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“木も森も見る”生体の深部観察技術



濱 裕 研究員

脳科学の進展は目覚ましいが、ある領域の神経細胞がどの領域の神経細胞とつながり情報を伝えているのか、神経回路がくまなく調べられているわけではない。それは、限られた領域を高分解能で精細に見る“木を見て森を見ず”と、分解能は高くないが脳全体を見る“森を見て木を見ず”との間をつなぐ“木も森も見る”生体の深部観察技術がなかったからだ。
 脳科学総合研究センター(BSI)細胞機能探索技術開発チームの宮脇敦史チームリーダー(TL)、濱 裕(はま ひろし)研究員らは昨年8月、生体を透明化する水溶性試薬「Scal(スケール)」を発表(図1)。11月にはオリンパス(株)が、Scaleに光学的調整を施した透明化液「SCALEVIEW(スケールビュー)-A2」と、深さ4mmまでを高精細に観察できる対物レンズ「XLPLN25XSVMP」を発売した(図2)。そして今年4月、それらの製品は「エジソン・アワード」金賞に輝いた。
 宮脇TLと濱研究員、理研BSI-オリンパス連携センターの木村博之テクニカルスタッフ(オリンパス主任研究員)に、開発の経緯と展望を聞いた。

きっかけは、駄目もとの実験

―開発の経緯から教えてください。

左から、濱 裕 研究員、宮脇敦史チームリーダー、木村博之テクニカルスタッフ。それぞれ「SCALEVIEW-A2」、「エジソン・アワード」金賞トロフィー、「XLPLN25XSVMP」を手にしている。
左から、濱 裕 研究員、宮脇敦史チームリーダー、木村博之テクニカルスタッフ。それぞれ「SCALEVIEW-A2」、「エジソン・アワード」金賞トロフィー、「XLPLN25XSVMP」を手にしている。

濱:発生の過程で脳がつくられるとき、神経幹細胞から新しい神経細胞が次々とつくられます。ただし、ヒトを含む哺乳類の大人の脳では新しく神経細胞がつくられることはない、と長年信じられてきました。ところが最近、脳の深部にある海馬(かいば)などに神経幹細胞が存在し、神経細胞が新しくつくられていることが分かってきました。
 では、海馬のどこに神経幹細胞があるのか。私は、神経幹細胞が蛍光タンパク質で光るようにしたマウスの脳から海馬を取り出し、ホルマリンで処理したサンプルを観察する実験を進めていました。海馬全体をくまなく見たいのですが、脳組織は不透明なため表面から深さ0.1mmくらいまでしか見ることができません。サンプルも残りわずかになったとき、ある実験手法を思い出しました。その手法では、合成膜を尿素に浸す工程があります。そのとき合成膜が一瞬、透明になるのです。駄目でもともとと、海馬のサンプルを尿素に浸してみました。すると3日目にはかなり透明化が進み、“まさか”と思いながら顕微鏡で観察してみると、深さ1mmを超えた辺りで、蛍光で光っている神経幹細胞が見えたのです。衝撃的だったので日付も覚えています。2009年1月14日です。

木も森も見る

―報告を受けた宮脇TLの感想は。

宮脇:尿素という点に特に興味を持ちました。一般的に尿素はタンパク質を変性させる能力を持ちます。しかし、ほぼすべての蛍光タンパク質は高濃度の尿素の中でも壊れません。私は米国のロジャー・チェン博士(下村 脩(おさむ)博士らとともに2008年ノーベル化学賞受賞)の研究室に留学していたときに、そのことを確認していました。
 現在、透明化試薬として、BABB(ベンジルアルコール)が一般的に使われています。しかし、サンプルを脱水する過程、さらにBABBによる直接の作用で蛍光タンパク質の蛍光が消えてしまう問題がありました。濱さんの話を聞いて、その問題を解消できそうだと直感し、組織を透明化して深部を観察する「Scaleプロジェクト」をチーム内に立ち上げました。脳科学にハードウエア・ソフトウエアの要素技術開発を加えた学際的プロジェクトです。

―深部観察は、それほど切望されている技術なのですね。

宮脇:進展の目覚ましいMRI(核磁気共鳴画像法)やPET(陽電子放出断層画像法)などは、脳全体の観察を可能にする画期的技術ですが、分解能はあまり高くなく、“森を見て木を見ず”といえます。一方、光学顕微鏡や電子顕微鏡は、高い分解能で観察することができますが、その観察範囲は最大でも1mm立方に限られおり、“木を見て森を見ず” といえます。その間をつなぎ、“木も森も見る”観察技術がこれまでなかったのです。光学顕微鏡を軸に、生体組織を透明化して深部を観察する技術が生まれれば、“木も森も見る”ことが可能になります。

