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研究最前線

気管支喘息やアレルギーに関わる遺伝子を突き止め、臨床に活かしたい


化学的手法と生物工学的手法を融合させた新しいものづくり──伊藤嘉浩(よしひろ) 主任研究員は、それを“バイオものづくり”と呼んでいる。理研和光研究所 基幹研究所伊藤ナノ医工学研究室では、バイオものづくりの手法を確立し、優れた機能を持つ新材料の開発を目指している。最近では、iPS細胞を安全・簡便に培養できる画期的な培養床(どこ)を開発し、注目を集めた。「バイオものづくりをもう一歩進め、医療や社会にさらに貢献することを目指し、進化分子工学も取り入れています」と伊藤主任研究員。伊藤ナノ医工学研究室から生み出される新しい材料や技術の数々を紹介しよう。


伊藤嘉浩
基幹研究所 伊藤ナノ医工学研究室


タイトル図 バイオものづくりから生まれた新しい細胞培養材料

 
iPS細胞が抱える大きな課題

 「ナノ医工学研究室のキーワードは、“バイオものづくり”です」と伊藤嘉浩 主任研究員。「バイオものづくりとは、化学と生物工学を融合した新しい技術によって新しい材料をつくること。私たちは、医療に役立つ材料をつくることを目指しています。例えば、光リソグラフィによって生体分子をマイクロパターン状に固定できる細胞培養の材料を世界に先駆けて開発してきました(タイトル図A)。細胞の成長や分化、移動を制御できるので、再生医療にも役立つでしょう」
 そして今年3月、新しい細胞培養の材料を発表。それがiPS細胞(人工多能性幹細胞)の画期的な培養床である。
 iPS細胞とは、皮膚細胞などのすでに分化が完了した体細胞を、いくつかの遺伝子を導入することで初期化し、さまざまな種類の細胞に分化する能力(多分化能)を持たせたものである。機能を失ったり、傷ついてしまった組織や臓器をつくる再生医療の切り札として、大きな期待が寄せられている。ES細胞(胚性幹細胞)も多分化能を持つが、発生初期の受精卵(初期胚、胚胞)から細胞を取り出してつくられることから、倫理的な問題を抱えている。また、他人の受精卵由来のため拒絶反応の問題もある。一方、iPS細胞は体細胞からつくられるため、倫理的な問題が少ない。さらに患者さん自身の細胞からつくることができるので、iPS細胞から分化した細胞を移植しても拒絶反応が起きにくいという利点もある。
 2007年、京都大学の山中伸弥教授が世界で初めてヒトのiPS細胞の作製に成功して以来、医療への応用が待ち望まれている。「しかし、iPS細胞が医療現場で使われるようになるには、解決すべき課題がいくつもあります。その一つが、培養方法です」と、伊藤主任研究員は指摘する。
 iPS細胞の培養には、フィーダー細胞を使うのが一般的だ。フィードは餌という意味。フィーダー細胞は、iPS細胞が増殖できるように栄養を供給し、iPS細胞が多分化能を維持するのに適した環境を整える。「フィーダー細胞には、あらかじめ死なない程度に抗生物質を投与したりして、それ自身が増殖しないようにする必要があります。その調製には手間がかかり、iPS細胞の状態とタイミングを合わせて用意するのも一苦労です。また、iPS細胞を取り出すときにフィーダー細胞が混入してしまうと、使い物にならなくなってしまいます。長く培養していると、フィーダー細胞が増殖を始めてしまうことがあります。すると分離がさらに難しくなります。簡単で安心な培養方法を求めて、多くの研究者が頭を悩ませています」

