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研究最前線

朝永・湯川博士の研究を精密計算で極限まで推し進める


財団法人理化学研究所 第四代所長で、日本原子物理学の父と呼ばれる仁科芳雄 博士。その理研仁科研究室で二人の理論家が活躍した。朝永(ともなが)振一郎 博士(1965年ノーベル物理学賞受賞)と湯川秀樹 博士(1949年ノーベル物理学賞受賞)だ。仁科博士の名を冠した仁科加速器研究センター(RNC)初田量子ハドロン物理学研究室では、朝永・湯川博士が行った電子や原子核に関する研究を、スーパーコンピュータを使った精密計算により極限まで推し進めている。そして今年11月、仁科博士の功績を記念し、原子物理学とその応用に関し、優れた研究業績をあげた研究者に贈られる“仁科記念賞”を、初田哲男 主任研究員らが受賞することが決まった。


初田哲男  Tetsuo Hatsuda 和光研究所 仁科加速器研究センター 理論研究部門 初田量子ハドロン物理学研究室 主任研究員 1958年、大阪府生まれ。理学博士。京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻 修了。高エネルギー物理学研究所物理系理論部客員研究員、米国ワシントン大学物理学科 アシスタントプロフェッサー、筑波大学物理学系助教授、京都大学大学院理学研究科助教授、東京大学大学院理学系研究科教授などを経て、2011年より現職。
YouTube 初田量子ハドロン物理学研究室 仁科加速器研究センター

タイトル図 朝永・湯川博士の研究を発展させた精密計算
タイトル図 朝永・湯川博士の研究を発展させた精密計算


木下東一郎 博士が始めた電子の磁力を調べる大規模計算

 朝永振一郎 博士は、リチャード・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガーらと共に、現代物理学の標準理論の根幹をなす量子電気力学(QED)を完成させた。1940年代後半のことだ。当時、東京文理科大学(現・筑波大学)の教授を務めていた朝永博士のセミナーには、東京大学からも大勢の学生が参加していた。その一人に、コーネル大学名誉教授で初田量子ハドロン物理学研究室の木下東一郎(とういちろう) 客員研究員がいた。「そのころ、東京大学でただ一人、量子場の理論を研究していた小平邦彦 教授(1954年フィールズ賞受賞)が私の指導教官でした。しかし、小平先生の専門は数学だったので、量子場の理論を学びたい東京大学の学生たちは、朝永先生のところへ押し掛けたのです。その中には、南部陽一郎さん(2008年ノーベル物理学賞受賞)もいました」と木下博士は振り返る。
 1952年、木下博士は南部博士と共に米国プリンストン高等研究所へ留学。その後、南部博士はシカゴ大学で、木下博士はコーネル大学で長年にわたり研究を続けた。
 「1966年に1年間、スイスのCERN(セルン)(欧州原子核研究機構)で研究をする機会がありました。そこでミュオンの実験データを見て、これはすごい! と思いました」と木下博士。
 ミュオンは電子の仲間の粒子である。ミュオンや電子は電荷とともに磁石の性質を持つ。その磁力の大きさ(磁気能率)を示すg因子の値を、量子力学のディラック方程式で計算すると、ちょうど整数の2になる。しかし1947年、米国のポリカプ・クッシュ(1955年ノーベル物理学賞受賞)の実験により、g因子の値は2と完全には一致せず、0.1%ほどずれることが分かった。それは、電子やミュオンが、光を伝える粒子である光子を放出したり吸収したりすることが原因であることを、1948年にシュウィンガーがQEDの計算により明らかにした。木下博士がCERNで見たのは、ミュオンのg因子を高精度で計測した実験データだった。
 「QEDがどこまで正しいのかを調べるのに最も適した方法は、g因子の値を調べることです。単一の粒子の性質という単純な系なので、実験でも理論でも、高精度でその値を求められるからです」と木下博士は解説する。
 g因子の値の2からのずれは、光子1個を放出・吸収する影響が最も大きい。その光子の放出・吸収を視覚的に示したものをファインマン図という(タイトル図A上)。電子の場合、光子1個ではその図は1通りで、g因子の値を手で計算することが可能だ。
 ただしg因子の値をより高い精度で求めるには、放出・吸収する光子が2個、3個と増えたときの影響を調べる必要がある。光子2個のファインマン図は7通りでなんとか手計算できるが、3個では72通りとなり、手計算は困難となる。
 CERNの実験データの精度でミュオンのg因子の値を求めるには、光子3個の影響まで計算する必要があった。そこで木下博士は、QEDに基づいたコンピュータによる大規模計算でg因子の値を導き出す研究を世界に先駆けて開始した。そして1974年、電子のg因子の値を30億分の1の精度で導き出した。「やっとこの研究も終わったと思いました。しかしその後、ある会合で一人の研究者が私をつかまえて、“ワシントン大学の研究者たちが電子のg因子を計測する新しい実験を始めた。今までの実験よりも3桁精度が高い、1000億分の1の精度の実験値が出るはずだ”と言うのです。それでこの研究をやめられなくなってしまいました」

