宇宙は約137億年前、ビッグバンから始まった。 そのビッグバン直後の宇宙は超高温・高密度の火の玉で、 陽子や中性子を構成するクォークやグルーオンがばらばらな状態、 “クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)”だったと考えられている(タイトル図A)。 理研が参加する国際共同研究グループは、 米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)の 重イオン衝突型加速器“RHIC(リック)”を使って、QGPを再現することに成功。 そして2010年、理研BNL研究センター 実験研究グループの 秋葉康之グループリーダーらは独自のアイデアで、 RHICで再現したQGPの初期温度が約4兆度であることを突き止めた。 QGPを再現し、その性質を調べる実験を紹介しよう。
約137億年ぶりにビッグバン直後を再現
「ニューヨーク市郊外のロングアイランドにあるRHICには、世界各国から1000人を超える研究者や学生が集まり、何年もかけて装置の開発や実験を行っています。なぜ、世界中からそれほど多くの人たちがRHICに集結しているのか。それは、RHICで行っている実験が、まったく新しいこと、これまで誰もなし得なかった人類未到の物理状態を実現するものだからです」と、秋葉康之グループリーダー(GL)。
いったいどんな実験なのか。「いわば、ビッグバン直後を再現する実験です」
その実験について説明する前に、まず極微の世界について紹介しておこう。物質をどんどん細かく分けていくと原子に行き着く。そして原子は電子と原子核に分かれる。さらに原子核は陽子と中性子に分かれる。その陽子と中性子は、3個のクォークで構成されており、クォークはグルーオンをやりとりして結び付いている(タイトル図A)。
「物理学は、物質を細かく分けていくと、それ以上分割できない素粒子があり、それらの相互作用により、あらゆる物理現象を説明できると考えます。現在のところ、クォークやグルーオンが素粒子の一種だと考えられています。そして、クォークがグルーオンをやりとりして生じる力は“強い相互作用”と呼ばれており、とても強力なため、クォーク同士を引き剥がして単独で取り出すことはできません」
クォークやグルーオンの存在は1960年代から指摘され、1970年代には強い相互作用を説明する理論、“量子色力学(いろりきがく)”がつくられた。「当時から、クォーク同士を引き剥がせないなら、陽子や中性子をたくさん集めて圧縮・加熱したらどうか、というアイデアが提案されていました。圧縮・加熱していくと、ある温度・密度を境にクォークは自分がどの陽子や中性子に属していたのか分からなくなり、クォークとグルーオンがばらばらな状態になるというわけです。その状態が“クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)”です。ビッグバン直後はQGPの状態だったと考えられています」(タイトル図A)
銀河や星を観測すると、遠くの天体ほど速く遠ざかっている。それは宇宙が膨張していることを示している。つまり、過去にさかのぼるほど宇宙はどんどん小さくなり、温度や密度が高くなる。膨張速度から逆算すると、約137億年前の宇宙は超高温・高密度の火の玉だった。
「宇宙が誕生したビッグバン直後の火の玉は、QGPの状態だったと考えられているのです。ただし、それは宇宙誕生からほんの数十万分の1秒後まで。膨張とともに宇宙が2兆度以下に冷えると、クォークやグルーオンは陽子や中性子に閉じ込められた、と推定されています」
やがて、陽子や中性子からなる原子核が電子を捕らえて原子となった。そして、星や銀河がつくられていったと考えられている。「宇宙誕生の数十万分の1秒後から現在に至るまでの約137億年間、2兆度を超えるQGPの状態はほとんど実現されていないはずです。私は大学院生のとき、そのQGPを実現しようという研究を知り、“面白い!”と思いました。それ以来30年近く、QGPの研究を続けています」
宇宙の初期は“滴(しずく)”である

図1 大型測定装置PHENIX
理研をはじめ十数ヶ国の研究機関により建設・運営されている。
では、どのような方法でQGPを実現するのか。「陽子や中性子をたくさん集めて圧縮・加熱するには、加速した重い原子核同士をぶつければいいのです」。例えば、金の原子核には197個の陽子や中性子がぎっしりと詰まっている。加速した原子核同士を衝突させると、その勢いで原子核は圧縮される。さらに原子核の運動エネルギーの一部は衝突とともに物質に変わり、高密度状態となる。「アインシュタインが導き出した有名な公式E=mc2は、エネルギーと質量が等価であることを示しています。つまり、エネルギーと物質は互いに変わり得るのです。さらに原子核の運動エネルギーの一部は、衝突により熱エネルギーにも変わります。こうして、2兆度を超える超高温・高密度の状態が実現できるはずです」
