生物はどのように成長して体の大きさが決まるのか── 理研神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター 成長シグナル研究チームの西村隆史チームリーダー(TL)たちは、 ショウジョウバエを使って、その謎に挑んでいる。 「成長して体が大きくなるには、 栄養をたくさん摂取するだけでは不十分です。 成長を促すホルモンがつくられる必要があります」と西村TL。 栄養と成長の間にはどのような仕組みが働いているのか。 西村TLたちは、特定の細胞や組織、そして特定の時期にだけ 遺伝子の発現を抑制する技術などを駆使して、 その仕組みの全容解明を目指している。
生物の個体全体を対象にした研究がしたい
「カマキリやバッタを捕まえては、家で飼って育てるのが好きでした」と、西村隆史チームリーダー(TL)は子どものころを振り返る。高校生のとき海洋生物に関心を持ち、1995年、北海道大学水産学部へ進んだ。「卒業研究のテーマはニジマスの性ホルモンについてです。ちょうど、“環境ホルモン”が話題になっていたころでした」
研究者を志望する大きなきっかけの一つは、学部のときに読んだ『精神と物質』(立花 隆・利根川 進 著)だった。「理研脳科学総合研究センター(BSI)の利根川センター長が、当時の技術を駆使して免疫に関する長年の謎の答えを見つけ出していった、その研究の過程がとても面白く、“自分も研究がしてみたい”と感化されました」
いずれ生物の個体全体を対象にした研究がしてみたい、と考えるようになった西村TLは、奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)へ進学した。「まずは細胞そのものについて学ぼうと、哺乳類の培養細胞を用いて細胞内の情報伝達を研究している研究室に入りました。NAISTの教育カリキュラムはとても充実していて、分子細胞生物学の知識に乏しかった私には、とてもよかったと思います」
その後、名古屋大学で学位を取得した西村TLは、オーストリアの分子細胞工学研究所(IMBA)に赴任した。「IMBAでの研究テーマは、ショウジョウバエの体内で細胞が分裂して異なる2種類の細胞になる過程についてでした。次は、いよいよ生物の個体全体を研究対象に、自分で研究室を主宰したいと思いました。当時、日本からIMBAの同じ研究室に来ていた同僚と、これからどんな研究テーマが面白そうか、よく話をしていました。その同僚が紹介してくれた研究の一つが、理研BSIの平林義雄TLたちによる、アミノ酸のセリンを介した神経細胞とグリア細胞の代謝的相互作用です(『理研BSIニュース』No.16[2002年5月号]
参照)。そして興味を持つようになったのが、“栄養源の認識”というキーワード、“生物はどのように成長して体の大きさが決まるのか”という謎です」
2009年7月、西村TLは理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)に、成長シグナル研究チームを立ち上げた。「ショウジョウバエを使って生物の成長に関する研究を始めました。私にとって初めての研究テーマでしたが、CDBには新しいことに挑戦できる研究環境や設備がそろっています」
栄養と成長の間

図1 ショウジョウバエの成長過程
ショウジョウバエは、幼虫期に餌をたくさん食べて成長し、体のサイズが卵の約200倍になる。

図2 幼虫期におけるdilp5 遺伝子の発現
幼虫が餌を食べ始めると、インスリン産生細胞でdilp5 遺伝子の発現量が上昇する。

図3 dilp5 発現の仕組み
インスリン産生細胞(緑)においてDac(赤)とEyが複合体をつくり、プロモーターに結合することでdilp5 遺伝子が発現すると考えられる。

神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター
成長シグナル研究チーム 基礎科学特別研究員
1982年、広島県生まれ。博士(理学)。名古大学大学院理学研究科生命理学専攻博士課程修了。2010年より現職。
ショウジョウバエは、卵から生まれた幼虫が餌を食べて成長し、2回の脱皮を経て5日ほどでさなぎとなる。この幼虫期に体のサイズが卵の約200倍になる。そして、さなぎはさらに4日ほどで羽化して成虫になる(図1)。
「幼虫期に餌をたくさん食べると、大きな成虫に成長します。ただし、成長には餌をたくさん食べるだけでは不十分です。餌を食べた後に体内で成長を促すホルモンがつくられる必要があります」
ヒトでは、インスリンに似たペプチドホルモン“インスリン様(よう)成長因子”が成長を制御している。1984年、名古屋大学と東京大学の研究グループが、昆虫のカイコガからインスリン様ペプチドを発見。進化的に遠く離れたヒトと昆虫で、同様のペプチドホルモンを用いていることが分かったのだ。
