肝臓は、薬物を異物として捉え、分子をさまざまに変化させることで薬物を無毒化しようとする薬物代謝機能を持つ。新薬の開発には、この薬の体内での分子変化と、その結果起こり得る副作用を確認する必要がある。現在、薬物代謝を調べるには、たくさんの細胞を使ってその平均値を取る方法が用いられているため、コストなどの問題があった。今回、理研神戸研究所 生命システム研究センター 一細胞質量分析研究チームは、たった1個の細胞内の分子群を、生きたまま分析できる独自の分析法「一細胞質量分析」を使い、ヒトの肝臓初代培養細胞1個での薬物代謝を10分以内で分析することに成功した。広島大学、参天製薬(株)との共同研究による成果。新薬開発期間の短縮が期待されるこの成果について、升島(ますじま)努チームリーダー(広島大学教授兼務)に聞いた。
― まず、「一細胞質量分析」について教えてください。

図1 一細胞質量分析
① 細胞内の任意の部位(細胞質、液胞や核の内部など)をナノスプレーチップで吸引する。
② 吸い上げたナノスプレーチップの後部からイオン化有機溶媒を入れて、質量分析計の試料導入部の間に電圧をかけることで、微細な電荷を負った霧を発生させる。電荷が分子に乗り移りながら(イオン化)、質量分析計の中に導入される。
③ 分子の質量順に分子のピークが現れ、その高さは量に比例する。

図2 ナノスプレーチップで細胞内成分を吸い上げる様子
升島:分子の質量から分子を見分けて定量する装置を質量分析計といいます。細胞中の分子成分のすべてを知りたい場合は、通常たくさんの細胞をすりつぶしたものを試料とするので、得られた結果はたくさんの死んだ細胞の平均値となります。しかし実際には、同じ刺激に対して細胞の反応は多様です。個々の細胞内で起こる分子変化を正確に知りたいのですが、細胞1個の体積は1兆分の1リットルと超微量なので分析不可能と考えられていました。それを可能にしたのが「一細胞質量分析」(図1)です。2008年に開発しました。顕微鏡下で細胞の挙動を見ながら、ナノスプレーチップという先端口径数μmの細い管を使って、見たい瞬間に、見たい細胞1個から、細胞内成分を吸い上げます(図2)。それをイオン化して質量分析計に導き分析します。この方法なら、手に入りにくいヒト細胞でも数個あれば分析できます。
― どんな実験をしたのですか。
升島:薬物代謝は、薬物を副作用の強い分子に変えてしまうことがあるため、新薬の開発ではその分析が欠かせません。そこで、一細胞質量分析が薬物代謝の分析に有効かどうかを検証するために、参天製薬(株)の協力を得て、ヒト肝臓初代培養細胞1個を使って、緑内障の治療薬「タフルプロスト」の薬物代謝を調べました。その結果、10分以内で分析できました。
― 1個の細胞単位で分析が可能になったことで、新たな発見がありましたね。
升島:はい。実験を進めていく中で、1個1個の細胞ごとに分析データに大きなばらつきがありました。実験の誤差ではないかと慎重に検証しましたが、そのばらつきは統計学的な誤差の範囲を大きく上回るものでした。つまり、細胞ごとに薬物代謝量が異なる、いわゆる“揺らぎ”があることを発見しました。揺らぎは、生命現象を説明する上で鍵を握る概念で、細胞個々にも揺らぎがあるのはなぜかと、今後、生命科学分野で活発な議論を呼ぶことでしょう。
― 今後の展開は。
升島:今回の実験で、一細胞質量分析で薬物代謝の分析を迅速かつ低コストで行えるめどがつきました。また、患部の数個の細胞を使うだけで、病態や病気の進行度合いを診断することも可能になります。さらには、患者さんに副作用の少ない最も適した薬を提案するオーダーメイド医療の新しい道にもつながります。今後、複数の製薬企業と連携を進め、一細胞質量分析を用いた次世代創薬技術と次世代医療技術の確立を目指していきます。
●『Nanomedicine』(5月号)掲載