1991年、QGPの実現を目指して、BNLでRHICの建設が始まった。理研ではBNLをはじめとする十数ヶ国の研究機関と共に、QGPを観測する大型測定装置“PHENIX(フェニックス)”の開発と建設を進めた(図1)。さらに1997年には、BNL内に理研BNL研究センター(RBRC)を開設。
そして1999年、ついにRHICが完成した。RHICは全周3.8kmの加速器リングを二つ持ち、イオン化した金の原子核をそれぞれのリングで反対方向に周回させて光速の99.995%まで加速し、衝突させる。2000年、その衝突実験に初めて成功した。
では、QGPが実現しているかどうかを、どのような方法で調べるのか。「金の原子核同士を衝突させると、最大で約1万個の粒子が発生します。それをPHENIXなどの測定装置で観測して分析します」
約1万個の粒子のエネルギーはさまざまだが、クォークやグルーオン同士が正面衝突して発生する高エネルギー粒子が一部含まれる。「金の原子核同士を正面衝突させたときに発生する高エネルギー粒子の量は、陽子同士を衝突させたときの約1000倍になると理論的に予測していました。ところが実験で実際に観測された量は約200倍と、予測値のわずか2割でした」
残り8割の高エネルギー粒子は、どこに消えてしまったのか。「高エネルギー粒子は予測通りの量が発生しているはずです。周りに遮るものがなければすべて観測できるのですが、衝突直後に周りに高密度の物質ができたために、そこを通過しようとする高エネルギー粒子にブレーキがかかり、エネルギーが失われたと考えられます。その高密度の物質こそがQGPです」
そのQGPは、どのような性質を持つのか。金の原子核同士が正面衝突することは少なく、ほとんどの場合は少しずれて衝突する。そのため、衝突直後にできるQGPは楕円(だえん)形になる(図2左)。そしてQGPは高密度のため、すぐに膨張し始める。「その膨張の仕方を調べることで、QGPの性質が分かります。私たちは、QGPはクォークやグルーオンが自由に動き回る気体のような性質を持つと予測していました」
もしQGPが気体と似た性質を持つならば、楕円形はすぐに球状となり、一様な方向へ膨張するはずだ。「ところが楕円形は、横方向に膨張したのです(図2右)。これは思ってもみない現象でした」
その現象は“楕円フロー”と呼ばれている。「楕円フローは、QGPが液体のような性質を持ち、粘性がほとんどゼロのさらさらした状態であることを示しています」
この研究成果は2005年に発表され、「宇宙の初期は“滴”である」と表現された。

図2 楕円フロー
二つの金原子核は多くの場合、ずれて衝突するため、楕円形のQGPができる(左)。このQGPは粘性がほとんどないため、横方向に膨張する「楕円フロー」という現象を起こす(右)。
QGPの温度測定に成功

図3 QGPの温度測定
金の原子核同士の衝突により、QGPが発する光以外に、ほかの原因による光が10倍も発生する。光から生じる電子・陽電子対(右)を測定することで、QGPが発する光の色(エネルギー)と明るさを求め(左)、QGPの温度を導き出すことができる。
2005年までに、RHICでQGPが実現されたことはほぼ間違いないと考えられた。「しかし、そのQGPの温度が2兆度以上なのかどうかが分かりませんでした。温度を測る方法がなかったのです」
もちろん、2兆度以上を直接測ることのできる温度計は存在しない。「高温の物質ほど、波長が短くエネルギーの高い光を放出します。つまり、物質が出す光を測定すれば、その温度が分かるのです」。例えば、太陽の表面温度は約6000度とされている。これは、太陽表面から放出される光の波長と明るさを測定して導き出している。
「2兆度の物質が発する光のエネルギーは、私たちが目で見ることのできる可視光の数億倍に相当します。そのような光を測定できる装置も開発されています。問題は、金の原子核同士が衝突したとき、QGPが発する光以外に、ほかの原因で発生した光がその約10倍存在することです。両者の光を区別して、QGPが発する光だけを確実に測る方法がないのです」
では、どうやってQGPの温度を測るのか。「私は、RHICで実験が始まった直後からそれを考え続けていました。そしてあるとき、“光を区別して測定するのはどう考えても無理。光ではなく、電子・陽電子対を測定すればいいんだ”とひらめいたのです」
光とはエネルギーの塊のようなもの。そして前述の通り、エネルギーと物質は等価のため互いに変わり得る。光は一定以上のエネルギーを超えると、すぐにある確率でマイナスの電荷を持つ電子とプラスの電荷を持つ陽電子のペア、つまり物質に変わる。「その電子・陽電子対を測定すれば、QGPが発する光と、それ以外の原因で発生した光を区別することができるはずです。実は、私たちは別の測定のために電子を測る装置を開発し、PHENIXに取り付けていました。その装置で電子・陽電子対の測定を行いました」(図3)
