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研究最前線

新しい核―細胞質間輸送運搬体“Hikeshi(火消し)”を発見


細胞質と核の間では、多様な物質が頻繁に行き来している。 この核―細胞質間輸送システムの主役は、長らくインポーチンβという 運搬体のファミリー分子だけだと考えられていた。 今回、今本尚子主任研究員らは、核―細胞質間輸送を担う新たな運搬体を発見し、 今年4月に発表。その運搬体を“Hikeshi(火消し)”と名付けた。 「核―細胞質間輸送といえばインポーチンβであり、 ほかのシステムがあるとは誰も考えていなかったでしょう。 私たちですら、最初は半信半疑でした」と、今本主任研究員。 しかもHikeshiは、分子シャペロンというタンパク質を核に輸送することで、細胞が ストレスによって受けたダメージからの回復に重要な役割を果たしていることが分かった。 分子シャペロンは老化やがんとも関わっていることが知られている。 Hikeshiの研究を老化やがんのメカニズム解明につなげるべく、 モデル生物を用いた研究にも着手した。


今本尚子
今本細胞核機能研究室 基幹研究所
小瀬真吾

核?細胞質間輸送の仕組み
タイトル図 核−細胞質間輸送の仕組み


運搬体インポーチンβの発見

 「“Hikeshi”という名前は、海外の研究者にも好評で、皆さんすぐ覚えてくれます。特に江戸の火消しを描いた浮世絵を見せると興味を持ってもらえますね」と今本尚子主任研究員。
 Hikeshiとは、今本主任研究員らが発見した分子の名前である。「日本語で書くと“火消し”。この分子の機能にちなんで名付けました。Hikeshiは核−細胞質間輸送を担う、まったく新しい分子です。Hikeshiに関わる研究は、これから盛んになっていくと思います」
 Hikeshiは、いかに発見され、どのような分子なのか、そして今後、どのような展開が期待されるのだろうか。それを紹介する前に、核―細胞質間輸送について説明しておこう。
 細胞の核は、DNAが複製されたり、mRNAに転写されたりする“遺伝子機能の場”である。一方、細胞質は、DNAから転写されたmRNAの情報をもとにタンパク質がつくられる“タンパク質合成の場”である。核と細胞質は、核膜と呼ばれる脂質二重膜で区切られている。「核と細胞質は隔絶されているわけではありません。核膜には、孔(あな)がたくさん開いています。その核膜孔(こう)を通って、mRNAが核から細胞質に運ばれたり、転写因子など核の中で働くタンパク質(核タンパク質)が細胞質から核に運ばれたりしています。そのような核膜孔を通る物質の輸送が“核−細胞質間輸送”です」と、今本主任研究員。
 核−細胞質間輸送で運ばれるのは、mRNAやタンパク質、リボソームやウイルス粒子など、実にさまざまだ。しかし、無用なものまで核に運び込まれては困る。どのような仕組みで、必要なものだけが核に運び込まれるのか。その解明が1970年代から続けられてきた。
 「1985年、核タンパク質は“核局在化シグナル”という目印を持っていることが明らかになりました。その目印を認識して核タンパク質に結合し、それを核の中に運搬する分子があるのではないか。多くの研究者がそう考え、運搬体探しが始まったのです。そして1995年、四つのグループがほぼ同時に運搬体を発見しました。それが“インポーチンβ”です」
 今本主任研究員は、インポーチンβの発見者の一人だ。当時、大阪大学医学部で助手をしていた。今回、今本主任研究員とともにHikeshiを発見した小瀬(こせ)真吾 専任研究員も、大学院の学生としてその場にいた。
 「あのときは世界中でものすごい競争が繰り広げられていました。実は、私たちは別の名前を提案したのです。別のグループが提案したインポーチンβという名前が主流になってしまいました」と今本主任研究員は当時を振り返る。

