アブシシン酸とは

図1 シロイヌナズナのアブシシン酸欠損変異体(aao3 )
左はシロイヌナズナの葉を根から切り離して1時間放置した様子。アブシシン酸の合成酵素を欠損している変異体aao3 は、野生型に比べてしおれやすい。右は、表面温度をサーモグラフィーによって観察した結果。変異体は気孔が閉鎖せずに蒸散が続くため、野生型に比べて表面温度が低い。
「植物ホルモンのアブシシン酸が、つくられた場所から働く場所へどのように運ばれているのかを明らかにする。それが、2008年に植物科学研究センター(PSC)で適応制御研究ユニットを立ち上げたときの目標でした」と瀬尾光範ユニットリーダー(UL)。
植物ホルモンとは、植物体内で生合成され、植物の生長を制御している化学物質の総称である。これまでに、オーキシン、ジベレリン、サイトカイニン、アブシシン酸、ジャスモン酸など9種類が発見されている。アブシシン酸は、どのような働きをしているのだろうか。
「アブシシン酸には、植物が乾燥したとき、葉の裏や茎の表面にある気孔を閉めて蒸散を防ぐ働きがあります。アブシシン酸を生合成できない変異体では、気孔が開きっ放しになってしまうため蒸散が続き、しおれやすくなります(図1)。また、種子の休眠や発芽にも関わっていることが知られています」と瀬尾UL。
アブシシン酸は乾燥などの環境ストレスへの応答と適応で重要な役割をしているため、乾燥に強い作物の創出につながると期待され、その研究は世界中で盛んだ。1996年に、アブシシン酸を生合成できない変異体の解析から、アブシシン酸の生合成に必要な酵素の遺伝子が初めて見つかった。「私も東京都立大学の大学院生のとき、アブシシン酸の生合成に関わる遺伝子を見つける研究をしていました。現在、アブシシン酸の生合成に必要な酵素の遺伝子はほぼすべて見つかっており、その生合成過程は明らかになっています」
そして、アブシシン酸の生合成酵素は、植物の葉や茎にある維管束の細胞に存在していることが分かってきた。維管束は、水や養分の通り道である。「生合成酵素の分布から、アブシシン酸は維管束の細胞でつくられていると考えられています。しかし、アブシシン酸が働くのは、葉の裏側や茎の表面にある気孔を形成している孔辺(こうへん)細胞です。つまり、維管束の細胞でつくられたアブシシン酸は、孔辺細胞まで輸送されているのです。では、どのように輸送されるのか。それを知りたいと思うようになりました」
アブシシン酸の輸送体はあるのか
植物ホルモンなどの物質の輸送を担っているのが、細胞や細胞内小器官の膜にある輸送体(トランスポーター)と呼ばれるタンパク質である。瀬尾ULは、当時まだ見つかっていなかったアブシシン酸の輸送体を探し出そうと考えた。
アブシシン酸の生合成酵素の遺伝子が変異体から見つかったように、ある機能を持つタンパク質や遺伝子を探す場合、変異体を調べるという方法がよく使われる。しかし、アブシシン酸を輸送できない変異体は見つかっていなかった。「変異体が見つからないことから、アブシシン酸の輸送体は存在しないのではないか、そう主張する研究者もいました。しかし私は、アブシシン酸の輸送は植物にとってとても重要なため、一つの遺伝子に変異があってもほかの遺伝子が機能を代替するため変異体が見つからないのではないか、と考えていました」と瀬尾UL。「アブシシン酸の輸送体があるかどうか分かりません。でも、とにかく探してみることにしました」
問題は、その方法だ。「地道に変異体を探す方法も考えられますが、すでにそれをやっている人もいるでしょう。何か違う方法をやらないと駄目だろうと考えました」
受容体の発見が突破口に
瀬尾ULが頭を悩ませていた2009年、アブシシン酸の研究が大きく動いた。アブシシン酸の受容体が欧米のグループによって発見されたのだ。植物ホルモンが機能するには、受容体に結合し、情報が伝達されていくことが必要だ。しかし、アブシシン酸の受容体が見つかっておらず、その発見を目指した激しい競争が繰り広げられていた。
そして受容体が発見された直後、PSCの篠崎一雄センター長がグループディレクターを兼任する機能開発研究グループによって、アブシシン酸の情報伝達経路が明らかにされた(図2下)。アブシシン酸が結合した受容体はタンパク質脱リン酸化酵素PP2Cと複合体を形成し、PP2Cの活性を阻害する。するとタンパク質リン酸化酵素SnRK2が機能するようになり、標的因子を活性化して遺伝子の発現などを誘導する。その結果、気孔を閉鎖するなどさまざまな応答が引き起こされるのだ。
