳内表現について大きく分けて2つの考え方があります。一つは、個々の物体像そのものに特化された神経細胞があるという考え方です。この考え方に従うと、おばあさんの顔には「おばあさん細胞」が、おじいさんの顔には「おじいさん細胞」があるということになります。二つ目は、さまざまな図形特徴にそれぞれ選択的な細胞があり、これらの細胞の組み合わせによって個々の物体像が表現されているという考え方です。この考え方に従うと、それぞれの物体像は、その物体に含まれる図形特徴(いいかえればそれに対応する細胞)の組み合わせによって表現されることになります。
 ヒトやサルなどの霊長類の大脳皮質には、視覚的に捉えた物体像の処理に関わる経路が知られています。その経路の最終段階に相当する視覚連合野(TE野)には、比較的単純な図形特徴に対して反応する細胞があります。このことは物体像が図形特徴の組み合わせとして表現されているという考え方を支持していますが、一方で「顔」や「手」に選択的に応答する神経細胞も存在するという主張もあり、2つの考え方のうちどちらが実体に近いかは決着がついていません。さらに、もし物体像が図形特徴の組み合わせとして表現されているのなら、複雑な物体像が、実際、脳の中でどのように表現されているかを明らかにしなければなりません。脳統合機能研究チーム(谷藤学チームリーダー)の研究がユニークなのは、この物体像の脳内表現を直接画像化することで、これらの点を明らかにしたところにあります。

2.研究手法

 神経細胞が活動すると神経組織の代謝に変化が起きます。このことを利用すると、神経活動の空間パターンを代謝の空間パターンとして捉えることができます。神経活動に伴なう代謝の代表的なものに、神経細胞が必要とする酸素を運ぶヘモグロビンの変化があります。脳に光をあてると、その変化(神経細胞が必要する酸素の遊離)を反射光の減少として捉えることができます。これは、酸素を遊離するとへモグロビンの光の吸収が上昇するためです。
 研究チームでは、視覚連合野に波長600nmの光を照射し、脳表面から反射する光を低雑音テレビカメラで捉え、様々な視覚刺激を眼前に提示したときに起こる反射光の変化を、画像のデジタル処理によって抽出しました。視覚刺激には、私たちが普段目にする物体像に加えて、それらをさまざまなレベルで単純化したものを用います。単純化によって起こる神経活動の空間パターンの変化を詳細に検討することによって物体像表現の様式を明らかにすることができました。

3.研究成果 

 本研究によって明らかになった成果は以下の通りです。

1.

複雑な物体像は複数の活動スポットの組み合わせとして表現される

さまざまな物体像を提示したときの活動のパターンから、一つの物体像が大脳皮質に複数のスポット状の活動を引き起こすことがわかりました。また、異なる物体像は違った活動スポットのパターンが示すことがわかりました。これによって、様々な物体像の識別が可能になると考えられます。


2.


個々のスポットは物体像に含まれる図形特徴に対応する

複雑な物体像によって活動したスポットは、物体像を単純化することによって活動を示さなくなることがわかりました。物体像を単純化することで、もとの物体の図形特徴が失われることを考えると、個々のスポットは物体の図形特徴に関係していたことがわかります。


3.


「活動する」スポットと「活動しない」スポットの組み合わせが利用できる

物体像の単純化によって、新しいスポットの活動が現れる場合がありました。その図形特徴が含まれているにも関わらず、複雑な物体像ではその特徴に関係したスポットが活動しないわけです。このようなスポットの性質を電気生理学的に検討した結果、図形特徴の間の相互作用によって複雑な物体では活動が抑制されていることがわかりました。抑制されていて活動できないスポットがあることも物体像の表現に使われていることがわかりました。

 
 この研究から複雑な物体は視覚連合野において物体に含まれている図形特徴の組み合わせとして表現されていることがわかりました。始めに述べたように、物体像そのものに特化された神経細胞があるという考え方は可能性として低いと考えられます。しかし、それならば、なぜ、“顔”に応じる神経細胞があるということは何を意味しているのでしょうか。私たちの研究からはまだそれに十分な答えを出すことはできませんが、2つのことが考えられます。第1に“顔”に応じる細胞は、特定の人物の顔に特化されているわけではありません。したがって、特定の人物の顔に対する脳内表現を作るためには、やはり、その特定の人物の顔にある図形特徴に対応する神経細胞の活動が必要です。第2に視覚連合野の細胞応答は、経験によって変化することが知られています。ある特定の物体を学習することによって反応性が変化し、最終的に、ある特定の物体に対して選択的な細胞が出現するのかもしれません。

