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研究最前線

気管支喘息やアレルギーに関わる遺伝子を突き止め、臨床に活かしたい


約2万個ある遺伝子について、1個ずつ欠損させたノックアウトマウスを それぞれ作製し、“健康診断”をして、すべての遺伝子機能を解明する。 その解析結果をデータベースとして公開し、作製されたノックアウトマウスと 解析結果を世界中の研究者が利用できるようにする──。 そのような人類共通の財産を築く国際共同開発プロジェクト “国際マウス表現型解析コンソーシアム(IMPC)”が 2011年から10年計画でスタートした。 日本からは理研バイオリソースセンターが参画。実験動物開発室の 吉木 淳 室長たちが、ノックアウトマウスの作製を担っている。 ヒトの病気の原因解明や治療薬の開発には、 よく似た症状を示す疾患モデルマウスが欠かせない。 IMPCで作製されるノックアウトマウスの多くが、 さまざまな病気の疾患モデルマウスとして利用され、 生命科学や医学の発展に大きな飛躍をもたらすと期待されている。


尾上浩隆
実験動物開発室 理研バイオリソースセンター 筑波研究所


タイトル図 国際マウス表現型解析コンソーシアム(IMPC)

 
ノックアウトマウスの登場

 「生物の体がつくられていく発生の過程は、実に見事です。組織・臓器の機能に応じて細胞は特徴的な形態を取り整然と配列します。そのようにしてつくられる体の各器官はとても美しい形をしています。複数の遺伝子がどのように協調して、美しい構造をつくり出し機能していくのか。それを知りたいという思いで、マウスを使った研究を続けてきました」と吉木 淳 室長。
 遺伝子にはタンパク質をつくるための情報が書かれている。遺伝子の99%がヒトと共通しているマウスは、ヒトの遺伝子機能を調べるために、100年以上も前から実験動物として用いられている。そして、発生過程や行動、形態に異常のある突然変異マウスを見つけて、その異常の原因となる遺伝子を突き止めることで、遺伝子機能を調べる研究が続けられてきた。
 「私が大学院生だった1980年代末、遺伝子機能を調べる新しい手法が登場しました。それがノックアウトマウスです」。ノックアウトマウスは、特定の遺伝子を欠損させてつくられる。そのマウスを調べることで、欠損させた遺伝子の機能を知ることができるのだ。
 「これまでにさまざまなノックアウトマウスがつくられ、そのうちの一部はヒトの病気とよく似た症状を示す疾患モデルマウスとして用いられています。現在、適切な疾患モデルマウスがないために、治療薬の開発が進まない病気がたくさんあります。疾患モデルマウスは、病気の原因解明や治療法の開発に欠かせない存在です」

生命科学や医学を飛躍させる人類共通の財産


図1 ノックアウトマウス用ES細胞
ES細胞の目的とする遺伝子を別の遺伝子に組み換えている。写真は、IKMCが作製しているものと同じタイプのノックアウトマウス用ES細胞。

 「生命科学や医学の発展に大きな貢献を果たしてきたノックアウトマウスですが、研究社会全体として見ると多くの無駄がありました。ノックアウトマウスをつくるには多くのコストと時間を要しますが、同じ遺伝子を欠損させたノックアウトマウスを異なる研究者が重複してつくった例が多数あります。また、個別の研究では研究対象として限られた組織・臓器における現象しか調べないため、解析が不十分なままのノックアウトマウスがたくさんあります。そして、企業や研究機関で作製されたノックアウトマウスの大半は、ほかの研究者が入手できない状況が続いていました」
 2002年、マウスのゲノム(全遺伝情報)が解読され、タンパク質をつくるための情報が書かれた遺伝子が、ゲノムのどこにあるのかが明らかになった。これにより、すべての遺伝子を1個ずつ欠損させたノックアウトマウスをつくることが可能になった。それらのノックアウトマウスを誰もが利用できるようなれば、無駄がなくなり、生命科学や医学は飛躍的に進展するはずだ。
 2006年、そのような人類共通の財産を築く“国際ノックアウトマウスコンソーシアム(IKMC)”が欧州、米国、そしてカナダの研究機関の連携によりスタートした。
 ノックアウトマウスをつくるには、発生初期の胚盤胞(はいばんほう)からつくったES細胞(胚性幹細胞)を用いて、目的とする遺伝子をその機能を失わせる別の遺伝子に組み換えることで欠損させる。IKMCでは、そのようなノックアウトマウス用ES細胞(図1)の作製を進めてきた。「マウスの全遺伝子約2万個のうち、現在までに約1万8000個のノックアウトマウス用ES細胞がつくられました」

