一人ひとりの患者に最適化した個別化医療、その一例が1998年に登場したがん治療における分子標的薬「トラスツズマブ」である。これまでの抗がん剤は、がん細胞も正常細胞も区別なく攻撃するが、分子標的薬はがん細胞が持っている特定の分子に結合して、がん細胞だけを攻撃する。高い治療効果を発揮する「患者に優しい」治療法だが、投与の際には患者のがん細胞に特定の分子があるかどうか、適合性を検査する必要がある。それを確実に検査するためには注射針で患部の細胞を採取する必要があり、患者の負担となっていた。今回、理研分子イメージング科学研究センターの渡辺恭良センター長と高橋和弘ユニットリーダー(イメージング基盤ユニット)らは国立がん研究センターと共同で、患者適合性検査を「患者に優しく」行うための新しい画像診断法を開発した。
― 患者適合性検査とは何ですか。
渡辺:分子標的薬は、がん細胞が持っている特定の分子に結合して、がん細胞だけを攻撃することから、治療効果が高く副作用も少ないというメリットがあります。ただし、患者さんのがん細胞に分子標的薬が結合する分子がないと、効果はありません。それを調べるのが患者適合性検査です。
― どうやって調べるのですか。
渡辺:注射針で患部のがん細胞を採取し、標的とする遺伝子やタンパク質の有無を調べるのですが、痛みを伴う検査なので患者さんにとって負担が大きいという課題があります。また、がん細胞の採取自体が難しいケースもあります。
― 開発した手法は、どんな薬の適合性を診断できるのですか。
渡辺:HER2(ハーツー)陽性乳がんの分子標的薬「トラスツズマブ」です。HER2陽性乳がんは、転移・再発率が高く、乳がん全体の20〜30%を占めます。トラスツズマブは、がん細胞の表面にあるHER2タンパク質に結合してがんの増殖を止める薬で、治療効果が非常に高く、1998年に米国で、2001年に日本で認可されています。
― どのような診断法なのですか。
渡辺:治療薬であるトラスツズマブを診断薬としても使います。原理は簡単で、トラスツズマブを銅の放射性同位体で標識して患者さんに静脈注射し、PET(陽電子放出断層画像法)で検査するだけです。乳がん細胞にHER2タンパク質があれば、そこに集まったトラスツズマブが放射線を出すので、PET画像で光って見えるのです(図)。
PET診断に用いるトラスツズマブの量は、治療に用いる5000分の1とごく微量なので、万一患者さんの体質に合わない場合でも副作用が起きる心配はほとんどありません。
高橋:海外でも同じ臨床研究が行われていますが、良い成果が出ていません。おそらくクリアな画像が得られていないのだと思います。結果を左右するのは、トラスツズマブが放射性同位体で標識される割合の高さです。私たちがつくったものは世界トップクラスの品質です。
― 共同研究はどのように進んだのですか。
渡辺:私たちは分子標的薬の標識法を確立し、PET診断に使えるかどうかを動物実験で確かめました。その後の臨床研究を、国立がん研究センター中央病院の藤原康弘先生(乳腺・腫瘍内科 科長)と田村研治先生(同 通院治療室医長)を中心に進めていただきました。臨床研究ではHER2陽性乳がんを治療中の患者さん14名の方に協力いただいています(図)。
― 開発の苦労は。
渡辺:高橋ユニットリーダーも、ヒトでのPET撮像条件の最適化を担当した和田康弘 副チームリーダー(分子プローブ動態応用研究チーム)も毎週、東京に泊まり込みでした。
高橋:がん研究センターの医師や看護師、技師の方たちも、通常の診療業務を行いながらの作業でしたから、大変だったと思います。
― 開発した手法は一般の病院にも普及しますか。
渡辺:一般的な診断法とするためには、もう少し多くの患者さんに協力いただいて、データを集めることが必要です。扱う放射線の量が現在普及している一般的なPET診断と同程度と分かったので、2〜3年後をめどに一般の病院でも使えるようにしたいですね。また、ほかの分子標的薬への応用も、すでに始めています。
●2012年6月5日、米国シカゴで開催された第48回米国臨床腫瘍学会(Annual Meeting of the American Society of Clinical Oncology)で発表。


