理研和光研究所 脳科学総合研究センター 研究基盤センター 生体物質分析支援ユニットでは、 新しい手法を導入した独創的な分析支援により、 脳科学を推進しようとしている。 「私たちは今、脳から特定の種類の神経細胞だけを取り出し、 その中で働く多種類のタンパク質の量を 個々に分析する技術開発を進めています」と 俣賀宣子(またが のぶこ)ユニットリーダー。 脳科学を支える独創的な最新技術を紹介しよう。
ワンランク上の支援を目指す
研究基盤センター(RRC)は、1997年の脳科学総合研究センター(BSI)の設立当初から板倉智敏(ちとし)RRCセンター長が築き上げてきた研究支援組織だ。俣賀宣子ユニットリーダー(UL)が率いる生体物質分析支援ユニット(BMA)では、各研究チームから委託されたDNAやタンパク質などの生体物質を分析する支援業務を行っている。BSIの実験系研究チームのほとんどがBMAの支援を受けている。また利用研究室の半数は、基幹研究所を中心とする、理研内のBSI以外の研究室だ。
2009年にBMAに着任した俣賀ULは、BSI設立時から神経回路発達研究チーム(当時)で発達過程の脳の研究を進めてきた。「BMAのテクニカルスタッフ(TS)はとても優秀な人たちばかりです。しかし私が着任したとき、誰も実際の脳を見たことがありませんでした。そこで、マウスの脳からDNAやタンパク質を抽出する前処理を体験してもらいました。脳を意識し、分析の最初から最後までの流れを把握することで、分析支援の質が向上します。そして、それぞれの分析手法を担当するスタッフ間で緊密に連携することで、その質をさらに上げることができます」
具体的にどのような分析支援を目指しているのか。「私たちは、さまざまな手法の分析支援を行っています。新しい分析手法の確立も行ってきました。今取り組んでいるのは、いくつかの手法を組み合わせて、脳から特定の種類の神経細胞だけを取り出し、そこで働く多種類のタンパク質の量を個々に分析する技術を確立し、各研究チームにノウハウを提供することです。ここでは、その技術について順に紹介しましょう」
特定の種類の神経細胞だけを取り出す

図1 フローサイトメーターの原理
①レーザー光でサンプル流の中の細胞の種類を分析。
②細胞1個が入った液滴を種類ごとにプラスあるいはマイナスに荷電する。
③液滴が偏向板の電荷に引き寄せられて、特定の細胞が回収される。
脳は、さまざまな種類の細胞が複雑なネットワーク(神経回路)をつくることで機能する。脳の機能メカニズムを解明するには、それぞれの種類の細胞の役割を調べる必要がある。
「乳幼児期には、環境からの刺激を受けて神経回路の再編成が行われる“臨界期”があります。このとき、視覚や言語能力など特定の機能を担う神経回路が集中的につくられます。私が所属していた研究チームでは、臨界期における抑制性神経細胞の役割を探る研究を進めていました。抑制性神経細胞とは、結合しているほかの神経細胞の興奮を抑える信号を出す細胞のことです。しかし、このような特定の細胞の役割を生化学的アプローチから探る研究は、これまであまり行われてきませんでした。脳から特定の種類の細胞だけを取り出して分析することが難しかったからです。BMAでは、そのような分析を可能にするため、フローサイトメーターを導入しています」(タイトル図A)
フローサイトメーターの仕組みは実にユニークだ(図1)。①サンプルの細胞が水流(サンプル流)に乗ってレーザー照射部に導かれ、レーザー照射により細胞が発する蛍光の分析が行われる。②ノズル部でサンプル流に振動を与えると、細胞1個だけを含む液滴となる。そして蛍光分析に基づき、特定の種類の細胞を含む液滴をプラスまたはマイナスに荷電する。③ノズルから落下する液滴は、プラスとマイナス2枚の偏向板の間を通過する。その結果、プラスの液滴はマイナスの偏向板に、マイナスの液滴はプラスの偏向板に引き寄せられ、特定の細胞が種類ごとにチューブに回収される。
フローサイトメーターは、血液中の免疫細胞を種類ごとに分けるのによく使われている。しかし、脳の細胞に使われることはほとんどなかった。それは、フローサイトメーターは、細胞が1個1個ばらばらな状態のサンプルしか分別できないからだ。「免疫細胞はもともとばらばらですが、脳では細胞同士が複雑に絡み合っているので、ばらばらにする前処理が必要になります。神経細胞はダメージに弱いので、その前処理が難しいのです。さらに、細胞の周りを覆っているミエリンなどの不純物をなるべく取り除く必要もあります。2011年4月、BMAの太田和健之(おおたわ けんじ)TSたちは、マウス脳組織の細胞をばらばらにしたフローサイトメーター用サンプルを調製して目的の細胞をきれいに回収する手法を開発しました。その分析支援を受けたBSIの研究チームが、すでにいくつかの論文を発表しています」