哺乳類の遺伝子機能百科事典をつくる

 IKMCプロジェクトの次に必要なのは、ノックアウトマウス用ES細胞から実際にノックアウトマウスを作製し、健康や病気に関わる“表現型”を世界共通の基準で総合的に解析することだ。表現型とは、遺伝子とその働きにより現れる性質のことである。解析した表現型の情報は、データベース化して公表するとともに、作製したノックアウトマウスを世界中の研究者が利用できるようにする。
 「研究者たちはそのデータベースを見て、興味のある表現型を示すノックアウトマウスを取り寄せて、自分が注目する現象をより深く詳細に解析する研究をすぐにスタートさせることができるようになります」
 昨年9月、それを実現するための国際共同開発プロジェクト“国際マウス表現型解析コンソーシアム(IMPC)”が世界の有力研究機関・組織の連携により始まった。日本からは理研バイオリソースセンター(BRC)が参画している(タイトル図A)。
 「マウスを用いて最先端の研究を行ってきた研究者たちが、IMPCに結集しています。そこに参画したことは、BRCの総合力を国際的に認めていただいた証しです。そしてBRCの参加により、日本の研究者はIKMCならびにIMPCの成果を自由に利用できるようになります」と吉木室長。
 2001年に設立されたBRCは、実験動植物、細胞、遺伝子、微生物などのバイオリソースの収集・保存・開発・提供を行う日本で唯一の総合専門機関である。実験動物開発室はマウスのリソース事業を担当し、理研をはじめ国内でつくられたマウスを受け入れて品質をチェックし、最良な状態で国内および海外23ヶ国の研究機関に提供してきた。マウス保存数は6000系統以上と、世界第2位だ。
 また、マウス表現型解析開発チームの若菜茂晴チームリーダーたちは2008年、“日本マウスクリニック”を開設し、マウスの表現型を精密かつ網羅的に検査できる解析技術を築いてきた。さらに、マウス表現型知識化研究開発ユニットの桝屋啓志(ますやひろし)ユニットリーダーたちは、表現型のデータベース化に取り組んでいる。
 今年3月、BRCは50種のノックアウトマウス用ES細胞を取り寄せ、ノックアウトマウスの作製を開始した(タイトル図B)。
 「私たちの仕事が終わると、日本マウスクリニックが世界共通の基準で表現型を解析します。次に、その解析データをマウス表現型知識化研究開発ユニットがデータベース化します。BRCで作製・解析したデータはIMPCのデータセンターへ渡され、公開される予定です。作製したノックアウトマウスは、精子を凍結保存して、データの公開と同時に世界中へ提供できるようにします」
 IMPC全体では最初の5年間で4000種のノックアウトマウスをつくる計画だ。そして、年間800のペースで遺伝子機能を解明する。それにより、新しい疾患モデルマウスが次々と誕生するだろう。IMPCは新しい疾患モデルマウスの基盤を構築する国際プロジェクトなのだ。
 「IMPCのキャッチフレーズは、“哺乳類の遺伝子機能百科事典をつくる”です。マウスの遺伝子の大部分は哺乳類全体に共通しているので、マウスの遺伝子機能を網羅的に解析することは、哺乳類の遺伝子機能を知るための百科事典をつくることにほかなりません」

特定の生体組織での遺伝子機能を調べる

 IMPCでは10年間で、約2万個すべての遺伝子について、ノックアウトマウスの作製を完了する計画だ。「しかし、遺伝子の中には、欠損すると誕生前の発生の途中段階で死をもたらすものがあり、それらは全体の3割程度を占めると予想されています。そのような遺伝子が欠損したときは、発生のどの段階でどのような異常が起きるのかを調べます」
 欠損すると発生の途中段階で死をもたらす遺伝子の中には、誕生後に特定の生体組織で重要な機能を果たし、その機能不全が病気の原因となるものが多数あると予想される。そのような遺伝子の機能はどのような方法で調べるのか。
 「IKMCで作製されたほとんどのノックアウトマウス用ES細胞には、“Cre(クレ)”という遺伝子組換え酵素が細胞内で働いたときにだけ目的の遺伝子が欠損する仕組みが組み込まれています。これは条件付きノックアウトと呼ばれる手法です。特定の組織だけでCreが働くマウスを用意して、条件付きノックアウトの仕組みを組み込んだマウスと交配させると、特定の組織だけで遺伝子が欠損したノックアウトマウスが生まれます。そのマウスで特定の組織における遺伝子機能を調べることができます。ただし、組織の種類は脳、心臓、肝臓などたくさんあるため、IMPCとは別に、さまざまなCreマウスを作製する取り組みが世界各国で進んでいます。作製されたCreマウスは、世界の主要なマウスリソースセンターの国際連盟“FIMRe(フィムレ)”のホームページで公開され、情報を共有しながら整備が進められています」