成長シグナル研究チームの岡本直樹 基礎科学特別研究員(以下、研究員)は、そのインスリン様ペプチドの研究グループの流れをくむ名古屋大学の研究室で大学院生として研究していた。「私はカイコガからインスリン様ペプチドを取り出して、生化学的な性質を調べる研究などを行っていました。そして博士課程の途中から、カイコガとショウジョウバエの両方を使って昆虫インスリン様ペプチドの機能を調べる研究を始めました。その当時、日本でそのような研究をしているのは私だけでした」と岡本研究員。
タンパク質は、遺伝子の情報に従ってさまざまなアミノ酸が鎖状に並んだものだ。ペプチドも、タンパク質と同様に遺伝子の情報に従ってアミノ酸が並んでいるが、タンパク質より鎖の長さが短い。インスリン様ペプチドが体内でどのような機能を担っているのかを調べるには、特定の細胞でだけインスリン様ペプチドがつくられないように遺伝子の発現を抑制(ノックダウン)して、その影響を探ってみる手法が有効だ。ショウジョウバエでは、RNA干渉と呼ばれる手法を用いた遺伝子ノックダウンの技術が大きく進展している。
「私は学位を取った後も、ショウジョウバエを使ったインスリン様ペプチドの研究を続けたいと思い、そのような研究ができる就職先を探していました。そのとき、成長シグナル研究チームの研究員公募を見たのです。日本にもこういう研究室があったんだ、と驚きました」
こうして2010年4月、岡本研究員が研究チームに加わった。「日本では彼しかいない、という最適な人材が研究室に参加してくれました」と西村TL。
そもそもショウジョウバエの実験動物としての歴史は古く、遺伝や発生の研究などで、生物学に大きなインパクトを与えてきた。そして2000年、昆虫としては初めてゲノム(全遺伝情報)が解読されたのがショウジョウバエだ。
「ゲノム解読により、ショウジョウバエにも7種類のインスリン様ペプチドの遺伝子が存在することが分かりました。それらのインスリン様ペプチドは、代謝や成長を制御するホルモンとして働きます。そのうちの3種類(DILP2・DILP3・DILP5)は、脳にあるインスリン産生細胞でつくられています(タイトル図A)。幼虫からそのインスリン産生細胞を取り除いてしまうと、餌を食べても大きくなれないことが知られていました。岡本研究員は大学院のとき、インスリン様ペプチド7種類すべての遺伝子発現量の推移を調べました。するとdilp5 遺伝子の発現量だけが、幼虫期に上昇することが分かりました(図2)。幼虫が餌を食べることで、dilp5 遺伝子の発現量が上昇するのです」
西村TLたちは、栄養と成長との関係をdilp5 遺伝子に注目して解明していくことにした。まず、どのような栄養源がdilp5 遺伝子の発現に関係しているのか調べるため、糖分だけあるいはタンパク質だけの餌などを与える実験を行った。
「糖分だけを食べた幼虫ではdilp5 遺伝子は発現しません。生き続けることはできますが、大きくなれませんでした。タンパク質を食べることでdilp5 遺伝子は発現し、幼虫が大きく成長することが分かったのです。また、幼虫を一時的に飢餓状態にするとdilp5 遺伝子の発現量は下がりますが、再びタンパク質を与えると、発現量が回復します」
それでは、“タンパク質を食べた”という情報が、ショウジョウバエの体内でどのように伝わり、脳にあるインスリン産生細胞でdilp5 遺伝子が発現するのか。それを探るために、西村TLたちは、dilp5 遺伝子の発現をオンにするスイッチの役目を担う“転写因子”を突き止める実験を行った。「私たちは、さまざまな転写因子の遺伝子を1種類ずつノックダウンして、dilp5 遺伝子の発現が大きく低下するものを探しました。ほかの研究者によってEyeless(Ey)の遺伝子を欠損(ノックアウト)させた個体では、dilp5 遺伝子の発現が低下することが明らかにされており、私たちもそれを確認しました。さらにDachshund(ダックスフンド)(Dac)の遺伝子をノックダウンしてもdilp5 遺伝子の発現が大きく低下することを、新たに発見しました。DacとEy の遺伝子いずれか一方を欠損すると、dilp5 遺伝子の発現が大きく低下するのです。この結果から、DacとEyは結合して複合体をつくり、dilp5 遺伝子の発現をオンにする、と考えました。そして生化学的な実験により、それを証明することができました(図3)」
細胞・組織間の相互作用を解明する
西村TLたちは今、次の謎に挑んでいる。上述のように幼虫を飢餓状態にするとdilp5 遺伝子の発現量は下がる。「ところが、DacとEyは存在し続けています。つまり、タンパク質を食べることでDacとEyがつくられ、dilp5 遺伝子の発現をオンにするわけではないのです」