核―細胞質間輸送の謎

 インポーチンβが発見されて以来、“核−細胞質間輸送といえばインポーチンβ”という状況が続いていた。インポーチンβは細胞質で核タンパク質と結合し、核膜孔を通って核に入り、核タンパク質との結合を解き、再び細胞質に戻ってリサイクルされる(タイトル図上)。そんな流れも明らかになってきた。また、最初に見つかったインポーチンβと似た機能を持つ分子が次々と見つかった。それらはインポーチンβファミリーと呼ばれ、ヒトでは21種類ある。
 しかし、「核−細胞質間輸送のメカニズムは、まだ分からないことばかり」と今本主任研究員は指摘する。「細胞の中で発現しているタンパク質の実に30%が、核の中に運ばれて機能する核タンパク質です。しかし、どのインポーチンβによって運ばれるのかが分かっている核タンパク質は、核タンパク質全体の数%にすぎません。しかも、そのほとんどが、たった2種類のインポーチンβによって運ばれています。ほかのインポーチンβは何をしているのか。核―細胞質間輸送システム全体を理解するには、それを明らかにすることが絶対に必要です」
 どの核タンパク質がどのインポーチンβによって運ばれているのか。それを明らかにしようと、今本主任研究員らは実験を進めた。「細胞が栄養不足や温度変化、酸化などのストレスを受けると、細胞は正常状態の反応からストレス状態特有の反応に切り替わります。すると、核の中に運ばれる核タンパク質も、正常な状態とは変わってきます。正常細胞とストレス状態の細胞の違いを調べることで、どの核タンパク質がどのインポーチンβによって運ばれるかを明らかにしようと考えたのです。ところが、それが思わぬ結果を生み出しました」

分子シャペロンHsp70の運搬体はインポーチンβではない

 今本主任研究員らがまず注目したのが、分子シャペロンというタンパク質である。タンパク質が正常に機能するには、数珠つなぎになったアミノ酸が正しく折り畳まれる必要があり、折り畳みに失敗すると正常に機能しなくなる。分子シャペロンは、タンパク質が正しく折り畳まれるのを助けたり、本来の機能を失ったタンパク質の分解を助けたりするタンパク質の総称である。ちなみにシャペロンとはフランス語で、社交界へデビューした若い女性が一人前になるのを介添えする婦人のことを指す。
 細胞がストレス状態になると分子シャペロンが細胞質から核の中にたくさん運び込まれ、細胞が正常状態に戻ると分子シャペロンは核から細胞質に運び出される。このことは、1980年ごろに明らかにされていた。
 一方で今本主任研究員らは、不思議な現象に気付いていた。「細胞が正常状態のときは、インポーチンβがとても活発に働いています。しかし、細胞がストレス状態になるとインポーチンβの働きが低下するのです」。同様の報告は、海外の研究者からも出始めていた。「では、いったい何が分子シャペロンを運搬しているのだろうか。そういう疑問を抱えていました。しかし、そのときはまだ、運搬体はインポーチンβファミリーのどれかだろう、としか考えていませんでした」
 21種類あるヒトのインポーチンβファミリーのうち、どれが分子シャペロンを核の中に運び込んでいるのかを明らかにしようと、実験を始めた。注目したのは、熱によるストレス状態になると核にたくさん運び込まれることが知られているHsp70という分子シャペロンである。「ところが、どのインポーチンβを試してみても、Hsp70は核に運ばれないのです。いろいろな組み合わせを試しましたが、どれも駄目でした」
 この結果は何を意味しているのだろうか。「Hsp70を運んでいるのはインポーチンβではない。核―細胞質間輸送にはインポーチンβ以外のシステムがある。そんなことは誰も考えていませんでしたが、そう考えざるを得ません。その結論に至ったのが、今から5年ほど前です。そこからが長かったですね」

Hsp70の運搬体を同定

 分子シャペロンHsp70の運搬体は何か——それを突き止める実験が始まった。その中心となったのが、小瀬専任研究員だ。「“Hsp70が核に運び込まれる”という活性を指標に、生化学的な方法で運搬体の候補を絞り込んでいきました」と小瀬専任研究員。これは古典的な方法であり、かなり根気のいる仕事でもある。「活性が見えるので、そこには必ず運搬体がある。それが分かっていたので、一歩一歩、淡々と実験を進めていきました」
 そして、約4年がかりでようやく、Hsp70を核に運ぶために必須の因子を発見した。「それがHikeshiです。インポーチンβファミリーには属さない、機能未知の因子でした」と今本主任研究員。「でも、本当に面白いことが分かってきたのはその後でした」

HikeshiがHsp70を運ぶメカニズム

 「核―細胞質間輸送では、運搬体が細胞質で核タンパク質に結合し、核に運び込んだら核タンパク質から離れる、という一連の流れが必要です。HikeshiはHsp70の核内輸送に必須の因子でしたが、必須というだけでは運搬体とはいえません」と今本主任研究員。Hikeshiが運搬体として働くかどうかを調べていくうちに、思いがけないことが分かってきた(タイトル図下)。
 少し複雑な話になるが、Hsp70には、ATP型とADP型の2種類がある。ADP型Hsp70は、Hsp110の作用によってATP型となる。そして、ATP型Hsp70は、Hsp40の作用によってADP型となる。Hsp110やHsp40のように分子シャペロンの働きを補助するものを“コシャペロン”という。Hsp70は、常に多種類のコシャペロンと協調して働く。このようなシャペロンシステムの研究は盛んで、大きな研究分野になっている。
 「Hikeshiは、ATP型となったHsp70に結合し、ADP型になると解離します。結合が細胞質で起こり、解離が核の中で起こると輸送反応が成立します。これを、HikeshiによるHsp70の輸送メカニズムとして提唱しました。まだモデルの段階ですが、Hikeshiの輸送はコシャペロン機能と連携していると考えられます。Hikeshiの働く仕組みから、核―細胞質間輸送と分子シャペロンシステムの二つの研究分野を結び付けていきます」

