刊行物

特集

マイクロバイオーム研究を推進し、健康と環境に貢献する



Japan Collection of Microorganisms(JCM)は、理研和光研究所に1981年に設立されて以来、生命科学の基盤となる微生物の収集・保存・品質管理・提供事業を進めてきた。2004年に組織改編により、微生物材料開発室として理研バイオリソースセンター(BRC)に編入。今年、JCMは拠点を理研筑波研究所へ移転し、これでBRC所属のすべてのグループが一ヶ所に集結した。
 ヒトには、腸内や口腔(こうくう)内、皮膚などに1000兆個もの微生物が共生し、それら微生物の遺伝子の総数は300万以上に及ぶと推計されている。人体や植物の根の周囲など、ある場所に共生する微生物全体を、マイクロバイオーム(あるいはミクロビオーム、Microbiome、微生物叢(そう))と呼ぶ。この10年の研究の進展により、ヒトの健康や植物の成長に、マイクロバイオームが大きな影響を及ぼしていることが分かり始めてきた。微生物材料開発室の大熊盛也室長は移転を機に、BRCのほかのグループとの連携を強化し、マイクロバイオームを健康や環境問題の解決に役立てる研究を推進しようとしている。

大熊盛也 おおくまもりや 筑波研究所 バイオリソースセンター 微生物材料開発室 室長 1964年、埼玉県生まれ。農学博士。1993年、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員を経て、1994年、理化学研究所 研究員。2009年より現職。
筑波研究所 バイオリソースセンター 微生物材料開発室

年間寄託数、世界第2位

―JCMはどのような経緯で設立されたのですか。

大熊:現在ではマウスやシロイヌナズナなど、さまざまな生物が実験材料として利用されていますが、細胞が比較的単純で実験しやすい微生物が、早くから使われてきました。そして、DNAに書かれた遺伝情報が読み取られてタンパク質がつくられる過程や代謝の仕組みなど、現在の生命科学の基礎となる知見が、微生物を使った研究により得られました。
 基礎研究に用いる微生物を保存・提供する専門機関は、欧米などで日本よりも先行して整備が進められてきました。日本では1970年代まで、大学や研究者が個別に対応している状況だったのです。そのような中、1981年、日本で初めて基礎研究を主目的として微生物を収集・保存・品質管理・提供する専門機関として、JCMが理研和光研究所に設立されました。
 そして2001年にバイオリソース(生物遺伝資源)の総合的専門機関として理研バイオリソースセンター(BRC)が設立され、翌年にはオールジャパンでさまざまな実験材料の整備を進める国家プロジェクト「ナショナルバイオリソースプロジェクト」が始まりました。JCMはその先駆けとなる活動を続けてきたのです。

―JCMの現状は。

大熊:バクテリア(細菌)やアーキア(古細菌)、糸状菌や酵母など、2万以上の株を保存しています。
 微生物の大きな特徴は、種の多様性です。昆虫も種が多いといわれますが、微生物同士の種の隔たりは非常に大きく、昆虫と植物くらい懸け離れていて、ゲノム(全遺伝情報)では1割ぐらいしか共通性がない多様な種が至る所に生息しています。JCMの特徴は、それぞれの種を代表する基準株の寄託数が多いことです。バクテリアとアーキアを合わせた基準株の年間寄託数は、2011年度に313株と世界2位。国内だけでなく、中国や韓国などアジア諸国からも数多く寄託されています。30年間かけて築き上げてきたJCMのブランド力、信頼の証しです。

培養困難な微生物の研究を推進する

─今後の課題は。

大熊:この10年で微生物研究は、大きく様変わりしました。従来、微生物を分離・培養することで、その性質が調べられてきました。遺伝子を解析する場合にも、微生物を分離・培養して増やし、たくさんの量のDNAを得る必要がありました。しかし多様な微生物のうち、現在の技術で培養できるのは全体のわずか1%程度で、残りの99%は培養が困難です。
 ところが近年、ある場所に生息する微生物群集からまとめてDNAを取り出して解析することで、どのような種類の遺伝子が存在するのかを調べる「メタゲノム解析」と呼ばれる手法が進展し、“培養しなくても微生物を研究することができる”という発想の転換をもたらしました。
 そして、培養せずに微生物の特定の遺伝子だけを研究したいという要望も高まっています。従来、JCMでは培養できる微生物だけを保存・提供してきました。しかしJCMから生きた株を提供されても、その培養に手間がかかり、遺伝子の研究がすぐに始められないケースもありました。そこで私たちはBRC遺伝子材料開発室(小幡裕一 室長、BRCセンター長)と連携し、生きた株の提供に加えて、ゲノムDNAを提供するサービスを開始しました。それにより、培養しなくても調べたい遺伝子の研究にすぐに取り組むことができます。

