2012年は、理研での宇宙研究にとって100年目、75年目、50年目の節目となる意義深い年となった。100年前の1912年、オーストリアのV. Hess(ヘス)が気球に乗って高度4kmを超え、上空ほど放射線が強いことを発見。放射線は土壌だけでなく、宇宙からも来ることが明らかになった。これが宇宙線、すなわち宇宙のどこかで加速された高エネルギー粒子(主に陽子)の発見であり、素粒子物理学の窓が開かれたのである。理研では1930年ごろ、仁科芳雄博士が、量子力学、宇宙線、原子核などの研究を開始した。以後、乗鞍岳(のりくらだけ)に宇宙線観測所(写真)を持つ東京大学宇宙線研究所が設立されるまで、理研は日本の宇宙線研究のメッカとなった。それが現在の理研での宇宙研究につながっている。
75年前の1937年、仁科博士らは宇宙線の中にミュオンを発見し、その質量を94〜134MeV(正解は105.6MeV)と正しく推定した。簡潔で力強い論文(Physical Review 52, 1198, 1937)であったが、その数ヶ月前に米国のC. Anderson(アンダーソン)とS. Neddermeyer(ネッダーマイヤー)が同様の発表をしていたため、残念ながら第一発見者とはならなかった。理研でのミュオンの発見は、放射線測定に用いる「ガイガー計数管」による霧箱をトリガーとしており、これは嵯峨根(さがね)遼吉 博士が開発した手法である。しかし、その発表もAndersonにわずかに先を越されたそうである。戦前から理研の大先輩たちが、こうして世界を相手にしのぎを削っていたことを知ると、身が引き締まる思いである。
50年前の1962年には、米国のR. Giacconi(ジャコーニ)ら宇宙線の研究者がロケットを用い、「さそり座」にX線天体を発見した。この論文(Phys. Rev. Lett. 9, 439, 1962)も読み応えのある優れたものである。当初、このX線は宇宙線が星間空間で引き起こす現象と思われたが、理研の小田 稔 元理事長は「すだれコリメーター」を開発してその位置を決定するとともに、発生源が恒星状の天体であると発表した。そして、岡山にある東京天文台(当時)の望遠鏡でその存在が確認され、米国でも追認された。ここでも日米の先陣争いがあり、多少の確執の結果、天文学の大御所A. Sandage(サンデイジ)を主著者に、小田 稔、寿岳(じゅがく) 潤(じゅん)、大沢清輝の3名を共著者に含む論文が1966年、『Astrophysical Journal Letters 』に発表された。理研では、宇宙線研究室の和田雅美 主任研究員(1973〜1985年)がいち早くX線天体の研究に着手。続いて松岡 勝 主任研究員(1986〜1999年)が着任すると宇宙放射線研究室と改称され、X線を用いた高エネルギー天体物理をテーマとした。その後2001〜2009年は筆者が主任研究員を拝命し、今日に至っている。
日本では現在、2005年に打ち上げられたX線天文衛星「すざく」(理研が大きく貢献)と、2009年に理研が宇宙航空研究開発機構(JAXA)などと協力して国際宇宙ステーションに搭載した全天X線監視装置「MAXI(マキシ)」が連携し、ブラックホール、中性子星、超新星残骸、銀河団、ガンマ線バーストなど広範な分野で世界をけん引している。理研仁科加速器研究センターでは宇宙X線向け偏光計の開発が、理研基幹研究所では最高エネルギー宇宙線の起源を突き止める「JEM-EUSO(ジェム ユーゾ)」計画が進み、さらに生物実験や材料合成を含め理研とJAXAの連携協力協定が締結されるなど、理研発の宇宙研究が盛り上がりつつある。
これらを受け昨年11月27日、シンポジウム「宇宙線の発見から100年、X線天体の発見から50年」が理研和光研究所の大河内記念ホールで開催された。OBから若手まで三世代相当のおよそ100名が参加。宇宙線やX線天体に関する話題に加え、中野明彦(宇宙生物学)、東 俊行(宇宙での原子分子)、香取秀俊(一般相対論のデスクトップ実験)ら主任研究員による気宇(きう)壮大な発表があり、理研らしいシンポジウムとなった。