Hikeshi——その名前の由来

 なぜ分子シャペロンHsp70の運搬体を“Hikeshi”と名付けたのだろうか。「運搬体であることを示す名前を付けることも考えました。しかし、この運搬体には、分子シャペロンを核の中に運ぶというだけでなく、細胞に対してとても重要な機能があることが分かりました。だから、その機能にちなんだ名前を付けたのです」
 細胞はストレス状態になると、ダメージを受ける。しかし、ストレス要因がなくなると、正常な状態に回復する。「Hikeshiを除去した細胞では、ストレス要因がなくなってもストレス状態から回復せず、死んでしまうことが分かりました(図1)。つまり、細胞がストレス状態から回復するためには、HikeshiによってHsp70が核に運び込まれ、働くことが重要であることが明らかになったのです」
 核に運び込まれたHsp70はATP型からADP型に変換しながら、変性したタンパク質の立体構造を正しく畳み直すのを手助けしたり、ほかの核タンパク質の機能を制御したりする。その結果、細胞はストレス状態から回復し、生存し続けると考えられる。
 「Hikeshiは、Hsp70を核に運び込むことで細胞のストレス状態を鎮める、つまり火事のときの火消しのような働きをしているのです。だから“火消し”と名付けました」。この成果は、米国の科学雑誌『Cell』(2012年4月27日号)に掲載された。

図1 細胞のストレス状態からの回復
図1 細胞のストレス状態からの回復
細胞はストレス状態に置かれると、ダメージを受け、増殖も止まる。正常細胞では、ストレス要因が除去されると増殖を始める。Hikeshiを除去した細胞では、ストレス要因を取り除いてもストレス状態から回復できず、死んでしまう。

老化やがんの解明へつなげる

 「これからやるべきこと、やりたいことは、山ほどあります。まずは細胞がストレスを受けたら、どのタイミングでHikeshiがHsp70と結合するのかを知りたい」と小瀬専任研究員。HikeshiとHsp70にそれぞれ異なる色の蛍光タンパク質を付けて、1分子ごとの動きを追跡する1分子イメージングの研究を始めたところだ。
 今本主任研究員は、「Hikeshiはヒトだけでなく、酵母や線虫、マウスにも存在します。生命現象の研究によく用いられているこれらのモデル生物を使って、個体におけるHikeshiの働きを調べ始めました。これまで私たちの研究室では、主に細胞を用いて研究をしていました。Hikeshiは、モデル生物を使って個体レベルの機能を見たいと思った、初めての分子です」と言う。
 さらに「Hikeshiは面白い」と今本主任研究員は話を続けた。「Hikeshiに関わる研究には、核−細胞質間輸送の研究者だけでなく、分子シャペロンの研究者も加わってくるでしょう。分子シャペロンの機能は、老化や発生、がん、神経疾患などと密接な関係があることが知られていますから、Hikeshiの研究は高次生命機能につながる可能性があります。最近は、基礎研究がdiscourage(抑制)される傾向にあります。しかし、基礎研究からHikeshiのような新しい発見が生まれ、そこから社会的要請の高い問題にもアプローチできるのです。Hikeshiの研究を通して、基礎研究の重要性を訴えていきたいと思っています」
 核に運ばれるタンパク質には目印が付いているのではないか、と世界で最初に提唱したのは、今本主任研究員の師でもある大阪大学の故 岡田善雄博士である。「核−細胞質間輸送の研究は、日本発です。今回、新しい核−細胞質間輸送システムを発見できたのは、とてもうれしいことです。その運搬体にHikeshiと日本語の名前を付けることができたのも感慨深いですね」
 一方で、Hikeshi発見の発端となった、どのインポーチンβがどの核タンパク質を運んでいるのか、なぜストレス状態になるとインポーチンβの働きが低下するのか、といった謎は残されたままだ。「未発見の運搬体がまだあるのかもしれません。核−細胞質間輸送システムには、分からないことが多く残されています。Hikeshiの発見によって、それを認識しました。初心に戻って、核?細胞質間輸送のシステム全体の解明を目指して、研究を進めていきます」

(取材・執筆:鈴木志乃/フォトンクリエイト)