フィーダー細胞を化学固定してiPS細胞を培養

 そうした状況の中、伊藤主任研究員が考えた培養方法は、あまりにも大胆なものだった。「フィーダー細胞に化学的な処理を施して固定してしまおうと考えました」
 伊藤主任研究員が選んだ固定液が、グルタルアルデヒドやホルムアルデヒドだ。どちらも細胞や組織の固定液として広く使用されている。ホルムアルデヒドの水溶液が、標本づくりに使われるホルマリンだ。
 「グルタルアルデヒドやホルムアルデヒドで固定化すると、細胞は死んでしまいます。今までの常識からすると、死んだ細胞を利用したiPS細胞の培養がうまくいくとは思えません。しかし、調製の手間を省き、フィーダー細胞の混入を防いで使いやすくするには、固定化は魅力的な方法です。駄目かもしれないが一度やってみよう、と思ったのです」
 グルタルアルデヒドとホルムアルデヒドで固定化したフィーダー細胞をシャーレに敷いて培養床をつくり、その上でiPS細胞を培養してみた。すると、iPS細胞の多分化能を示すタンパク質“Nanog”の発現が継続して見られた(タイトル図B)。さらに、培養したiPS細胞を神経細胞へ分化するように誘導させたところ、狙い通りに分化が進むことも確認できた。化学固定化したフィーダー細胞の培養床を用いることで、多分化能を維持したままiPS細胞の増殖に成功したのである。
 フィーダー細胞は死んでいてもよい──これまでの培養方法の常識を覆す画期的な手法だ。「iPS細胞の培養には栄養を供給するフィーダー細胞が必要だと信じられてきましたが、実は、足場がありさえすればよいのかもしれません」
 固定化したフィーダー細胞は、凍結乾燥して長期保存が可能で、必要なときに解凍してすぐ使うことができる。しかも、グルタルアルデヒドで固定化したフィーダー細胞は、3回再利用した場合でも、培養したiPS細胞の約95%が多分化能を維持していることが分かった。「臨床の現場ではコストも重要なので、再利用できるのは大きなメリットです。今回の成果は、マウスのiPS細胞を使っています。今後は、ヒトのiPS細胞の培養にもフィーダー細胞の化学固定化が使えるかどうかを検討していきます」
 マウスとヒトのiPS細胞には違いがあるのだろうか。「ヒトのiPS細胞は、マウスのiPS細胞に比べて非常に繊細なので、その培養はさらに難しくなります。ちょっとした変化で増殖しなくなったり、多分化能が維持できなくなったりします。それだけに、安心、安全、簡便、安価な培養方法の確立が望まれています。フィーダー細胞を化学固定化した培養床をヒトのiPS細胞に使えれば、再生医療の実現に大きく貢献できると期待しています」

細胞融合によって体細胞を初期化する

 伊藤主任研究員は、山中教授がiPS細胞の樹立に成功する以前から、体細胞を初期化して多分化能を持たせる研究に取り組んできた。「山中教授は四つの遺伝子を導入することで体細胞を初期化させることに成功しました。一方でそれ以前から、体細胞をES細胞と融合させることで、体細胞を初期化できることが知られていました。私は、この方法で体細胞の初期化を目指していたのです」
 ES細胞の細胞質には初期化に関わる因子があり、ES細胞と体細胞が融合することで体細胞が初期化され、多分化能を持つようになると考えられている。しかし、この方法には、大きな問題がある。融合してできた細胞の染色体の数が倍になってしまうのだ。その問題を解決するため伊藤主任研究員は、融合させた後、ES細胞の核にレーザーを照射して壊してしまう方法を考えた。しかし、うまくいかなかった。悩み抜いた末に考えついたのが、マイクロ流路を使う方法だ。
 「体細胞の初期化に必要なのは、ES細胞の細胞質に含まれる因子です。マイクロ流路の幅を工夫することで、ES細胞の細胞質だけが体細胞と融合できるようにすればいいのではないか、と考えたのです。私たちの研究室にはマイクロ流路をつくる技術がないので、理研基幹研究所 前田バイオ工学研究室の細川和生 専任研究員、前田瑞夫 主任研究員と共同研究を進めてきました」
 今年2月、その成果が発表された。細胞融合を行うのは、幅15〜50µmの流路を持つ小さな装置である(図1左)。「一方からES細胞、もう一方から体細胞を入れ、装置の中央で細胞を融合させます。ES細胞と体細胞が接する部分は幅2µmと狭くしてあります。そのため、ES細胞の細胞質は通り抜けることができますが、核は通り抜けることができません」と、伊藤主任研究員は装置の仕組みを解説する。「この装置を使って、ES細胞の細胞質だけを体細胞と融合させることに成功しました(図1右)。今後、融合した細胞が初期化され、多分化能を持っているかどうかを確認する予定です」


図1 マイクロ流路を用いたES細胞と体細胞の融合
流路の幅は15〜50μm。一方からES細胞、もう一方から体細胞を入れて、中央のくぼみで融合させる。ES細胞と体細胞が接する部分の流路の幅は2μmと狭くしてあるため、核は通り抜けることはできない。その結果、ES細胞の細胞質だけが流路を通って体細胞に融合する。

 

iPS細胞の分化を制御する

 伊藤主任研究員は、「次にすべきことは、iPS細胞など初期化された細胞の分化を制御し、狙い通りの種類の細胞に分化させること」だと指摘する。例えば、心臓の再生医療には、iPS細胞を心筋細胞に分化させる技術が不可欠となる。「iPS細胞の分化決定には、細胞が接している周りの環境が重要だといわれています。その環境を人工的な材料で、どのようにつくっていくかが今後の課題です」
 伊藤主任研究員には、すでに考えがある。「どの因子を加えると、どの種類の細胞に分化するかが、だんだん分かってきました。必要な因子をシャーレに固定化し、そこでiPS細胞を培養することを考えています。因子を培養液に添加するのではなく、シャーレに固定化してしまうことがポイントです。培養液に溶解させると、細胞の中に取り込まれてしまい、すぐになくなってしまいます。固定しておくと、細胞の中に取り込まれることなく、長期間にわたって命令を送り続け、分化の方向づけをすることができます」
 マイクロ流路で体細胞を初期化し、化学固定化したフィーダー細胞の培養床で多分化能を維持したまま培養して増やす。そして、分化に必要な因子を固定化したシャーレで培養し、必要な細胞に分化させる。──こうした一連の流れができれば、再生医療の実現に大きく近づく。

