パソコンが稼働中にすぐに熱くなるのは、デバイスを流れる電流が電気抵抗を受けて熱が発生するからだ。その分、電力が無駄になっている。永長(ながおさ)直人チームリーダーは、室温の普通の物質に、熱の発生しない“トポロジカル・カレント”という電流が流れることを理論的に見いだした。そして、トポロジカル・カレントを利用して電力をほとんど消費しない省電力デバイスの新原理築くことを目指している。
固体中の電子系に量子力学の現象が現れる
永長直人チームリーダー(TL)は1976年、東京大学理学部に進学した。「入学後、数学や化学などいろいろな分野を学び、自分の適性を見極めようとしました。どれくらいの抽象度の世界で能力を発揮できるかは、人それぞれです。純粋数学は私には抽象度が高過ぎました。また、素粒子物理は、理論を実験で実証することが難しい世界になっていました。そこで、理論と現実世界が結び付いている物性物理の理論研究へ進むことにしました」
20世紀後半、物性物理は固体中の電子状態を説明する“バンド理論”によって進展した。そして、バンド理論に基づくトランジスタなどのデバイスが発明され、それらのデバイスを組み込んだコンピュータをはじめとするさまざまな情報機器が、私たちの社会や暮らしを大きく変革した。
「1970年代には、固体の物性はほぼ分かったと考えられるようになりました。ところが1980年代に、従来の理論では説明できない大発見が二つあったのです。一つは、1980年に発見された量子ホール効果です」
量子ホール効果とは、半導体と絶縁体の界面など2次元平面上を動く電子系に磁場をかけたとき、ある方向の電気伝導度が量子力学の基本定数に基づく値の整数倍になる、という現象だ。「不純物も含まれる半導体のマクロスケールの世界において、原子や電子のようなミクロの世界を記述する量子力学の法則がきれいに現れることが、大きな驚きでした。それを説明するために、物性物理の理論家が持ち出したのが、ヒルベルト空間のトポロジー理論です」
その理論では、固体の電子状態を、抽象的な数学で記述されるヒルベルト空間の図形として表現する。それをトポロジー(位相幾何学)という図形の不変的性質を探る幾何学で分析する。
「ヒルベルト空間では、量子ホール効果を示す電子状態は、ひもが杭(くい)を取り巻いている図形に対応します(図1)。そのとき、ひもが杭を取り巻く回数は、0回、1回、2回……、と整数になります。1.1回や0.9回という小数はあり得ません。この0、1、2……という整数を、図形の不変的な特徴を示すトポロジカル・ナンバーと呼びます。量子ホール効果で量子力学の基本定数に基づく値の整数倍の電気伝導度が現れるのは、トポロジカル・ナンバーが整数だからだ、と理論家たちは説明しました。ヒルベルト空間という非常に抽象的な数学の世界が、電気伝導度というマクロスケールの現実世界と結び付いていることが、初めて分かったのです」
「1980年代のもう一つの大発見は、高温超伝導です」と、永長TL。超伝導とは、極低温で物質中の電気抵抗がゼロになる現象だ。1986年、それまでよりも高い温度で超伝導状態になる高温超伝導体が銅酸化物で発見された。超伝導も量子力学がマクロスケールで現れる現象の一種だ。しかし、なぜ電気を通しにくい銅酸化物のような物質で高温超伝導が起きるのか、そのメカニズムについては発見から四半世紀がたった現在でも論争が続いている。
「私も高温超伝導のメカニズムを解明する理論研究を1980〜90年代に続けました。そして、量子ホール効果だけでなく高温超伝導も、ヒルベルト空間のトポロジー理論で説明できることを見いだしました」
室温の普通の物質にも量子力学の現象が現れる

図2 トポロジカル絶縁体とメビウスの輪
トポロジカル絶縁体の端には、質量ゼロとして流れるアップスピンとダウンスピンの電子が現れる。トポロジカル絶縁体の電子系は、ヒルベルト空間ではメビウスの輪の形をしている。

図3 歪んだ結晶におけるX線の横ずれ
SPring-8により、歪んだ結晶でX線が5mmもの巨大な横ずれ現象を起こすことが観測され、永長TLらの予言が実証された。
2000年代に入り永長TLは、「私のこれまでの研究の中で、物理学への最大の貢献です」と語る理論的な発見を成し遂げた。「量子ホール効果や高温超伝導のような特殊なケースだけでなく、室温の普通の物質にも、量子力学の現象が普遍的に現れることに、おそらく世界で最初に気付いたのです。これまで、量子力学の現象がきれいな形で現れるのは、宇宙誕生のビッグバンのような超高温の世界や、極低温の世界だけだろうと信じられてきました。しかし、ヒルベルト空間のトポロジー理論による研究により、さまざまな量子力学の現象が室温の物質中でも現れることを発見したのです」
