遺伝子やタンパク質など、多数の生体分子が相互作用し、 複雑なネットワークをつくる。 そして、そのネットワーク全体の振る舞いから 生命としてのさまざまな機能が生まれることが分かってきた。 しかし従来の理論では、複雑なネットワークを解析して、 生命の機能メカニズムを解明することは難しかった。 理研基幹研究所 望月理論生物学研究室の 望月敦史 主任研究員は、数学を駆使して 複雑なネットワークを単純化する新理論 「リンケージ・ロジック」を構築。 この新理論により、ネットワークの本質が 明らかとなり、生命の機能メカニズムの解明が 急速に進むと期待されている。
生命の複雑なネットワークを解析する
「もともと数学と生物の両方に興味がありました。そこで大学院生のときから、数学を駆使して生命現象を理論的に解明する研究に携わり始めました」
望月敦史 主任研究員は、理論的研究を進める一方で、実験家が集まる発生生物学や分子生物学の学会にも積極的に参加した。「私がそれらの学会に参加し始めた1990年代は、受精卵から体がつくられる発生過程などで働く重要な遺伝子が次々と発見されていた時期でした。“遺伝子やタンパク質の機能を調べれば生命現象は解明できる”という風潮があり、生物学において理論研究はあまり重視されていませんでした」と望月主任研究員は振り返る。
「ところが数年前から、発生生物学や分子生物学でも理論研究に大きな期待が集まるようになったのです」。なぜ風向きが変わったのか──。
実験の進展により、現在では多数の遺伝子やタンパク質が発見されている。それらの生体分子は相互作用して、ある遺伝子が別の遺伝子を発現させたり、あるタンパク質が別のタンパク質を活性化したり分解したりする制御関係が築かれている。
「そのような制御ネットワークを詳細に調べ上げる研究が競って行われた結果、複雑なネットワークの全体像が明らかになってきました。そして、ネットワーク全体の振る舞いから生命の機能が生まれることも分かってきました。つまり、生命の機能メカニズムを解明するには個々の遺伝子やタンパク質を調べるだけでは不十分であり、それらがつくる複雑なネットワークを解析する必要があります。その解析のために、数年前から理論研究への期待が急速に高まっているのです」
しかし、従来の理論では複雑なネットワークを解析することは難しかった、と望月主任研究員は指摘する。「これまでの数学や物理学で開発された手法は、ごく少数の要素間の関係性を調べるには威力を発揮します。しかし膨大な要素からなる複雑なネットワークを解析する手法は、数学にも物理学にもほとんど存在しません」
そのため、従来の理論では、何らかの仮説や仮定を立てて重要だと思われる少数の要素を取り出し、ネットワークを単純化してから数学や物理学で開発された手法を適用してきた。「ただし、単純化に用いた仮説や仮定が正しいという保証はありませんでした。私は最近、数学的な正しさを保証した上で複雑なネットワークを単純化できる新理論“リンケージ・ロジック”を構築しました」
“当たり前の論理”で能力が同じまま単純化

図1 3個の生体分子を例にした“同一入力→同一出力”論理
AはBとCから制御を受けている。BとCがオフのとき、Aもオフという定常状態(左)が見つかったとき、Aがオンの定常状態(右)が実現することはあり得ない。
逆に、BとCがオフでAがオンという定常状態(右)が見つかったとき、Aがオフという定常状態(左)が実現することはあり得ない。つまり、図の左右の定常状態は両立しない。
このように制御する側の状態(入力)が同一ならば、制御を受ける側の状態(出力)は同一に決まる。この当たり前の論理を“同一入力→同一出力”と呼ぶ。
リンケージ・ロジックでは、どのようにして複雑なネットワークを単純化するのか。実際には、複雑な数学を駆使して単純化するので詳しい説明は省略するが、ここでは基本的な考え方を紹介しよう。リンケージ・ロジックの特徴は、仮説や仮定を含まない当たり前の論理に基づいていることだ。
「“同一入力→同一出力”という論理に基づき、さまざまな状態をつくり出す能力に貢献していない要素を無視して、ネットワークを単純化するのです」と、望月主任研究員は説明する。
同一入力→同一出力とは何か。生体分子Aが、BとCによって制御されている関係で考えてみよう(図1)。ここではA、B、Cそれぞれの活性が安定してオンまたはオフになる定常状態に注目する。例えば、BとCの活性が共にオフのとき、Aもオフという定常状態が観測されたとする(図1左)。このとき、同じくBとCが共にオフなのにAがオンになる定常状態はあり得ない(図1右)。
