日本の生命科学の基礎研究は世界をリードするほどの実力があるが、その成果を創薬や医療技術でのイノベーションへつなげる力が欧米に比べて弱いことが課題となっている。
理研はその課題を克服するために2010年4月、「社会知創成事業 創薬・医療技術基盤プログラム(DMP)」を10年間の時限付きで設立。
製薬会社において日本発の免疫抑制剤「FK506」の発見・開発を主導した後藤俊男 博士がプログラムディレクターとしてDMPを率い、理研発生・再生科学総合研究センターの西川伸一 副センター長が、DMP副プログラムディレクターを務めている。設立から約2年間の取り組みや成果、今後の展望を聞いた。


基礎研究を創薬へつなぐ
―なぜ、日本は欧米に比べて創薬の力が弱いのですか。
後藤:欧米では基礎研究を創薬へつなぐ際、創薬ベンチャーが大きな役割を果たしています。ところが日本では、創薬ベンチャーが育っていないからです。基礎研究を創薬へつなぐ日本独自の創薬システムをつくる必要があります。
創薬や医療技術のもととなる生命科学の基礎研究を進めていて、創薬の基盤技術がそろっている理研であれば、日本独自の創薬システムを築くことができるはずです。その実現のために設立された創薬・医療技術基盤プログラム(DMP)では、理研の各研究センターに創薬基盤ユニットを設け、組織横断的に支援を行うことで、基礎研究の成果を製薬企業へ橋渡しすることを目指しています。
西川:薬に至るまでの過程を熟知し、成功体験もある後藤先生をプログラムディレクターに迎えたことで、DMPはとても順調にここまで来たと思います。
―現在、いくつのテーマを進めているのですか。
後藤:2010年4月に理研内、同年9月には理研内だけでなく外部からもテーマの公募・推薦を受けました。そして現在、5個のプロジェクトと17個のテーマが進行中です(図)。そのうち約3分の1は、外部からの応募によるものです。なお、私たちは臨床試験あるいはその直前の非臨床段階のもの(図のL3段階以降)をプロジェクト、L2段階以前のものをテーマと呼んでいます。
その中で最も進んだ段階にあるのが理研免疫・アレルギー科学総合研究センターの谷口 克(まさる) センター長たちが進めている「NKT細胞※を用いたがん治療」です。千葉大学医学部と連携して、肺がん患者さんを対象に行う臨床研究を進めてきました。そして、いよいよ高度医療での臨床試験に進む段階に来ています。
iPS細胞による再生医療の実現
―「網膜の再生医療技術」プロジェクトは、あらゆる細胞に分化できるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を利用するものとして、大きな注目を集めていますね。
西川:理研発生・再生科学総合研究センターの高橋政代チームリーダー(TL)たちが進めているものです。このプロジェクトは、2011年から始まった「再生医療の実現化ハイウェイ」という国のプロジェクトからも支援を受け、2〜3年以内に臨床試験へ進むことを目指しています。
高橋TLたちのプロジェクトは、iPS細胞を開発した京都大学の山中伸弥 教授が掲げた“iPS細胞を使った再生医療をやろう”という旗を、“iPS細胞を使った再生医療が実現できる”という旗印に変えることに意義があります。それは日本が掲げる大きな旗となるはずです。すでに基本技術は完成し、支援体制もできているので、きっと実現できるはずです。
橋渡しの3段階の出口
―2011年11月、DMPが支援を進めてきた「アルツハイマー治療薬」プロジェクトが開発段階へ移行した、とのプレスリリース※がありました。
後藤:そのプロジェクトは、世界的シェアを持つアルツハイマー病治療薬「アリセプト」の開発を主導した京都大学の杉本八郎 客員教授が進めているものです。理研は、杉本先生が会長を務める京都大学発の創薬ベンチャー、(株)ファルマエイトと2010年7月に共同研究体制を築き、理研分子イメージング科学研究センターにおけるPETイメージングを活用してアルツハイマー型認知症の根本治療薬の開発を行ってきました。そのファルマエイトに対して2011年11月、(株)産業革新機構(INCJ)からの投資が決定したのです。理研との共同研究は続きますが、DMPのプロジェクトからは卒業して今後はファルマエイトが主体となり、前臨床・臨床試験を目指して開発を進めていきます。
前臨床・臨床試験の段階になると、年間数億円以上の資金が必要となり、研究費だけではとても賄い切れません。一方で、日本ではベンチャーが集められる資金が限られている状況です。INCJは政府主導で国と民間が出資して2009年に設立された投資会社です。INCJによる初期創薬ベンチャーへの投資は、これが1例目。創薬を目指した橋渡し研究における新しい“出口”を示すことができたと思います。
―今後、ほかのプロジェクトやテーマでも同様の出口を目指すのですか。
後藤:DMPでは出口として主に三つのケースを考えています。一つ目は、L3段階以降が出口となるケースで、杉本先生たちのプロジェクトがその例です。このプロジェクトでは、動物実験で効果を示す化合物が見つかったL1段階から支援を始め、安全性を簡便な前臨床試験で評価するL3段階まで支援しました。これ以降はGLP前臨床・臨床試験で、三つのケースの中で最も遅い段階の出口です。
二つ目は、疾患の基礎研究(S0段階)で製薬企業などと連携するケースで、これが最も早い段階の出口です。2011年7月、理研脳科学総合研究センター 神経蛋白制御研究チームの西道隆臣TLたちは、アミロイドβ43という生体分子(ペプチド)がアルツハイマー病治療薬の新しいターゲットとして有望であることを突き止めました。そして同年11月には、創薬を目指してアステラス製薬(株)と共同研究を始めました。