―“木も森も見る”と、どんな研究に役立ちますか。

宮脇:そもそも神経細胞同士がどのようにつながり神経回路をつくっているのか、くまなく調べられていません。そこで今、神経細胞同士の連結を網羅的に調べる取り組みが世界中で進められています。米国のハーバード大学医学部では、隣り合う神経細胞を異なる色で光らせたブレインボー(Brainbow=Brain+Rainbow)マウスが開発されました。また、IBM社が出資するブルーブレイン・プロジェクトでは、ヒトの脳全体にわたる神経構築のコンピュータ・シミュレーションが目標になっています。こうしたプロジェクトではたいてい、多くの組織切片を調製して撮影した画像をつなぎ合わせる方法が採用されています。しかし、切片が丸まったり壊れたりすることが多く、画像のつなぎ合わせが難しいのです。
 組織をスライスすることなく、透明化して深部まで高精細に観察できれば、たくさんの画像をもとに3次元構造を再構築することが極めて容易になり、脳の離れた領域間で起きる神経細胞連絡も確実に調べることができます。

顕微鏡技術の制約を取り払う

―どのように開発を進めたのですか。

図1:ScaleA2で透明化したマウス胎仔(右)
図1 ScaleA2で透明化したマウス胎仔(たいじ)(右)
ヒトを含む哺乳類の組織は、光を散乱・吸収するため不透明になっている。特に散乱効果が大きい。Scaleは散乱だけを抑え、光の吸収は抑えない。そのため、網膜や肝臓の色は残っている。


図2:多光子専用対物レンズ「XLPLN25XSVMP」
図2 多光子専用対物レンズ「XLPLN25XSVMP」
深さ4mmまでを高精細に観察できる。オリンパスでは、サンプル作製から撮影、3次元画像構築まで、Scaleを使った深部観察技術に関するセミナーを開催したり、ユーザーからの質問に対応するなど、技術支援を行っている。

濱:まず生体組織をさらに透明化することを目指して、尿素にさまざまな化合物を配合する試行錯誤を繰り返しました。そして尿素に界面活性剤とグリセロールを加えた透明化試薬「ScaleA2」が完成しました(図1)。
 ハードウエアで、いくつかの問題に直面しました。例えば顕微鏡の対物レンズです。各社から発売されていた対物レンズは、表面から深さ2mm程度までしか高精細に見ることができません。そこで、以前から蛍光イメージングに関する共同研究を行っていたオリンパスにお願いすることにしました。

―オリンパスでは、Scaleをどのように評価したのですか。

木村:研究者の方々が生体の深部観察を切望していることは、自社の調査で分かっていたので、Scaleへの評価は非常に高いものでした。早速、社内の第一線の技術者を理研に連れてきて、Scaleを使った深部観察を体験させ、対物レンズや画像処理ソフトの制約を取り払うための技術開発を始めました。
 対物レンズの先端面から焦点を結ぶポイントまでの距離を作動距離と呼びます。普通、作動距離を長くすると、分解能が低くなってしまいます。Scale試薬の光の屈折率は、脳組織の光の屈折率に近いことが明らかになっていました。その情報をもとに、作動距離と分解能の問題を克服するように対物レンズを設計し、1μmの分解能を保ちつつ、4mmの作動距離を達成することができました(図2図3)。

―画像処理ソフトの制約とは。

木村:ある場所の深部観察によって得られる3次元の再構築データは角柱状になります。顕微鏡の視野は限られているので、場所をずらしながら角柱状のデータをたくさんつくり、それらをつなぎ合わせて広い領域のデータを作製する必要があります。実際には視野周辺部にゆがみや陰りが出る場合があるため、データをきれいにつなぎ合わせるソフトウエアの開発に注力しました。

宮脇:“木も森も見る”観察では、撮影した画像のデータ量が膨大になります。従来の顕微鏡システムのメモリー容量では足りません。画像データの管理と処理に関しては、あらゆるところに予想を超えた制約がありました。私たちはそうした制約を取り払いながら、Scale技術を使った深部観察技術の有用性を示す論文を作成していきました。私は、「proof-of-concept(概念の実証)」に関して人一倍厳しくなります。どういう実験と考察を組み立てていくべきか、知恵を絞りました。当初、Scale技術の革新性は、投稿先の雑誌の編集者になかなか理解してもらえませんでした。従来技術との差をどのように論じていくか、毎日悩みました。実際の画像についても、本当に納得がいくものはほんのわずかしか得られませんでした。

―どのような観点で画像をチェックするのですか。

宮脇:神経細胞は軸索と呼ばれる長い突起を伸ばして情報を送り、樹状突起と呼ばれる突起で情報を受け取ります。それら軸索や樹状突起をどこまで正確に追跡できるか、これが第一のポイントでしょう。それぞれの神経細胞がどこへ軸索を伸ばして情報を伝えているのか。それを脳全体で包括的に解析するにはコンピュータで自動追跡する必要があります。画期的なソフトウエアの開発を期待したいと思います。