「つまり、制御する側(BとC)の入力が同一なら、制御される側(A)の出力は常に同一であり、異なる出力になることはないという、当たり前の論理が同一入力→同一出力です。もし、BとCがオフのままでAがオンとオフの定常状態が両方観測されたとすると、生体分子AがBとCだけによって制御されているという情報が間違っていることになるのです」
次に、図2のような4個の生体分子からなる制御ネットワークを考えてみよう。もし、4個の生体分子の活性がすべてオフという定常状態(図2左)が観測される場合、同一入力→同一出力の論理で考えると、例えばAがオフなのにBがオンになる4通りの定常状態(図2右)はあり得ない。このようにしてネットワークがつくり出せる定常状態を絞り込んでいくことができるのだ。
「複雑なネットワークでも、つくり出せる状態は限られているのです。同一入力→同一出力の論理を使えば、“定常状態をつくり出す能力”が等しいまま、複雑なネットワークを単純化することができます。私は数学を駆使してその単純化のルールをつくったのです。そのルールがリンケージ・ロジックです。それは同一入力→同一出力という当たり前の論理に基づくもので、仮説や仮定は含まれていません。リンケージ・ロジックにより単純化したネットワークは、元の複雑なネットワークと状態をつくり出す能力が等しいことが数学的に保証されています。これは数学の理論としても新しいものなので、数学者も興味を示し、共同研究を進めています」

図2 ネットワークがつくり出せる定常状態の絞り込み
4個の生体分子からなる制御ネットワークで、A〜Dの活性がすべてオフという定常状態(左)が観測される場合、同一入力→同一出力の論理で考えると、例えばAがオフなのにBがオンになる右側の4通りの定常状態はあり得ない。このようにしてネットワークがつくり出せる定常状態を絞り込んでいくことができる。
検証可能な予測を導き出す

図3 リンケージ・ロジックによる予測
リンケージ・ロジックによって単純化したAのネットワークが正しければ、ホヤの初期発生で観測されている10通りの発現パターン以外に、78通りの発現パターンがあり得ることになる。一方、本当に発現パターンが10通りしかないのならば、Bのネットワークの構造が予想される。
実際に、リンケージ・ロジックを適用した研究例を見てみよう。マウスを用いた実験により、100個以上の生体分子がつくる細胞内の情報伝達ネットワークが描かれている。そのネットワークが働き、細胞は分裂したり、移動したり、神経細胞に分化したりする。
「その100個以上の要素からなる複雑なネットワークも、リンケージ・ロジックを使うと、わずか5個の要素からなるネットワークに単純化できます(タイトル図)。抽出された5個の生体分子は、本質的に重要な生体分子だと考えられます」
このような単純化により、実験家との新しい共同研究が可能になる、と望月主任研究員は期待している。
「少数の生体分子ならば、それぞれの活動を同時に精密計測できます。従って、リンケージ・ロジックで抽出された重要な生体分子だけを精密に同時計測してくれないか、と実験家に提案することができます。実際に観測された状態の中に、もし、リンケージ・ロジックで単純化したネットワークで説明できない状態があれば、ネットワークの構造に間違いや欠落部分があると考えられます。このような場合、リンケージ・ロジックにより、正しいと思われるネットワークの構造を予測することができます」
これまでの理論研究は、実験で分かったことを後追いで説明するものがほとんどで、実験のターゲットとなる生体分子を具体的に提案したり、検証可能な予測を導き出したりすることは難しかった、と望月主任研究員。
「たとえ理論的な予測を行っても、理論の前提となる仮説や仮定が正しいという保証がないので、実験家がその予測を検証してみようという気持ちになりにくい状況でした。このような状況を打ち破りたいのです。仮説や仮定を含まないリンケージ・ロジックにより検証可能な予測を導き出し、実験家たちに示していきたいと考えています」
リンケージ・ロジックによる予測の例を紹介しよう。脊索(せきさく)動物であるホヤの発生初期に働く遺伝子が実験で詳細に調べられている。そして、76個の遺伝子による複雑な制御ネットワークが描かれており、実験で10通りの遺伝子発現パターンが観測されている。