ダンベル型RNAでRNA医薬を実現へ

 「2007年11月に発表した“ダンベル型RNA”についても、ぜひ紹介したい」と伊藤主任研究員。ダンベル型RNAとは? 「トレーニングに使うダンベルに形が似ているので、そう呼んでいます。RNA医薬の実用化に貢献する技術です」(図2
 RNA医薬とは、RNA干渉という現象を利用して、悪さをする遺伝子が働かないようにする新しいタイプの治療法である。DNAのうち遺伝子領域の塩基配列はmRNA(メッセンジャーRNA)に翻訳され、その情報をもとにタンパク質がつくられ、さまざまな機能を発揮する。米国スタンフォード大学のアンドリュー・ファイアー教授とマサチューセッツ大学のクレイグ・メロー教授は、二本鎖RNAを細胞内に加えると、その片方のRNAと相補的な塩基配列を持つmRNAだけが分解されることを発見した。この現象がRNA干渉である。悪さをする遺伝子のmRNAと同じ塩基配列を持つ二本鎖RNAを人工的につくり、体内に入れれば標的とするmRNAが分解され、その機能を抑えることができる。ファイアー教授とメロー教授は、この発見によって2006年度ノーベル医学生理学賞を受賞している。
 「RNA医薬は狙った遺伝子の発現だけを抑えることができる理想的な技術として期待されています。しかし、二本鎖RNAはとても不安定で、体内に入れたとたんに分解されてしまい、患部の細胞まで届かないことが問題になっていました。そこで、私たちの研究室の阿部洋 専任研究員が中心となって開発したのが、ダンベル型RNAです」
 ダンベル型RNAとは、標的とするmRNAの塩基配列を含む二本鎖RNAの両末端をリガーゼという酵素を使ってつなぎ、環状に加工したものだ(図2)。生体内でも安定性が高く、分解されずに患部の細胞に届く。細胞の中に入ると、ダイサーという酵素が両端の環状部分を切り離し、RNA干渉を起こすという仕組みだ。「安定性を上げるため酵素を使ってつなげてしまおう、というのは、とても化学的な発想です。私たちはダンベル型以外にも環状二本鎖RNAなどの合成に成功し、それぞれの機能を確認しています(図2右)。化学的手法と生物工学的手法の融合によって生まれたナノ構造化RNAが、RNA医薬の実現を加速させると期待しています」


図2 RNA干渉のためのナノ構造化RNA

 

進化分子工学をプラスする

 「最近は、医療にこだわらない研究もしています」と伊藤主任研究員。理研基幹研究所の石橋極微デバイス工学研究室Yu独立主幹研究ユニットと共同で進めているカーボンナノチューブにペプチドを結合させて、新しい光誘電材料や触媒をつくる研究がそうだ。「それらは、化学と生物工学を融合させたバイオものづくりに、進化分子工学をプラスした新しい手法で進めています」
 進化分子工学とは? 「生物はさまざまな分子から成り立っています。それらの分子はすべて、生命の歴史30数億年の間に進化によって生み出されてきました。分子の進化を試験管の中で人工的に高速に行い、自然界には存在しない多様な分子をつくり出すのが、進化分子工学です。新規の機能を持つ分子や、目的の物質とだけ特異的に結合する分子を探索する手法として使われています」
 進化分子工学は、20世紀末から盛んに行われている。なぜ今、進化分子工学なのだろうか。「これまでの進化分子工学では、生物由来の物質を入れることで、新しい分子をつくり出していました。私は、人工的につくった化学物質を入れることで画期的な分子をつくり出す、新しい進化分子工学の手法を確立し、新しい材料をつくりたいのです」
 人工的につくった化学物質を入れて進化分子工学の手法でつくり出した多様な分子の中から、カーボンナノチューブに特異的に結合する新しい分子を見つけ、新規の機能を持つ光誘電材料や触媒の開発を目指す。
 「進化分子工学という名前も好きなんですよ。何かすごいことができそうな気がしませんか」。伊藤主任研究員は、実に楽しそうだ。「でも、難しくてなかなか成果が出ないのが、悩みの種でした。ようやく一つ、成果として発表できそうなところまで来ました。発表までもう少しお待ちください」
 どのような成果なのか、その発表が楽しみだ。


(取材・執筆:鈴木志乃/フォトンクリエイト)