そしてDMPが最も力を入れているのが、病気の原因となるタンパク質(標的タンパク質)を突き止めたS0段階のものを、L2段階まで支援して強い知的財産権を取得し、製薬企業や創薬ベンチャーへ橋渡しをするケースです。出口は中間のL2段階になります。
―L2とはどのような段階ですか。
後藤:そもそも薬になるのは、標的タンパク質に結合して、その働きを制御する化合物や抗体です。L1は、薬の候補となる化合物や抗体は見つかったが、薬として最適化されていない段階で、強い知的財産権がまだ取得できません。化合物や抗体が薬として働くためには、体内に吸収され、分解されずに標的タンパク質まで届く必要があります。また毒性がないことや、体内にとどまらずに排出される必要もあります。薬に求められるこれらの特性を持つように化合物や抗体の最適化を進め、特許などの知的財産権が確保できた段階がL2です。知的財産権を確保できれば、製薬メーカーや創薬ベンチャーへの導出も容易になります。
まだ、DMPが支援してS0段階をL2段階まで推し進めた成果は出ていません。2012年度中には、ぜひ実現したいと思います。
もし、L2段階まで進めても導出先が見つからない場合は、L3段階や前臨床・臨床試験のP段階まで進めて製薬企業へ橋渡しする、理研発の新しい創薬ベンチャーを設立することも考えています。
どんな病気でも、誰もが治療薬を入手できるようにする
―DMPでは製薬企業が取り組みにくいテーマも進めていますね。
後藤:患者数が少ない希少疾患や発展途上国で流行している感染症の治療薬など、ビジネス上の観点や技術的な困難さから製薬企業が開発しにくいテーマについても、DMPは支援する方針です。
西川:どんな病気でも、誰もがリーズナブルな費用で治療薬を入手できるようにすることを、国は目指すべきです。
例えば、筋肉が骨化してしまう進行性骨化性線維異形成症(FOP)という、国内の患者数が60名ほどの希少疾患があります。このFOPの治療薬をつくる研究をDMPが支援しています。この研究では、患者さんの体細胞からiPS細胞をつくり、疾患の原因となる細胞に分化させて薬効などを調べる取り組みも行われています。とても順調に研究が進んでおり、私も興奮しながら見守っています。
スーパーコンピュータ「京」やXFEL施設「SACLA」を活用する
―S0段階のテーマをL2段階へ進めるために、具体的にどのような支援を行っているのですか。
後藤:まず、標的タンパク質に結合する化合物や抗体を「ハイスループット・スクリーニング(HTS)」という方法で探します。HTSはロボットなどを用いて作業がかなり自動化されているので、30万種類の化合物ライブラリーの中から、標的タンパク質に結合するものを2ヶ月という短期間で探すことが可能です。この段階で結合する化合物が見つからなかったテーマについては、支援を中断したものがいくつかあります。
ただし中断したものは、ライブラリーの中に結合する化合物がなかっただけで、標的タンパク質に問題があるわけではありません。その場合、計算により結合する化合物を探す方法もあります。
―どのように探すのですか。
後藤:それには理研で進めてきた2種類の技術が役立ちます。一つは、大型放射光施設「SPring-8」を駆使して進められているタンパク質の立体構造を調べる結晶構造解析の技術。もう一つは、標的タンパク質の立体構造をもとに、膨大な市販や仮想の化合物ライブラリーの中に結合するものがあるかを、網羅的に計算機で調べる技術です。これには、昨年2期連続世界第1位を獲得した、理研と富士通(株)が共同開発中のスーパーコンピュータ「京(けい) 」を利用する計画です。これに加えて、創薬計算などのための分子動力学シミュレーション専用機「MDGRAPE(エムディーグレープ)-4」の開発も理研で進められています。
―昨年、X線レーザーの発振に成功したX線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA(さくら)」への期待は。
後藤:結晶構造解析には、文字通りタンパク質の結晶をつくる必要があります。しかし、結晶化に長い年月がかかるものもあります。SACLAを用いれば、大きな結晶をつくらずに、タンパク質の立体構造を解析できると考えられています。それが実現すれば、創薬研究にブレークスルーをもたらします。有望な標的タンパク質の中には、結晶化が困難なため立体構造が解析できず、創薬研究が進まないものがたくさんあるからです。SACLAにも大いに期待しています。
理研の存在意義が問われる
―創薬基盤や体制の整備を着実に進めてきたのですね。
後藤:私たちの目的は、創薬基盤や体制を整備することではなく、創薬や医療技術の開発で具体的な成果を挙げることです。特に、S0段階のテーマをL2段階へと進める成果を挙げられなければ、ライフサイエンス分野で国から大きな投資を受けてきた理研の存在意義が問われます。DMPとしての成果を示すことができれば、外部との連携もさらに広がり、オールジャパンの創薬・医療技術の基盤が機能していくはずです。
―成果を挙げるためには何が必要ですか。
後藤:創薬や医療技術のような応用研究は、いかに効率よく目的に到達するかが重要です。その進め方は基礎研究と異なる部分もあります。理研や大学の研究者には創薬や医療技術開発の経験者は少ないので、DMPに所属する研究所・企業出身の創薬経験者が、研究の進め方を支援しています。
西川:私は理研の基礎研究が医療や健康に役立つことを実証したいという想いで、DMPに携わってきました。このような取り組みがうまくいくかどうかは、やはり人にかかっています。後藤先生のもとに素晴らしい人材が集まりました。これから成果が次々と生まれることでしょう。
(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)
※NKT細胞:ナチュラルキラーT細胞。リンパ球の一種で、アジュバント作用という強力な免疫増強作用があり、免疫系のほかの細胞も動員してがん細胞を死滅させる。