フローサイトメーターは、特定の種類だけに結合する抗体に、それぞれ違う色の蛍光色素を付けて、レーザーで蛍光色を識別して種類ごとに回収することもできる。次に、そのような抗体をつくるときに必要となる、ペプチド合成の新技術を紹介しよう。
マイクロ波を用いて長いペプチドを合成

図2 マイクロ波を用いたペプチド合成
(左)従来の手法では、アミノ酸をつなげていくと先が丸まってしまい、長いペプチドをつくることが難しかった。
(右)マイクロ波で加熱してペプチドを伸ばしながらアミノ酸をつなげていくことで、長いペプチドをつくることができる。
ウイルスや病原菌などの異物が体に侵入すると、免疫システムが働き、抗体がその異物だけに結合して排除する。この特定のものだけに結合する抗体の機能は、生命科学において、目的とする細胞やタンパク質の識別に利用されている。
さまざまな抗体がすでに市販されているが、新しい抗体の作製が必要なケースも多い。新しい抗体をつくるには、まず抗体が結び付くタンパク質の断片、すなわち抗原となるペプチドをつくる。その抗原ペプチドをウサギなどの動物の体内に投与することで、目的のタンパク質だけに結合する抗体がつくられる。
そもそもタンパク質は20種類のアミノ酸が鎖状につながって折り畳まれたものだ。その断片であるペプチドも、アミノ酸を1個ずつつなげてつくる。「従来のペプチド合成機でつなげることができるアミノ酸は、せいぜい30個まででした。しかし研究者からは、もっと長いペプチドの合成を要請されます。そこで伊藤玲子TS、石川淳子TSたちに新しい装置を探してもらい、デモを繰り返し、“これだ!”と導入したのが、マイクロ波を用いるペプチド合成機です(タイトル図B)。このタイプの機種はまだ、日本に数台しかないと思います」
マイクロ波をどのように利用するのか。「長いペプチドが合成できないのは、長くなると鎖の先が丸まってしまい、次のアミノ酸をつなげることができなくなるからです(図2)。ペプチドは熱を加えると真っすぐに伸びる性質がありますが、加熱し過ぎると鎖が切れてしまいます。新しいペプチド合成機は、電子レンジの原理でペプチドを優しく加熱して真っすぐに伸ばしながら、アミノ酸を次々とつなげることができます。伊藤TSたちはこの新しい技術を使いこなすことで、これまでに71個のアミノ酸をつないだペプチドの合成に成功しています。これはすごいことです」
多種類のタンパク質を定量分析する
最後に、多種類のタンパク質の量を個々に分析する技術を紹介しよう。近年、遺伝子改変マウスなどを用いた遺伝子解析により、脳科学は大きく発展した。例えば、脳機能に障害を起こした遺伝子改変マウスと正常マウスの遺伝子を比較することで、脳機能に関係する遺伝子を探すことができる。また、精神疾患や認知症と似た症状を示す疾患モデルマウスと正常マウスを比較することで、脳の病気に関係する遺伝子を突き止めることができる。「しかし、そのような遺伝子解析だけでは、脳機能や病気のメカニズムを解明するには不十分です。脳機能を実際に担っているのは、遺伝子の情報によりつくられるタンパク質です。タンパク質の分析も必要なのです」
従来、タンパク質の分析には“電気泳動”という手法が用いられてきた。SDSというせっけんのような性質の試薬を加えると、タンパク質はマイナスの電気を帯びる。そこに電圧をかけると分子量の小さいものほど速くプラス側へ移動する。その移動距離の違いにより、タンパク質を種類ごとに分離する手法が電気泳動だ。これにより、例えば正常マウスにはあるが、疾患モデルマウスにはないタンパク質を見つけることができる。それを質量分析計で測定することで、そのタンパク質の種類を突き止めることができる。
しかし、電気泳動は時間がかかる上に、正確な分析を行うには高度なテクニックが必要だ。「5年ほど前から、“ショットガン法”も頻繁に用いられるようになりました。脳の組織や細胞から抽出したタンパク質をすべて質量分析計で網羅的に解析する手法です。正常マウスと疾患モデルマウスの解析結果を比較して、一方にだけ存在しているタンパク質を見つけ、同時に種類を突き止めることができます」
「しかし」と俣賀UL。「特定のタンパク質が存在するかしないか、その種類を突き止める定性分析だけでは、脳機能や病気のメカニズム解明にはまだ不十分です。あるタンパク質がまったく存在しないことが原因で機能不全や病気になるケースは、まれだからです。タンパク質の量が正常時と異なることで症状が現れるケースの方が多いのです。定性分析で突き止めたタンパク質の量を測定する定量分析が必要です」