「エジソン・アワード」金賞に輝く

―昨年8月末、Scaleの研究成果を発表しました。反響はいかがでしたか。

宮脇:世界各国の新聞など、メディアからの問い合わせが多かったですね。『ニューヨーク・タイムズ』の記者からは、2回にわたり計6時間の電話インタビューを受けました。その記者はブレインボーマウスの開発者にもインタビューを行い、科学的に信頼性の高い記事に仕上げました。米国からの問い合わせは、その記事を読んだ人からのものが多かったようです。
 深部観察では従来、2光子励起蛍光顕微鏡が用いられてきました。Scaleで透明化した脳サンプルを試したところ、1光子励起でも深さ4mmまで十分に高精細で観察できることが分かりました。1光子励起蛍光顕微鏡(共焦点レーザー走査顕微鏡)は世界中にたくさん設置されているので、それとの組み合わせで、Scale技術が急速に普及する可能性があります。

―Scaleを用いた神経幹細胞の画像も発表しました(図4)。

図3:マウス脳の深部観察画像
図3 マウス脳の深部観察画像
Scaleによる透明化と4mmの作動距離を持つ対物レンズにより、脳表面から大脳皮質の6層構造、海馬の歯状回という部位までを高精細に捉えることができた。


図4:マウス海馬の神経幹細胞
図4 マウス海馬の神経幹細胞
神経幹細胞の核(緑色)が、血管(赤色)の近くに存在していることを証明した。

濱:神経幹細胞は血管から成長因子を受け取って増殖する、という仮説があります。では神経幹細胞は血管の近くに存在しているのか? 脳組織をスライスして観察する従来の2次元的なアプローチでは、よく分かりませんでした。私はScale技術をマウス海馬に適用して作成した3次元再構築データにおいて、真の距離測定を行いました。そして、増殖する神経幹細胞の核が、ほかの神経細胞の核に比べて血管のより近くに存在することを証明しました。
 このような研究を発展させ、脳内の神経幹細胞の増殖制御機構を詳しく探ることを予定しています。そして近い将来、ダメージを受けた神経組織を修復させる技術を開発することを目指しています。現在は、外部から神経細胞を移植する試みが行われていますが、私は、患者本人の脳内にある神経幹細胞を利用して組織を修復したいのです。

―昨年11月には、Scale技術の普及を促す、透明化液「SCALEVIEW-A2」と、深部4mmまでを高精細で観察できる対物レンズ「XLPLN25XSVMP」が、オリンパスから発売されました。

木村:脳神経科学の研究者や医療関係者はもちろん、製薬メーカーの開発者や研究者にも利用していただいています。

―今年4月、それらは、新製品やサービスにおける画期的な技術革新に贈られる、米国の「エジソン・アワード」科学・医療部門の金賞に輝きました。

木村:3位の銅賞に入賞することすら難しい賞と聞いています。オリンパスでは初の入賞、それも金賞でした。

病理検査への応用や生きたままの透明化を目指す

―Scaleを使った深部観察技術をどのような形で発展させていきますか。

宮脇:現時点で、目指すレベルの10%にも達していないと思いますが、さまざまな目標を設定しています。例えば、この技術は、脳以外の組織を透明化することも可能です。ヒトから採取した病理標本を透明化して、がん細胞などの病変を標識する技術と組み合わせることで、病理検査に応用することを目指しています。透明化することで、病変を見落とすことなく、くまなく調べることができるはずです。

―そのような検査技術が開発できれば、医療に貢献できるとともに、ビジネスチャンスも大きく広がりますね。

木村:そうですね。ヒトの病理標本など、より大きなサンプルを観察するために、私たちは8mmの作動距離を持つ対物レンズを開発し、特注品として販売する準備を進めています。
濱:BSIでは小型霊長類のマーモセットを使った研究が始まっています。サルやヒトの大きな脳を見るには、8mmの作動距離はとても有効です。
木村:大きなサンプルをいかに効率よく撮影していくのかが今後の課題です。
宮脇:私たちの究極の目標は、動物の脳を生きたまま、その一部を透明化して観察することです。完璧な透明化を狙っているわけではありませんが、いずれにしても、透明化しても神経細胞がほぼ正常に活動することを証明しなければなりません。それが難題です。

―生きたまま透明化することで、どのような実験が可能になりますか。

宮脇:表層の脳組織を取り除いたり内視顕微鏡を差し込んだりすることなく、海馬や扁桃(へんとう)体のような脳深部にある領域で起こる神経細胞の発火を観察できるはずです。
濱:脳深部で発火した神経細胞がほかの領域へ情報を伝えている様子をリアルタイムに観察できれば画期的です。これまで知られていない領域間での神経細胞の連結や新しい神経回路を発見できるはずです。
宮脇:蛍光技術の進展のおかげで、特定の細胞やタンパク質を自在に光らせて観察することができるようになり、脳科学や医学、生命科学に大きな革命がもたらされました。しかし、蛍光技術で主に使われている可視光は哺乳動物の組織によって散乱・吸収され、組織は不透明です。そのため、深部の蛍光シグナルを捉えることはなかなかできません。私たちは今後も開発研究を推し進め、この技術の新たな有効性を実証し、世界に向けて提案していきたいと考えています。