 

4.今後への期待 

 私たちは普段、「ものをみてわかる」という行為に精緻な神経メカニズムが必要だということに気がつきません。しかし、計算機に同じ能力を付与することは大変困難です。私たちは、多くの物体像を識別することができる一方で、照明の具合や見る角度、部分的にさえぎられている場合など、一見違って見える物体を同じ物体像であると判断することもできます。基礎研究の立場から考えると、物体像の脳内表現を明らかにした私たちの研究は、このような能力がどのようにして実現されるのかを解明する手がかりを与えてくれます。
 本研究を進めることによって近い将来、脳の活動のパターンを見ただけで、その人が何を見ているかがわかるようになることが期待されます。私たちの知覚と対応する脳の活動パターンの解明は、視覚障害者を支援する人工知覚装置の開発に結びつくことが期待されます。

 


(問い合わせ先)    

理化学研究所

脳科学総合研究センター 脳統合機能研究チーム
     チームリーダー      谷藤 学
 TEL:048-462-1111(ex6411) FAX:048-462-4696

脳科学総合研究センター 
    脳科学研究推進部      田中 朗彦
 TEL:048-467-9596      FAX:048-462-4914

(報道担当)

    広報室            嶋田 庸嗣
 TEL:048-467-9272       FAX:048-462-4715

 

 


 

図1:物体像の知覚と認識には、まず、物体の表現が脳内に作られる

 




図2:

物体像の知覚認識に関わる経路。研究チームのターゲットは視覚連合野(TE)                     (図は大脳皮質。右が後ろ、左が前で左半球にあたる)

 




  


 

図3: 

物体像(b)は脳表面(a)にスポット状の活動を引き起こす(c)
一つのスポッ トには、約10,000個の神経細胞が存在する 



図4:

視覚的に提示される物体による活動スポットのパターン
右側が視覚 的に提示した物体像。活動したスポットの輪郭線の色は、それぞれの物体像の下線の色と対応する。

 


 

 

図5:

物体像を単純化すると、それまで活動していたスポットが消失する
単純化によ って除かれた図形特徴に対応するスポットが活動しなくなったためと考えられる。


 

図6:

単純化して新たに出現するスポットもある(C)
消火器の胴体でスポットCは活 動するが、元の図形(消火器)では、胴体がついているのにも関わらず、スポットC は活動しない。


 

図7:

電気生理学的にスポットの神経細胞の性質を調べる
ハンドル状の構造や湾 曲した線、全体的に長く伸びた構造に選択的なスポットがあることがわかった。さらに、スポットCが胴体だけでしか活動しないのは楕円のようにまるい形状が長く伸び た構造につい ていると活動できないからであることがわかった。元もとの消火器では、 湾曲したホースが全体的に丸い特徴を付与するため、スポットCは活動できないので ある。したがって、ホースが消火器より上に向って伸びているならこのスポットも活 動するに違いない。スポットCが活動するかどうか部分的な特徴がどういう風にアレ ンジされているかわかるのである。


図8:

これまでの考え方との違い
従来の分散表現の考え方では、Aのように2つの図 形特徴がそれぞれ4つの赤とブルーのスポットで表現されるとすると、Bのように2つ の図形特徴が組み合わされると、それらのスポットがすべて活動すると暗黙の内に考 えられてきた。この研究から、むしろ、2つの図形特徴の組み合わせた物体像でも8つ のスポットが全部活動するのではなく、部分的であることがわかった(C)。こういう 「活動する」と「活動しない」の2つを組み合わせるとここにあるような、さまざまなスポ ットパターンを作ることができる。私たちが同じ図形特徴の組み合わせでも異なった物 体像を識別できるのは、このような表現の違いによると考えられる。

 


 

まとめ

物体像は複数のスポットの神経活動の組み合わせとして表現される

個々のスポットは物体像に含まれる図形特徴に対応する

スポットが「活動する」ことばかりでなく「活動しない」ということも物体像を区別して表現するために使われている