―培養困難な微生物の遺伝子も提供する予定ですか。


図:ヤマトシロアリのマイクロバイオーム 画像は、ヤマトシロアリ腸内のさまざまな原生生物。1匹のシロアリの腸内には、十数種類以上の原生生物と数百種類以上の細菌が、合計1000万個体以上も生息している。

ヤマトシロアリのマイクロバイオーム

画像は、ヤマトシロアリ腸内のさまざまな原生生物。1匹のシロアリの腸内には、十数種類以上の原生生物と数百種類以上の細菌が、合計1000万個体以上も生息している。

大熊:私はシロアリの腸内に共生する微生物群の研究を進めてきました()。そしてメタゲノム解析などにより、木材に含まれるセルロースを分解して糖をつくる過程で働く酵素の遺伝子を発見しました。ただし、その遺伝子はどの微生物のものか分かりません。また、その微生物を突き止めても、培養は困難です。そのような培養困難な微生物の遺伝子を実験材料として提供してほしいという要望も増えています。私たちはまず、シロアリ腸内の培養困難な微生物群から取り出したセルロース分解系で働く遺伝子を含むDNAを、実験しやすい形に調製して提供する準備を進めています。

人体に共生する微生物は1000兆個、その遺伝子総数は300万以上

―筑波研究所への移転にはどのようなメリットがありますか。

大熊:BRCの細胞材料の保有数は世界最多。実験動物(マウス)の提供可能系統数は世界第2位。さらに実験植物(シロイヌナズナ)と遺伝子材料において、BRCは世界三大拠点の一つとなっています。それらほかのグループと連携を強化できることが大きなメリットです。それにより、マイクロバイオームの研究を推進するための取り組みを、本格的に始めることができます。

―マイクロバイオームとは何ですか。

大熊:ある場所に生息・共生する微生物全体を指します。例えば、人体は微生物だらけです。腸内や口腔内、皮膚などにたくさんの微生物が共生しています。それら全体がヒトのマイクロバイオームです。その数は1000兆個と、人体をつくる細胞60兆個の10倍以上。遺伝子の総数は300万以上と、ヒトの遺伝子数(2万2000)の100倍を超えます。その多くは培養困難ですが、培養を介さないメタゲノム解析により、マイクロバイオームがヒトの免疫系や代謝系などに、とても大きな影響を及ぼしていることが、この10年で分かり始めてきました。

―ヒトの健康を理解するには、ヒトだけでなく、共生しているマイクロバイオームも調べる必要があるのですね。

大熊:そうです。マイクロバイオームを解析してコントロールすることで、病気を予防したり症状を軽減させたりすることができると期待されています。
 先ほど紹介したシロアリの腸内の微生物群も、シロアリのマイクロバイオームの一部です。そこで生み出されているセルロース分解系酵素を活用すれば、木材や雑草などからバイオ燃料をつくることも可能になると期待されています。マイクロバイオームには、環境や健康に重要な未開拓の資源が潜んでいるのです。

―マイクロバイオームの研究をさらに進めるには何が必要ですか。

大熊:例えばマウスなどの実験動物に、ある薬剤を与えて薬効や副作用を調べるとき、マイクロバイオームの違いによって実験結果が左右される可能性があります。しかしマイクロバイオームを構成する微生物の種類や遺伝子を統一することは困難です。私たちはBRC実験動物開発室(吉木 淳 室長)と連携して、実験動物を提供するとき、その個体のマイクロバイオームの情報も一緒に提供する取り組みを進めていきたいと考えています。

―植物にもマイクロバイオームがあるのですか。

大熊:植物の根の周りなどには、さまざまな微生物が共生してマイクロバイオームを構成し、植物の成長に大きな影響を与えています。例えば、菌根菌(きんこんきん)が植物から有機物をもらう代わりに土壌中の窒素やリンなどを植物へ供給することで共生し、植物の成長を促進していることが古くから知られています。しかしその菌根菌ですら、いまだに培養できていません。
 そのような植物のマイクロバイオームの研究を推進するために、私たちはBRC実験植物開発室(小林正智 室長)と協力して、マイクロバイオームがこのような条件のときにこのような成長を示す、といった情報とともに実験植物を提供する取り組みを始めたいと考えています。
 さらに、BRCの遺伝子材料開発室や情報解析技術室(深海 薫 室長)とも連携を深め、マイクロバイオームから特定の微生物を分離する技術、さらに分離した微生物を培養して増やすことなく細胞1個から取り出した少量のDNAでゲノムを解析する技術の開発を進めたいと考えています。それにより、さまざまな微生物が物質や情報をやりとりすることで成立しているマイクロバイオームの共生メカニズムの解明や、その仕組みを健康や環境問題の解決に役立てる研究に、微生物バイオリソースの整備を通して貢献していきたいですね。