永長TLはその発見を機に、研究スタイルを180度転換した。「それまでは、高温超伝導のように実験で発見された現象を理論で説明する研究を進めていました。しかし、それ以降は、ヒルベルト空間のトポロジー理論で予言を行い、実験家に実証してもらうスタイルに転換しました」
永長TLは、ヒルベルト空間のトポロジー理論でどのような予言をしてきたのか。その例をいくつか紹介しよう。
2000年、永長TLたちは、異常ホール効果(強磁性体特有のホール効果)という、そのメカニズムについて100年以上論争が続いていた現象が、ヒルベルト空間のトポロジー理論で説明できることを世界に先駆けて提唱し、量子ホール効果と同様の原理が働いていることを示した。「2003年にはその概念をスピン流(スピンについては後述)に拡張して、トポロジカルなスピンホール効果を最初に指摘し、2005年には量子スピンホール効果という現象が絶縁体でも起きることを予言しました」
その永長TLたちの研究を発展させる形で、米国の理論家が“トポロジカル絶縁体”という新しいタイプの物質が存在し、陽子の1836分の1という質量を持つ電子がトポロジカル絶縁体の端や表面では質量ゼロの粒子として流れる、と予言した(図2上)。そして実際に、その現象が実験で確かめられた。トポロジカル絶縁体にはさらに未知の現象が潜んでいると考えられ、大きな注目を集めている(本誌2010年7月号「研究最前線:トポロジカル絶縁体・超伝導体と質量ゼロの粒子の不思議な世界」)。
「ヒルベルト空間で考えると、トポロジカル絶縁体は表裏のないメビウスの輪の形をしています(図2下)。トポロジカル絶縁体で電子が質量ゼロの粒子として流れることも、ヒルベルト空間のトポロジー理論で説明できる現象の一種です」
電子だけではなく、光にもトポロジカル理論は応用できる。2004年、永長TLらは光の反射・屈折の際に現れる横方向のシフト(光のホール効果)を予言し、さらに2006年には東京大学の永長研究室で学んでいた澤田 桂(けい) 特別研究員(現・理研放射光科学総合研究センター データ処理系開発チーム)らと、直進する性質を持つX線が、歪(ひず)んだ結晶の中で大きな横ずれを起こす、と予言した。その後、理研に入所した澤田 特別研究員は、大型放射光施設“SPring-8”を使って、X線が5mmも横ずれする現象を2010年に観測し、予言の実証に成功した(図3)。その横ずれは、X線の波長の100万倍にも達する。
トポロジカル・カレントで省電力デバイスをつくる
永長TLは、2007年に交差相関理論研究チームを、2010年に強相関理論研究チームを理研に立ち上げた。「物性の99%は、X線の横ずれ現象のように、可視光やX線などの電磁場と固体の相互作用で現れます。これまで、固体中の電子系と外部の電磁場の相互作用を記述する物性理論がつくられてきました。ヒルベルト空間のトポロジー理論では、固体中の電子系が独自の電磁場をつくり、それが外部の電磁場と相互作用すると考えます。それが新しい物質観です。私たちはその固体中の電子系がつくる独自の電磁場を人工的に設計することで、新しい原理のデバイスをつくることを目指しています」
永長TLたちは、どのようなデバイスを実現しようとしているのか。「パソコンを使っていると、すぐに熱くなりますよね。それはデバイスに流れる電流が電気抵抗を受けてジュール熱を発生するからです。その分、電力は無駄になっています。私は実験家と緊密に連携しながら、そのような無駄を抑え、電力をなるべく消費しないデバイスの原理を築くことを目指しています」
そもそもなぜジュール熱は発生するのか。「オームの法則に従って電気抵抗を受ける普通の電流をオーミック電流と呼びます。量子力学によると、電子は粒子とともに波の性質があります。オーミック電流の電子は粒子の性質が強く、パチンコ玉が動いているイメージです。パチンコ玉のような電子が動いて固体中の不純物などに衝突することで、電気抵抗を受けて熱が発生するのです」(タイトル図A)
電気抵抗がゼロとなる超伝導体をデバイスに使えば、ジュール熱は発生しない。しかし現在のところ室温で超伝導が起きる物質は発見されていない。超伝導を利用するにはデバイスを極低温まで冷やさなければならず、その冷却にエネルギーが必要だ。