特定のタンパク質の量を調べるには、“ウェスタンブロット法”が用いられてきた。これは目的のタンパク質に結合する抗体に蛍光や化学発光色素などを付けることで、タンパク質の量を明るさで調べる手法だ。結合する抗体が市販されていない場合には、先ほど紹介したペプチド合成機でBMAがペプチドをつくり、RRCの動物資源開発支援ユニットが動物の体内に投与して抗体を得る。その抗体を精製する必要がある場合には、BMAの森下泰全(ひろまさ)TSがその支援を行っている。このような支援の連携により新しい抗体を作製する。
ただしウェスタンブロット法では、同時に1種類、多くても2種類のタンパク質の量しか測ることができない。タンパク質は単独で働くものではなく、ほかのタンパク質や遺伝子と相互作用して、それらの働きを促進したり抑制したりする。たくさんのタンパク質や遺伝子が相互作用して、ネットワークとして働くことで、さまざまな脳機能が実現しているのだ。「病気でも、重要なタンパク質の量が変化すると、相互作用によってさまざまなタンパク質の量が変化し、その結果、ネットワークの働きに不具合が生じて症状が現れると考えられます。従って、脳機能や病気のメカニズムを解明するには、多種類のタンパク質の量の変化を分析することが、これからの脳科学では重要になる、と予測しています」
多種類の分子の定量分析ができる三連四重極型質量分析計が開発されている(タイトル図C)。しかし、その質量分析計は、主に薬となる化合物のような低分子の測定に使われてきた。「定量分析用の質量計は、高分子であるタンパク質にも汎用に使えるはずです。私たちは現在、多種類のタンパク質を同時に定量分析する技術の確立を進めています」
質量分析計で測定するには、前処理としてタンパク質を酵素でペプチドに分割する。調べたいタンパク質に含まれる特徴的な4種類ほどのペプチドを多重反応モニタリング法 (MRM)で測定することで、元のタンパク質の量を知ることができる。「定量分析で難しいのは再現性です。同じサンプルを測定したとき、いつも同じ測定結果が出るようにする必要があります(タイトル図D)。そのために前処理の仕方やサンプルの取り扱い方を慎重に行わなければいけません。今年の秋ごろから、MRM法を用いた多種類のタンパク質の定量分析支援を始めることができるように、臼井正哉(うすい まさや)TS、大月 香TS、阿部 綾TSたちが技術開発を進めているところです。この手法では、原理的には100種類ほどのタンパク質の量を同時に計測することができます」
環境要因や発生・発達過程を調べる
脳から特定の種類の神経細胞だけを取り出し、その中で働く多種類のタンパク質の量を分析することにより、具体的にどのような研究が進展するのか。
「例えば、マウスに不安を与えるような刺激を与え続けて育てたとき、不安に関係する神経細胞で特定のタンパク質の量がどのように変化するかを調べることが可能になります。このような研究は、環境要因と精神疾患との関係を解明することにつながるでしょう」
マウスにある事柄を記憶させたとき、脳の海馬など記憶に関係する部位の神経細胞において、記憶する前と後で特定のタンパク質の量が変化している可能性がある。その変化から記憶のメカニズムに迫ることができる。
発生や発達のある時期に量が変化するタンパク質を見つけることもできるだろう。「そのようなタンパク質の量を指標にして、脳の正常な発生・発達過程を理解したり、発達障害のメカニズムを解明したりすることができるはずです」
質の高い分析支援を続けるために
「私たちは、これからの脳科学が必要とする分析技術を予測し、支援する準備を進めておかなければいけません。そのために、テクニカルスタッフはしばしば分析装置の展示会などを視察したり、企業のセミナーに参加したりしています。学会などで展示会が開かれるケースもありますが、研究者たちは時間があまり取れません。そこで、BSI内で研究用器材の展示会を開催して研究者たちに最新の分析機器などのデモを体験してもらう取り組みも始めました」
もちろん、最新の分析装置をそろえるだけでは質の高い分析支援を続けることはできない。「BMAのテクニカルスタッフは皆、高い技術と豊富な経験を持っています(図3)。誰一人欠けても、現在の支援の質を維持できません。質の高い分析支援を続けるには、テクニカルスタッフの仕事が正当に評価される必要があります。分析支援の貢献度が高い場合、テクニカルスタッフを論文の共著者とするように研究者にお願いしています。また、特に高い技術を持つスタッフには、それにふさわしい役職を設けるなど待遇面の改善も必要です」
高い技術とモチベーションを持つテクニカルスタッフが独創的な分析支援を続けていくことで、BSIや理研の研究はさらに飛躍していくだろう。
(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト、撮影:STUDIO CAC)