創薬・治療法の開発に役立つマウスをつくる


図2 特定の組織だけでCreが働くマウス
実験動物開発室が作製したもので、Creが発現している細胞を青く染色している。左は膵臓の膵島細胞、右は大腸の上皮細胞だけでCreが発現している。



図3 Fucciの技術を組み込んだマウス
全身の細胞について、細胞分裂の周期を色の違いによって観ることができる。写真は胎生11.5日のマウス。

 実験動物開発室でも、遺伝子組換え酵素Creが特定の組織だけで発現するマウスの作製を進めている。「国内の生活習慣病などの研究グループと連携して、利用が見込まれるCreマウスを現在までに30種類ほどつくりました。例えば、インスリンというホルモンが不足すると糖尿病が発症します。そのインスリンをつくる膵臓(すいぞう)の膵島(すいとう)細胞だけでCreが働くマウスをつくりました(図2左)。また、消化管にできるがんの研究のために、消化管の上皮細胞だけでCreが働くマウスも作製しました(図2右)。ぜひ、多くの研究者に利用していただきたいですね」
 マウスのリソース事業を担当する実験動物開発室には、国内外の研究者からマウス提供の依頼が寄せられる。「その依頼リストは、研究のトレンドを知る貴重な情報源です。ここ数年、“オートファジー”という現象を観ることのできるマウスの依頼が急増しています」
 オートファジーとは、細胞が自らの細胞内の成分を分解する現象だ。「オートファジーは、感染症やがん、神経変性疾患など、さまざまな病気と関係していることが分かってきました。東京医科歯科大学の水島 昇 教授が、クラゲ由来の緑色蛍光タンパク質(GFP)を使ってオートファジーを観察できる技術を開発しています。私たちは、その技術を組み込んだマウスを保存・提供しています。これまでに約170機関の研究者に提供してきました」
 その技術はオートファジーの全過程の一部分のみを観るものであった。昨年、理研脳科学総合研究センター 細胞機能探索技術開発チームの宮脇敦史チームリーダー、片山博幸 客員研究員たちが、サンゴ由来の蛍光タンパク質を用いてオートファジーの全過程を高感度で観ることのできる技術を開発した。
 「その技術を組み込んだマウスができれば、疾患モデルマウスと交配させたマウスをつくることにより、病気とオートファジーの関係をより詳しく調べたり、薬の候補物質を投与したときに病状が改善する過程をオートファジーを指標にして調べることができます」
 すでに、宮脇チームリーダーたちが開発した、細胞分裂の周期を可視化できる“Fucci(フーチ)”という蛍光プローブが組み込まれたマウスがBRCに寄託されており、世界中の研究者に利用されている(図3)。「私たちが、そうした特定の生命現象や細胞内の構造を可視化できるマウスと疾患モデルマウスを交配させたマウスを準備しておくことで、病気の原因解明や治療薬の開発が加速するはずです。それには、今後どんなマウスが必要とされるのか、ニーズをよく知っておくことが重要です」

マウスが生命の見方を変える

 「マウスが実験動物として確立されて100年以上がたちました。これまでは、表現型の異常が目立つ突然変異マウスやノックアウトマウスにより、遺伝子機能が断片的に解明されてきました。これからは、IMPCで標準化された解析方法によって遺伝子機能が網羅的に解明され、すべての遺伝子のノックアウトマウスを入手することができるようになります。また、遺伝子発現を特定の組織や時期に欠損させて解析する手法や、生命現象を可視化する手法の開発も進展しています。今後、それらを組み合わせた実験を行うことで、遺伝子機能をさらに深く理解することができるはずです」
 任意の複数の遺伝子を同時に欠損させたノックアウトマウスをつくり、表現型を解析することも容易になる。「特に生活習慣病などは、複数の遺伝子の変異が重なり、さらに生活習慣という環境因子が加わって発症するといわれています。そのような複雑な要因で発症する疾患の克服に、本格的に取り組むことができるようになるのです。今後、マウスを用いた研究は、私たちの生命の見方を劇的に変えていくはずです」


(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)