QEDの破綻から究極理論が見えてくる

 木下博士は、さらに精度を上げるため、光子4個の影響の計算を始めた。それには891通りのファインマン図を計算する必要がある。「大規模計算の手法の原型は、私が光子3個の影響を計算するときにつくったものです。それを拡張する形で計算を進めました」と木下博士。「その計算の最終段階で、コーネル大学での私の研究室の出身である仁尾真紀子さん(現・初田量子ハドロン物理学研究室 研究員)にも加わってもらいました」。そして木下博士と仁尾研究員らは2007年、光子4個の影響を計算して、電子のg因子の値を1兆分の1の精度で導き出した。ところがその翌年、ハーバード大学の研究者たちが、3兆6000億分の1の精度の実験値を発表した。
 計算値の精度をさらに高めるには、光子5個の影響を表す12,672通りのファインマン図を計算しなければならない(タイトル図A下)。木下博士と仁尾研究員らは、その膨大な計算を、理研のスーパーコンピュータ(RSCCとRICC)を使って9年間にわたり実行した。そして今年、電子のg因子を1兆3000億分の1の精度で導き出すことに成功し、発表した(タイトル図B)。これは物理学史上、最も高精度の理論計算値だ。
 「その計算値は、ハーバード大学の実験値と一致しました。もしQEDに破綻があるのなら、精度を上げていけば必ず計算値と実験値がずれるはずですが、今のところそうなってはいません。しかし精度をさらに1桁ほど上げると、QEDによる計算値と実験値にずれが生じるかもしれない、という理論予想があります。QEDを含む現在の標準理論を超える究極理論が、いくつか提案されています。g因子の計算値と実験値のずれは、そのうちのどの理論が正しいかを知る上で重要な手掛かりになるはずです。でも、精度を1桁上げるのは実験でも理論計算でも大変なことです」。そう語る仁尾研究員は、木下博士と共にさらに計算値の精度を高め、朝永博士たちが完成させたQEDが破綻する領域へ到達することを目指している。

なぜ原子核はつぶれてしまわないのか

図1 普通の原子核とストレンジクォークを含む原子核 普通の原子核は陽子や中性子から成る。さらに陽子と中性子はアップクォークとダウンクォークから成る。ストレンジクォークを含むクォーク3個から成る粒子をハイペロン、ハイペロンを含む原子核をハイパー核と呼ぶ。
図1 普通の原子核とストレンジクォークを含む原子核
普通の原子核は陽子や中性子から成る。さらに陽子と中性子はアップクォークとダウンクォークから成る。ストレンジクォークを含むクォーク3個から成る粒子をハイペロン、ハイペロンを含む原子核をハイパー核と呼ぶ。