「私は2000年以降の研究で、ヒルベルト空間のトポロジー理論により、室温の普通の物質に、ジュール熱の発生しない“トポロジカル・カレント”が広く存在するという確信を得るに至りました」
永長TLは、固体中を流れる電流には、オーミック、超伝導、そしてトポロジカル・カレントの3種類があることを世界で最初に指摘したのだ。では、ジュール熱の発生しないトポロジカル・カレントの電流とはいったい何か。
「池に小石を二つ投げ込んだシーンを想像してください」と永長TL。「二つの波紋が広がってぶつかり、波が互いに強め合って高くなったり、弱め合って低くなったりする干渉が起きます。その波の高いところに電子が存在します。そして干渉パターンを変化させることで電子の位置が移動します。それがトポロジカル・カレントの電流のイメージです(タイトル図B)。電子が波として移動するのでジュール熱は発生しません。固体中の電子系がつくる独自の電磁場の干渉パターンを、外部からのわずかな力で変化させて、トポロジカル・カレントの電流を流すことができます」
スピン流を利用する

図4 ヒルベルト空間に保存されていたスピンの向き
スピンの向き(青い矢印)をそろえた電子を固体中に流しても、スピンの向きは乱されてさまざまな方向を向いて情報が失われてしまう(赤い矢印)。ところが、消失すると思われていた元のスピンの向きはヒルベルト空間に保存されており、その情報を取り出せることを、永長TLたちは理論的に発見した。
トポロジカル・カレントの電流が、室温の普通の物質に流れることは、すでに実験で確かめられている。「ただし、トポロジカル・カレントの電流が流れるとき、多くの場合、同時にオーミック電流も流れてジュール熱が発生し、電力が無駄になってしまいます。オーミック電流が流れるのを極力抑え、トポロジカル・カレントの電流だけが流れるようにした物質がトポロジカル絶縁体です。ただし、トポロジカル絶縁体は特殊な物質なので、もっと普遍的な物質に起きる現象を利用することを考えています。例えば、電流ではなくスピン流を利用することも検討しています」
まずスピンについて説明しよう。電子は電荷とともに、地球の自転に似た運動量を持つ。それがスピンだ。スピンには、右回りの自転に対応するアップスピンと、それを反転させたダウンスピンの2種類の向きがある。
従来の電子工学では、電子の電荷を主に利用してきた。例えば、電荷の流れである電流が流れるか流れないかを0と1に対応させて情報処理を行っている。その電荷に加えて、スピンの向きも情報として利用する“スピントロニクス”の研究が盛んに行われている。電源を切ってもスピンの向きにより情報を高密度に記録するメモリーがすでに実用化されており、さらにスピンをうまく利用することで、高性能で省電力のデバイスが実現できると期待されている。
それでは、スピン流とは何か。それはとてもイメージがしにくい現象だが、電子の電荷の流れが電流であるのに対して、スピンの流れがスピン流だ。「そのスピン流にも、オーミック、超伝導、そしてトポロジカル・カレントの3種類があります。私は電流が流れない絶縁体に、トポロジカル・カレントのスピン流を流すことで新しい現象を引き起こし、それをデバイスに利用することを考えています」
スピンの向きを情報として利用する際、そのスピンの向きが保存される必要がある。「しかし固体中では、電子が移動するうちにスピンの向きが乱されて情報が消えてしまうことがスピントロニクスの大きな障害となっています。ところが、消失すると思われていた元のスピンの向きがヒルベルト空間に保存されており、その情報を取り出せることを私たちは理論的に発見し、今年6月に発表しました」(図4)。この発見は、スピントロニクスの進展にブレークスルーをもたらすことだろう。
ヒルベルト空間と現実世界を結び付ける
「高校生のとき、アインシュタインに影響を受けて相対論を独学で学びました。そして、相対論を記述する抽象的な数学の世界が現実の物理現象と結び付くことに、大きな驚きを覚えました」と振り返る永長TL。
永長TLたちの研究により、ヒルベルト空間という抽象的な数学の世界と現実世界を結び付けた新しい原理の省電力デバイスが発明され、持続可能な社会の実現に貢献することが期待されている。
(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)