「その複雑なネットワークをリンケージ・ロジックにより、16個の遺伝子からなるネットワークに単純化しました(図3A)。ところが、この単純化したネットワークと遺伝子発現情報を検討すると、観測される遺伝子発現パターンが10通りだけというのはあり得えません。単純化したネットワークの構造と観測された発現パターンとの間で整合性が取れていません。どちらかが間違っているのです。ネットワークの構造が正しければ、実験で観測された10通り以外に78通りの発現パターンがあるはずで、それらがまだ観測されていないことになります。逆に、発現パターンが本当に10通りしかないのならば、ネットワークの構造が間違っていることになります。そこで、新しいネットワークの構造を予測してみました」(図3B)
このようなリンケージ・ロジックによる予測を実験で検証することにより、ネットワークの真の構造が明らかとなり、生命の機能メカニズムの解明が進展していくことが期待できる。
細胞を自在に分化させる方法を理論的に予測し、再生医療に貢献する
「事前に“山中ファクター”を予測できなかったのは、理論家として、とても残念です」と望月主任研究員。山中ファクターとは、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞(人工多能性幹細胞)をつくる際に体細胞に導入した4種類の遺伝子のことだ。
マウスの細胞内の情報伝達ネットワークを、5個の生体分子からなるネットワークに単純化した研究例を紹介した(タイトル図)。「単純化したネットワークは、5個の生体分子を制御すれば、細胞のシグナル応答を自在に操作できることを意味しています。同様に細胞分化の遺伝子ネットワークが明らかになれば、体細胞をiPS細胞にすることも、神経細胞や皮膚細胞など任意の種類に分化させることも自在にできると思います」
現在、患者の皮膚などの体細胞を取り出し、機能を失った臓器や組織の細胞に分化させ、それを移植することで、失われた機能を回復させる再生医療の実現が目指されている。そのため、細胞を任意の種類に分化させる研究が、世界中で進められている。「現在、ヒトの細胞分化の遺伝子ネットワークは十分に明らかになってはいません。実験により情報が蓄積すれば、リンケージ・ロジックで重要な生体分子を絞り込み、少数の遺伝子やタンパク質を制御して、細胞を任意の種類に自在に分化させる方法を理論的に予測することが可能になるでしょう。再生医療の研究にも、理論研究が大いに貢献できると思います」
“予測検証型生物学”を実践する
望月理論生物学研究室では、具体的な生命現象について実験家と共同研究を進め、理論手法を駆使して検証可能な予測を導き出す研究を行っている。「さらに、数学や物理学からの借り物ではなく、生物学のオリジナル理論の構築も進めてきました。その成果の一つがリンケージ・ロジックです」
望月主任研究員は、数学者と共同研究を進めることで、リンケージ・ロジックを適用できる生命現象の範囲を拡張する研究を進めている。「ただし、リンケージ・ロジックはすべての生命現象に適用できる万能理論ではありません。この理論は生体分子の制御関係という視点から生命現象を解析する手法です。生命現象の解明には、制御関係以外にも、さまざまな視点からの解析が必要です。例えば、細胞の機能にとって生体分子の空間的な配置がとても重要です。さらに、遺伝子やタンパク質といったミクロサイズから、細胞、組織、器官の形態、さらには遺伝、生態、進化といったマクロサイズまで、各階層を貫き統一的に生命現象を理解するための理論も求められています。それら生物学の問題意識に根差したオリジナル理論をつくっていきたい。そういう思いを込めて、研究室に“理論生物学”という名前を付けました。そして私たちは、理論による予測と実験による検証が両輪となって進む“予測検証型の生物学”の実現を目指しています」
望月主任研究員たちは、生物学を新しいステージに導こうとしている。
(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)
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関連情報
- 『生命科学の新しい潮流 理論生物学』(望月敦史 編、共立出版)