「受容体発見の論文を読んで、“これだ!”と確信しました」と瀬尾ULは振り返る。「アブシシン酸受容体とPP2Cが複合体を形成することを利用すれば、酵母ツーハイブリッド系を応用してアブシシン酸の輸送体を発見できるはずです」
酵母ツーハイブリッド系とは、2種類のタンパク質の相互作用を検出するために、以前から使われている実験方法だ(タイトル図)。一方のタンパク質にDNAの特定の場所(UAS)に結合するタンパク質ドメイン(BD)を付け、もう一方のタンパク質に転写活性化ドメイン(AD)を付ける。2種類のタンパク質が複合体を形成すると、ADの働きによってUASの下流にある遺伝子が発現するという仕掛けになっている。例えば酵母の生育に不可欠なアミノ酸の一種であるヒスチジンを合成できない酵母を使い、UASの下流の遺伝子をヒスチジン合成遺伝子(HIS )にしておく。その酵母をヒスチジンを含まない培地上で培養することで、酵母が生育すれば“タンパク質が結合した”、生育しなければ“タンパク質が結合しなかった”と分かるのだ。
アブシシン酸の輸送体を発見

図3 野生型とNRT1.2を欠損した変異体の温度変化と気孔開度
左の写真は、花茎(矢印)の表面温度を赤外線カメラで観察した結果で、NRT1.2を欠損した変異体はアブシシン酸を輸送できないため気孔を閉じることができず蒸散が続くので、野生型より表面温度が低い。右のグラフは、花茎の表面に存在する気孔の開き具合を測定した結果で、変異体の気孔は野生型に比べて約1.4倍開いている。
瀬尾ULは、酵母ツーハイブリッド系を応用したアブシシン酸の輸送体を見つける実験方法を開発(タイトル図)。ヒスチジンを合成できない酵母を用いて、ヒスチジン合成遺伝子の上流に結合するドメイン(BD)を付加したアブシシン酸受容体と、転写活性化ドメイン(AD)を付加した脱リン酸化酵素PP2Cを発現させる。そして、酵母にシロイヌナズナのさまざまな遺伝子を導入して発現させ、ヒスチジンを含まない培地にアブシシン酸を加えて培養するというものだ。
導入された遺伝子が輸送体の遺伝子でない場合、アブシシン酸は酵母の中に積極的には取り込まれない。そのため、受容体とPP2Cの複合体は形成されず、ヒスチジンは合成されない。その結果、酵母は生育できない(タイトル図左)。導入された遺伝子が輸送体の遺伝子である場合、アブシシン酸が酵母の中に取り込まれて受容体に結合する。すると受容体とPP2Cが複合体を形成し、ADの働きによってヒスチジン合成遺伝子が発現し、ヒスチジンが合成される。その結果、酵母は育成する(タイトル図右)。つまり、酵母が生育するかどうかを見るだけで、アブシシン酸の輸送体を見つけることができるのだ。
約2万個といわれているシロイヌナズナの遺伝子を次々と導入して実験を重ねた結果、“NRT1.2”というタンパク質がアブシシン酸を細胞の中に取り込む輸送体の働きをしていることが明らかになった。実際にNRT1.2を欠損させた変異体を調べたところ、茎の気孔の開き幅が野生型と比べて約1.4倍大きく、表面温度が野生型より低かった(図3)。温度が低いのは、変異体では気孔が開いて蒸散が進んでいるためである。
実はNRT1.2は、根から吸収した硝酸を運ぶ輸送体として、すでに知られていたものである。硝酸に含まれる窒素は栄養素の一つで、それがタンパク質合成に利用されている。なぜ硝酸の輸送体がアブシシン酸も輸送するのだろうか。
NRT1.2は、低親和性の硝酸輸送体といわれている。親和性とはこの場合、輸送のしやすさをいう。硝酸に対して低親和性ということは、硝酸の濃度が高いときには輸送するが、濃度が低いときには輸送しない。一方、アブシシン酸に対しては親和性が高く、アブシシン酸の濃度がとても低いときでも輸送することができる。「NRT1.2は硝酸も運ぶけれど、主に運んでいるのはアブシシン酸ではないか、と考えています」
植物ホルモンの輸送体を調べ尽くす
この成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America』オンライン版(2012年5月29日)に掲載された。すると、大きな反響があった。「輸送体の発見についても反響がありましたが、それ以上に、この実験手法を褒めていただきました」と瀬尾UL。ほかの植物ホルモンの受容体の中にも、アブシシン酸の受容体のようにほかのタンパク質と複合体を形成するものがある。この実験手法は、それらの植物ホルモンの輸送体の探索にも使えるからだ。