スイッチとして働くDacとEyが存在し続けているのに、なぜ、dilp5 遺伝子の発現量が下がってしまうのか。「DacとEyのスイッチとしての働きを制御している別の因子があると考えられます。私たちはその有力候補を見つけつつあります」
タンパク質を食べることと、dilp5 遺伝子が発現することの間には、さらに数多くの因子や細胞・組織が関わっている、と西村TLは予想している(タイトル図B)。「タンパク質を認識しているのは、dilp5 遺伝子が発現する脳のインスリン産生細胞ではなく、別の細胞や組織ではないかと考えています。例えば、脳にある神経細胞やその周りにあるグリア細胞が有力候補です。さらに、脳以外の脂肪体と呼ばれる組織でもタンパク質を認識しているかもしれません。それらの細胞・組織からインスリン産生細胞へ“タンパク質を食べた”という情報が、別のホルモンによって伝えられている可能性が高いと考えています」
インスリン産生細胞の中でインスリン様ペプチドがつくられた後、それが細胞外に分泌され、ほかの細胞や組織に働いて幼虫は成長する。「DILPの分泌を制御している因子もあるはずです。またDILPが分泌された後も、さまざまな制御を受けていると考えられます。そのようなDILPの分泌と成長の間をつなぐ仕組みも解明する必要があります」
最終的な成虫の大きさは、幼虫がどれだけたくさんの栄養を摂取するかだけでなく、さなぎになるタイミングにも左右される。「さなぎになるタイミングが遅れ、幼虫の期間が長いほど大きな成虫になります。私たちはそのタイミングを決める仕組みについても研究を進めています。幼虫がさなぎになるとき、変態ホルモンが働くことが知られています。その変態ホルモンがつくられ分泌される仕組みに、栄養やインスリン様ペプチドが関わっていることも示唆されています」
ショウジョウバエでは遺伝子を自在にノックダウンすることが可能に
生物はどのように成長して体の大きさが決まるのか──その謎を解明するには、栄養と成長の間をつなぐ細胞・組織間の相互作用という、まさに生物の個体全体を対象にした研究が必要だ。「細胞内の現象を調べることより、場所の離れた細胞・組織間の相互作用を調べることの方がずっと難しいのです。しかし、ショウジョウバエならば可能だと思います」と西村TL。
それを調べるためには、特定の細胞・組織間で特定の時期にだけ生じる相互作用に関わる因子候補をリストアップし、順次ノックダウンしてみて、その影響を探る実験が有効だ。
「ショウジョウバエでは3〜4年前に、全ゲノム中9割以上の遺伝子について、自在にノックダウンできる研究基盤が整いました。西村TLが赴任していたオーストリアのIMBAや、日本の国立遺伝学研究所など世界の複数の研究機関が、遺伝子ノックダウンのための数万種類にも及ぶ系統を作製し、分与しています。自分が注目する遺伝子をある組織だけでノックダウンしたい場合、それらの研究機関から必要な系統を取り寄せて実験を行い、1ヶ月以内に結果を出すことができます。ショウジョウバエを使えば、ほかの実験動物ではできないような実験を、圧倒的なスピードで進めることができるのです」と岡本研究員は解説する。
ノックアウトやノックダウンなど遺伝子改変を行う実験では、世代交代の期間が短いほど、実験を早く進めることができる。ショウジョウバエでは10日間ほどで世代交代が進むのに対して、哺乳類の代表的な実験動物であるマウスでは、世代交代に2〜3ヶ月かかる。また、あらゆる遺伝子を自在にノックアウトできる研究基盤を築く取り組みがマウスで進められているが、整備にはまだ時間がかかる(本誌2012年5月号[研究最前線]「すべての遺伝子機能を解明する」参照)。
「遺伝子ノックダウンの強力な研究基盤がいち早く整備されたショウジョウバエにおいて、成長の研究は最も競争の激しい分野の一つです。これまでの研究で、成長に関連する因子でも、ショウジョウバエで最初に発見され、その後にヒトでよく似た因子が見つかった例がいくつかあります。ショウジョウバエを使った成長の研究はヒトの成長を理解する上でも重要だと考えられ、海外では有力な研究室が精力的に研究を進めています」と岡本研究員は現状を語る。
そのような激しい研究競争の中、西村TLはどのような方針で研究チームを率いていこうとしているのか。「ライバルである海外の研究室は、ショウジョウバエを使って長年研究を続けてきたところばかりです。一方、私たちの研究チームには異なるバックグラウンドの研究者が集まっています。私は細胞生物学や生化学、岡本研究員は昆虫生理・内分泌学と、メンバーそれぞれの得意な実験手法を組み合わせて、独創的な研究を進めていきたいと思います」
2010年代、ショウジョウバエの研究から、生物学に再び大きなインパクトを与える研究成果が生まれるかもしれない。
(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)