 次に、初田哲男 主任研究員たちが進めている研究を紹介しよう。それは湯川博士の研究を極限まで推し進める研究だ。「原子核は陽子と中性子で構成されています(図1左)。陽子や中性子の間に働く力を核力といいます。湯川博士は1935年に、陽子や中性子がπ中間子という未知の粒子をやりとりすることで引力が働き、原子核ができているという中間子論を提唱しました」と初田主任研究員は解説する。
 1940年代半ば、宇宙線の観測により湯川博士が予言したπ中間子が発見され、中間子論が実証された。「ただし、核力にはまだ大きな謎が残されています。核力が引力だけならば、陽子や中性子が近づくほど引力が強くなって原子核はつぶれてしまうはずです。すると現在のような銀河や星に満ちあふれた宇宙は安定に存在できません。なぜ原子核はつぶれないのか。それは原子核物理学における大きな謎の一つです」
 その後、実験によって中性子や陽子がある距離以上に近づくと反発力(斥力(せきりょく))が働くことが分かった。さらに1960年代に入ると、陽子や中性子は、クォークという粒子が3個集まってできていることが分かった(図1左)。「核力を知るには、クォーク同士に働く“強い相互作用”と呼ばれる力を知る必要があります。その力の理論を1966年に世界で最初に提唱したのが南部陽一郎先生です」と初田主任研究員。
 さまざまな研究者により、強い相互作用を説明する量子色力学(QCD)が完成し、実験的にそれが正しい理論であることが1970年代半ばに確かめられた。「QCDは人類が発見した最も美しく最も複雑な理論の一つです」

QCDを精密計算して核力を導き出すことに成功

左から仁尾真紀子 仁科センター研究員、初田哲男 主任研究員、木下東一郎 客員研究員(コーネル大学名誉教授)。
左から仁尾真紀子 仁科センター研究員、初田哲男 主任研究員、木下東一郎 客員研究員(コーネル大学名誉教授)。

 複雑なQCDの精密計算を行い答えを得るには、膨大な計算を必要とする。それにはコンピュータの計算速度の高速化と、計算手法の開発が必要だった。「クォーク3個から成る陽子や中性子の性質をQCDで精密計算できるようになったのは、21世紀に入ってからです」と初田主任研究員。
 現在の宇宙では、クォークは陽子や中性子などに閉じ込められており、単独のクォークは観測されていない。しかし宇宙誕生の超高温・高密度のビッグバンでは、クォークはばらばらな状態だった。そして宇宙の膨張とともに温度が下がることにより、クォークが集まり陽子や中性子ができたと考えられている。「私はそのような宇宙初期にあった物質の研究をずっと続けてきました。ただし学生時代に、京都大学の湯川研究室出身の玉垣良三先生から、“なぜ原子核はつぶれないのか”という核力にまつわる未解決の大問題があることを聞き、いつかはその謎に挑戦したいと思っていました」
 初田主任研究員たちは、2005年からQCDによる核力の精密計算を始めた。そして2006年、共同研究者から最初の計算結果を初田主任研究員は受け取った。「それを見た瞬間、体が震えました。核力が遠距離では引力になることはもとより、近距離では反発力になることがはっきり現れていたからです(タイトル図C)。私はうれしくて、いろいろな人に電子メールでその計算結果を報告しました。そのうちの一人がQCDの完成に貢献した米国のフランク・ウィルチェック博士(2004年ノーベル物理学賞受賞)です。博士は2007年1月に京都大学で開催された湯川・朝永博士生誕百周年の記念講演で、“最近、核力の研究でブレークスルーが起きた”と、私たちの研究を大きく取り上げてくださいました」
 なぜ初田主任研究員たちは、世界で初めて核力をQCDで精密計算することに成功できたのか。「私は宇宙初期における物質の研究を進めていたので、クォークと原子核の両方について知識がありました。それを駆使して、核力をQCDで数学的に定義することができました。ひとたび定義ができれば、大規模計算を行うことが可能になります。その計算をするために、高エネルギー加速器研究機構(KEK)に当時導入されたばかりのスーパーコンピュータをフルに使わせていただけたことが、とても幸運でした」

スーパーコンピュータ「京」で次のステージへ

図2 Hダイバリオン アップ、ダウン、ストレンジそれぞれ2個ずつから成るクォーク6個の粒子Hダイバリオンが存在すると考えられている。
図2 Hダイバリオン
アップ、ダウン、ストレンジそれぞれ2個ずつから成るクォーク6個の粒子Hダイバリオンが存在すると考えられている。