「私たちはすでにジベレリンの輸送体の探索を始め、その候補を見つけています。今、詳しく調べているところです。この実験手法は単純なので、ほかの研究者も簡単にまねすることができます。ほかがやり始める前に、植物ホルモンの輸送体を探索し尽くしてしまおうと思います」
瀬尾ULがアブシシン酸の輸送体の探索を始めた当初、輸送体はないかもしれないとさえ言われていた。変異体からのアプローチも捨てた。不安はなかったのだろうか。「不安でいっぱいでした。当時、アブシシン酸の研究といえば受容体の探索が注目の的でした。でも、受容体は必ずあるし、たくさんの研究者がやっているのだから、見つかるのは時間の問題です。みんなと同じことをやっても仕方ない。私は、自分にしかできない、みんなとは違うことをやるべきだと、自分を奮起させていました」
実は、アブシシン酸の輸送体の発見は、瀬尾ULによるNRT1.2が初めてではない。その1年半ほど前の2010年1月に、篠崎センター長のグループがAtABCG25タンパク質がアブシシン酸の輸送体であることを発見しているのだ。「変異体の解析から発見されたもので、NRT1.2とは逆にアブシシン酸を細胞の中から外に運び出す輸送体です。変異体から攻めていっても発見できたのです。1番になれなかったのは残念ですが、後悔はしていません。私は自分にしかできないことをやりたいと思い、そしてやり遂げたのですから」
複雑で巧妙な植物ホルモンの振る舞い
アブシシン酸の輸送体NRT1.2の発見は、新たな謎ももたらした。「NRT1.2 遺伝子の発現を調べてみました。アブシシン酸が働く孔辺細胞に発現していれば、すんなり説明できたのですが、よりによって維管束の細胞に発現していたのです」と瀬尾ULは苦笑いを浮かべる。アブシシン酸は維管束の細胞でつくられる。そしてNRT1.2は、細胞の外から中にアブシシン酸を取り込む輸送体である。「アブシシン酸をつくっている維管束の細胞にアブシシン酸が運び込まれるのはおかしい、と論文を投稿したときにも指摘されました。でも、私はおかしいとは思いませんでした」
どういうことだろうか。「植物ホルモンの輸送は、つくっている細胞から出て、働く細胞に入る、というだけの単純なものではないのかもしれません。一度細胞の外に運び出された植物ホルモンが、再び細胞の中に運び込まれて貯蔵される、ということもあるのかもしれない。植物ホルモンの振る舞いは、とても複雑で巧妙なのです。植物ホルモンはやっぱり面白いと、あらためて思いました」
瀬尾ULは、なぜ植物ホルモンの研究を始めたのだろうか。「子どものころ、遺伝子組換えで素晴らしい植物ができるというのを聞き、“遺伝子ってすごいな”と思ったことが始まりです」
遺伝子の研究をしようと、東京都立大学に進んだ。動物ではなく植物を選んだのは?「都立大はショウジョウバエの研究が盛んで、学部のときにショウジョウバエを使った実験がありました。試験管から試験管にショウジョウバエを移すのですが、私がやると、いつも何匹か逃げてしまうのです。動物は向いていないなと、植物を選びました。植物は逃げていきませんから(笑)」
植物ホルモンの分布を1細胞で見る
今後は、どのように研究を進めていこうとしているのだろうか。「植物ホルモンがどこに分布しているのか明らかにしたい」と瀬尾UL。現在は、植物ホルモンを生合成する酵素の位置から間接的に植物ホルモンの分布を推定している。あるいは組織をすりつぶして、植物ホルモンがどのくらい含まれているかを調べている。「植物ホルモンが本当にどこにあるのかは、実は誰も知らないのです」
瀬尾ULが興味を持っているのが、1細胞分析だ。理研神戸研究所 生命システム研究センター一細胞質量分析研究チームの升島努チームリーダー(TL)が開発している技術である。1個の細胞に微細な針を刺して成分を吸引し、何がどれだけ含まれているのかを質量分析計で計測することができる。「1細胞ごとに植物ホルモンの量を測定できれば、植物ホルモンの分布を明らかにすることができます。升島TLとぜひ共同研究をしたいと思っています」
アブシシン酸の研究は現在も、世界中で激しい競争が繰り広げられている。その中で、瀬尾ULの強みは何だろうか。「普通だったらやらないような、ばかげていることもやるという点かな。これからも、人とは違う、自分にしかできないことをやっていきます」
(取材・執筆:鈴木志乃/フォトンクリエイト)



