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ウプサラ記

ウプサラ記
写真:ウプサラ大学化学研究所の玄関先。スウェーデンの作家ブロール・ヒョルスの絵画のタペストリーの前で、1986年9月6日に撮影。右が筆者。左にベングト・ロングストローム教授、中央に、当時サントリー(株)専務で生物医学研究所長でおられた最高の共同研究者の野口照久先生(一昨年の東日本大震災の後、残念ながら肺炎で故人となられました)。このタペストリーは非常に高価なもので、一時盗難にあったことでも有名。

写真:ウプサラ大学化学研究所の玄関先。スウェーデンの作家ブロール・ヒョルスの絵画のタペストリーの前で、1986年9月6日に撮影。右が筆者。左にベングト・ロングストローム教授、中央に、当時サントリー(株)専務で生物医学研究所長でおられた最高の共同研究者の野口照久先生(一昨年の東日本大震災の後、残念ながら肺炎で故人となられました)。このタペストリーは非常に高価なもので、一時盗難にあったことでも有名。

私はスウェーデン第4の都市・ウプサラに、これまでに80回以上行き、通算5年ぐらいの日々を送ってきた。3回目の滞在は1987年。粉骨砕身して準備した大阪バイオサイエンス研究所の開所を10月に控えた8月末のことだ。2ヶ月間続けてきた実験が、帰国日の午前0時を迎えてようやく成功し、翌年、科学雑誌『Science』に投稿した。満足のいく実験結果に安堵(あんど)し、一緒に実験した4人で乾杯することになった。そこで、仲間の一人、ベングトの夫人が自宅から世界三大悪食の一つSurströmming(シュールストレミング)の缶詰を持ってきてくれた。バケツの水の中で開缶したのだが、それでもアンモニア臭はきつく、翌日には「大学でSurströmmingの缶詰を開けるな」という規則ができたそうだ。ただ、日本人の口には合うらしく、強い蒸留酒とのマッチングは素晴らしい。問題は、発酵中ということだ。昼ごろに帰国の便に搭乗したのだが、空気圧の低い機上では、発酵ガスで胃腸がバルーン化し、とても苦しく吐息も臭い状況となった。世界三大悪食、恐るべしである。

私には、研究者を目指したときに決めたことがある。在籍していた京都大学医化学教室は日本の生化学・分子生物学の中心で、研究、勉強会、来客講師、情報すべてにおいて素晴らしい環境だった。この恵まれた環境を飛び出し留学するのであれば、研究テーマが与えられる有名なラボではなく、自分自身でテーマを選ぶことができ、今のラボではできないことをやれるところで研究しようと決めたのだ。

1980年に大学院を修了し、京都大学放射性同位元素(RI)総合センターの助手として、RI標識化合物を動物に投与する実験室フロアの責任者になったころ、京都大学医学部附属病院にPET(陽電子放出断層画像法)が導入された。そのとき、私は医化学教室・早石 修先生のもとで小さなグループを率い、脳の生理活性物質“プロスタグランジン(PG)類”にRI標識化合物を組み込み、PG類の受容体の局在を脳切片で調べていた。また一方で、厚生省新薬開発班の一員として自閉症などの発達障害の治療薬の研究開発にも携わっていた。そのため、PG類が精神神経疾患にどう関わっているのか、発達障害に薬効を示したテトラハイドロバイオプテリンという物質が脳でどう働くのかなどについて、ヒトの脳で安全に研究してみたいと思うようになった。

そして1983年、その思いを実現する論文が『Science』に掲載された。ヒトの脳で、ドーパミンD2受容体のPETイメージングが初めて成功したのだ。このイメージングに必須となる炭素11標識化合物を開発したのがウプサラ大学のベングト・ロングストローム教授(写真)である。同年、国際シンポジウムに教授を招待し、そこで私のやりたいことを話すと大いに共感してくれた。これをきっかけに1985年に4ヶ月間、ウプサラ大学で実験することになった。それが初めてのウプサラ滞在である。

当時、スウェーデンにもPETの研究機関はまだなく、ウプサラ大学化学研究所で標識化合物の合成を行い、車で5分ほどの病院のPET施設に配達し、投与するという形態だった。私は全体のプラニング、標識化合物合成の検討、サルを用いたPET、血液代謝物分析、データ解析などをすべて一人で行った。この経験が、理研分子イメージング科学研究センターのもとになっている。

ウプサラの地に立つたび、初心を忘れず、自分の志を貫きたいと考えている多くの研究者と、これから異分野融合の道を拓いていく人たちのために働こうとあらためて思う。