 なぜ、核力は近距離では反発力として働くのか。「それは量子力学の基本原理である“パウリの排他律”が原因です」と初田主任研究員。ミクロの世界の粒子はフェルミ粒子とボース粒子に分かれる。クォークや電子はフェルミ粒子、光子はボース粒子だ。ボース粒子は同じ位置に何個でも同時に存在できる。しかし、同一種類のフェルミ粒子は同じ位置に同時に存在できない。それがパウリの排他律だ。「クォークには、アップ、ダウン、ストレンジなど6種類があり、陽子や中性子はアップとダウンが3個集まってできています(図1左)。陽子や中性子をある一定の距離以内に近づけようとすると、同じ状態のアップ同士やダウン同士が同じ位置に重なるようになります。そこでパウリの排他律によって反発力が働くのです。その反発力が働くメカニズムの詳細を知るには、QCDによる核力の計算をさらに精密化する必要があります」
 初田主任研究員たちはそのために、スーパーコンピュータ「京」を使った計算を今年、開始した。「2014年には、最終的な計算結果が出ると予想しています。なぜ原子核はつぶれないのか、という長年の謎に最終解答が得られるはずです」
 「京」をはじめとする国内のスーパーコンピュータを活用する国家プロジェクト“HPCI(ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ)戦略プログラム”が現在進められており、その五つの戦略分野のうちの一つ、分野5“物質と宇宙の起源と構造”に、初田主任研究員たちは参加している。「そこでは、私たちが精密計算で導き出す核力の最終結果を、超新星爆発のシミュレーションに提供する計画です」
 超新星爆発とは、重い星が一生の最後に見せる大爆発だ。星をつくっていた物質が重力でどんどん収縮し、やがて反発して爆発する。「そのシミュレーションを行うと、爆発が途中で止まってしまうケースがあります。なぜちゃんと爆発するのか、よく分かっていないのです。爆発を引き起こす最初の引き金は、核力の反発力です。その値について、これまでは実験に基づく推測値を入れてシミュレーションを行っていました。そこに私たちが『京』で導き出す核力の反発力の値を入れて、超新星爆発が本当に起きるかどうか確かめるのです」
 超新星爆発によって、鉄より重い元素の原子核ができた。それらの元素を含むガスが爆発によって宇宙空間に散らばり、それが星や生命をつくる材料となる。「核力が分かれば、原子核が分かる。原子核が分かれば、超新星爆発など宇宙で起きているさまざまな現象が分かる。核力を軸に物質と宇宙を統一的に理解しようというのが、“物質と宇宙の起源と構造”の目標です。このような共同研究は日本独自のものです」
 陽子や中性子が集まった原子核は、現在までに約3000種類が知られている。さらに仁科加速器研究センターでは、最先端加速器施設“RIビームファクトリー(RIBF)”により、水素からウランまでの全元素、約4000種類の不安定原子核(RI)をつくってその性質を詳しく調べ、超新星爆発で重い元素の原子核ができる過程を探る実験が進められている。初田主任研究員たちは、それら陽子と中性子から成る原子核に働く核力の研究とともに、新しいタイプの原子核に働く核力の研究も進めている。
 「アップとダウンだけから構成される陽子と中性子とは別に、ストレンジを含む3個のクォークから成るハイペロンと呼ばれる粒子があります。そしてハイペロンと陽子、中性子が集まった原子核にも、たくさんの種類があると考えられています(図1右)。しかし、それらの原子核に働く核力などの性質はよく分かっていません。KEKと日本原子力研究開発機構が建設した大強度陽子加速器施設“J-PARC”では、ハイペロンの一種であるラムダ粒子などを1個以上含むハイパー核をたくさんつくる計画です。それら新しい原子核の物理学を進める上で基礎データとなるのが、ハイペロンを含む原子核に働く核力です。私たちは、それをQCDの精密計算により導き出すことを目指しています」
 クォークから成る粒子を総称してハドロンという。これまでクォーク2個と3個から成るハドロンは見つかっているが、クォークを4個以上含むハドロンは見つかっていなかった。「ところがここ数年、そのような新しいハドロンを見つけたという実験報告がたくさん出始めています。いずれもまだ確証が得られていませんが、理論的にはあり得ます。J-PARCではストレンジを含むクォーク6個から成るHダイバリオンと呼ばれるハドロンをつくる計画です(図2)。そのHダイバリオンの性質を『京』を使ったQCDの精密計算により導き出すことも、私たちの目標です」
 初田量子ハドロン物理学研究室では、朝永・湯川博士の研究を精密計算により極限まで推し進めることで、物理学を次のステージへ導こうとしている。