PHENIX実験では2002年までに2000万回以上の金原子核同士の衝突を測定した。「しかし、光が電子・陽電子対に変わるのは1000分の1の確率なので、温度を厳密に導き出すには2000万回の衝突実験データでは足りません。2004年までにその数十倍の衝突実験データを取って、解析を続けました。そして2006年までにはQGPの温度がほぼ分かりました。その後、慎重に確認作業を進め、確定した結論を2010年、科学誌『Physical Review Letters』に発表しました。その初期温度は約4兆度です」
これにより、RHICでQGPが実現されていることが確かめられた。
「強い相互作用を説明する量子色力学が間違っていると考えている研究者はいません。しかし、QGPで起きる現象を量子色力学の方程式を使って計算しようとしても、正確な答えを導き出せません。それは、計算量が膨大であること、また計算が技術的に難しいためです」。そのため、ある温度のQGPで起きる現象について、理論家ごとにいくつかの異なる計算結果、複数の理論予測が出されている。
「RHICで実現しているQGPの温度測定に成功したことで、理論予測とRHICの実験結果を正確に付き合わせることが可能になりました。どの理論予測が正しいのか分かるようになったのです。理論家たちはRHICの実験結果を見て、理論をさらに発展させて新しい理論予測を行っています。それをRHICの実験で再検証する……、といった形で現在、強い相互作用やQGPについての理解が深まってきています」
2011年、秋葉GLはQGPの温度測定をはじめとする業績により、原子物理学とその応用に関し優れた研究業績を挙げた研究者に贈られる仁科記念賞を受賞した。
重いクォークでQGPを調べる
「私たちが開発した電子測定器によって、重いクォークを使ってQGPの性質を調べることもできます」
クォークには質量の異なる6種類があり、軽い方から、アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップと名付けられている。陽子や中性子は、最も軽いアップとダウンで構成されている。「RHICでつくられるQGPのほとんどのクォークはアップとダウンです。ただし、重いチャーム、ボトムも少量ながらつくられます。トップは非常に重いので、RHICではできません。私たちはチャームとボトムという重いクォークの振る舞いから、QGPの性質を調べる測定を続けてきました。チャームやボトムはできた途端に壊れ、電子が発生します。その電子を測定して、重いクォークのQGP内での振る舞いを調べることができるのです」
アップとダウンの質量は、陽子の100分の1以下。チャームは陽子の1.3倍、ボトムは5倍の質量を持つ。RHICで実現しているQGPは、ほとんどがアップとダウンという軽いクォークからなるさらさらした液体の中に、岩石のような重いチャームとボトムがある、といったイメージだ。
「電子を測定してチャームとボトムの振る舞いを調べたところ、驚くべきことが分かりました。チャームとボトムの運動にブレーキがかかり、QGPの楕円フローに引きずられていたのです。重い岩石が水の流れに引きずられるような現象です。QGPの中でクォークとグルーオンは、予測以上にとても強く相互作用しているようです」
秋葉GLたちは、この現象をさらに詳しく調べるために新しい装置の開発を進めてきた。「従来の装置では、測定した電子が、チャームとボトムのどちらから発生したものなのか分かりませんでした。質量が異なるチャームとボトムを区別してそれぞれの振る舞いを調べることで、QGPの性質がさらに詳しく分かるはずです」
どのようにしてチャームとボトムを区別するのか。「原子核同士が衝突した地点から、平均するとチャームは0.1mm、ボトムは0.5mm離れたところで崩壊して電子が発生します。その崩壊点の違いを見分けるのです。そのためにシリコンを用いた高解像度の装置、“シリコン崩壊点検出器(VTX)”を開発しました」(タイトル図B)
秋葉GLたちは2010年12月にVTXをPHENIXに取り付け、測定実験を続けている(タイトル図C)。「最大の注目点は、引きずられ方の違いです。QGPの楕円フローに対して、より重いボトムはあまり引きずられず、より軽いチャームは大きく引きずられる、と予測しています。では、実際にはどうなのか。測定データの解析結果がもうすぐ出ます。その結果を今年8月に開かれる国際学会で発表する予定です」
秋葉GLたちは、これからもQGPで起きる驚くべき現象を次々と報告してくれることだろう。
(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)


