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今年6月14日、「ヒトES細胞から網膜」、「ES細胞から神経網膜」、このような見出しが新聞紙上をにぎわせた。これは、理研神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター(CDB)と住友化学(株)の共同研究による成果。ヒトの網膜は再生力が低い組織で、障害を受けると自然回復がほとんど望めない。特に失明につながる可能性がある網膜色素変性症などの網膜変性症は、現在でも効果的な治療法がなく、どんな細胞にも分化する能力を持つES細胞(胚性幹細胞)などを利用した再生医療の実現が待たれている。今回、研究グループはES細胞から立体網膜の形成に成功しただけでなく、その冷凍保存技術の確立にも成功。再生医療の実現に大きく前進したこの成果について、CDB器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクターに聞いた。

― まず、生体での網膜の発生過程について教えてください。

図:ヒトES細胞からの立体網膜組織の自己組織化

ヒトES細胞からの立体網膜組織の自己組織化

ヒトES細胞をSFEBq法で培養・分化させると、まず間脳の前駆組織が形成される。培養開始14日後ごろになると、その一部が網膜前駆組織に分化し、17日後ごろに眼胞が形成される。その後、眼胞の先端部分が神経網膜に分化するとともに、次第に内側に陥入して24〜26日後に眼杯が形成される。眼杯の神経網膜の組織を単離して長期立体培養を行うと、126日後に5mm大の網膜組織に成長する。その組織は、網膜特有の多層構造を示し、最も外側に視細胞(錐体細胞、棹体細胞)の層が、最も内側に神経節細胞の層が形成される。その間には、介在神経細胞や双極細胞の前駆細胞などが存在する。

笹井:最初に大脳のすぐ下部に存在する「間脳(かんのう)」の一部が外側へ飛び出し、「眼胞(がんぽう)」ができます。次に眼胞の一部が内側へ陥入(かんにゅう)し、「眼杯(がんぱい)」ができます。眼杯が成長すると外側の層は色素上皮に、内側の層は視細胞、神経節細胞などの神経細胞が層状になった神経網膜になります()。色素上皮と神経網膜を合わせた組織が網膜です。

― 今回の成果に至った経緯は。

笹井:私たちは2005年、試験管内でES細胞を神経細胞やその前段階の細胞(前駆(ぜんく)細胞)に効率よく培養・分化させる「無血清凝集浮遊培養法(SFEBq法)」を開発しました。そして2011年、この技術を改良して、マウスES細胞を網膜前駆組織へ分化誘導し、眼胞から眼杯、そして網膜の立体組織をつくることに成功しました。組織の形成には、細胞の集団が自律的に複雑な構造を生み出す「自己組織化」を利用しています。

― 今回、マウスではなくヒトのES細胞で成功しました。

笹井:マウスとヒトのES細胞は、分化培養条件で異なる点が多く工夫が必要です。そこでまず、SFEBq法の培養液を最適化しました。これにより、ヒトES細胞を効率よく間脳の前駆組織、そして網膜前駆組織へと分化させることができました。そして、培養開始17日後ごろには眼胞が形成されました。次に、眼杯を構成する神経網膜組織と色素上皮組織がそれぞれ同じ程度分化するように培養液の組成を調整したところ、24〜26日後に眼杯が自己組織化により形成されました。その後、眼杯の神経網膜組織を立体培養したところ126日後に、外側に視細胞の層、内側に神経節細胞の層、その間に介在神経細胞の層がある多層構造の網膜組織が形成されたのです()。また、この網膜組織は純粋に正常な網膜細胞だけから成り、免疫不全マウスに移植しても奇形腫などの腫瘍はできませんでした。

― 培養を効率よく行う手法と、冷凍保存法も開発しましたね。

笹井:十分な数の視細胞を培養するには100日以上かかってしまいます。そこで、視細胞への分化を遅らせる原因の一つとなっている細胞表面のタンパク質の機能を阻害する薬剤を培養液に添加したところ、43日後に神経網膜組織全体の78%が視細胞に分化しました。また、長期培養している任意の段階で冷凍保存する方法も開発しました。通常の冷凍技術では組織が傷みますが、前処理液に氷上で浸し、その後に液体窒素で急速冷凍するという2段階凍結法を用いることで傷まないようにしました。

― 今後の展開は。

笹井:網膜難病の治療法の確立や発症メカニズムの解明だけでなく、網膜以外のヒトの組織や器官の再生研究が前進するでしょう。今後は、同様な方法でヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)から立体網膜組織を試験管内で形成し、疾患特異的iPS細胞の技術と組み合わせることで「疾患モデル網膜組織」をつくり出したいと思っています。これは病気の原因や治療法の研究材料として大変有用なものになるでしょう。


※この研究は文部科学省の「再生医療の実現化プロジェクト」の一環として行った。
「Cell Stem Cell」(6月14日号)掲載